漫画家アシスタントの馬鹿人生40年と、リタイア後のタイ移住生活。
( この画像は、仲田さんのトレース台を撮影したものです。原画の用紙には、キャラクターが色指定と共に描かれてい
ます。そのタッチは正確で洗練されていて、思わず「凄い」とか興奮しちゃいますが・・・・・・本人は、こんなの
に驚くのかい?・・・・・・と、いたってクールです・・・・・・・・《 2015年、5月、撮影 》 )
【 はじめての方は、どうぞ 「第1章 改訂版」 よりご覧ください。 】
その55
《 漫画家アシスタントが・・・・・金計算を反省・・・・・!? 》
アニメの原画は一枚の単価が決まっているので、手早くより多く枚数を制作した方が稼げます。
中には、下書きもなしに描いてしまう猛者もいるわけです。
雇われ仕事もいつしか独立し・・・・・・フリーのアニメーターになった仲田さん( ※参照 )は、決し
て早く仕事の出来る人ではなかったので、収入は伸びず苦労した様です。
世の中がバブルだろうと、ヒットアニメが世の中を騒がせようと、ギャラが増えず、生活できず・・・
・・・・・結局、辞めていく若者が沢山いる業界なのです。
「 自分の描いたアニメなんて観た事ないね 」
元々、アニメに憧れや夢を持って入って来たわけではないので、完成したアニメを鑑賞する事などな
かった仲田さんです。
「 本当は、ちゃんと完成したフィルムを見て確認するべきなんだと思うよ、それがプロっ
てもんなんだと思う・・・・・・・・・・ 」
そう言って、自分の姿勢を反省する仲田さんは、苦そうにコーヒーを飲みます・・・・・・・
「 元々、アニメーターになりたかったわけじゃないしね・・・・・・ 」
20代は漫画家への道を夢中で歩んでいた・・・・・・・・それなのに、アニメを描いている自分・・
・・・・・・・・
心底、『 アニメ馬鹿 』にはなり切れなかったのかも知れません。
「 でも、仕事はしっかり時間をかけて丁寧にやる・・・・・・・それだから評価が
もらえていると思う・・・・・・・ただ、採算度外視で一日で3千円、4千円な
んて日もあるけどね 」( 苦笑 )
仲田さんがフリーになって、もう24年になります。
私は、お代わりのカルピス( ドリンクバー )を飲みながら仲田さんに質問します・・・・・・・
「 フリーって、会社にいる時よりも稼げるんですか? 」
「 そうだね・・・・・・・1カット1500円が、フリーだと2000円・・・・・・・
ただ、電気代とか光熱費は自分で出さなきゃいけないけど 」
ここで・・・・・・
最近のアニメ事情を少し・・・・・・・
「 今ではアニメも、韓国や中国に依頼しているケースが多いそうですが・・・・・ 」
「 とっくの昔から下請けに出しているよ 」
「 つまり、『 メード・イン・チャイナ 』とか『 メード・イン・コリア 』のアニメ
が日本で上映されているわけですね」
「 そうだね、技術的にも優れた人が多いよ。中国は人材が豊富だから当然、上手い
人も多いんだよね・・・・・・・ただ・・・・・・・ 」
「 ただ・・・・・・・? 」
「 ただ・・・・・・・国民性というか・・・・・・・20年も前からやっている
のに優秀な監督は出て来ない・・・・・・『 メイド・イン・○○ 』で凄い作
品ってあんまり無いでしょ? 」
「 そうですね・・・・・・・確かに・・・・・・・聞きませんね 」
「 最初から『 金 』の計算をしているからね・・・・・・・韓国なんてものすごく
昔からやってるんだけど・・・・・・・上手い人は沢山いるけど、すぐ『 金 』
計算しちゃうから・・・・・手数料がいくら、給料がいくら・・・・・ってね 」
「 ・・・・・・・・・・・・・・ 」
「 アニメの仕事は最初から『 金 』計算してたら出来ないし、続かないよね 」
「 漫画家アシスタント 古い話で章 その56 」( 7月10日以降公開 ) へつづく・・・・
★前の記事へ→ 「漫画家アシスタント古い話で章 その54」へ戻る 】
【 ※参照 】
・仲田さん・・・・・・・・・(仮名)1969年当時、17歳、横浜出身、高校を中退、家出してJプロへ入る。
現在は、フリーのアニメクリエーターとして「ポケモン」などの原画を制作している。
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した作品・・・ 「 雨のドモ五郎 」
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リョウさんが描いたイラストを公開中です・・・ 「 龍馬さんとボク 」
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「第7章 その1」 「第8章 その1」 「第9章 その1」
「諦めま章 その1」 「古い話で章 その1」
「もう終わりで章 その1」 「移住物語 こりゃタイ編 その1」
