漫画家アシスタント物語

漫画家アシスタントの馬鹿人生40年と、リタイア後のタイ移住生活。

漫画家アシスタント もう終わりで章 その4

2016年02月22日 02時24分27秒 | 漫画家アシスタント

      ( この写真は、目白通りから撮影した仕事場の入っているマンションです。 イチョウの樹がみじめな感じで
       すが、秋になると結構美しい並木道になります。 タイに移住したら絶対に見られない景色ですね・・・・・
       《 2016年、2月、撮影 》 )
 
  
      【 はじめての方は、どうぞ 「第1章 改訂版」 よりご覧ください。 】

 
 
                    その4
 
 
    《 漫画家アシスタントが・・・・死んだ自分を生きる・・・・!? 》
 
 
 
また、久しぶりの更新という事になります・・・・・・・・・
 
今年に入ってからまた頸椎ヘルニアの具合が良くなくて、始終背中の痛みに耐えなくてはな
らない毎日・・・・・・・・
 
もっとも、ただパソコンでゲームをやり過ぎているだけだとも言えるのですが・・・・・・
 
 
それはともかく・・・・・・・・・・・・前回のつづきを・・・・・・・・・
 
池袋でタイマッサージ店( ※参照 )を経営していた頃は、いくつかの喫茶店を利用してよくブ
ログ記事やら漫画のシナリオなどシコシコと書いていました。
 
警察を皮肉ったギャグ漫画が60本ほど、役人を皮肉ったギャグ漫画が20本ほど・・・・・・
 
でも、どれ一つとして漫画作品として完成させてはいません。
 
漫画の制作というのは、頭でやる仕事というよりも・・・・・・・・・・・・机に向かって
肉体労働する様なものなのです・・・・・・・・・。
 
それをしないでただ「 シナリオ 」だの「 コンテ 」だのでチョコチョコ誤魔化そうとするの
は、漫画家としては、腐敗したゾンビみたいなものです。
 
前回もお話しした通り、それは、漫画家を目指して生きているフリをする死体と同じなので
す。
 
いくらアイデアを考えても、いくら本人が面白がっても、結局、社会には通用しない・・・・
・・・・・読者を説得するだけの強さを持たないのは、机の上でガリガリと( ペンやインクを
使って墨だらけになって )創作していないからだと思います。
 
そこまで分かっちゃいるのに・・・・・・・・・なかなか実行できずに10年が過ぎてしまい
ました。
 
結局のところ、最後まで机に向かってガリガリとペンを動かしている人だけしか残らないので
しょう。
 
 
2009年、マッサージ店を整理して( 欲しいという人に譲って )、大学の非常勤講師を始めて今
年で7年になります。
 
短い様な長い様な7年間・・・・・・・・・・・・
 
1月の授業を最後に大学講師を辞めましたのですが・・・・・・・・・実は、大学で学生たち
に漫画背景を教えている間ずっと感じていた矛盾がありました・・・・・・・・・・
 
漫画制作が漫画家志望者にとって「生きる」という事なら、私はまったく死人そのもの・・・
・・・・・・そんな私がどうして( 漫画家でも漫画家志望者でもない自分が )漫画背景なんか教
えていられるのか・・・・・・・・・・・という矛盾でした。
 
結局は体調の悪化で学校( 学生たち )に迷惑をかける事があってはいけないと辞めてしまうわけ
ですが・・・・・・・・・・・
 
もし、漫画家稼業で忙しかったら講師にはなっていないだろうし、漫画家じゃないから出来た
非常勤講師だったわけで・・・・・・・・・あらかじめ皮肉な宿命だったわけです。
 
 
先日のバレンタインの日に数人の学生と食事をしたのですが・・・・・・・・・・・
 
学生との最初で最後になるかもしてない食事でしたが、未来のある若い彼らと下り坂を転がり
落ちる私と、上りと下りのエスカレーターですれ違う様な・・・・・・・・・・・そんな寂し
さも感じましたが・・・・・・・・・
 
