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無農薬有機農法という、、、危険な奴

標題の件、個人的に大嫌いなのだ。

僕は「美味くて安い(あと安全)」が食品に求められる項目だと思っている。標題の件を解きほぐしていこう。

ちなみに有機農法を実践している農家の意欲は高いと思われる(農協に頼らないコストを転嫁するだけの商魂がある)、結果美味い野菜を作っているかもしれない。でも論理的に信用できない。

 

1)有機農法は危険である

GHQによる戦後の健康管理の最重要項目として「寄生虫」があった。寄生虫の罹患率は3割を数え、僕も「ギョウチュウ検査」を受けた経験がある。
これは野菜や穀物の肥料として人間や家畜の糞尿を肥料として与えていて、 大腸菌や寄生虫が野菜に付着して、生食することで感染したと思われる。

有機肥料は本来であれば肥溜めや堆肥として発酵させ、その温度で大腸菌や寄生虫を殺せる。しかし前述のようにコストカットで充分な処置を行わなければ有機肥料は危険である。

 

2)無農薬や有機は美味いよりも理念を優先している

先にも述べたけど、「安くて美味い」が一番である。
慣行農法でもし農薬散布をする必要がなければしないであろう、コストダウンになるからだ。
無農薬や有機はこの「美味い」よりも「理念」を優先している。有機も無農薬も「対策の手足を縛っている」訳だ。

肥料の要素はカリウム・リン・窒素と言われているが、有機でこれを成分調整するのは不可能であろう、「有機であるためにできることをしない」のである。美味い・コストよりも重要な事があるという事である。 

 

3)無農薬はデメリットの方が大きい
植物は虫に噛まれると農薬成分である灰汁(アルカロイド・ポリフェノール)をだすとの報告があるらしい(ソース無し)。

4)箱入り娘は美味いのだ
品種改良で灰汁が少なくて食感が良い野菜がデビューしている。これなど、農薬と肥料の箱入り娘だと思う。
昔ながらの野菜を賛美する人は不味い野菜を食っていればいい。僕は美味い野菜を食いたいのだ。 

 

以上のことを鑑みると、有機・無農薬農法は一般的には危険で不味い代物であると推察される。

 

ところが意識が高い農家では有機で美味な野菜を作っている可能性が高い。そもそも面倒な方法論を実践してきているわけで。
有名フランス料理屋に降ろしている農家も多いと言う。

 

原則論では「有機は危険で不味い」。努力をしているので美味いかもしれない。

 

要は自分の舌で決めることだ。僕は貧乏なので農協やブランドを信じる。

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理念先行の食生活を笑う~有機・無農薬・天然・無化調・非GM

最近食欲がなくて困ったことになっている。栄養失調になりそうだ。

 

標題の件、料理を楽しむには知識が必要だ。歴史や由来、ちょっとしたマナーや作法。その知識の分野にとんでもが紛れ込む。過去礼賛だったり、化学工業製品否定であったり。
共通するのは「味」では無い点である。

美味いか不味いかではなく、知識で判断するという姿勢である。これがエスカレートすると標題の件が宗教となる。そもそもの出発点は安全だと思われるが、既に安全はクリアになっており、飯のネタに安心を潜り込ませるという手法になっている。

「安全」も既にクリアされているのである。どちらかといえば如何わしい主張の方が安全ではない。殺菌や食中毒リスクを過度に低めに見る主張が危険極まりない。

伝統を過度に賛美するのもいただけない。日本食は伝統的に低タンパク・高塩分で明治期の寿命の低さが証明している。高たんぱくの米はスーパーな食材であるが。 

 

話を戻す。知識で食料を判別するのは現代の日本ではナンセンスだ。舌で決めよう。たまには高い食材も試食してあげて。

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椀(汁・soup)が軽視されている件

定食屋の3要素は飯・おかず・汁だと思う。どれも欠けては安心して通える店にはならない。格別美味くなくても構わないと思う。

失敗例を挙げると、

飯:炊いてから時間が経った食感が劣り匂いも悪い飯、粒が潰れた飯。水加減に失敗したとしか思えない強い・粒が潰れた飯。

汁:しょっぱいだけで出汁感が感じられない汁。化学調味料の味がする汁(化学調味料を否定しているわけではない、適量を超えていることを憂う)。

おかず:炒め物(主に中華)の火加減は料理人の到達度があるであろう、でも味付けで「調味料の味がする」と非常に残念である。日本人が大好きな醤油でさえも、それが主張すると残念な結果になる。和風の副菜も同等。わざとらしい味付けのソースを用いた料理は僕にとっては残念な料理である。照り焼きソースが典型である。

