がじゅまるの樹の下で。

*琉球歴女による、琉球の歴史文化を楽しむブログ*

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山田グスク・護佐丸父祖の墓

2010年11月14日 | ・琉球史散策/グスク時代

山田グスクに行ってきました。

……あれっ。

ショクバにシゴトしに行ったはずなのに。

なぜかゴーパチを北上していました(笑)

山田グスク、山田按司といえば、

そう、護佐丸です!

護佐丸の父ちゃん、じいちゃんたちの眠る、
護佐丸父祖の墓を拝みに行ってきました。
(もちろん初散策です)

昨日、一日中すごい雨が降ってたので
今日も、じめじめむしむし。
(がじゃん=蚊も多かった…)

ハブ対策棒でがさがさやりながら進む。

案内板発見。

護佐丸のじいちゃんである山田按司は息子がいなかったので
伊波グスクの伊波按司の次男を養子にします。

その養子になった伊波按司の次男が護佐丸の父ちゃん。
(で、元の伊波按司の系統子孫に大城賢雄がいます)

ちなみに尚巴志の妻が本当に伊波按司の娘だとしたら、
護佐丸ともつながるわけですねぇ。
(時代的にも同時代だし)

へえぇ。

伊波按司、恐るべし。

尚、攀安知のじいちゃん(怕尼芝(はにし))に追放された
先今帰仁世の主は護佐丸の曾じいちゃん。
(あと一代前って説も?)

 

まあ、そんなこんなの護佐丸祖父の墓。

到着。

入る前に一礼。

合掌。

お邪魔いたします。

うっわ~~~

張り出した石灰岩がかっこいい。

古琉球の崖下埋葬。

お隣にもお墓(拝所?)が。

なんかもう、鍾乳洞みたいになってる。

昨日の雨の影響で上からぽたぽたと雫が落ちてきて
なんとも不思議な雰囲気。

振り返っての眺め。

 もちろん入り口は塞がれておりますが、

この中の、
山田按司の木棺に三つ巴紋があったのよね…。

くそう。

一体どういうこった。

(ああ、でも山田按司は今帰仁と繋がってるので
今帰仁の百按司墓の三つ巴木棺と同じ意味合いって可能性はあるでしょうね…)

ちなみに、山田グスク。

護佐丸が座喜味グスクを築いて移城した際に廃城となっています。

目だった城壁なんかはありませんでした。

この丘一帯が山田グスク跡、ということで。

でも山田グスク周辺を散策してみれば、
色々な痕跡が…!!

 

(つづく)

 

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ポーポー

2010年11月14日 | ・琉球/沖縄、徒然日記

読谷村楚辺……

といえば、

 

像の檻、

赤犬子(アカインコ)宮、

楚辺ポーポー、

 

だよね。

像の檻は数年前にめでたく返還・撤去されましたが。

 

楚辺ポーポーが好きです。
(この、「ポーポー」って響き、本土の人にはどう写るんだろう?(笑))

ポーポーは沖縄の庶民的なおやつの代表でもありますが
サーターアンダギーとかちんすこうとかよりは
知名度が低いのでここで宣伝。
(タンナファクルーも好きですよ)

ワタシは母ちゃん及び親戚一同が読谷人なんで、
小さいころからポーポーと言えば、これでした。

なので大人になってから那覇の人に
本来のポーポーは全然違う
って言われて驚愕したのを覚えています。

やっぱり、ポーポーはポーポーでも
楚辺ポーポーが1番です!

楚辺の人はポーポー専用フライパンを持つという。

 

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古典音楽の始祖・湛水親方のヒミツ

2010年11月14日 | ・琉球史散策/第一尚氏

みなさん、湛水親方(たんすいうぇーかた)ってご存知ですか?
1623年生まれの1683年没。

サンシン習っている人はもちろん、
入社試験などで一般教養沖縄問題を勉強した人なら
その名前くらいは聞いたことがあるでしょう。

琉球の古典音楽の始祖と言われている人です。
(ちなみにアカインコは歌サンシンの始祖。更に100年くらい遡る)

サンシンにも野村流とか○○流っていくつかの流派があるのですが、
その大元はこの湛水親方の湛水流だとか。

代表曲は首里節・諸鈍節・作田節・揚作田節などなど。

とりあえず、
琉球の音楽文化を語る上でかなり重要な人、なんですね。
(詳しくはウィキペディアをどうぞ)


 さて、その湛水親方。

本名は幸地 賢忠(こうち けんちゅう)、唐名は夏 徳庸(か とくよう)。

ここでピンと来た人はすごいです。

なにか気づきません…?

はい。

湛水親方は夏居数こと、大城賢雄(鬼大城)の子孫(7世)なんです(!)

氏が「夏」
名乗り頭は「賢」

……おお、子孫だ(笑)

 

「そんなん、有名だし~ ┐( ̄ー ̄)┌

って人もいるかもしれませんが、

湛水親方って表記は有名だけど、
唐名や本名は知らなかったから気づかなかったよ!
(門中辞典読んでて気づいたさ~…)


でも武将・大城賢雄と音楽家・湛水親方が繋がってるって…
なんだか不思議ですね~。

で、大城賢雄の子孫ってどんな関係で繋がっていったのかが

色々調べてみても、
湛水親方の7代目からの系譜しかなくて、
賢雄―6代目までの系譜がないのだよ。

まさか…賢雄と百十踏揚に子がいたとは……
考えにくいのですが、ねぇ…。
(もしいたとすれば、正史には残らずとも何らかの形で伝承とかになってるでしょ…)

百十踏揚より前の奥さん(妾?)の子か、賢雄の弟たちの子ツナガリか、
それともはてさて…。

 

写真は沖縄市立図書館前にある
湛水親方顕彰碑です。
(ん?なんでここ?)

ちなみに、組踊で有名な玉城朝薫は
湛水流のサンシンを習っていたんですねー。
(写真2枚目参照)

 

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