うなぎの与三郎商店

目立たぬように、はしゃがぬように、似合わぬことは無理をせず、教育・古典など。タイトルは落語「うなぎ屋」より(文中敬称略)

あ、ずっと俺それやってんのか〜『しずかな日々』の読後感

2019-12-12 23:00:00 | 文芸 調和と異端の文学・芸術論
【あ、ずっと俺それやってんのか〜『しずかな日々』の読後感】

〈椰月美智子『しずかな日々』を読んで、子ども観、人生観についてしずかに考えたことなど。タイトルは、本記事中の寅次郎のセリフから〉

 椰月美智子(やづき・みちこ)『しずかな日々』(講談社文庫、2010年)を読んだ。きっかけは、妻と娘が強く推してくれたことだ。作品は、祖父の家で過ごすことになった一人の少年のひと夏を中心に展開する——と言っても、特に劇的なドラマがあるわけでなく、小学5年生の日常が描かれているだけである。

 歴史の決定的な瞬間というのは、そこに居合わせた場合、案外あっけないもので、ほとんどは過ぎた後になって気づき、あるいは物語として創作されるものだ。だから、主人公の少年が友達から野球に誘われた日のことを「すごく、ものすごく、たのしかった」と思っても、それが「人生のターニングポイント」として意識されるには大人の目が必要だ。物語の終わりの方で、この作品が(恐らく)30歳を超えて(いるであろう)(そしてたぶんまだ)独身の勤め人である主人公の回想であることが明らかになる。自然な展開だと思う。

 作品や作家がどのような評価を受けているのか気になって、ちょっと検索してみた。中学受験に関するページが数多くヒットした。「入試に出る」ということで評判になっていたようである。ちょうど、かつての『いちご同盟』みたいなものかな。作者の三田誠広は『パパは塾長さん』などという中学受験本を著していたっけ。大学進学について、東大合格者や早慶その他の難関私大合格者の割合だけでなく、「日大指数」なんてのを考案していたのが印象に残っている……と思っていたら、『静かな日々』の作家本人にインタビューした記事を掲載したサイトがあって、これも子どもの中学受験を巡る話だった。

 話は少し変わる。映画「男はつらいよ」第21作「寅次郎わが道をゆく」に、さくらの幼馴染みでSKDの花形スターになった奈々子(木の実ナナ)を囲んでとらやの面々が小さい頃の夢を語る場面がある〔注1〕。

さくら「ホント言うとね、あたしもレビューに憧れたり、歌手になりたいって真剣に思ったりしたことあんのよ。でも、そういうささやかな夢って、こう、誰もがいちどは持つんじゃないの、ねぇ」
寅次郎「そうそう、おいちゃんだってな、若いときはよ、こんなケチな団子屋のおやじに収まろうなんて思ってなかったよな。そうだろ?」
おいちゃん「そりゃあ、おまえ、俺は満州で馬賊になるつもりだったからなあ」
おばちゃん「あたしはねぇ、日本橋の大きな呉服屋のおかみさんになりたかったのよ」
寅次郎「博の奴はね、学者になりたかったんだよ。それが今、どうだい、こんな倒産寸前の工場(こうば)の職工だよ。もう、一生だめ」
タコ社長「なぁに言ってんだい。俺だってね、弁護士になりたくて夜学に通ったもんだよ。あん時、もっとがんばってりゃあなぁ……」
寅次郎「なっ、みんなこういうふうに、若い頃の夢とはほど遠い現実生活を営んでいるというわけだ」
さくら「奈々子のように理想通りにまっすぐに生きてきた人って、ホントに少ないわよ」
寅次郎「そう、そりゃ少ない、少ない」
奈々子「じゃあ、お兄ちゃんにも夢があった?」
寅次郎「そりゃ、あったよ」
奈々子「どんな?」
寅次郎「俺、鼻ったれ小僧んときはね、チンドン屋になりたかったんだ。チンチン、ドンドン」
おばちゃん「そうそう、そうだったよね」
寅次郎「それで、小学校へ入ったらさ、俺、サーカスに入りたかったんだ。あの三角の……。それで今度は、忘れもしない、中学の頃には、俺、テキ屋に憧れてね、♪四谷赤坂麹町、チャラチャラ流れるお茶の水、粋なねぇちゃん立ちションベン、白く咲いたが百合の花……えへっ。ま、俺は俺なりのそういう貧しい小さな夢を持ってたわけよ。結局、今はさ、こうやって……あ、ずっと俺それやってんのか」
奈々子「じゃあ、とにかく寅さん、理想通りに生きているんじゃない」
寅次郎「まぁ、ぎりぎりそういうことになるかな」


