原野の言霊

風が流れて木の葉が囁く。鳥たちが囀り虫が羽音を揺らす。そのすべてが言葉となって届く。本当の原野はそんなところだ。

鎮魂の海へ、祈りの岩。

2015年06月30日 09時43分27秒 | 地域/北海道
世界のどこにでもあるが、風景が作る物語というものがある。奇岩の類はとくに物語の素材となる例が多い。太平洋に面した道東の海岸線にもこうした物語は点在している。偶然見たのだが、海に立つ岩がそこにあった。この岩にも物語があるのだろうと、写真に収めた。ところがこの岩は無名だった。観光リストには載っていない。この岩から北へ少し行くと涙岬があって、そこにある立岩には悲恋物語がある。どうやら私が見た岩はあまり人目に付かずに今日まで来たものか。名もなき岩が妙に印象に残った。

岩を見ると、法衣をまとった高僧に見える。海に鎮座するように腰をおろし、静かに経を読む姿に思えた。目の前に広がる太平洋はひとたび荒れると狂暴な牙をむき出しにする。その牙で多くの命が奪われた。その命を鎮めるかのような岩に見えた。海へ鎮魂の祈りをささげているかのように見えていた。自然界というのはこういうことを、さりげなく形にするようだ。あくまで人間の勝手な想像なのだが、偶然では済まされない、つながる何かを感じてしまう。勝手ながら、「祈りの岩」と名づけさせてもらった。


祈りは海から立ち上がる霧にも込められていると感じている。この岩のある太平洋の沖合では、黒潮と親潮が出会う。暖流と寒流のぶつかりは濃い霧を生み出す。海霧の発生源はこことなる。海霧は風に乗り道東の陸地へあがってくる。釧路の街をはじめとする一帯をベールで覆うように包み込む。信号機が見えなくなるほどの濃い霧は諸悪の根源に言われ、太陽を遮断する暗い道東のイメージがつきまとった。私の子供のころはそんな印象だった。
しかし、この海霧こそが道東の自然の命を育むものであることを知ったのはずっと後のこと。周辺の海岸ではコンブ漁が盛んであるが、このコンブ干しは海霧があってこそできる。適度の湿気と乾きが極上のうまみと栄養をもたらす。
陸を進む海霧は普通大地に吸収されて消えていくものだが、道東ではそうはならない。広がる湿原地帯があるからだ。湿原の水分を加えて海霧はさらに濃くなり北上を続ける。この霧によって自然の命がまた育まれる。タンチョウが絶滅から逃れられたのは、湿原の豊饒な生命のおかげでもある。要因の一端に海霧もあったのである。
海霧はさらに北上して摩周湖まで到達する。かつて霧の摩周湖という歌がヒットした。当時の私には摩周湖の霧などほとんど記憶にない。勝手にイメージで作られた歌だと思っていた。しかし、実際に霧は存在していた。6月から7月の早朝には摩周湖に辿りつく海霧を見ることができる。テレビでそれをやっていて、初めて知った。つい四五年前のことである。残念ながら、地元にいながらそれまで知らなかった。以来、海霧を見る目が変わった。厭うものではないことを知ったからだ。

海霧が生まれる海原を前に佇む孤高の岩。眺めているとさまざまな想いが浮かびくる。

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