八ヶ岳キリスト教会 牧師ファミリーのブログ

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主の憐れみ

2011年12月04日 13時26分18秒 | 証し

聖書でイエス様はこんなことを語ってくれる。

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断食をする時には、偽善者がするように、陰気な顔つきをするな。
彼らは断食をしていることを人に見せようとして、
自分の顔を見苦しくするのである。
よく言っておくが、彼らはその報いを受けてしまっている。
あなたがたは断食をする時には、自分の頭に油を塗り、顔を洗いなさい。
それは断食をしていることが人に知れないで、
隠れた所においでになるあなたの父に知られるためである。
すると、隠れた事を見ておられるあなたの父は、報いて下さるであろう。
「マタイ6:16-18」
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クリスチャンにとって断食ってのはいわゆる「断食祈祷」といって、誓願等の為に食べないで(水は飲むけど)祈り、祈祷しつづけること。
神に対しての必死さがハンパ無い位に気合いの入った祈りなのであるが、ワシがこの日記で話したいのは、このことではない。

つまり、断食であれ、他の何であれ、
苦しいときにショボイ顔してんな!

ビシッと顔洗って、パサパサの髪の毛に油(整髪料)を塗ってしゃんとしろよ!
ケッパレよ!
と神が励ましてくれているような気がして好きな言葉である。

むろん、聖書的には曲解なんだろうけど、ワシにとっては心に響き、そして勇気をもらえる言葉である。

今のワシはまだケッパっている。

11月23日(勤労感謝の日)からうつ病の大波が来た。
基本的に午前中、半端ない倦怠感が自分を襲う。
そして、先週は1日中強い倦怠感で、ヒッキー状態だ!
でも、鬱の波が弱まり、身体と頭が動くとき、ミクシーで日記を書く。
こういう日記では、明るく前向きに書いている。
ケッパっているのである。

で、ケッパっているうちに、平安が訪れた。

また聖書のことば。
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こころの貧しい人たちは、さいわいである、天国は彼らのものである。
悲しんでいる人たちは、さいわいである、彼らは慰められるであろう。
「マタイ5:3-4」
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こころの貧しいもの、ここでいう「こころの貧しい」とは、「こころがちっちぇーヤツ」という意味ではなく、こころが食うか食わずの乞食のように飢え乾いている状態のことである。

うつ病の波に呑まれ、心の中の安定は一気に流され、身体も心も思うようになんねー自分に悲しんでいるワシ。

こんなワシにも神の慰めはあった。

喜びが与えられたのである。
ここ数日ミクシーで書き続けている、映画「サウダーヂ」やstillichimiyaのヒップホップがワシの渇いた心を満たした。
そして、ラップを聴きながら、心の安定が湧いてきた。
ラップは「ループ」という同じリズムで繰り返す部分がある。
こういう、繰り返しのリズムを聴くと、人間の心は安定する。
そして、ラップの歌詞(リリック)もワシの心に刺さるものがあり、とても癒しになった。
さらに、ワシの好きなラッパーの方がものすごく苦悩しながら作っている新作の一部を聴くことも出来た。
気力と魂の平安をもらった感じだ。

EVISBEATS【PV】 feat. 田我流 ゆれる


そんなことがあったので、神は、ポンコツな私にすら、こういう憐れみ方、こういう癒し方をするのだなぁと驚いた。

そんで、昨日あたりから、少し元気が出てきたので、ミクシーで公開していた動画を少し改良した。
聖歌383番頌栄を高音質でアカペラなものにリニューアルした。
いや、主に導かれたことにより、することが出来たと言って良い。

これで、生きる希望が持てそうである。
主である神に感謝。
これからも祈り続けていこうと思います。
アーメン。

ミクシーで公開しているものと同じ頌栄です。
お暇だったら見ていってください。


ちち みこ みたまの


※この文書に引用されている聖書は、版権の切れた「口語訳新約聖書(1954年版)」を使いました。