若い学生たちの活き活きとした姿を見ていると、美しい青空を見ている様な気分になるもので
す。
 
 
青空を見上げる死体・・・・・・・・・
 
・・・・・と、いったところです。
 
 
 
             「 漫画家アシスタント もう終わりで章 その5 」 へつづく・・・・
 
 
         ( 不定期連載、目標は、毎月2回アップだが・・・・・実際は月1回がやっと )
 
 

            ★前の記事へ→ 「漫画家アシスタントもう終わりで章 その3」へ戻る 】

 
 
 
  【 ※参照 】
 ・タイマッサージ店・・・・2004年、池袋の北口にオープン。マンションの一室を利
  用して健全に楽しく経営(良心的に)しましたが、5年後に大学での講師を依頼
  された事を契機に撤退。
 
 
 
 

 
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ お知らせ ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 
 ★ このブログ「漫画家アシスタント物語」が書籍化! 
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 ★ 拙作、文庫本『 劇画 蟹工船 覇王の船 』も発売中!
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 ★ 「漫画家アシスタント物語 4章の31~」に書かせてもらったガンさん
   (ブログ本では『ハアさん』)が描いたソープランドの実録漫画を公開
   中です・・・ 特別寄稿「 親不孝通り 」 第40話お父さん

 ★ 拙ブログのうぶ主が1987年にヤングジャンプ新人賞で準入選デビュー
   した作品・・・ 「 雨のドモ五郎 」

 ★ 「漫画家アシスタント物語 第6章の10~」に書かせていただいた
   リョウさんが描いたイラストを公開中です・・・ 「 龍馬さんとボク 」

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 
 
 
 

【 各章案内 】   「第1章 改訂版」  「第2章 改訂版」  「第3章 改訂版」
          「第4章 その1」  「第5章 その1」  「第6章 その1」
          「第7章 その1」  「第8章 その1」  「第9章 その1」
          「諦めま章 その1」   「古い話で章 その1」
          
「もう終わりで章 その1」 「移住物語 こりゃタイ編 その1」




 

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28 コメント

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新語 (なーな)
2016-02-22 14:39:25
>青空を見上げる死体・
なにか、血の教訓に通じるような表現が出来ましたね。

ところで、おやめになった講師のお仕事って、年収では、または1回あたりの収入では、どれほどの金額になるものなのでしょうか。
ハマってるゲーム (マイントイフェル)
2016-02-22 23:21:04
変な質問ですがどんなゲームにハマってるのですか?あんまり趣味の話を載っけないのでなんとなく気になっちゃいます
なーなさん、マイントイフェルさん、コメントありがとうございした! (yes)
2016-02-23 23:33:00

 >なーなさん へ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

講師の給料は、場所や学校によって違うみたいですので・・・・・・・高い
か安いか分かりませんが・・・・・・・・・・・

私が勤めたT大学では、1コマ(1時限90分)を年間30回として、約
40万円ちょっとです。

私は、1年を通じて毎週2コマ(年間60回)でしたから、年収で80万
円を少し越える位でした。

これは、場所や学校の方針などで違うみたいですが・・・・・・・・学部長
の話では、この講師料は東京では高い方だそうです。


 >マイントフェルさん へ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

私の好きなゲームは、PSの「バイオハザード」や「信長の野望」で
すが・・・・・・・

去年の夏からはまっているのが「戦国IXA」というネットゲームです。

「基本無料」とかいってますが、結構お金がかかります・・・・・・・・。(お
金をかけないとつまらない様に設計されています)

もう、59期まであって相当な人数が楽しんでいるみたいですが・・・・・
・・・・・・・私は、「55+56」と「57」「58」の各期(通常『58鯖』なんて呼
びます)で遊んでいます。

このゲームも面白いのですが、対戦型とか課金システムとか・・・・・・少
し飽きて来たので、夏位まで遊んだらPSの方へ戻ろうかと思ってい
ます。

【浦沢直樹の漫勉】新シリーズの放送! (オレンジB)
2016-02-29 06:48:55
ココに集まる皆様へ、お知らせです

NHKのEテレで、
【浦沢直樹の漫勉】新シリーズの放送だそうです

詳細は、以下のサイトを、ご参照ください
http://www.nhk.or.jp/manben/

第1回は、3月3日(木)23:00~
人気があるらしく、再放送まであります

この番組で、今回紹介される方は、

第1回「萩尾望都」(「少女マンガの神様」だそうな)

第2回「花沢健吾」

第3回「五十嵐大介」(「アフタヌーン」でよく連載していた)。
(最近は、マンガ家を廃業して岩手県で農業をしている、)
(と聞いていたのですが、マンガ家に復帰したのかな?)

