和白犬ウロウロ gooブログへ引っ越しました

和白干潟を見て育ったカピバラ好きな42歳

がんばれ細川

2016年10月26日 | ブログ

細川がソフトバンクを退団することになった。
11年にFAでホークスに移籍。6年間で3度日本一を味わった。


今と違って、西武時代はもう少し打っていた気もするが…


西口150勝の時の写真。いつも、大事な場面は背番号「27」だった。


南郷キャンプで山崎とじゃれあう細川。パッと見は怖いかもしれないが、いつも楽しそうに野球をしていた。


所沢で09年1月、ライオンズの新ユニホーム発表会で、一番前でドヤ顔で入場してきた瞬間は忘れられない。

コリジョンルールができる前はホームベースをベタっと足で隠してブロックする、根性入れて本塁を守る姿が好きだった。

最近はケガが多いが、まだまだできるはず。何ならもう1度ライオンズでも。背番号は「27」は銀仁朗がいるけれど、昔つけていた「47」とか「30」ならどうにでもなるはず。

西武時代の応援歌を、当時大好きだった売り子のカッキーが口ずさみ、「この曲好きなんです。細川さん好きなんです」と言っていたことを思い出した。

福岡に私が戻ってからも、周りの女の子で細川好きはけっこういた。

意外に女子人気も高いベテラン捕手。あの安定感がいいんだろうか…

来年も現役で。


やきとり弁慶

2016年10月26日 | ブログ

西新の焼き鳥「弁慶」に久しぶりに行った。

今ではすっかり人気店で平日でも予約しないと入れない。私が西南大生だったころ、友人と決まって行くのが弁慶だった。昔は2階もあって、よく終電までくだらない話で盛り上がっていた。

味ははっきり思い出せないが、身が大きい感じは変わらない。たらふく食べて飲んでも1人2500円~3000円。値上げしたらしいがそこまで高くもなっていなかった。

懐かしい赤ちょうちんの雰囲気もそのままだ。

一緒に食べに行った友人の1人が「それって何年ごろですか?」と聞いてきた。

「95年とか96年くらい」
「私、赤ちゃんですよ…」

西南大生気分に戻っていた私は、一気に現実に引き戻された…





男の厄年

2016年10月26日 | ブログ

かぞえで42歳の私は今年が厄年。なんとか、どうにか10月も終えようとしている。
実は来年の後厄が一番やばいという話も聞く。

男の厄年は20代にもある。かぞえで25歳が本厄。私の場合、大学に入るときに1浪しているので、会社入社2年目の99年が厄年だった。

最初に配属された部署から2つめの部署に移ったのが99年。後厄の00年との2年間は、今でも思い出すと逃げ出したくなるほどの時間だった。

40代の厄年は、家族や家庭、出世などもっと違うところで災難が降りかかると思っていたのに…。

家族のいない私には20代と同じ後厄が待っているようだ。

でも、今度はうまくできそうな気がする。いや、やらなければならない。



さようならライオンズ2016

2016年10月08日 | ブログ

田辺監督が退任した。この戦力じゃ、しょうがない気もするけれど…

今年も戦力外通告の季節になった。

岡本篤は日本ハムがソフトバンクと優勝争いをする中での引退試合。日本ハム大野がうまく2本ファウルを打って最後空振り三振。すばらしいアシストのおかげでかっこいい引退試合となった。出るとハラハラしたことは忘れない。


ドラフト1位の中崎。サイドスロー転向も実らなかった。おデブな弟は広島で大活躍。それだけの素材はあったはずなのに…残念。

忍者左腕宮田ももうひとつ大成できず。

ロッテ、オリックスで活躍した左投げ右打ちの竹原も活躍できず。

FA失敗でテスト入団した木村昇。

今年の広島の交流戦でカープナインにうれしそうにあいさつしていたのに。


さりーちゃんが大好きな星。それだけでうらやましかったが…
山口もあっさり2年で切られて残念としか言いようがない。

軟膏に難航

2016年10月08日 | ブログ
9月はおかげさまで仕事が忙しく、ほとんど休めなかった。その影響なのか背中に発疹ができてしまった。

地元の皮膚科へ行った。先生は「軟膏を塗れば大丈夫ですよ」と言ってくれた。

そして「背中なので、おうちの人に塗ってもらってくださいね」





しばらく沈黙して、先生が察してくれた。「ああ、おひとりなんですね。じゃあ、頑張って塗ってください」と笑った。

独身41歳の厳しい現実を、久しぶりに突き刺された。