( この画像は、前回と同じ仲田さんのデスクを撮影したものです。 中央にあるトレース台を使ってアニメ原画を描い
ています・・・・・・・・《 2015年、5月、撮影 》 )
【 はじめての方は、どうぞ 「第1章 改訂版」 よりご覧ください。 】
その54
《 漫画家アシスタントが・・・・・韓国アニメ界へ・・・・・!? 》
アニメ画の仕事で最初にやるのは「 中割 」といって、原画と原画の間を数枚の絵で補う仕事です。
例えば、コップを持った人物( 原画1 )がそのコップを口に持って行く( 原画2 )シーンで、コップが
口に運ばれるまでの数カットの絵を「 原画 」を確認しながら( トレースしながら )描いていく仕事
です。
仲田さん( ※参照 )は、韓国への出張を依頼された時( 20代の後半 )にこの仕事をマスターして原画
を描く様になっていました。
もうすっかり一人前のアニメーターになっていた仲田さんは、韓国での技術指導者として派遣を依
頼されたわけです。( 飛ばされた )
実際は、この事を条件に再就職が許されたようなものでしたが・・・・・・・・・仲田さんは、不
満を言うでもなく韓国へ旅立ちます・・・・・・・・・・・・
韓国では当時( 1980年代 )は、主にアメリカ製のアニメの下請けをしていたそうです。
仕事は忙しくバブル景気の頃ですから収入も多いし、韓国の物価の安さもあって経済的にはかなり
余裕が出来たわけです。
数年の仕事で、ソウル市内に分譲マンションを買った時に日本の社長から「 アニメやってる奴でマ
ンション買えるなんてたいしたもんだ! 」と驚かれたそうです。
「 『 アキラ 』を描いたよ 」
突然、仲田さんが言いだした話に私は驚きました・・・・・・・・・
「 え・・・・・・・・? アキラ・・・・・・・・・・? 」
「 そう 」
「 アキラってあの『 アキラ 』ですか? 」
「 そう 」
「 す、凄いじゃないですか!! 」
「 出来は滅茶苦茶悪かったけどね 」
アニメにもいろいろあるわけですが、その中でも「 エヴァ 」や「 パトレイバー 」などメカニック
な作品はアニメーターにとっては高度の技術とスピードが要求される大変な仕事です。
その上、特に「 劇場版 」というやつはクォリティーが高く、たった一枚の原画に8時間かかってし
まう事もあるほどの厳しい仕事なのだそうです。( 劇場版の原画は一枚3000円~4000円 )
それにしても・・・・・・・・・・
一部分に過ぎないとはいえ、なぜ劇場版『 アキラ 』を下請けの・・・・・・・・・・それも韓国
の会社で・・・・・・・・
「 よっぽど忙しかったんだろうね・・・・・・・・・約束よりも2週間も遅れて仕事が
来てさ、それを『 あと2,3日で完成してくれ! 』って・・・・・! 」
本来なら10日かかる仕事をたったの2,3日で仕上げなくてはならない・・・・・・・・・・まった
く無茶な話です・・・・・・・・。
「 ・・・・・んなもん出来るわけないでしょ! 」
「 ・・・・・・・・・・・・・・・ 」
「 韓国人スタッフが3日間徹夜して必死で描いた絵をチェックも出来ないまま、大急ぎ
で日本へ送って・・・・・・・・・・ 」
依頼した日本の会社は、その出来の悪さにさんざんクレームをつけて来たそうですが・・・・・・
「 元々、2週間も遅れて仕事を送って来たんだから! 」
この最悪のシーンがそのまま劇場公開されるわけです・・・・・・・・・・
私は、そのシーンが是非観たいものだと思うのですが・・・・・・・・・・残念ながら、現在の映
像( ビデオ版 )は、その部分が修正されていますので・・・・・・・・・・観ることは出来ません。
仲田さんたちの血のにじむような3日間の結晶は、無残に完全破棄され・・・・・・・・・良かっ
たのやら悪かったのやら・・・・・・・・・・
「 漫画家アシスタント 古い話で章 その55 」( 6月20日以降公開 ) へつづく・・・・
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【 ※参照 】
・仲田さん・・・・・・・・・(仮名)1969年当時、17歳、横浜出身、高校を中退、家出してJプロへ入る。
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( この画像は、仲田さんがいつもアニメの原画を描いているデスクを撮影したものです。 普段使用する鉛筆が何本か
写っています。 画面上にトレース台が写っていますが、主にここの上で原画をトレースしながら描いているわけです
・・・・・・・・《 2015年、5月、撮影 》 )
【 はじめての方は、どうぞ 「第1章 改訂版」 よりご覧ください。 】
その53
《 漫画家アシスタントが・・・・・アニメ世界で生き始める・・・・・!? 》
J先生( ※参照 )のアシスタントを辞めても、漫画家になる夢を捨てたわけではない仲田さん( ※参照 )
・・・・・・・・・