 

このことを示唆するのが納豆業界で、従来醤油で食する納豆に出汁風味を加え、更なるフレーバーを添加している。基本となる辛子、続いて鰹節・海苔・わさびなどだ。

 

話は脱線する。ラーメンの奥深さは「単一でない味」を創意工夫していて、それが顧客に受けたからではないであろうか。細麺・太麺/こってり・あっさり/豚骨・鶏がら と選択肢は無限にある。「美味い」と確定されると言うよりは「人気がある」ということが本論なのであろう。究極的には美味い/不味いではなく好みの問題である。その程度に細分化されているようだ。好きか嫌いかが美味い不味いを超越しているわけだ。尤も上記に上げた「何かの味が主張する」というのは味のレベルの問題であり、不味いものは不味いということである。

 

美味い味噌汁を出す店はどこかということ。弥○軒は不味い、○戸屋でも物足りない。金払ってお代わりをしたくなる店は無いのかね(地元の名店的にはあると思うけど)。

 

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赤味噌文化圏の雑感

私の両親は三河豊橋の出身で、当地に住んだことがない私もその文化圏に割合染まっている。

味噌汁が赤味噌なのは当然として、具材で味噌かお澄ましかが決まる。例えばアサリ、家ではお澄ましであった。
ところが世の中では白~信州味噌圏内というか、八丁味噌圏外では「アサリの味噌汁」が当然らしい。

アサリの白味噌は美味い、それは認める、でも貝汁の風味をどう扱うかということで。さらに問題はシジミのお澄ましと白味噌である。三河ではシジミは赤出汁でお澄ましはあり得ない、白味噌も。シジミの泥臭さとアサリの軽い風味を同列に扱うのが「信州味噌文化」だと思う。何でも信州味噌に落ち着ける根性が卑しいというか味オンチである。

その豊橋の名物は「豆腐の田楽」らしいので、まぁ行く程ではないと思う。美味いけど。

焼き味噌的な文化がある、それは美味いけど酒の肴か、飯の種(ご飯を食べるおかず的なもの)。

味噌文化礼賛で思うこと:日本食を賛美するよりは塩分過多を気にする方が良いんじゃないかと思う次第。

 

追伸:鹿児島で食べた白味噌の貝汁は旨かった、どっちにしても味噌が強いと、、、ということ。脇役の割りに自己主張強い。

 

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夏野菜といえば茄子に冬瓜

冬野菜の葉物も好きなのですが、夏野菜も大好きで。茗荷、茄子、茄子、胡瓜でしょうか。トマト、ピーマン系(しし唐、パプリカ)、おくら。。茄子は種類もあるので2度重ねておきました。
隠れた王道が冬瓜です。

僕は幼少の頃、茄子と冬瓜とトマトが苦手だったんですよね。理由は簡単、皮付きで出てくるから。 同様にかぼちゃも、これは今でも食わず嫌い状態ですね。

最近のトマトは甘いから気にならないのですが、昔のトマトは青臭く、かつ皮が邪魔で。茄子も子供向けには皮を剥いて調理するのをお勧めします、栄養的には問題があるかもしれませんが嫌いになるより良いと思います。胡瓜も全部とは言わないけれど皮を落とす方が美味しいです。

瓜系は皮・皮付近の食感が固い、不味いわけです。スイカを想像していただけたら分かると思うのですが美味い→不味いに行くわけですよ。僕の母親は冬瓜が大好きで度々食卓に上るのですが皮を薄く切るので皮付近の食感が苦手で、皮を薄く切るのだけは止めたほうがいいと思います。皮(付近)は不味いし、けちって美味しい食材を嫌いにさせるのは犯罪的だと思う。
かぼちゃもです。 

 

冬瓜の出汁を含ませた食感と味は置き換えることが不可能なくらい上品で、中華・和風ともにトップクラスの野菜だと思います。中華の炒め物がありますが、本命はスープの種でしょう。

