『今日の出来心』

シンガーソングライター&作詞家“久保田洋司”の365日書き下ろし公開日記です
since 2000.3.7

2008年2月29日(金)

2008年02月29日 00時00分01秒 | Weblog
うるう年で、一日多くて、よかったと思っている者である。じゃないと、間に合わないものもある。31日まであってもらってもいいぐらいである。それを思えば、2日短いじゃないかと、突然、焦るのである。
ずいぶん前に、NEWSに「一日が長過ぎてまいってた日も、24時間じゃ足りない今みたいな時も」などと書いた。個人的には、長すぎたのは、中学ぐらいまでの、授業中とか、厳しかったクラブ活動とかかな。あとは、やっぱり、ちょっと短いんじゃないか、と思っている。
一日がもっと長くて、人の寿命は、同じなら、年齢ということについては、深くいかずにすむ、ということもある。たんなる錯覚でも。と、錯覚でいいのなら、時計のスピードを調節するだけでも、だいぶ違うのかな。ま、こんなことを考えているあいだにも、時は過ぎていくのであった。

洋司
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2008年2月28日(木)

2008年02月28日 00時00分01秒 | Weblog
本を読んだり、CDを聞いたり、DVDを見たり、する。非常に楽しい。
試しに、映画や舞台やコンサートや展覧会なんかを、毎日のように見に行ってみたら、どうかと、思うのである。

洋司
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2008年2月27日(水)

2008年02月27日 00時00分01秒 | Weblog
普段は、ノートに、書いては消し、消しては書き、の繰り返しで、ノートは、だいぶダメージを受けている。シャープペンシルの横線で消して、その上の方に、書いていると、次第に、ノート上は、真っ黒になっていくし、消しゴムで何度も消していると、消しゴムそのものが、だんだん黒くなり、消そうとすると、白いところまで黒くなって、結局こちらも、ノートを黒くすることになるのである。翌朝、だいぶよれよれになったページを見ると、これはもう、戦の後である。そこにエアコンの風が、さーっと行き過ぎる。戦国時代の戦の野原、誰もいなくなった後の草原を、風が行く、その場面である。

洋司
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2008年2月26日(火)

2008年02月26日 00時00分01秒 | Weblog
ストラトキャスターのトレモロアームは、押さえると、ボディーの裏から、弦を差し入れて、ネックに向かわせる支えとなるブリッジを、てこの原理で、尻上がりに引き上げるので、張られている弦がゆるみ、音が下がるのである。その時に、ブリッジは、ボディーに、表では、6本のネジで、裏では、バネで支えられている。ブリッジのお尻は、ボディーに引っかかり、しっかりと、とどまるので、バネの力が強すぎても、裏に引き込まれることは、ないのである。逆に、バネが弱いと、弦の張る力で、ブリッジはつねに、尻上がりに、持ち上がった形になってしまうことがある。バネは5本取り付けられる。僕は3本取り付けている。これは、好みによるかもしれない。昔、あるギタリストに聞くと、その人は3本で、左右の2本を斜めがけにしていて、このほうが、アームがかかりやすい、などと言うので、僕も一時期真似してみたことがあるが、ザ・東南西北のサイドギターというものは、まず、トレモロアームを使う演奏はないのであるから、普段は、アームは取り外し、バネも5本セットして、チューニングの安定をはかった。中学生のときに、ストラトモデルのギターを購入したが、それにももちろん、トレモロアームがついていた。説明書などなく、使い方が分からないので、ただ、回してみたところ、時々、音がかわるので、これは回して使うものなのだと、思っていたのである。回すとゆるくなり、やがて、取れた。ネジでくっついているのである。程なく、それは、押さえ込んで使用するのだと知ったが、初めは、ブリッジが壊れそうで、怖かったものである。ギターによって、少しずつ、トレモロアームの構造が違うが、働きは、同じである。今でも、普段は、遠慮して押さえるのであるが、力いっぱい押さえると、なんだか、ギターと親密になったような気がするのである。思いっきりチョーキングして、言えば、愛しさのあまり、弦を切るとか、ジミヘンなら、弦を歯で齧り、ギターを叩き壊して、燃やすとか、いや、本人に聞いてみないことには、わからない、それはまた別の問題かもしれないが、弾き倒して、壊してみたくなる衝動を、愛しさの延長線上に感じないこともない。犬をかわいがる飼い主が、犬の頭などを思いっきり、撫で回すというのか、そういう気分だと思うのである。

洋司
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2008年2月25日(月)

2008年02月25日 00時00分01秒 | Weblog
知り合いのミュージシャンのブログなどを拝見すれば、歩道橋の上で鍵盤のフレーズがひらめいた、とか、船酔いの津軽海峡で甲板に出てみると、そこでメロディーがふってきた、とか、朝風呂に浸かっていたら、ふいに歌詞がひらめいて、忘れないようにずっと口ずさんだ、とか、様々に書いておられる。なにもないところから、唐突に、出てきはしないわけであるが、この方たちのものを読むと、いかにも、そのようなことが起こっているように思えて、面白いのである。羨ましいような気がする。同じ方々が、日常のふとしたことを書かれるのも、もちろん素敵であるけれど、個人的には、作品作りの話が、一番興味深い。なかなか、明かされないところであるけれど。だから、ここにも、そういうことを書いたらいいんじゃないか、と思い直したりもするのであるが、歩道橋やら津軽海峡やら風呂場などで、そうそうアイディアを得ることがない。ほぼ、机かその周辺で、うなっている日々である。ひねり出している。ふってわく、というようなことは、ない。実は、先の方々の、日記も、よく読めば、さんざん苦しんで、何日も何日も、さらに何日も悶々とした末に、たまたま、フレーズをひねり出した場所が、そこであっただけのようである。いかにも、突然ふってきたように書かれるのは、そこにもリリックがあるからであろう。こちらは、ずっと机の周辺にいるのであるから、本当は、突然、ふってわいているのかもしれないが、自分でひねり出した気になっているだけなのかもしれない。

洋司
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