がじゅまるの樹の下で。

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今帰仁グスク志慶間門郭

2010年11月12日 | ・琉球史散策/グスク時代

「大城賢雄が一番好きなんですよね」

って言われた和々です。

 

…違います。

1番は阿麻和利です。
でも、(阿麻和利は当然なので)今気になってる人が大城賢雄攀安知なんです。
(でも賢雄は2番目に好きかも(^ε^))

ってことで、

北山の風」の舞台の前に散策した、
今帰仁グスク写真から、
今帰仁グスク裏門とも言える志慶真門郭(しげまじょうかく・しじまじょうかく)をピックアップ☆

1416年、尚巴志率いる中山軍は北山王国の拠点、
ここ今帰仁グスクに戦をしかけます。

しかし、ここは難攻不落の今帰仁グスク。

なかなか城内へ攻め入ることができません。

そこで尚巴志は知略を用いて、
北山軍副将・本部平原に賄賂を贈って懐柔し、
その本部の手引きにより、ここ志慶間門から城内突入を果たします。
(詳しくはこちらからどうぞ

ちなみにその志慶真門から突入した
部隊の大将が若き護佐丸(読谷山按司)です。
(推定26~27歳)

その志慶間門郭。

一の郭(本丸)から下りることができるのですが、
下りた手前でロープが張られてて奥まで行けないようになっていたのですが、
この日はロープもなく、入れるようになっていました!

いえ~い!
早速散策!!

奥まで行って、
振り返っての視点。

右側の城壁が一の郭の城壁。

渓谷を利用しての郭なので
けっこう斜面があります。

現在、4つの住居跡が見つかっています。

今帰仁グスクの重臣の家ではないかと
言われているようです。

護佐丸率いる中山軍が、最初にここになだれ込み、
戦い、火をかけ、
一の郭を目指して登って行ったのですね。

世界遺産ということで、
とりあえず(?)訪問される観光客の方も多いですが、
こういう歴史小話を知ってからいくと、
グスク散策ももっと面白いですよね。
(ここ志慶真門郭と正門との位置関係とか距離とかも体感するとまた楽し。)

 

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