第4回「古屋兎丸」

この番組は、マンガ家がちゃんとマンガを描いているところを
紹介してくれるので、好感が持てます

他の番組で、「マンガ家のお仕事紹介」とやると
「マンガ家って、こんなにもうかるんだぜ、ウハウハ」
みたいな話しかしないので、ガッカリしてしまいますが…

この番組は違うです!期待して放送を待ちますw

関心がある方は、どうぞご覧ください
見ます (みみ)
2016-03-01 08:36:34

五十嵐大介って、装画もあちこちやってるみたいですね。--熊谷市出身。岩手県盛岡市在住

https://twitter.com/igadaioshirase

ディザインズって、へんてこな話らしい。

{進化の先端を踏み越えたモノ、
それはヒトが編んだ第三の命。
洗練されし異形——創生と殺戮のハイブリッド。

カスタマイズされた生物達が繰り広げるプログレッシヴ・ハードSF!}
オレンジBさん、みみさん、コメントありがとうございした! (yes)
2016-03-01 20:55:35

 >オレンジBさん へ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

NHKの「漫勉」のお知らせ、ありがとうございました。

オレンジBさんに教えてもらえなかったら見逃していました。

以前、かわぐち先生やさいとう先生の回は、とても楽しく拝見しまし
た。

今回は、萩尾望都先生が・・・・・・・でも、見た記憶がある様なない様な・・
・・・・・・・・

とにかく、楽しみにしたいと思います。

すっかり、老人になってしまった作家しか知らないのですが・・・・・・・・
・・・・

どうも、それ以外の若い(?)漫画家はよく分かりません。

それにしても、漫画家なんてみんな同じで、ただ机に向かってモクモ
クと絵を描き続けているだけなんですけど・・・・・・・・・・・・・

テレビの番組として成立してしまうのがとても不思議です。

毎日、机に向かって8時間・・・・・・・・・・・・・どこが面白いんだろう・・・・・
・・・・・・・・・・・

ホントは、それ以外の秘密の時間こそ面白いと思うんですが・・・・・・・・・
・・・・・・・

そこは、絶対に見せたい(見せられない)ところが皮肉ですね。

私だって、そんな作家の秘部を書けはしませんよ絶対にね!(でも、こ
れが面白ぇんだよね)


 >みみさん へ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

「五十嵐大介」・・・・・・・この人の絵には見覚えがあります・・・・・・・・

大学の学生の中にこの作家が好きな人がいて、単行本を見せてもらっ
た様な・・・・・・・・・・・・

昔の「COM」の雰囲気のある作家だった様な・・・・・・・・・・・・・

改めて、この番組で確認したいと思います・・・・・・・・・・・・・・

浦沢直樹の漫勉(萩尾さん)感想 (オレンジB)
2016-03-04 05:41:16
『浦沢直樹の漫勉:第2シーズン』今回も見どころ多しで良かった
今回は、少女マンガ家の『萩尾望都(はぎお・もと)』さん

