原野の言霊

風が流れて木の葉が囁く。鳥たちが囀り虫が羽音を揺らす。そのすべてが言葉となって届く。本当の原野はそんなところだ。

トニー谷を、知っていますか?

2009年08月21日 08時41分10秒 | 社会・文化
団塊の世代以上の人ならご存知の方も多いと思うが、大半の人は知らないだろう。私には「あなたの名前はなんてェーの!」と拍子木のリズムで訊ねるトニー谷の記憶はある。しかしこれは第二期のトニー谷で、第一期の全盛時代の記憶はさすがにない。焼け跡の煙がまだ残る戦後の日本で、最も人気のあった芸人であり、同時に最も嫌われた芸人であった。しかし、現在のタモリやビートたけしの源流となるMCであったことも事実なのである。

トニー谷に興味を持ったきっかけがあった。胃と腸の検査のために病院に行かなければならなくなり、待ち時間の無聊を慰めるために、手にした一冊が「トニー谷ざんす」(村松友視著、出版毎日新聞社)であった。昔から村松友視の文章が好きで、自分が煮詰まった時に、彼のノンフィクション物を読むことが多い。するとスーッと頭に入り込み、直木賞作家に恐縮であるが、一種の精神安定剤となるのだ。病院に詰める私には最適であると思い、この本を借りてでかけた。

本の面白さもさることながら、トニー谷という芸人に強烈なインパクトを受けた。彼を知らない人のために簡単に概略を紹介しよう。(より詳しくは前述の本をご参照)
トニー谷の全盛時代は1950年代。ロイドメガネに口ひげ、華奢な体に白い背広。ソロバン片手にリズムをとりながら「レディース・アンド・ジェントルマン・アンド・オットちゃんにオッカちゃん、おこんばんは!」、「トニー谷ざんす」で始まる。英語を交えた独特の「トニーイングリッシュ」とザーマス言葉を連発。ここから実に多くの流行語が飛びだしている。観客との絶妙のやり取り。シナリオにないアドリブの連続。その中に人の悪口や下品な話をどんどん入れる。それが受けたのであった。
当時、まだ占領軍が東京の街中を闊歩していた時代。あやしげな日本語を使う二世もたくさんいた。そうした風潮を巧みに取り入れたのだ。後の評論家に、植民地日本の縮図とか、天皇陛下の前に出せない芸人とまで言われている。混乱から復興に向かう日本が最も猥雑な時代でもあった。トニー谷はそうした時代の中で花を咲かせたのである。
人気はあったが仲間には嫌われていた。舞台で悪口を言うからだ。江利チエミや雪村いづみのコンサートに呼ばれながら、「どこがいいのかね、下痢チエミに雪村ねずみが」などとやる。まだ無名だった花登筐が書き上げた台本を一瞥もしないで破り捨てたこともあったという。また旧友や戦友が訪ねて来てもすべて門前払い。芸人としてある意味、徹底していた。そうした彼に対する反発が、ある事件で噴出する。
1955年に起きた長男の誘拐事件である。事件は一週間後に長男の無事救出と犯人逮捕で終了するのであるが、その時、舞台で見せる悪人ぶりとは違う、人の親としての弱々しい姿をさらけだしていた。そのとたん、彼への逆風が吹きだしたのである。そのきっかけを作ったのが「週刊朝日」であった。反トニー谷キャンペーンが爆発する。その論客には評論家の大宅荘一と花森安治が登場していた。
彼らの主張は、一つの方向を示していた。誘拐事件が無事解決した喜びを第一としながら、その要因となったのはトニー谷の芸にあると断じたのである。伏線はあった。犯人がトニー谷を狙った理由として「社会風刺というより、人を小馬鹿にした話に反感をもった」と語ったということにあった。犯人が本当にそういったかどうかは不明である。
評論家は今後の芸風を変えるべきだ、とまで論じた。まさに芸人の生命を絶つような記事であった。トニー谷が覚せい剤に手を出したとか、犯罪者になったというわけではない。たしかに人格的に問題があったとしても、誘拐犯人と同等に罪があるなどと、と評論家が言っていいものなのだろうか。
昭和三十年という時代を感じる。戦後十年、もはや戦後ではないという言われ始めたころ。戦後という言葉を終焉させるために、その象徴的な芸人であるトニー谷をやり玉に挙げたのかも。それにしても大新聞系列の週刊朝日が堂々と評論家を使ってバッシングしたのである。マスコミの公器という刃が芸人に向けられた瞬間であった。集団リンチへの誘導さえ感じる。この時のマスコミの正義とはどんなものであったのだろう。不気味な違和感を覚える。
これを機に人気は急落。彼の芸風に眉をひそめる人が多かったということも追い風となった。トニー谷の徹底的なマスコミ嫌いはこの時から始まっている。
十年後の1966年、トニー谷は奇跡の復活をする。ラジオで好評だった「アベック歌合戦」の司会としてブラウン管に登場した。ソロバンは拍子木に変わり、ロイドメガネは普通のメガネに変わっていたが、芸風は全く変わっていなかった。時代はラジオからテレビ時代へと移行していた。映像を持ったテレビはより刺激的なものを求める。低俗と呼ばれる番組が続々登場するはしりでもあった。テレビはもともとそうした特性を持っていた。そのためトニー谷が再登場できる余地があったともいえる。

(復活した時のトニー谷。メガネが代わり、手には拍子木)