一日一品江戸料理~冬瓜と干し貝柱の煮物

よだれが出てくる。僕が簡便で利用しているのは蟹缶の餡かけで、気合を入れると鶏胸肉の上湯、和風出汁で煮物というかスープを作る。貝柱も美味しいだろうな、中華風・和風ともに。
アツモノもいいけど冷製もいい。

茄子である。茄子はファンが多いし、食卓に供する機会が多いのでここでは述べない。でも美味しい茄子を食いたい。

 

註)皮が美味い野菜もあります、蚕豆です。皮付きを食し、皮を剥いて皮を食し、中身を食し。蚕豆は皮が美味いと思うんだよね。

江戸料理小説の高田郁さんにはまりかけています。3巻読んで放置しようとしたら小松原が主張するのです。まぁどうでもいい話ですが。 

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サンドイッチが好きな件

amazonが法人税を払っていないと知って落ち込んでいます。代わりの流通はないのでしょうか。

 

いわゆるクラブハウスサンドイッチが好きである。 でも貧乏性の僕にはハードルの高い物件でもある。 そもそも「クラブサンドイッチが美味い」という判断はホテルのラウンジ由来である。高価格物件で、街のお洒落なサンドイッチと一桁違うわけである。

ところが冷静に考えてみるとマクドナルドというチェーン店が激安でホットサンドイッチを提供してくれてもいるという事実がある。バーガーもホットサンドイッチなのである。

ちょっと定義から考えよう。サンドイッチとはなんじゃ?wikipediaによればパンに具材をはさんだものとのことだ。その意見には賛成だ。

という事は僕が『ハードルが高い』と認識していたサンドイッチとやらコンビニで布教が既に済んでいる物件だけでないと看做すことができる。いやでもコンビニのあれやマクドナルドのバーガーを『サンドイッチが好きなのでご推奨』というわけにはなんかいかない(コンビニ各社・マクドナルド社に失礼な表現ですね)。

何故こんなことが疑問に思ったかというと、僕は朝食で「Macチキンクリスプ」を毎日食べているからである。100円である。

このチキンクリスプという商品はハンバーガーではない、ハンバーグをサンドしていないのでサンドイッチになるのだろう、それを教えてくれたのがベッカーズ。クロワッサンのサンドイッチなどバーガー以外のメニューが豊富である。あとケンタッキーのフィレよりも(当然であるが)ジューシーなもも肉のチキンサンドは絶品である。

 

次にベックス、いわゆるクラブサンドイッチ。ホテルよりは安くて、まぁまぁ美味い。

 

僕個人従前はハンバーガは子供が食べるものと思っていたのだけれど、「サンドイッチ」と看做せばいろいろと可能性が見えてくる。

ただし注文もある。付けあわせがポテトフライがメインであるとMacの廉価路線に誘導されてしまう。もうちょっと上品な提案がないとね、というのが差別化だと思う。Macは「ハンバーガー」ではなく、サンドイッチ屋であることを提唱することでもっと成長できるかもしれない、多分ダメだと思うけど。他社はそこを突くとかね。ベックスの朝食やランチは可能性を秘めていると思う。

 

 ベックスの朝食の一例
 美味そうで美味い。

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美味いものと安全なものは相関が無い件

「美味しんぼ」の功罪の功の部分はほとんど無いともうと思う。まぁ全否定のやり方が杜撰で罪の部分も多いと思う。罪は有機や無農薬という甘美的な宗教を醸成したことだと思う。不味いものを正しいという理由(まぁその正当性には甚だ疑問があるわけであるが)で正当化する、さらに不味いのに「美味いと宣言する」に至っては馬鹿丸出しだと思う。

 

僕は食通でもなんでもない。スープにおける化学調味料の使い方を実験によって検証したに過ぎない、結果は『少しだけ使うと非常に有効である。』という結論を得た(前記事は面倒なので探さない)。

 

美味しんぼの決定的な間違いは『安全なものは美味くて、美味いものは安全』であるとアピールしたことにある。このフレーズには論理的にも実験的にも検査的にも証明できない、宗教的な前提が間違っているからだ。美味い野菜を作る農家が有機だとしても、有機が美味いとは限らないわけである。慣行農法で美味い野菜を作る人の方が多いであろう。有名レストランで有機がもてはやされたとしても、それは商売のネタであって、、、、、。味の分からない人には『有機』で付加価値を売りつけられると踏んだと思う。別に僕が味が分かると言いたいのではなく、ビジネスはそんなもんだということ。

