妻を追ってタイへ(タイ田舎暮らしの日々)

サザエを追って日本からバンコクの北500キロの所にあるルーイヘ来て、妻の仕事を手伝うマスオがブログでストレスを発散を。

先祖は石田三成の家来だった

2017年01月05日 | 日々の暮らし
昨日は父親の弟と妹、つまり叔父さんと叔母さんが来て新年会をしました。
母親は前日からの準備で疲れたようです。(笑)
叔父さんはお酒が好きで、結局2人で一升ビンが空になりました。
今朝は少し頭が痛いです。(笑)


空になった一升ビンです。
愛媛の梅錦というお酒で、叔父さんの知り合いが毎年お正月に送ってくれものを持って来てくれました。


そのお酒が好きな叔父さんは先祖のことを調べるのが好きで、ひょんなことからある本と巡りあい更に興味が深まった。

今入院している父親からも先祖は武士だという話は聞いたことはありました。
今はありませんが、父親の家計の本家には鎧があったそうです。


叔父さんが話してくれた内容は・・・・

先祖は石田三成の家来の1人だった。
石田三成は関が原の戦い徳川家康に敗れて打ち首にされましたが子供たちは命を助けられた。
長男は出家して僧侶になりましたが、残りの子供たち(6人)は以前から石田家と繋がりのあった津軽家を頼り津軽藩へ行きました。
その時、20人ほどの家来が一緒に津軽藩へ行きましたが、その家来の1人が我家の先祖らしいのです。

その後先祖は津軽家の家臣となり長い間津軽家に仕えたということです。

そういえば、父親から石田三成という名前も聞いたことがありました。




石田三成は関が原の戦いで西軍の総大将として負けたために、あまり良いイメージがありませんでしたが、調べてみると少しイメージが変りました

叔父さんは夏に青森へ行って、役所やお寺に行って祖先のことを調べてみるようです。
母親や昨日来た叔母さんも便乗して久しぶりに青森へ行きたいと話しが盛り上がっていました。
私は石田三成と津軽家の関係が書かれた本を叔父さんに借りて読んでみたいと思います。


今日の夕方は弟家族が来ます。
これで我家の正月も終わりですね。




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