順調の復活のように見えたが、問題が起きる。提供スポンサーがトニー谷を嫌う。そこには過去のバッシングによってつけられた邪道芸人のレッテルが厳然と生きていたためである。トニー谷はテレビ界におけるスポンサーについての認識も甘かった。もともと人の言うことを聞くタイプではない。自分がすべてであったからだ。古典的な芸人であった。再登場から八年後、トニー谷はブラウン管からも完全に姿を消してしまう。しかし、毒を振りまく司会者というジャンルを切り開いたことは事実であった。それまでのNHK的な司会者という「殻」を見事に打ち破ったからである。
その後に登場する人気の司会者を見れば分かる。大橋巨泉、上岡龍太郎、ビートたけし、タモリ、島田紳助など、その原点をたどればトニー谷に行きつく。世相を見る目の厳しさと毒をもっていたことはまさにトニー谷と同じ。ただ、彼らがトニー谷と違う点は、時代に対応する術を持っていたことといえるだろう。
タモリなどは特にトニー谷の系譜に近い存在に見える。タモリがテレビに登場して人気を集めた時、いわば爬虫類的な不気味さと悪のりが売りであった。当初、NHKでは絶対に使わない芸人であった。NHK的でないという理由で。途中からタモリは変身する。「笑っていいとも」の司会を始める頃から、あの毒気は姿を消す。
仕事の関係でタモリの生みの親でもある赤塚不二夫と個人的に話をしたことがある。酒も入っていた。赤塚不二夫は言った「今のタモリは面白くないよ。昔は凄味を感じるほど面白かった。彼はうまく変身したけど、俺にはつまらないよ」。十五年ほど前のことである。
赤塚不二夫はトニー谷に通じる芸の凄さを初期のタモリに感じていたのである。彼のマンガのキャラクターで「シェーッ!」で有名な「イヤミ」がいる。あのキャラクターはトニー谷をモチーフにしたもの。イヤミという名前にそれが込められている。

昔のトニー谷を求めてYouTubeで探してみた。タモリと共演する晩年のトニー谷の映像を見つけた。「タモリの今夜も最高!」のゲストであった。わずか二分ほどの映像であったが面白さが伝わる。トニー谷が昔、米軍人たちの前でやったという芸を披露していた。それは無声映画時代の弁士の「東山三十六峰、草木も眠る丑三つ時、突然起こる・・・・」これを得意の英語でやったのである。「イーストマウンティン、サーティシックス・・・」流れるような口調とリズムは昔と少しも変わらぬように聞こえた。そして見事に笑いをとる。ツボを外さないのだ。最近少し話題となったルー大柴のルー語と比べると、トニー語がはるかに鮮やかな芸であることが分かる。

晩年のトニー谷は永六輔と組んで小劇場で芸を見せていた。1987年7月16日、癌のために永眠する。遺言で一切の弔問を受けず、家族だけの密葬となった。実はその翌日、昭和の大スター石原裕二郎が逝去する。トニー谷の死亡はすべての報道からもかき消され、彼の死が伝えられるのはずっと後のことであった。

最新の画像もっと見る

5 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
独特の芸でしたね。 (numapy)
2009-08-21 12:03:34
彼は、日本人初のボードビリアンだったのではないかと思います。
あの芸は誰にも真似できない。小学生達も形だけはまねてみたけど、それ以上に踏み込めなかった。
タモリが系譜だと言うのは面白い視点ですね。ただ、やっぱり時代が違うんでしょうね。
イヤミのモチーフがトニー谷と言うのも初めて聞きました。確かに似てますね。
ホンのチョッと前の昭和史、いろいろあったのですね。やはり歴史の授業は、昭和史から始めた方がいい、そんな風に思いました。
ボードビリアンの先駆けですね (原野人)
2009-08-22 09:40:52
村松友視も著書の中でボードビリアンに触れてました。ただ、同時期に何人かはいたようです。坊屋三郎もその一人です。あのそろばん芸は坊屋三郎が生み出したもので、トニー谷は無断でその芸を使い、世に広めたというのが真相らしいです。坊屋にとってはトニー谷は許せない芸人となりますよね。こんなことも業界から嫌われる理由になったようです。
昭和は複雑でいろいろなものが躍動していたから、面白く感じます。
芸人の芸! (numapy)
2009-08-23 20:24:53
いろいろ面白いエピソードが出てきますね。
芸人・・・凄い一言です。
マルセ太郎の、猿の形態模写はすごかった。
タレント画像-ルー大柴 (タレント画像-ルー大柴)
2010-05-21 10:30:27
ルー大柴って面白いよね!!
Unknown (Log)
2020-02-01 07:03:14
こんにちは。宜しくお願いします。今、改めてトニー谷を見ると、時代遅れ、古臭いを通り越して、古色蒼然として、シーラカンスとか三葉虫を見ているような印象を受ける。日本人の、それはテレビ屋も含めて、アメリカっぽさ、モダンさ、ジャズっぽさと言うのは、所詮この程度の認識なんだなと思う。
トニー谷はよほどの好き者か、小林信彦その他の評者ぐらいしか語らない。後に受け継がれた流れこそあれ、高いレベルの芸能ではないからだ。それはエノケンや武智豊子が今に語られないのも同様。
タモリもよく見ると、赤塚不二夫や、好きなタイプの構成作家ではないが、高平哲郎らが、その体裁を整えてやってボードビルの体を成していた。純粋にタモリ単独でやっている芸は、田舎臭い、武田鉄矢にも通じるような、あか抜けなさを今も感じる。

コメントを投稿