今月初めに、ふらりと行った中城城址のついでに、
護佐丸のお墓に寄ってみました。
これまで行ったことがなかったので
中城城址のパンフレットで場所を確認してから。
入口に立派な案内表示が立っていたので
すぐに分かりました。
お墓までの道も整備されていて、
緑のトンネルの中を、奥深く、歩いてゆきます。
では、百十踏揚行脚。
■護佐丸の墓■
―――どれくらい経ったであろうか。
犬の吠え声に混じって、馬のいななきを聞いたように思って、
護佐丸は、ハッと目がさめた。
続いて、ブオーッと法螺の音のような、鈍く思いひびき―――。
「なんだ?」
護佐丸はガバと、夜具をはねのけて、寝所を飛び出した。
ブオーッ、ブオーッ―――
明らかに法螺の音が、北空にとどろき渡った。
*
そこへ、二の郭から、将の一人が転げ込んできた。
「敵は、敵は……勝連、阿麻和利!」
と、悲痛な声で叫んだ。
背に矢が突き刺さっていた。
「勝連軍は、首里の御旗を、打ちふり、首里の御旗ぞ、
これは王軍ぞと、声高に、呼ばわって、おりまする」
「何と?首里の御旗と?しかと、相違ないか」
*
南の表門も破られたらしい。
喚声があがり、激しい干戈のひびきがおしよせてくる。
「お、表門からは、う、鬼大城殿……
し、首里の軍勢で、ござりまする……」
「百十踏揚 357-」(与並岳生著/新星出版)
南の拱門が破られ、
黒い唐甲冑姿の鬼大城が姿を現した。
館は激しく炎を噴き上げ、
庭には火の粉が舞っていた。
その火の粉の中に、るいるいと、身体中に矢を突き刺されて倒れている
中城の武将の姿があった。
「……」
ゴウゴウと音を立てて燃え盛り、
崩れ落ちる館の炎の中に、
護佐丸は呑み込まれたのであろう。
(さらば、護佐丸公……)
さすがに、心の中に呟いていた。
万感込み上げてくるものがあった。
天下一の武将、
尚巴志王とともに北山征伐をなし
三山統一を成し遂げたあこがれの古英雄、
歴史のような存在―――。
その一代の英傑が今、その最期を遂げた。
「百十踏揚 372-」(与並岳生著/新星出版)
小説、「百十踏揚」の中でも臨場感あふれる
護佐丸・阿麻和利の乱の場面でした。
(対 中城戦もいいが、対 勝連戦がまた泣けます…)
引用にもあったように、
阿麻和利は王の指示により(もしくは許可を得て?)、
左三つ巴の御紋を掲げた王軍の立場として中城に攻め入ります。
そして、護佐丸を打ったのち、
すぐに鬼大城を総大将とした王軍に打たれてしまうのです。
だから、護佐丸と阿麻和利は同じ年(1458年)に死んでいます。
どちらも「王軍」によって滅ぼされた中城と勝連ですが、
のちに王府によって編纂された「正史」には
中城・護佐丸=忠臣
勝連・阿麻和利=逆賊
となっています。
なぜ、護佐丸が正史で「忠臣」と書かれるほど名誉回復したかというと、
のちに、護佐丸の子孫が「毛氏」一族(テンペストでもお馴染み!)として大いに繁栄、
琉球王府にとってなくてはならない存在となったから、
と考えられています。
護佐丸の子孫は、今でもたくさんいて、
(護佐丸はかなり長生きしてたあげく、そうとう色々なところで子を産ませた…らしいことや、毛氏の繁栄も手伝って)
なんとまー、
私の身近に2人もいることが判明シマシタ
歴史はつながる、
歴史はつづく…。
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