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市民団体が不安を煽って、マスコミがさらに煽る件

ネタだと思いたいんだけどネタでない案件。

船橋アンデルセン公園で5マイクロ・シーベルト~YOMIURIONLINE

記事では市民団体が放射線量を測定したら5マイクロ・シーベルト(原文ママ)で、市が測定したら0.91マイクロ・シーベルト(原文ママ)だということだ。もしニュースになるとしたら市の方が適切に測定していることは想定できるので0.91μシーベルト/hとかだと思うんだけど見出しと内容は全然異なる。

 

読売新聞社は記者も編集も頭がおかしいと思う。失礼ゴシップ紙なんだと思う。まぁそう思えば頭には来ないんだけど。お作法として市の測定結果を載せてるだけ東スポとは違うと言うところを主張しているのかしら。

僕個人とすると20μSv/h程度は許容されると思われるわけで、考え方として5μSv/hを閾値にすることもまぁ納得は出来ないけれど理解は出来る。

 

脱線する。ICPRのLNT仮説では足りないという議論があるようだけどこの議論は不毛だと理解している。最大限に放射線リスクを考えると閾値のない直線で影響が決まる(LNT仮説)というのは、自然由来の放射線の多少で癌発生率が変わらないというような論理で棄却される。また実際に自然放射線でDNAは損傷しているわけで、その修復システムがあるので放射線には閾値があると考えるのが妥当だと思う。そう考えるとICRPのLNT仮説に基づく危険値は妥当というよりは技術者には厳しすぎる値であると言うこと。それ以上の放射線削減は比コストで全く意味が無いと断言できる。

 

まぁ別に放射線過激派の意見が不安を醸成してパニックを起こしているとは思えない。そういうことを心配するのは杞憂かもしれない。スーパーには福島産の葡萄とか売っているし。

 

でも大手マスコミは後ろから鉄砲を撃つ。まぁ読売新聞社が三流ゴシップしだから許されると言う論理には「ちょっと影響力があるんだから自粛してよ」とかはあるかもしれない。

いちいち挙げないけれど、朝日新聞も反原発キャンペーンを行っているらしい。そのことはいいんだけど、「お金の論理」を無視した理念的な主張を高級紙は述べないと理解している。読売・朝日は高級紙であることを放棄したのだと思う。

 

木走氏が述べていたが新聞-放送-雑誌というのを大手4(5?)社が牛耳っていて、その既得権益があるから世論を形成できると思っているのであれば、その影響力を行使できない上に多分経営的に失敗していると思う。

じゃぁ市民にとってその受け皿が有るかというと無いと思う。オピニオンもインテリジェンスも分散して根拠は曖昧で混沌とすると思う。政権交代を経験して、そのわりになんか政治に冷たい報道を見ていると市民は「意思を述べるのが下手糞で」その混沌を牛耳るマスコミが存在するほうが健全だとすら思う。

 

でもだからといっていかがわしい以前の報道を厚顔無恥に表明できる知性の薄さは、大手マスコミは自覚したほうがいいと思う。外野から見れば「俺らが引っ張るんだ」みたいな気概は感じられない。というか馬鹿だ。大事なのでもう一度言う、冒頭の記事を書いた人も載せた人も馬鹿であることは疑いない事実だ。記者が仮に優秀でもアウトプットがあれなので。

分かり易く言う。「朝日新聞と読売り新聞はゴシップ紙である、高級紙ではない」、まぁもうちょっと斜め上を行く毎日新聞がどうかは僕が紙面を見ていないのでなんとも。

多分、日本には高級紙はなくて、だからこそ「海外の評判」をいちいち報道するのであろう。

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