講演前に、〝FMからつ″で生放送
偵察機の操縦士として乗艦していた「最上」の写真を見ながら、生々しい体験を…
質問の時間・・・たっぷりと、立ったままで!
■講師 加藤昇(元帝国海軍中尉 現93歳)「大東亜戦の体験談とこれからの日本に願うこと」
経歴や使われた写真などはこちらをクリックして見てください。
■内容 主観的報告として、心に残ったお言葉を列記します。
※(内部資料として)録音はあるので、聞きたい方は日本会議唐津支部か佐賀県本部の事務局にご相談を。
~講演(約1時間)~
・戦争はやったらいかんけど、今後「部分戦」はありうる。戦いになってしまったら、どんなことをしても勝たなあかん! 負けたら悪者にされる。
・女性は神聖なる母性・・・守るのが男。戦後の男たちは柔弱に…
・海軍さんは女にとてももてたので・・・海軍を選んだよ。
・映画「永遠の0」・・・実際には、戦闘中の空母や戦艦などの甲板は、死体やその断片などで血の海なのに、〝映倫″が許可しないので描写できず…きれいごとの嘘っぱち。
・兵隊になった皆さんのおじいさんには感謝してくださいよ。
・特攻の訓練は、死んだ方がましなくらい苦しいものだった。
・90歳になってもなんでもできますよ。100歳をめざします。
~質疑応答(約40分)~
・1人乗り特攻は故障などで還ってくることがあったが、複数乗り組みの爆撃機などは決して還って来なかった。
・(大東亜戦の開戦に際して)青年たちは、「白人の世界をたたきつぶして、八紘一宇(※共生的世界)の世界を作る」ことを目指していた。
・終戦・・・天皇陛下の一言でパタッと争いをやめた。天皇陛下がいなかったら混乱はおさまらなかったろう。
~以上~
岩本日本会議唐津支部長の心のこもった謝辞で終わり、加藤氏は懇親会(30名ほど)でも最後までお元気でした。
《加藤氏は、特別な兵士だったのではなく、普通の(※多くの兵士と同じような)日本男児だったんだなあ》と感じました。つまり、戦前の日本男児の多くが、肉体的にも精神的にもとてもたくましかったのだと実感しました。
思いだしてみれば確かに、苔まで食べて苛酷なシベリア抑留から生還した私の父(79歳で20年ほど前他界)もそうでした。
昨今の「周辺事態」をみていると、加藤氏が強調されていたように、現代日本人はそろそろふんどしを締め直したほうがよさそうです。
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