<以下、番組の感想など>
●少女マンガ家なのに、丸ペンを使わず。
Gペン一本で、細い線(髪の毛のカールなど)から、太い線(人物の輪郭など)まで自由自在。
 太い線を描くときの、指先に力を込めて、ガリガリと音を立てて描いているところが、
聞いていて心地よい
 (↑プロのマンガ家は、やっぱりそうあってほしい(つけペンでガリガリ描く)、と思う)
●鉛筆での下描きから、しっかり描きこんでからペン入れ、修正液はほとんど使用せず。
原稿を修正液で汚さないのが“少女マンガの流儀”と思う
●作業時間は、13:00~深夜3:00ごろまで。
集中力がとぎれないうちに、一気に描き上げてしまう。
●エロいシーンも、“体位”そのものを描くのではなく、
“お花を散らして、クルクル回るとか”で、
イマジネーションで“ふんわりあっさり”と描くのが
“少女マンガ風”とのこと
●少女マンガの特徴として“背景は、あまり描かない”
「背景がほとんどない」のに、「オーバーアクションな演技」「派手な衣装(フリルいっぱい、とか)」なので
「少女マンガは“映画”より“演劇”に近いモノである」と2人(浦沢先生&萩尾先生)で語り合っていた

長くなるのでこの辺で切り上げます。
おもしろかった。次回も楽しみです
九州の炭鉱の孫会社のリーマンが、どうして「望都」なんて名前を付けたんでしょう。 (ももりん)
2016-03-05 09:37:28
萩尾 望都(はぎお もと)゛か本名というのがすごいです。

by wiki
1970年『なかよし』編集部からの「ビアンカ」(掲載は別誌)以外のボツが続くが、次の『ケーキ ケーキ ケーキ』で自分のスタンスの描きたいものを描く方針を決め、ボツになった5、6作の原稿を竹宮惠子に送る。上京し練馬区大泉で2年間の共同生活に入る(大泉サロン)。竹宮を経由して『少女コミック』山本順也編集長がボツ原稿を全部買ってくれる。以後『少女コミック』をベースにする。
1972年2月 『ポーの一族』シリーズ第1作「すきとおった銀の髪」が『別冊少女コミック』3月号に掲載、以後5年間断続的に連載された。その後の『トーマの心臓』がアンケート成績が悪く打ち切りの予定だったが、『ポーの一族』コミックが3万部という異例の初版が3日で完売し、編集部がその実力を認める。

ボツ原稿を買い取ってくれた編集者---山本順也
(1938年 - 2015年7月)は日本の漫画編集者。日本大学藝術学部映画学科卒業。
来歴
1963年、小学館に入社。絵本編集部に所属し、手塚治虫の『ジャングル大帝』復刻版を担当。
1968年、『週刊少年サンデー』の副編集長から移動し、少女漫画誌『少女コミック』の創刊メンバーとなる。
1970年、『別冊少女コミック』の創刊に副編集長として携わる。当時まだ無名に近かった萩尾望都、大島弓子、竹宮惠子らを登用。その後、倉多江美、樹村みのり、伊東愛子らも起用し、少女漫画界に新しい波を起こした。男性漫画家に対しても、山本の兄の知人の息子にあたる山田ゴロを見初めている。
1980年には『プチフラワー』の創刊に携わり、その後、編集長を務めた。
1999年退社〔定年〕。
2000年4月、京都精華大学芸術学部に新設されたマンガ学科の教員に就任、2004年退任。
2004年には、文化庁メディア芸術祭功労賞を受賞。同賞の講評で里中満智子は、「山本氏がいなければ日本の少女漫画の発展は10年は遅れたと思う」と語った。
2015年7月、死去。
オレンジBさん、ももりんさん、コメントありがとうございました! (yes)
2016-03-06 09:49:36

 >オレンジBさん へ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

萩尾望都先生の回は良かったですね。

先生の描き方は、他の漫画家よりやや遅いペン運びで・・・・・・これは、
ちょっと時間がかかっちゃいますね。

この調子じゃ・・・・・・一日で10枚は無理だろうな・・・・・・・・・・せいぜい
5~6枚かな。(ちなみにうちの師匠は24枚は描けます)