 夢をかなえるというのは、何か劇的なドラマではなくて、「そっか、ずっと俺、それやってんのか」という感覚に近いような気がする。「もし宝くじが当たったら…」ではなく、「まあ『俺の人生、そこそこなもんだったなぁ』と思っていたら、何だ、宝くじが当たっていたのか」と、人生の終わりに気づく——そんな感覚を30代・独身サラリーマンのちょっとした回想記にすると「しずかな日々」になるのだろう。

 そこにあるのは、天才性や英雄性にとらわれた人生ドラマからの離脱である。小玉重夫が『学力幻想』(ちくま新書、2013年)の中で描いていた世界——医者でなくても医療問題を考え、大工でなくても建築問題を考え、プロのサッカー選手でなくてもサッカーについて考え、官僚でなくても行政について考える人々の集合体に重なる。それは同時に、人を「できること」といった有能性で測り、基準に満たない者を排除するような社会ではなく、誰にでも備わっている「考えること」によって構築される市民社会のイメージでもある〔注2〕。

 作者や物語が問いかけているのは、親や教師が向き合う子どものモデル(子ども像)として、主人公の「ぼく(光輝)」を想像できるか、ということではないだろうか。あるいはまた、大人像として、少食の「ぼく」に「もっと食べなきゃだめだ」と言い、「ぼく」の顔の半分くらいの大きさのおにぎりをつくってくれるおじいさんや、「ぼくの中から新しいぼくを見つけて、外に出そうとしているみたいに思える」椎野清子先生を想像でき、またそれになり切れるか。さらにまた、それとは反対に、子どもの発達や成長を煽ったり、無理に矯めて正したりしていないか。煽った先の「理想像」にとらわれるあまり、子どもと直(じか)に向き合い、支えていく知恵と配慮と技を失っていないか——そういったことではないかと思う。

 親の思い描く「理想像」など、ちっぽけで融通の利かない凡庸な人間(親)がでっち上げた陳腐な「理想像」に過ぎない。そんな愚にもつかぬものへ向けて、可能性に満ちた子どもが煽られ、押し込められ、疎外されていく。そういった人間観、子ども観、人生観その他諸々について問いかけられているような気がする作品だった。

 最終章は成人した主人公が、おじいさんと過ごした同じ屋敷でひとり、物語の舞台となった当時とその後を回想する場面である。徒然草の第29段「静かに思へば、万に、過ぎにし方の恋しさのみぞ、せんかた無き」(静かに、いろいろなことを考えていると、すべてにつけて、過ぎ去った昔が恋しく思われて、どうしようもない〔注3〕)に込められた心境に似ているようで、でもちょっと違う。

 兼好が「手慣れし具足なども、心も無くて、変はらず、久しき、いと悲し」(亡き人が馴れ親しんだ道具なども、器物であるがゆえに、ずっと変わることなく、存在し続けているのは、持ち主が死んでしまっているだけに、とても悲しい〔注4〕)と、懐古とエレジー(悲歌)に満たされた静かな時間を過ごしているのに対し、「ぼく」は「人生は劇的ではない。ぼくはこれからも生きていく」と力強く(?)結んでいる。それは、過去を回想している現在さえもやがて過去として回想の対象になるという、いわば二重写しの現在というものを深く理解しつつ、一方で、未来にも開かれている現在を生き生きと生きようとする強い意思を表明しているかのようである。
 
追記
 私の妻は、この作品の中で「ぼく」が友人(押野)とスーパーへ買い物に行ったとき、母親に会う場面の描写がイタいほどわかるという。「作務衣のような紫色の上下の着物。足袋に草履。髪は結い上げてあって、眉間にはほくろのようなしるしをつけていた」「『お買い物?』母さんだけど、母さんじゃないみたいな人が聞いた。眉間の紫色のしるしと、真っ赤な口紅が目についた。両手のマニキュアも血みたいに真っ赤だ。『……なに、その格好』」


1.CD「松竹映画サウンドメモリアル 男はつらいよ 『それを言っちゃあおしまいよ!』寅さん発言集」(VAP、1996年)から文字起こし。
2.「無為こそ過激」2015-01-19で取り上げた。
3.島内裕子校訂・訳『徒然草』筑摩書房(ちくま学芸文庫)、72-73頁。
4.同前。
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