『今日の出来心』

シンガーソングライター&作詞家“久保田洋司”の365日書き下ろし公開日記です
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2011年1月31日(月)

2011年01月31日 00時00分01秒 | Weblog
今朝、カーテンを開けたら、ほぼ正面に、
細い月と、金星が、きれいに並んで輝いていて、
朝の空が、胸に着けてるバッジのようでした。

写真撮りたいぐらいでしたが、
なかなか、うまく撮れないし、
こういうのは、生で見るのが一番と思い、
しばらく、見ていたことです。

まえに、ファンクラブのブログに、
尾道の実家の庭で見たすごいオリオン座を、
写真に撮って(撮ったつもりで)、
載せたことがあるんですが、
別に、特別なカメラではないもので、
星は写らず、写真は、真っ黒。

オリオン座って、こんなに星が多かったっけ?
というぐらい、いっぱいの星だったんですけどね。

今も、あれは目に焼きついてます。

前にも書きましたが、
尾道の実家あたりの夜空は、
薄暗く青い夜空じゃなくて、
夜中になると、真っ黒で、
日によっては、星が、気持ち悪いぐらい、
いっぱい見えるんです。

それでも、最近は、近くに、だんだん、
マンションやら、大きい建物が建って、
夜も照明がついていたりするので、
以前と比べると、夜空も明るくなってきたようです。

時々、テレビとか、写真とかで、
空中ぜんぶ星、みたいなのを、
見ることがありますが、
あぁいうのも、いつか生で見てみたい気がします。

洋司

2011年1月30日(日)

2011年01月30日 00時00分01秒 | Weblog
三島由紀夫の短編小説「月」に、
「エラ・フィッツジェラルドの『メロウ・ムード』を聴いたときから、
かれらの行方定めぬ旅がはじまったようなものだ」
というところがあって、
どんな曲なのかな、といろいろ調べていて、
昨晩は、珍しく、夜更かししたことでした。

三人の若者が、あるジャズのかかる店で、それを聞いて、
なんとなく方向性が、決まった、みたいな。

この短編、ずいぶん前にも読んだけど、
僕はそのころは、あんまりジャズを聞いていなかったからか、
この部分には、引っかからないで、
読み過ごしていたし、
小説の内容も、ほとんど覚えていなくて、
このあいだ、読み直して、あらためて楽しめたのでした。

エラ・フィッツジェラルドの「メロウ・ムード」、
「ソングス・イン・ア・メロウ・ムード」というアルバムのことなのかな。
あまり、知らなかったんです。

動画サイトなんか、見てみると、
けっこうたくさん映像があって、
最近僕がよく聞く、マイルスのレコードなんかにも入ってる、
あの曲も、あの曲も、って感じで、
あれこれ、見ました。

マイルスや、ビル・エヴァンス、ソニー・ロリンズ、
ジム・ホール、コルトレーン、
そういう、最近大好きなのもたくさん見られて、
興奮して、なかなか眠くならないのでした。

ビル・エヴァンスのインタビューなんかも、
見られるんですね。

しゃべってるところ、はじめて見て、
不思議な気持ちでした。

動くビートルズの映像をはじめて見た時ぐらい、
感動しました。

洋司

2011年1月29日(土)

2011年01月29日 00時00分01秒 | Weblog
昨日は、夜、大西洋平さんのライブを見に、
渋谷へ。

前にも書いた気もしますが、
恋愛のいろんなシチュエーションを、
物語のように、歌にしておられ、
しかも、
だいたい、彼女に振られて一人ぼっち、
そんな、大西さんの世界を、
ゆっくり楽しむことができました。

歌の作り方や、歌い方、
髪型や、ギターの弾き方、
顔つきまで、見れば見るほど、
YASSさんに似てる気がして、
途中から、YASSさんのライブを、
見てるような錯覚も。

