市民劇『私たちの街の記憶』
3/18(土)~19(日) ノトススタジオにて
これはぜったい観て欲しいと思った。
琴線に触れる物語が きっとある。
眠っていた いつかの自分が目を覚まし
きっと 自分の物語になる。
そして、これからを生きる
あなたの物語が始まる。
………………………………
私が初めて稽古を見学したのは
稽古6回目、本番の2週間と少し前頃
だっただろうか。
アートマネジメント公開講座の実践演習
舞台制作の一環として。
皆さんが輪になってそれぞれの
記憶に残る話を出し合っていた。
昔のある場所ある景色、私も同じ!
同じように覚えている人がいるなんて。
とても嬉しかった。
初めて眼鏡をかけて見た景色の驚きも、
もう再現はできないけれど
その時の感動は記憶の中にある。
そして介護の話も心に残った。
6年ほど前から病状が悪くなった義母の
お手伝いを続けた後に要介護に入り
育児と共に葛藤の日々もあった。
それだけに “ ありがとう ”という言葉が
胸に刺さった。
自分はそう言えるまでには
至らなかったという思いが
義母を見送った後もずっと
心に引っ掛かっていたから。
それでも、舞台を観て
理屈ではなく感覚として
そんな自分も救われたような気がした。
境遇はそれぞれ違うけれど
どんな人のどんな思いも受け止めてくれる。
違うけれど
どこか共有できるものがある。
それが、私が感じる救いなのかもしれない。
共有できるものを見つけられるというのは
演劇というもの、
この市民劇というものの
性質なのかもしれない。
一段高い丸い舞台は
組んだ白木の積み木で囲まれていて。
更にその舞台の周りには
カラフルな積み木が散らばっていた。
最後の方では出演者が
その積み木を思い思いに積んでいた。
それが小さな建物に見え、
人が去ると 街のように見えた。
そして すうっと夜になり
舞台の下から ほんのりと
灯る明かりが家々の
シルエットを映し出して
家路へ向かうような気持ちになった。
あの積み木のひとつが自分で、
それは小さな欠片だけど
人の日々の営みとして
あそこで確かに生きていると思えた。
誰にでも ささやかなエピソードはある。
年表に載るような大事件ではなくても
その人の心に残り、
その人を動かしてきたもの。
いつもは記憶の中で眠っているけど
観ているうちに目を覚ます。
自分のこととして感じ、
自分のこれまでを振り返り、
これからを生きていく自分の力になる。
私にとって今回の市民劇は
そういうものだった。
たぶん他の人も それぞれに
響くものはあっただろう。
この短い期間で、
演劇初心者の方もいる中で
出来上がった市民劇に拍手。
その過程もまた
大切な記憶として残り
人を動かしていくのだろう。
…………………
《 写真 》
当日パンフレットには
市民劇参加者紹介。似顔絵つき!
ロビーには
お客さんが書いた思い出メモを
貼るコーナーも!
他にも 思い出の品がたくさん
並べられていた。
講座の受講生として
少しではあるけれど
お手伝いできてよかった。
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