ちなみに僕が食通でないエピソードを披露しよう、僕はバジルが苦手なのだ。しかもピザは気にならないけれど、パスタは駄目という偏食振ぶり。鼻が利いてその鼻がすこぶる高級な仕事をしたらこのようなことにはならないと思う。その程度に僕は食通ではない。

一方で箸使いが下手な僕が、(僕にとって)美味い煮魚に当たるとキレイに食せるという事実もある。

 

『食』なんてすこぶる個人的なもので、この分野でエリート意識を露出する人はまぁ信頼できない。40年生きてきて理解したことだ。逆に情報発信するグルメは本物ではない、舌を信用できるかは別問題だし、偽者は非常に多い。(←だからソムリエとか根拠がありそうな肩書きを引っ張り出す)
(本当の食通は居ると思う、その人は尊敬する、知らないけど。でもそういう人は情報発信しないので、やはり(貧乏人にとっては)居ないのと同等である) 

 

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上湯(シャンタン)・一番出汁はなかなか外で食えない件

昨今のレストラン評は肉だったり鮪だったり、素材だけで料理の香りがしない。

「煮浸しが美味い」とか僕にとってはすごい高得点物件なんですけど、そういう評価がネットではほとんどなくて残念。

 

やったことがある人は知っているだろうけれど「料亭の出汁」というのはレシピに出ている。これが恐るべき高コストで、イベント時だけやるような代物。1Lの水に鰹節5g昆布5g(適当です)の世界。でもやると信じられないほど美味い。高級料亭の茶碗蒸しが美味いのはこういうことね。素人でもやってみれば美味いのだ。

これは中華スープでも実現可能。以前弊ブログで載せたけど鳥胸上湯だ(鶏がらは貧乏人御用達、レベルが違う)。実に簡単で、①鶏胸を熱湯で1くぐり、その後冷水で掃除。②水400ccで鶏胸一枚、ネギの青いの(好みで生姜・大蒜)、③沸騰するまで弱火、沸騰しそうになったら消す、放置。④常温になったら漉す。

これだけですごく上品なスープが取れる。肉は(スープに旨みが取られているけど)棒棒鶏として食せる。

これを中華スープとして食すのだ。高級中華料理店のコース料理なんか桁違いの絶品であることを保証する。

何で食うかはこれまたその人の経験値によるのだが、僕は冬瓜のスープがいい。エッセンスで蟹や海老が入っていてもいい。獣肉系は上湯と合わない。

 

コンソメとフォンドボーはやったことが無い。それが前提として、鶏胸スープと一番出汁は絶品スープだと思う。コストが掛かるかもしれないけれど簡単に取れる。これを手軽にスープを食す食堂は無いのかしら?

東京・横浜でコメント待つ。スープが自慢の店を教えてください。

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スープの美味い店

誰がなんと言おうが僕の店の基準はスープが美味い店だ。

行きつけのランチの中華の店は、麺と炒め物。麺の店は炒め物が駄目で麺しか食さない、それでもスープが駄目なら当然終わり。炒め物の店も定食に付くスープが例湯という代物なのか日替わりで美味い、トマトなどのアクセントのある野菜をもぐりこませることで美味さを演出しているのであろう。

カレー(印式・日式を問わず)はスープそのもので、香辛料で誤魔化せるとはだれも思っていないであろう。

 

閑話休題

残念なのが日本料理で気軽にランチで美味い味噌汁には当たることはまず無い。出汁も味噌もとにかく不味くない商品に出会えることが少ない。ランチではインスタントの味噌汁と遜色ない味噌汁としかであったことが無い。美味い味噌汁は5千円以上払うような店で無いと味わえない。

例外も述べておく、甲殻類・二枚貝の汁は彼らが出汁なので味噌が美味いことが少ないことはあっても出汁は美味い。だが出汁が美味いのであってスープとして美味いかというと違うことが大半ではなかろうか。これは割りと高い店でも起こりうる悲劇で、味噌が不味いは普通にある。お澄ましもだ。

高級料亭お勧めの出汁の取り方を見ている(ためしてがってんとか)と鰹節と昆布の量が半端ではなくて、そりゃ無理かとも思う。でも全部鰹さんや昆布さんじゃなくてもいいわけで、調味料の味がしない程度に化学調味料を使用すればいい。中華はその路線で美味しく成長している。

