第四部 Generalist in 古都編

Generalist大学教員.湘南、城東、マヒドン、Harvard、Michiganを経て現在古都で奮闘中

Academic Generalistが進むべき道:ミシガン大学留学編

2024-05-12 18:45:29 | University of Michigan

みなさま 

お久しぶりです。出雲で7年に及んだ夢と目標が叶い、帰国して新しいミッションを開始しています。ミシガン大学での貴重な時間は論文作業などに集中するために、あえてブログなどは更新していませんでした。しかし帰国して所属も変わったために、これから空港と大学の時間などの合間にはこちらにも色々と思うことを記載していければと思います。

今回は以前 UJA編集部 土肥栄祐先生よりお誘いいただいた記事が発表されていますためにこちらにも転載しておこきます。

 

Academic Generalistが進むべき道


真冬のAnn Arborでの -20度の冷気は驚くほど気持ちよく、寒いというよりは”痛い”くらいに美しい。これは相対比較無しには絶対に感得できなかったアハ体験だ。先日はダイヤモンドダストに遭遇し、運転中に視界が一斉に煌めき美しさに見惚れてしまい事故に遭いそうになった。余談であるが、ダイヤモンドダストと言えば、漫画聖闘士星矢のキグナスの必殺技であり、自分がまさかその必殺技を受ける側になれるとは、とても光栄だ。そのような非日常の留学体験は当初こそ驚きと感動の経験であったとしても、一度生活に慣れてしまうとごくありふれたタダの日常であり、日々慎ましく暮らしている。

 
写真1 ミシガン大学での仲間、右から3人目が筆者
 

さて自己紹介が遅れたが筆者は現在Department of Medicine, University of Michiganに所属して研究させていただている。と言っても、大学でカッコよく立派な基礎研究などをおこなっているわけではなく、毎日朝回診をしたり、毎日昼のカンファレンスにも出て、夜は夜で忙しく働いているので日米を代表する不思議ちゃん的立ち位置となってしまっている。日本での表向きの仕事は総合診療医センターの運営の責任者(准教授)の仕事もしている。(写真1)

自分がなぜココにいるかというと、診断エラーの国際共同研究のためでもあり、医療の質と患者安全、そして病院総合診療医学のリーダーを育てるプログラムとして在籍させていただているのである。特殊ではあるが、Visiting professorとして、PSEP(医療の質研究チーム)でも働かせていただいていたりする。

 
 
 

おっと、当たり前のように”診断エラー”という言葉を使ってしまったが、実は日本語で広まってきたのはつい最近の事で、馴染みのない方も多いかもしれない。診断エラーとは、わかりやすく言えば、診断のWrong(誤り)、Missed(見逃し)、Delayed(遅れ)と定義されている。本当は患者への説明や理解なども踏まえた複雑な定義が発表されているが今回は割愛させていただく。

古今東西、医師という専門職は診断学や治療学の研究を必死になって行ってきた。その結果、現代医学の医療技術への発展と、人体への理解は目まぐるしく進んだ。それ自体は素晴らしく人類の未来はとても明るいと信じている。しかし、昔から自分は人と違う視点を持つ傾向があるので、むしろ患者に有害性を与えてしまっているかもしれない医学の負の部分は無視してしまってよいのか?言葉を変えると、あまり研究されていないけれども誰かがやらなければならない患者安全の領域や、今すぐ改善しなければならない医療の質の領域があるのではないかと感じてきた。あまり日本で大きな声でこのような案件を吠えてしまうと、目をつけられて袋叩きに遭うので、本心はひっそりとしていたいところである。しかし、患者のために有用な研究は何がなんでも進める必要があると、ある意味覚悟を決めた。

そう、”言いたいことも言えない世の中じゃポイズン”という名歌があるように、やはりここは正々堂々と自分の研究テーマをごく少しだけ取り上げさせて頂きたい。

例えば2016年に米国の推定死亡原因の第三位はメディカルエラーであるとBMJで発表されて衝撃が走った。(引用1、図2)

 
図2左: 米国の2013年の死亡原因割合, 右: 同年の厚生労働省からのデータで筆者作成
 

癌、心筋梗塞、脳卒中、肺炎、どれもこれも画期的な診断や治療が開発されれば、すぐにでも社会に還元されるであろうし、かつ医療経済的にも注目される目に見えやすい領域である。しかし、米国と日本のメディカルエラーが同等レベルであると仮定して死因を比較した場合に、我々は本当にその光の当たる疾患群の診断や治療のみに集中してよいのだろうか?相当な患者が我が国でメディカルエラーにより亡くなっている可能性があるのであれば、それを半分にする、いや20%減らすだけでも相当な人が救われないか?そのように自問自答してきた。

なかでも診断という行為は極めて複雑な知的作業であり、ジェネラリストである自分は最も興味をもつ分野であった。それは、確率の科学として単にAIが鑑別診断をリストアップするだけのものでは全くなく、数値化困難なアートの領域であると信じているからだ。

医師だけでもなく、医療スタッフ全員の協力、医療システム全体の問題の改善、そして何よりも患者の主体的な協働参画無くして卓越した診断(Diagnostic Excellence)は達成できないのである。(引用2)

私が将来的に行っていきたいテーマは、このようにマイクロシステムレベルでは患者の診断治療レベルを、メソシステムレベルでは院内の問題の診断と治療を、そしてマクロシステムレベルでは日本全体の医療の質の改善に関する研究なのである。

ゆえに、何の研究をやっているかわからない人という批評を受けやすいが、当の本人としては仕方がないことだと考えている。それこそがジェネラリストの研究テーマの強みだからである。これから曖昧でかつ、不透明で、先が見えない世界の発展が加速するだろう。5年後のことは誰も予想できないレベルだ。一つのことを徹底して追求するのも重要であるが、アカデミックジェネラリストの一人としては視点と視野と視座を自由に入れ替えることで、初めてジェネラリストに親和性の高い研究テーマを次々と創ることができると考えている。ジェネラリスト研究の独自性は、臓器特異的に分けられるものではなく、全体像がとても見え難い、だからこそ独自性を発揮するための戦略になるだろう。その中心を担うのは医療の質・安全領域となるだろうと考えている。
 
 
 
 
 

引用:

 

1 Watari T, Tokuda Y. Role of Japan's general physicians in healthcare quality improvement and patient safety. J Gen Fam Med. 2022 Apr 1;23(3):137-139. https://doi.org/10.1002/jgf2.541

 

2 Watari T, Schiff D G. Diagnostic Excellence in Primary Care. J Gen Fam Med. 2023. https://doi.org/10.1002/jgf2.617


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