仕事のペースが午後1時から深夜3時までだとすると・・・・・・14時間
労働・・・・・・痔になるね。

正直言って私は萩尾望都先生の作品は、あまり好きではありません・・
・・・・・・・好きなのは「11人いる」くらいです。

でも、この先生・・・・・・いい人みたい。

ほとんどの漫画家は、「どうやったら面白くなるか」というネタ(漫画
家にとっては貴重な財産)を秘密にしたがります。

この番組の進行役の作家も、笑ってごまかしている(ズル賢い)か、知
らんぷりをしている。

でも萩尾先生は、二つのネタを披露していました・・・・・・・・

大学の講義にも使えるし、もちろん漫画制作に利用すればお金が取れ
る様なネタなのです。

「どうやったら面白くなるか」・・・・・・・その答えを見いだせないまま
多くの漫画家志望者がプロの階段を登れずに立ち去ってしまうのです。

なかなか難しいし、プロにとっては「貯蓄資金」みたいなものなので、
他人においそれと与えたりはしません。(自分の貯金を人にあげないの
と同じ)

私の師匠に「どうやって面白い漫画を描くんですか~?」なんて質問
したら・・・・・・・

 「てめィ~で考えやがれッ!」

・・・・・・・と、怒鳴られるかもしれません。


 >ももりんさん へ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 >どうして「望都」なんて名前を付けたんでしょう?

そんなこと、私だって知りゃ~しませんが・・・・・・・

これは、まったく私の想像なんですが・・・・・・・・

父親が最初にナニした芸者の源氏名か、若い頃に惚れぬいた女の名前
か・・・・・・・・

結構ありますよ、母親か父親の初恋の人の名前を(配偶者には内緒で)付
ける事って。いやホントに。

いやいや・・・・・下賤な話でイメージを壊してしまい申し訳ない!


イグアナの娘 (ねこねこ)
2016-03-07 23:34:03
結婚しなかったみたいですね。
たしか、先輩の里中 満智子先生は、担当編集者とできちゃったみたいで…、

母と娘の葛藤を描いたらしい「イグアナの娘」という、へんてこな作品があります。

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4091913814/himawarikorob-22/ref=nosim/


萩尾望都講演会「“イグアナの娘”からの脱出~私らしさを求めて」 03/01 (Mon)


2月28日に調布市で行われた萩尾都望さんの講演会へ行ってきました。
調布市の男女共同参画推進センターが企画した、人権について考えるというテーマの講演会だったのですが、ご自身の母親との関係を中心に、家族との関係を率直に語ってくださいました。
漫画家・萩尾望都としてではなく、家族との関係に悩む、一人の職業人としての一面を見せてくださったと言う意味で、大変面白い講演会でした。
漫画家という特殊な職業に40年間携わったが故に生じたであろう、家族関係にまつわる悩みや問題を、聞き手である私たちが、自分たちの問題として身近に感じやすい形で話してくださっていたのが、強く印象に残っています。