なので居酒屋などの業態の店でスープを頼むのは貝汁が必然的に多くなる。しかし味噌が不味い。殺人的に不味い。

 

アサリのお澄ましがしょっぱかったり(醤油の味しかしない)、泥の臭いがするのは朝飯前で、臭いアサリの味噌汁が味噌の味しかしないというのはどういうことなのであろうか。泥の臭いが多少するシジミでは僕は赤味噌が合うと思っているけど、白味噌で出すのであれば泥臭さを消すか、白味噌の香りしかしないシジミ汁を出すのはどういう事よ。

 

煮物や茶碗蒸しだし巻き卵も同様。化学調味料の味がすると残念だし(重ねて言うが使うなとは言っていない、上手に使えと主張している)、そういう店は料理に醤油の味がする。

 

醤油の味がする煮物を食わされたらガキは嫌いになるわ。ガキが煮物を嫌うのは不味い煮物しか無いからだと思う。味噌汁(スープ)も同様。

生野菜に調味料を振りかけて、調味料の味が強いサラダを食ってたら味音痴になるは。別に僕は全然美食家だとは思わないけれど調味料の味がする食い物は食いたくない。

 

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食欲に対する雑感

とある講演でとある講師が「人間の欲求は3大栄養素です、炭水化物・脂肪・たんぱく質です。それは甘い・脂っこい・旨味(出汁)。これを科学的に細かく分類すると糖・脂肪酸・アミノ酸を好むのです。」とあった。うーん単純明快。僕個人的にはこの原則はあまり当てはまらないがなんか理解できる。私個人は甘いのと脂っこいのはそんなに好きではない、もちろん嫌いではない、量を食べられないのだ。

で、残るアミノ酸をクローズアップすることにする。

先日食した味噌汁で残念なと美味い味噌汁に出会った。残念な方は小さい渡り蟹が半身ほど入った味噌汁。飲むと一番出汁の味がして蟹の味が薄いのだ。椀に半身の渡り蟹を入れるのであれば蟹の出汁を感じさせるように煮込まないといけないと思う。ところが一番出汁が入っているので煮込めない(一番出汁を殺せない)、なんか中途半端な味で蟹の味が一番出汁を殺すような味であった。そもそも一番出汁は味噌汁には合わないと思う。一方で昨日食した3枚に下ろした中骨の味噌汁は旨かった。出汁の味がした。味噌も薄味で出汁を引き立てていた。旨かった。

ランチやディナーでも汁(スープ)の味でだいたいその店の実力が分かると思う。先の中骨の味噌汁は決して上品ではないが旨かった。また出汁にこだわる店はお澄ましや煮物・餡などで堪能できる。上品か大衆的かと美味いと不味いは相関が無いという事だ。一番出汁を多用するような店はコストがかかるであろうから価格は高めだし、逆に(下品な)美味い出汁を引き立てる店は低コストだ。コストパフォーマンスの観点で考えれば理解してもらえるだろうか。

その残念な味噌汁を出した店も、揚げたスズキの餡かけはめちゃ旨かった(特に餡と揚げ物のハーモニーが)。得意不得意のジャンルがあるのね。

 

また別の店の話。ランチが美味いという評判の店(麦トロ屋)に行った。出てきた定食の味噌汁を飲んで「あ、これは駄目だ」と思っていたら付け出しの数点の煮物にはきちんと一番出汁&アレンジ(ゆず・海苔など)美味い。とろろのに使う出汁は二番出汁、醤油が主張しすぎてなくて美味い。出汁を使い分けていてめちゃ旨かった(味噌汁を除く)。味噌汁の手を抜くなよと思った。

 

以前調味料の味がする料理は低レベルだと述べたが、僕の舌のレベルは食べればレシピを思い浮かぶというのに程遠い。旨ければ何でもいいのだ、そのためには味の主張に調味料を持ってこられても困るわけで。わさびの味しかしない刺身なんて旨くないでしょ?

