がじゅまるの樹の下で。

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歴史=人と人の繋がり

2012年11月13日 | ・琉球史散策/グスク時代

昨日、三山~第二尚氏前期までの相関図を作ったんだけど

あの相関図には出さなかった人物を追加して
さらに広げていくとまた面白いんだよね。

例えば護佐丸の子の盛親(もりちか)や
南山王・他魯毎の弟、守忠(しゅちゅう)さんと
尚円王・尚真王との関わり、

護佐丸の祖先と攀安知のじいちゃんとのつながり(先(中)北山)、
そしたら関連して尚巴志の(後)北山討伐のつながりも見えてくる。
(あ、でもこれは伝承の類になるのかな…)

そして大城賢雄と玉城朝薫とのつながり、
(※血縁という意味ではない)

朝薫が出れば蔡温も、程順則も関わってつながっていく。

そして言うまでもなく尚敬王はじめ、代々つながっている尚家の王様たち。

人と人のつながりが歴史になるのですが、
今の相関図をもっと広げてつなげていくと
もっと面白いかもしれないなー。

 

 

また相関図で見ると情報が整理されるので
新しい発見がある場合もありますよね。

例えば現代版組踊「花織の宴」では
泰期も尚巴志も十分魅力的でカッコイイヒーローなのですが、

泰期は甥っ子を尚巴志に殺されてる。

って書くと、
またちょっと違った面が見えてきたりしません?

武寧が殺された時に泰期が生きていたかは不明ですが。

ホント、あの時代は戦国だと、つくづく思う今日この頃。

ちなみに泰期と察度がホントに兄弟であったかどうかも…正直ビミョウな所です。
泰期が中山王(察度)の弟として書かれているのは
進貢使としての便宜上のものじゃないかな~
と個人的には思ってますです。

 

あと、泰期が初進貢した記念の1372年は、
尚巴志が生まれた年。

っていうつながりもあったりする(笑)

…あれ、コレ既に書いたつもりだったけどまだだった?
ラジオでしゃべっただけなのか。


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