大西さん、
何年も渋谷の路上で、歌い続けてるそうで、
また、渋谷を歩いてたら、その歌声を、
聞くことがあるかもしれないなぁ、と思います。

前に、駅の近くで歌ってるのをお見かけしたときは、
周りにたくさんの人が集まってて、
そこに紛れるように、歌っておられましたが、
昨日、ステージの上でライトを浴びて、
歌っておられると、
すぐそばで見ていても、なにか、映画とかテレビとかを、
見てるような、現実ではないような気分にも、
させられました。

会場で、作曲家の谷本新さんにも、
お会いしました。
いろんな曲で、谷本さん曲、僕詞で、
ご一緒したことがあります。

去年の上海の話をちょっとしながら、
会場を出、道玄坂をちょっと歩いたところで、
谷本さんは、「車あっちだった」と、逆方向へ。
握手して、別れました。

僕は電車。

行きで読んだ本も、帰りでは、
胸いっぱいで、読めない、みたいなこともありますね。

洋司

2011年1月28日(金)

2011年01月28日 00時00分01秒 | Weblog
昨日の万葉集の講座で、
国樔人(くにすひと)という、いわゆる、先住民族のお話がありました。

日本書紀の応神紀から。
十九年冬十月一日、吉野宮に臨幸された。
その時、国樔人が来朝した。濃い酒を天皇に奉り、歌を詠んで、
「樫の生えている所で横臼を作り、その横臼で醸した大御酒を、おいしく召し上がってください、我が父よ。」
と申し上げた。
歌を詠み終わって、すぐに手で口を打ち、上を向いて笑った。

手で口を打ち、上を向いて笑う、とは、
ちょっと、インディアンのポーズみたいなのが、あったのかもしれません。

「国樔は、その人となりがきわめて淳朴(じゅんぼく)である。
いつも山の木の実を取って食べ~」云々と、
応神紀のは、国樔人の説明がいろいろ、書いてあります。

ちょっと調べてみると、
こんなサイトが。
こちら

そこには、
「一説には、大和朝廷をはじめとする渡来系の支配者が現れる前の先住民の一族とも言われている。
生活スタイルは、狩猟・採集で、縄文人というわけだ。
その国樔人が、応神天皇を手厚く迎えたというわけだから、ここでは渡来系の弥生人と先住民の縄文時との間に、もはや確執は生じていないということがうかがえる。
国樔人が屈したのか、それとも和解したのか、いずれにしても、先住民のご馳走を奉っているところもおもしろい。」と。

僕について言えば、
大声で笑う、ということが、ほとんどありません。
前にも、ワッハッハには、憧れると、書いたことがありますが、
この、歌を詠み終わってすぐ、手で口を打ち、上を向いて笑った。
これは、ちょっと、やってみたいところです。

洋司

2011年1月27日(木)

2011年01月27日 00時00分01秒 | Weblog
今朝は、万葉集の講座で、
出かけてきました。

巻十の春の相聞で、
霞、雨、草、松、に寄せて詠まれた、
恋の歌、十五首ほどと、
それに関連する歌、十数首、
さらに、日本書紀、応神紀などからの資料も。

1909。
春霞 山にたなびき おほほしく
妹(いも)を相見て 後(のち)恋ひむかも

(現代語訳)
春霞が山にかかるように おぼろげに
あの娘に逢って あとで恋しくなることだろうか

おぼろげに逢う、というのが、どういうことか、
と思いますね。

昔は、夜の明かりがなかったから、
ぼんやりとしか見えない、
というような解釈もありますが、
「相見る」には、もっと強い意味がある、と。

戸外で、待ち合わせて会う、というのでなくて、
一夜を共に、みたいな。

それが、おぼろげに、というのは、
心残りの多い逢瀬、
あわただしい逢瀬、
印象に残らなかった逢いかた、みたいな。

会うには会ったが、あわただしく、
これという印象的なこともない逢瀬だった。
あとになって、あの娘を、恋しくなってしまうだろうか、
というような。

いまひとつ、押しの弱い男の人だったのかもしれませんね。

万葉の頃は、生命力にあふれていて、
そこはもう、みんなしっかり、かと思いきや、
というところでしょうか。

本日も、ためになるお話を、
たくさん聞かせていただきました。

洋司