かつて母親との関係に悩み、また今、娘の母親となった身としては、この講演会の内容を今後との糧とするためにも、簡単にまとめておきたいと思います。

覚え書きなので、箇条書きです。
内容はその場でとったメモをベースにしています。
私の理解不足の部分もあるかと思いますが、ご容赦ください。


・ まず、講演会のタイトルとなった「イグアナの娘」のあらすじ紹介から講演会開始。
・ 萩尾先生は、幼少時の経験から“私らしく生きられることが幸福”という思いを持っている。
・ 萩尾先生のお母さんは、子どもに対して大変厳しい方だった。
本来親は、子どもに対して大人としての成長するのに必要な訓練を行うものであるが、萩尾先生のお母さんは、それプラス、自分の望む通りの人間になってほしいという思いが大変強い人だった。
・ 幼少時の萩尾先生は、絵や物語でさまざまなことを表現し、いろいろ想像することが好きだった。
常に “ここではないどこか”へ行きたいという思いを抱き、今いる“不自由な場所”から離れたかった。
・ 両親は、萩尾先生の絵について、賞をもらうなど評価につながった時には、ほめてくれたが、絵に対して基本的な理解を示すことはなかった。
・ 両親は、萩尾先生が漫画家としてデビューした時にも、”お絵かき”がお金につながることに驚き、職業として続けることをようやく認めてくれたものの、常にいつ辞めて、結婚するのかと尋ね続けた。
・ 学生時代はよい成績をとり、その後、良縁を得ることこそが正道と考えるご両親にとっては、萩尾先生の生き方は理解の範疇を超えていた。絵は趣味にして普通の生活にもどることを強く求められた。
・ お父さんの定年を期に、萩尾プロダクションを設立。お父さんを役員に迎え、会計等の業務を委託する。けれどもお父さんにとって、萩尾先生の仕事は、お絵かき教室を開催しているという認識だったらしく、萩尾先生が、アシスタントに給料を支払っているのを見て、本来ならば、指導料をとるべき弟子になぜお金を払うのかと驚いていた。女が仕事をするということを、どうしても理解できなかった。
・ お互いに対する認識があまりにも違いすぎた結果、先生が30才になったころ、両親と大ゲンカをし、会社は解散。家族とほどよい距離をとりつつ仕事をすることの難しさを痛感する。
・このケンカの4,5年後に「イグアナの娘」を執筆。
・ 萩尾先生のお母さんについて
幼少時から常によい成績をとることをもとめ、子どもの日常の様々な行動に制限を加えた。
当時萩尾家は、九州の炭坑街に住んでいたが、そこがホワイトカラーとブルーカラーの区別が激しい地域だったこともあり、遊ぶ友達にまで干渉された。365日お母さんは怒っており、萩尾先生は母親のスタイルを理解することができなかった。(お母さんの行動の実例をあげたあと「無茶だよ」とご自分で突っ込んでいたのが印象に強く残っています)
なぜ理想通りの子になってくれないのかという母の怒りがつらかった。
・ 「母と娘の関係」をテーマにしたマンガを書きたいという思いは常にあるものの、プロットを書きはじめると私情があふれ出て、作品としてまとまらない時期が長く続いていた。
・ある時、TVでガラパゴス諸島の番組を見る。岩場で陽に当たるイグアナの瞑想しているように見える姿を見た時に、イグアナの姿が胎児に似ていると感じ、物語にイグアナのモチーフを作品に取り入れることを思いつく。
これによってようやく「母と娘の関係」を作品化することができた。
・「イグアナの娘」を読んだお母さんからは、泣いたと言われた。萩尾先生は、なぜ泣いたのかは、怖くて聞けなかった。
・ 「イグアナの娘」を描いてしばらくして、偶然、お父さんから、お母さんは一番上のお姉さんがとても優秀だったため、常にお姉さんと比較され、駄目な子と言われ続けていたことを聞かされる。比較されて続けていたお母さんの生い立ちを知り、萩尾さんは、はじめてお母さんに同情を感じた。お母さんの子どもに対するヒステリックともいえる強要は「裏のないまっすぐなトラウマ」のようなものかもしれないと、とらえられるようになった。
・ 更に、40才を過ぎてようやく、お母さんにもいろいろあったんだと受け止められるようになった。
今ではお母さんに腹の立つことは減ったが、未だに仲良くはなれない。親子ってそういうものなのかなぁと、今は考えている。
・ 家族だけでも、人の考え方は異なっていて、理解することは難しい。「人の心は不思議な森のよう」それをかきわけて、探してみたいという思いが、萩尾先生の創作活動につながっている。

その後、質疑応答が行われる。
その中から印象残った質問をいくつかメモ。

Q:「イグアナの娘」を描いてかわったことは?辛かったことは?
A:人間をイグアナに置き換えた時、人間じゃないからわかりあえないのも当然だと思えるようになった。分かり合えない理由を探している間は辛かったが、親子には説明のできないこともあると思ったら、気持ちがストンと落ち、諦めも必要だと思えるようになった。

家族はどうしても似てしまう。アシスタントさんが、指示を間違えたときの自分の対応が、母そっくりで嫌になった。ただ、そういう時にどういう対応をすればいいのかは、わからなかった。
他の漫画家のアシスタントへ行って、そういう時にも怒らず、冷静に対応している姿を見て、はじめて怒らないで指示を出す方法を知ったというエピソードが可笑しかった。
http://korobomemo.blog110.fc2.com/blog-entry-105.html

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