たまにSFや漫画に出てきそうな学習型のロボや、
フランケンシュタインの怪物などが、
徐々に、言葉をおぼえたり、
感情を理解したり、
そうして、だんだん人に近づいていきますが、
そんな感じでしょうか。
あまり人と会わずに、机にばかりついているときは、
声を出して笑うことも、ありませんし、
言えば、怒ったり、泣いたり、喜んだりということが、
やや、希薄といいますか、
太宰治の「お伽草子」の中の「瘤取り」に登場する、
「阿波聖人」みたいなことがある気がします。
抜粋しますと、
「また、このお爺さんには息子がひとりあって、もうすでに四十ちかくになっているが、これがまた世にも珍しいくらいの品行方正、酒も飲まず煙草も吸わず、どころか、笑わず怒らず、よろこばず、ただ黙々と野良仕事、近所近辺の人々もこれを畏敬せざるはなく、阿波聖人の名が高く、妻をめとらず髭を剃らず、ほとんど木石ではないかと疑われるくらい、結局、このお爺さんの家庭は、実に立派な家庭、と言わざるを得ない種類のものであった。
けれども、お爺さんは、なんだか浮かぬ気持ちである。そうして家庭の者たちに遠慮しながらも、どうしてもお酒を飲まざるを得ないような気持ちになるのである。しかし、うちで飲んでは、いっそう浮かぬ気持ちになるばかりであった。お婆さんも、また息子の阿波聖人も、お爺さんがお酒を飲んだって、別にそれを叱りはしない。お爺さんが、ちびちび晩酌をやっている傍で、黙ってごはんを食べている。
『時に、何だね』とお爺さんは少し酔って来ると話し相手がほしくなり、つまらぬ事を言い出す。『いよいよ、春になったね。燕も来た。』
言わなくたっていい事である。
お婆さんも息子も、黙っている。
『春宵一刻、値千金、か。』と、また言わなくてもいい事を呟いてみる。
『ごちそうさまでござりました。』と阿波聖人は、ごはんをすまして、お膳に向かいうやうやしく一礼して立つ。
『そろそろ、私もごはんにしよう。』とお爺さんは、悲しげに盃を伏せる。
うちでお酒を飲むと、たいていそんな具合である。」
だいぶ、長く抜粋してしまいました。
太宰はこの楽しい「お伽草紙」を、昭和二十年三月から六月にかけて執筆しています。
三鷹の借家で、空襲のため防空壕に隠れながら、結局は甲府に疎開して、そこで書き上げたそうです。
戦争中は、とくに、明るくて楽しいものを書いていたようです。
いや、先日、ふとこの「瘤取り」を読み返して、
もう、何回も読んでるのに、阿波聖人の、
「ごちそうさまでござりました」で、笑いが込み上げてきて、
しばらく止まらなくて、もう、涙も出てきて、
泣いているんだか、笑っているんだか、
よろこんでいるんだか、苦しんでいるんだか、
わからないようなことになってしまってのでありました。
15年ぐらい前に、太宰ばかり読んでたときにも、
面白いなぁ、と思って読んだわけでしたが、
時が経ち、
自分のことも前よりは少し、わかるようになったからでしょうか、
自分と重ねられるところが見つかったりなどして、
そういう読み方もできて、さらに、楽しいことでありました。
長くてすみません。
今日も素敵な一日になりますように。
美しい明日へ心をこめて歌っています。
洋司
フランケンシュタインの怪物などが、
徐々に、言葉をおぼえたり、
感情を理解したり、
そうして、だんだん人に近づいていきますが、
そんな感じでしょうか。
あまり人と会わずに、机にばかりついているときは、
声を出して笑うことも、ありませんし、
言えば、怒ったり、泣いたり、喜んだりということが、
やや、希薄といいますか、
太宰治の「お伽草子」の中の「瘤取り」に登場する、
「阿波聖人」みたいなことがある気がします。
抜粋しますと、
「また、このお爺さんには息子がひとりあって、もうすでに四十ちかくになっているが、これがまた世にも珍しいくらいの品行方正、酒も飲まず煙草も吸わず、どころか、笑わず怒らず、よろこばず、ただ黙々と野良仕事、近所近辺の人々もこれを畏敬せざるはなく、阿波聖人の名が高く、妻をめとらず髭を剃らず、ほとんど木石ではないかと疑われるくらい、結局、このお爺さんの家庭は、実に立派な家庭、と言わざるを得ない種類のものであった。
けれども、お爺さんは、なんだか浮かぬ気持ちである。そうして家庭の者たちに遠慮しながらも、どうしてもお酒を飲まざるを得ないような気持ちになるのである。しかし、うちで飲んでは、いっそう浮かぬ気持ちになるばかりであった。お婆さんも、また息子の阿波聖人も、お爺さんがお酒を飲んだって、別にそれを叱りはしない。お爺さんが、ちびちび晩酌をやっている傍で、黙ってごはんを食べている。
『時に、何だね』とお爺さんは少し酔って来ると話し相手がほしくなり、つまらぬ事を言い出す。『いよいよ、春になったね。燕も来た。』
言わなくたっていい事である。
お婆さんも息子も、黙っている。
『春宵一刻、値千金、か。』と、また言わなくてもいい事を呟いてみる。
『ごちそうさまでござりました。』と阿波聖人は、ごはんをすまして、お膳に向かいうやうやしく一礼して立つ。
『そろそろ、私もごはんにしよう。』とお爺さんは、悲しげに盃を伏せる。
うちでお酒を飲むと、たいていそんな具合である。」
だいぶ、長く抜粋してしまいました。
太宰はこの楽しい「お伽草紙」を、昭和二十年三月から六月にかけて執筆しています。
三鷹の借家で、空襲のため防空壕に隠れながら、結局は甲府に疎開して、そこで書き上げたそうです。
戦争中は、とくに、明るくて楽しいものを書いていたようです。
いや、先日、ふとこの「瘤取り」を読み返して、
もう、何回も読んでるのに、阿波聖人の、
「ごちそうさまでござりました」で、笑いが込み上げてきて、
しばらく止まらなくて、もう、涙も出てきて、
泣いているんだか、笑っているんだか、
よろこんでいるんだか、苦しんでいるんだか、
わからないようなことになってしまってのでありました。
15年ぐらい前に、太宰ばかり読んでたときにも、
面白いなぁ、と思って読んだわけでしたが、
時が経ち、
自分のことも前よりは少し、わかるようになったからでしょうか、
自分と重ねられるところが見つかったりなどして、
そういう読み方もできて、さらに、楽しいことでありました。
長くてすみません。
今日も素敵な一日になりますように。
美しい明日へ心をこめて歌っています。
洋司
寝酒の
焼酎。
お芋、お麦、お米
冷たくも、熱くも、
四季の国に
感謝してます!