出汁と素材(肉・魚・野菜)と薬味のバランスが「たんぱく質・アミノ酸」の極みだと思う。

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しっとり唐揚げ食べたい

料理ねたが続きます。

唐揚げは「パリッとジューシー」が至高だと決まっているようだが、僕には異論がある。別に不味いわけではないが違う唐揚げも食べたいのだ。

だが、しっとりした唐揚げは関東に無いのだ。

唐揚げの「パリッと」は肉を漬け汁に漬け込んだ後、片栗粉をまぶし揚げている。 全部このパターンだ。「パリッとジューシー」が嫌いなわけではないのだがそれでは飽きるのだ。

しっとり唐揚げの特徴は肉を漬け汁に衣となる小麦粉を入れてしまい、そこに漬け込むのだ。

 

どっかの地方では食べられるのかしら。デパートでの特産品展でその地方のがやっていれば食べられるかもしれない。またそういう唐揚げを提供している飲食店があるかもしれない。

知っていたら教えてくれませんか。

 

自分でやればいいのだろうが油の後処理とか考えると自宅で揚げ物は御免被りたいというのが本音。

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市販鍋スープは塩っぱくないの? 改善法

以前、手抜き料理と味のレベルが知りたくて鍋用ストレートスープを食したとき、あまりのしょっぱさに驚いたことがある。
塩分濃度を調整に水で1.5~2倍程度で薄めた。追加用のスープが出来たので2回楽しめたのはラッキーだったけど。

先日さらに手抜きで塩餃子鍋を買った、餃子にスープが入っている300円程度。あとは白菜で合計400円。レシピでは湯で餃子と野菜に火を入れて濃縮スープ投入との指示であるが、前回の教訓を生かしてスープの味を決めてから餃子と野菜を投入することにした。規定通りだと案の定しょっぱい。

閑話休題。先に挙げたストレートスープも、今回の餃子+濃縮スープも知らない人が居ない名の通ったメーカー謹製だ。日本人の多くはあんなしょっぱいスープで鍋を食しているのか。あんなもん食ってたら高血圧で悩むわけだ。それからなんともいえない『調味料』の味がする、不自然な味なのだ。メーカーの商品開発が狂ってるのか、日本人の舌がおかしいのか、僕の舌がおかしいのか。

私の好む鍋のスープは薄味が好みだとは自覚している。ちり鍋はあまり好きではなくて最初は澄んだスープの味で、段々具から出た雑多な味を薬味で調節するというスタイルをとる。春雨も水で戻さずに投入する。薬味にはかんずりとか柚子胡椒とか塩分の多いものも使用するし、ゆずポン・レモン・酢も入れる。そうなるとしょっぱい鍋はとても食べられない。

そういえば居酒屋の鍋ってしょっぱいですね。でも高級店で食すうどんすきとか寄せ鍋、カニ鍋とか薄味ですよね。そんなに僕の舌がおかしいとは思ってないんけど。

 

解決策というか手軽にメーカー謹製鍋スープを美味しくする方法を見つけた。少し時間はかかるのだが、まぁ一手間が味を左右すると言うことで。

1)塩分調整:鍋スープを先にレシピどおりに温め・薄めて味を確認する。概ね2倍を目処に少しずつ水を足していく、ちょっと薄いくらいで丁度良い。塩分を水で調節したらアミノ酸が少し物足りない味になると思う。

2)出汁成分追加:和風系であれば昆布・鰹・イリコをお茶パックに入れて投入。中華系は生姜の薄切りを5~6枚、ニンニク1~2片を包丁で潰して投入。あと『鍋』って葉物(キャベツとか白菜)を使うのでその外葉を入れる、生椎茸の脚・乾燥えびを入れてもいいかも。洋風系はニンニク1~2片と外葉を入れる。これで30分くらいふつふつと沸騰させる、スパイス(バジル・クミンみたいな個性の強いスパイスは注意、胡椒程度が無難)を効かせると味の尖がった感が無くなる。あとは投入したモノを除外して完成。

注意)あまりスパイス・ニンニク・生姜を効かせるとその味になってしまう。あくまで出汁・調味料のハーモニー(協調)なので何かの味が強いと台無しになってしまう。
1)と2)は同時に行ってもいいと思う、少し出汁・香辛料を入れながら塩分調整とか。

これで完成。簡単でしょ。これでとんがった調味料の味が消えて、しょっぱくなくなる。そしてスープを堪能し(飲み)ながらスープを足して2回戦とか出来る。

 

メーカー開発担当者様へ:アレがしょっぱくて不味いのは自覚してらっしゃいますよね。コストの制約と塩分量はあんまり関係無い気がするし。『売れる味』が旨いとは限らないからそうなっているとしても、裏書に「薄目が好きな方へ」とか注意書きがあると親切だと思うんだけど。

 

