この本は章立て、ノンブルが逆になっています。 エピローグ、405頁から始まって、最後が1頁になります。 (編集部)
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アイ・コレクター (ハヤカワ・ミステリ 1858) |
セバスチャン・フィツエック 小津薫訳 | |
早川書房 |
この注意書きに気が付かずに読み始めたので、最初、もしかして上下巻の下巻を借りてしまったのかと、戸惑ってしまいました。
じゃあ、読むにつれて時間が巻き戻っていくのかと思ったけれど、そういうわけでもない。
でも、確かに読み終わったときが、この物語の主人公にとっての本当の苦しみの始まりだったことがわかります。
だから、405ページはすべてプロローグ。
でも、一番初めの章は”エピローグ”になっていて、主人公のこんな言葉で終わっています。
これは映画でも伝説でも本でもない。
私の運命。
私の人生なのだ。
なぜなら、苦悩の極致にありながら、死は今やっと始まったばかりだと悟らされた男-その男とは私自身だからだ。
この本は、この冒頭のエピローグに向かって語られるのです。
なんか、暗そう・・・と思ったけれど、ほんと暗かったです。
主人公ツォルバッハは、元は警察の交渉人。
精神を病んだ女性に誘拐した赤ん坊を返すように交渉中に、
彼女を撃ち殺してしまったことで、自分自身を責め続けている。
警察を辞めて新聞記者になった彼の前に、アイコレクター(目の収集人)という、
病的犯罪者が現れる。
誘拐した子供の母親を誘拐し、父親には子供を見つけるためにわずかな時間しか与えず、
子供はその間窒息死するという手口で、すでに3人の子供と、母親を殺害した。
この事件の4番目の犠牲者発見現場で、無くしたと思っていた彼の財布が見つり、
アイコレクターは彼ではないのかという嫌疑がかかる。
トラウマが、無意識のうちにこの犯罪を犯させたのか・・・?
謎の盲目の女性の透視により、犯人が隠した4人目の子供を救おうと
必死になればなるほど、状況はツォルバッハと犯人の強いつながりを明らかにしていく。
そして、彼が犯人に気が付いたとき、彼の本当の苦しみが始まるのです。
「治療島」でも、最後であぁ・・・とため息をつかせられましたが、
今回も、また、やられてしまいました。
そして、読み終わってもモヤモヤ。
犯人がわからなかったことは仕方がないのですが、
彼が背負うことになる苦しみに全く気が付かなかったというわけではないのです。
でも、こういう仕掛けだったとは・・・。
面白いというのとは違うけど、やっぱりまたこの人の本読みたいなと思いました。
ネタバレになるのであまり感想がかけませんが、一つだけ。
この本を読んで、ヨーロッパでは3人だか4人に1人の子供は、
法律上の父親が生物学的な父ではないという話を思い出しました。
そんなことから着想したのかなぁ・・・。
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