次の仕事にアニメ制作を選ぶのですが、それはあくまで将来漫画家になるための勉強になるのではな
いか・・・・・・という思惑があってのことでした。
漫画背景をいくら描いても、キャラクターの練習にはまったくなりませんが、アニメなら少なくとも
キャラクターを描く練習にはなると考えたのです。
ある日、新聞の求人広告欄( 三行広告、とても小さな記事 )に国分寺の北口にある「 スタジオA 」( 仮
名 )というアニメの会社がスタッフを募集していたので、それに応募します・・・・・・・・・・
まったくの偶然、行き当たりばったりの適当な就職活動です。
この時、同じ国分寺の駅の反対側にはあの有名な「 タツノコプロ 」があって、この当時はまだ無名
だった押井監督など、多くの才能豊かなアニメーターが仕事をしていました。
もっとも、有名プロダクションへど素人の仲田さんが呑気に出かけて行く様な事はありませんでした。
「 もし、あっちへ行っていたら・・・・・なんて、たまに思うね・・・・・入れ
てくれなかったと思うけどさ! 」
そう言って、仲田さんは懐かしそうに微笑みます。
仲田さんが面接に出かけた「 スタジオA 」は、新聞広告を出すくらいでしたから、よほど人材に困っ
ていたのかどうかは、分かりませんが・・・・・・・・・・とにかくアニメを描いた事のない仲田さ
んを雇ってくれたのです。
漫画の原稿を持って行った時に、そのキャラクターの線を見て「 すぐに使えるなこいつ 」と判断して
くれたのかもしれません。
この頃、仲田さんはもう20代の半ば(24、5歳)になっていましたから、周りの20歳そこそこアニメータ
ーに混じって慣れない仕事を始めたのは大変な事だったと思います。
「 3ヶ月だけやってみて、アニメがダメなら諦めるつもりだった・・・・・・・歳も
取ってるしね 」
朝10時から翌日の朝10時まで仕事・・・・・・・
近所にアパートを借りて仕事以外は寝るだけというハードな生活に突入・・・・・・・・・・!
スタートが遅い分、早くアニメの技術を身につけようと頑張ります・・・・・・・・・
「 仕事以外は食事と寝るだけって、相当に苦しかったと思いますが・・・・・・・・ 」
「 そ~でもなかったよ・・・・・ただ、絵を描いているだけだし、わずらわしい人間関係
やストレスもなくて、楽だったよ 」
アニメ制作の見習い期間は3ヶ月。 一ヶ月の給料保証は6万円( 当時のサラリーマン月収の半分 )。そ
れ以外に、描いた原稿の枚数に応じてお金がもらえた。
仕事の基本は、原稿( A4ほどの用紙 )に鉛筆を使ってトレースするので、それほど高度な技術は必要で
はない。
現在では、専門学校などで動画や原画制作の基本を勉強して制作会社に入るわけですが・・・・仲田
さんは、入社が遅かったので、最初の3ヶ月でスタートダッシュする必要があったのです。
その結果、努力が認められてすぐに原画の仕事を許されます・・・・・・・このころ、大手の制作会
社から下請け仕事としてやっていたのが「 ドカベン 」や「 銀河鉄道999 」でした。
成長が早く、人一倍の努力を惜しまなかった仲田さんですが・・・・・・・・・2,3年してから漫画
家への夢が再燃し、会社を辞めてしまいます・・・・・・・・・・
アニメを辞めてから約6ヶ月間・・・・・・・・・3本の漫画を制作してそれぞれ投稿するのですが・・
・・・・・・・・・・・・・・・全て没。
この「 6カ月 」を「 最後のチャンス 」と考えていた仲田さんは、スッパリと自分の才能に見切りをつ
けます。
会社へ戻ると・・・・・・・・・・
「 もう、漫画は描きません 」
会社のスタッフ全員の前で深々と頭を下げながら・・・・・・・・・・
「 これからは、アニメ一本でやっていきます! どうか、もう一度使ってやって下さい! 」
「 スタジオA 」のスタッフは複雑な表情でその言葉を聞きますが・・・・・・・・・・仲田さんの気
持ちをよく理解してくれました。
改めて、仲田さんはアニメの世界へ本気モードで突入・・・・・・・・・・・・・・・そんな覚悟で
顔を上げると・・・・・・・・・・
「 その代わりさァ・・・・・・・・・・仲田君、韓国へ行ってくれないかなァ~? 」
「 漫画家アシスタント 古い話で章 その54 」( 6月10日以降公開 ) へつづく・・・・
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【 ※参照 】
・J先生・・・・・・・・・・・・・・・有名漫画家、1966年、23歳で売れっ子作家に。70年には週刊
連載6誌という逸話もある。現在は1誌に連載中。2015年現在、72歳。1969年当時は26歳。
・仲田さん・・・・・・・・・(仮名)1969年当時、17歳、横浜出身、高校を中退、家出してJプロへ入る。
現在は、フリーのアニメクリエーターとして「ポケモン」などの原画を制作している。
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