追記)分かっているとは思うんだけど僕はちり鍋(タラチリとかテッチリ)や湯豆腐、鶏の水炊きみたいにスープに調味していない鍋は余り好きではない。うどんすきやかにすきのようにスープにほんのり味がした鍋が好きだ。もちろん割と味が濃い目のすき焼きや芋煮、トマト鍋、キムチ鍋とかほうとうも食す。タレで食す鍋で食べるのは強いて挙げればしゃぶしゃぶくらいか。

 

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市販鍋スープは味が濃すぎる件、不味い件

友人が遊びに来た際、外に行かないときの食事は鍋が多い。私は普段調理を一切しないので、一部の調味料は常備しているけれど薬味は無いので凝った料理が出来ない、ごみが出るのが困るという事情がある。

今まで鍋らしきものに対して自前でスープをこしらえてきたわけだが、市販品(レトルトストレート出汁)と対峙することになった。結論からいうと手間の代金は市販スープの圧勝、でも不味い。そしてすごく塩っぱい。あのしょっぱさはメーカーが考える旨い味なのか。

ここで脱線。あのしょっぱさは異常なので、、、水で薄めるとアミノ酸と塩加減とのバランスが崩れる、なので鰹出汁で薄めると良いと思う。2CUP(400cc)以上の鰹出汁で薄めるのが吉。逆に言えばしょっぱ過ぎる上に高い。

しかしとにかく不味い、以前にしょっぱい。そして水で薄めると本当に不味い、メーカーが商品開発したとは思えない不味さだった。出汁で割るという工夫があって初めて「食べられる」ほどのものでしかない。今までいわゆる「メーカー」の研究所とか商品開発を割りと信用してきたのだけれどあの各メーカーの揃った不味さにはびっくりした。本業の提案にも今後は疑いの目で確認する必要があるであろう。受け狙いの不味いけどマニア向けなら理解できるけど本業の味レベルに疑問を持つ。(ちなみに全ての鍋用スープを食したわけではない、目立ったものを幾つか食した。)

同様に居酒屋の鍋も不味い、でも安いので許す、僕はあまり食べないけど。以下、私は市販鍋スープが塩っぱいという前提であるがそうでないと皆が思うのであればこの記事はいいがかりです。

 

結論:流行りものの鍋は不味い。メーカーの提案する鍋は不味くて食えない。自分で出汁と具材の処理を行おう。(飲食店系列提案の鍋は否定していません、私は食べてないので。)

 

もし殺菌上の問題で塩分濃度が必要であれば「ストレート」を謳う必要が無い、というか水で薄めると不味い。技術的な問題ではないと思う。なので「あれが美味い」とメーカー開発者は思っているのであろう、だったらそのメーカーの開発者というか、(もしメーカー開発者が塩分大好きでないとしても)お偉方は味音痴だということだと理解する。重ねて述べるけれども私が味音痴なのかもしれない。
そして日本人は「塩分控えめ」を寿命延長の国是のはずで、、、仮に私個人が塩分嫌いであったとしてもと思うんだけど。しょっぱいのは「悪」だよね、それを食品メーカーが知らないということはありえないよね?ということ。

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東の人は麺にコシを求める件

以前の記事で「大阪のうどんは美味しくない」というニュアンスを書いたら突っ込まれた。当たり前ですね、大阪に失礼でした。

しかし東人は麺にコシを求めている気がする。逆に大阪柔々うどん店が無いのが不思議。西人は柔麺を求めないのかしら?とにかく東人は麺にコシを求めてる気がする。私もそうだ。

この理由は東のご当地麺の多くがコシやのどごしを求めて居るからではないであろうか。蕎麦、稲庭、はのどごしつるり、水沢うどん、盛岡冷麺はコシ。東の麺は総じてコシ・のどごし系だ。ちょっとこの理論の弱いのはラーメンにはコシを求められていないということ。つけめんにそこを求めているのかしら。

一方、西は柔麺だ。きしめん、大阪~中国~福岡うどん、柔い。味噌煮込みうどんと福岡豚骨ラーメンは半生のような麺を食しているので硬いけどコシと言うのとは違う気がする。

四国が異端か、うどんにしても素麺にしてものどごし・こし重視か。

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ラーメンは高級食なのかもしれない、蕎麦とうどんの将来は

前のエントリーでラーメンの懐の深さと言うか日本伝統の麺とは違うと述べた。うどん・そばも様々な進歩を遂げているとは言え、ある類型にパターン化されているのは誰もが認めるところではないか、うどんの方がバラエティに富むみたい。そばは硬直化が激しくて立ち食いそばが300円程度で蕎麦屋でざるが1,000円以下程度、その差ざっと3倍で「麺はいいけどツユががっかり」は多数。

そば専門店の劣化は酷くて「ざる」至上主義感がある。そのくせツユがだめ多数。そば好きは麺に嗜好が偏っていると思わざるを得ない。だから立ち食いで主流のだしそばを専門店では邪流と扱う。矛盾を内包しているわけだ。

まぁうどんはその点健全でラーメン界のつけめんに相当するものや温つけめんに相当するものがある(というかつけめんがそもそもうどん界のパクリであろう)。出汁も鰹・昆布・炒り子、他にはアゴとかバラエティがある。

ちょっとプチ結論じみたもの。そばは進化を拒否した御馬鹿認定と言うこと(まぁ私は蕎麦が好きなので、あくまでロジックということで)。美味い物を提供しようとすると蕎麦は産地やらにこだわり「美味さ」自体にはあまり興味が無いように思える。ちょっとだけ知識欲がある層を騙す存在かと。もちろん蕎麦好きの舌はマーケティングのためには存在しているけれども、味はアレなわけです。マニア的な何かを刺激すれば美味さはどうでもいいわけです。韃靼蕎麦はまぁその典型でしょう。

やっと本題の前振りです。

ラーメンという定義がはっきりしないと述べました、人気店でも美味くはないと述べました(あくまで私ベースですが)。なので無茶苦茶感は感じます。ラーメンが中国起源の麺料理であると定義すれば違和感どころかあれはラーメンではないと思います。しかしだからこそラーメンは面白いと思っています。ラーメンという名の下に様々な実験が行われていると思わざるを得ないのです。

過日超極太麺のラーメンを食したのですが、私の感想は「あれはラーメンではない」というものでした、そして麺を食すにいちいち難儀してとても旨いモノとは思えませんでした。しかしその店は結構繁盛しています。その程度に自由度があるのがラーメンだと思うのです。

そしてそしてやっと本題です。

このように自由な経営が可能なベースはなんなのかという疑問があるのです。例えば牛丼チェーン店には「美味い」と思って行くというよりは費用効果が高いというポジションなのではないでしょうか。「この値段でkのボリューム(または美味さ)は安い」的な。専業紙にはコストダウンの大変さが日々述べられています。1食300円程度で餌を提供する企業と言うあつかいでしょうか。

そこでラーメンは一杯700円程度で行列を作ったりします。原価率やその値段が妥当であるかどうかは分かりませんが、少なくとも行列を作っているということは値段設定が安過ぎるということでしょう。

そしてラーメン屋にはある程度こだわりが必要なようです。単純に能書きの無い美味いラーメンを提供してもそれは売り上げがあがらないということのようです。そのせいで高級な有名店とチェーン店の値段の差が乖離してしまいました。前者は並んでも行く700円程度の店で、後者は400円程度のチェーン店を築く企業があるようです。

いろいろな外食産業があるけれど大手チェーン店の1.5倍程度の個人店が乱立する業界はちょっと考えられない。

成功している個別店は、その原材料原価の考え方はちょっと違うのであろう。町の寿司屋や蕎麦屋のように。いや儲かっているのだからそれ以上の存在だ。銀座の有名店のように。とすればラーメン人気店はかなり特殊な存在で、銀座寿司店のような価値ある存在と思える。

 

追記)私は関東人だからかも知れないが柔柔の大阪・九州うどんは大嫌いです、しかし出汁が美味いのは認める(新大阪駅でわざわざ違うホームに下りて杵屋をすするのが、、、。)。なのでか知らんけど関東には九州出汁&四国麺という組み合わせの店もあったりする。それは邪道かもしれないけど結構美味い。関東のツユ見下し加減は異常だからだと思うんだけど。

讃岐うどんがもてはやされているのは東京人が「腰のある麺」を嗜好しているのに対し、柔柔麺の大阪・九州は及びでないということであろう。ところが讃岐も出汁軽視なので以上の様相を帯びることになる。

東京人は出汁とツユを軽視するのはやめようよ、というかそのトレンドがやっと来たということか。

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