うなぎの与三郎商店

目立たぬように、はしゃがぬように、似合わぬことは無理をせず、教育・古典など。タイトルは落語「うなぎ屋」より(文中敬称略)

影または夢、そしてときどき水面に浮上する「私宅監置」

2020-01-24 23:00:00 | 随想 こころの処方箋
【影または夢、そしてときどき水面に浮上する「私宅監置」】

《「私宅監置」の新聞記事に関連して、エリクソンの「公的な」一家の影または夢となっていたダウン症の息子のことを思い出した話》

 沖縄タイムス+プラスに「こんな木造小屋に20年も…失恋を機に“閉じ込められた”女性 浮かび上がる社会の過ち」という記事が掲載された〔注1〕。

 記事のリード文は次の通り——

 1972年に日本復帰するまでの沖縄で、精神障がい者を合法的に閉じ込めた「私宅監置」の歴史を4年にわたり追い掛けているフリーテレビディレクターの原義和さん(50)が、創作場面を織り交ぜたドキュメンタリー映画「夜明け前のうた 見棄てられた沖縄の精神障害者」の製作に取り組んでいる。各地の取材映像に加え、県内離島に実在した藤さん(故人)という女性が50年代から20年以上監置されていた小屋を再現。丹念な聞き取りで浮かび上がった犠牲者たちの人間性、隔離を正当化した社会の過ちを問う。3月中に完成予定。(学芸部・新垣綾子)


 リード及びそれに続く記事本文を読んで、私はふと、エリクソンの「息子」のことを思い出した。

 エリクソンの伝記『エリクソンの人生』〔注2〕の口絵写真には、エリクソン一家が写っている。エリクソン夫妻と2人の息子(カイ、ジョン)と1人の娘(スー)。しかし、この一家には、そこに写っていないもう一人の息子がいた。ダウン症で生まれ、22歳で亡くなるまで施設に入れられていた三男「ニール」である。他の子どもたちには、赤ん坊(ニール)は生まれてすぐに死んだと伝えられていたとのこと〔注3〕。

 そのニールを巡る家族の光景について、次のような記述がある——

「エリクソン家ではニールが話題になることはほとんどなく、この黙して語らずというパターンは、ジョンとスーがついにニールについて真実を知った後も変わらず続いた」〔注4〕
「めったに話題に上らず思い浮かべられることも稀だったニールは、ずっと、「公的(おもての)」エリクソン一家の影または夢のなかにとどまっていた。だが、ときおりニールの存在が水面に浮上して苦しみをもたらすのだった」〔注5〕


 そんなニールが亡くなったとき、サバティカル(研究のための有給休暇)でイタリアのペルージャにいたエリクソン夫妻は、ニールの火葬と葬式の手配をジョンとスーに頼み、自分たちは埋葬式にも立ち合わなかったという〔注6〕。ずいぶん冷たいように感じられる。一方、埋葬式に立ち合った二人の子どもたちについて、「スーとジョンは、ニールがエリクソン一家から追放の身だったことを悲しみ、悪夢に苦しむこともないぐらいに自分たちは血を分けた弟の亡骸に冷淡なのだと思った」〔注7〕と記されている。

 しかし、エリクソン夫妻がニールの存在に冷淡だったかというと、必ずしもそうではない。

「この子は生まれなかったほうがよかったかもしれないという思いは執拗につきまとい、この子が今後どのように成長するだろうと思いやるとき、わき起こる悲観的な気持ちを投げ捨てるのはとても難しかったと、ジョアンは語った」〔注8〕
「ニールは、エリクとジョアンの個人的な生に根底からかかわっていただけでなく、仕事にも、そしてライフサイクル理論の誕生にも深くかかわっていたのである。エリクがジョアンに助けられて進めていた「健常な(ノーマル)」ライフサイクルとは何かを明らかにする取り組みで、ニールは負の背景となったのだった」〔注9〕


 ここでいうライフサイクル論の「負の背景」というのは、「彼らが創り上げつつあった発達モデルにニールの場所がないことは明らかだった」〔注10〕という言葉に示されているように、理論の意義と限界を明らかにするもう一つの事実といった意味である。

 似たようなことは、統合失調症の女児(ジーン)を相手にした事例での失敗をきっかけに、「エリクソンは、少なくともある程度は健全な自我が保たれている人たちに目を向けることが多くなった」〔注11〕というところにも表れている。要するに、器質的に自我を確立できないケースに対する無力を自覚しているからこそ、アイデンティティに関する独自理論としての価値がよりいっそう高められていったというわけである。

 「私宅監置」の話に戻る。

 記事を読みながら、精神障害者に対する家族や社会の非道に対する怒りを覚えつつ、一方でエリクソンのこうした事情を思い出したのは、誰もが抱えているに違いない自らの内なる「ニール」のことを考えたからである。つまり、「私宅監置」の犠牲者となった「藤さん」の家族は、ひょっとしたら監禁した彼女のことが「影または夢」として常に存在し、時折その存在が「水面に浮上」しては苦しんでいたかも知れない。それによって家族の、さらにはその背景となった社会の「藤さん」に対する仕打ちが免責されるわけではないが、少なくともそうした心理的な葛藤を家族が抱えていたであろうと想定しても間違いではないと考えたからである。

 このことは同時に、一見すると健常で幸福に見える個人、家族、共同体も、消そうとして消せず、「影または夢」として常に存在するものを抱え込んでいること、また時折その存在が「水面に浮上」し、個人、家族、共同体を苦しめていることを意味している。

 実際、このように語る私の中にも、また私の両親やきょうだいにも、身近な親戚・親族・知人にも、姿形を変えながら何らかの「ニール」あるいは「藤さん」がいたし、今でもそうである。もし断言するのをためらわせるのがあるとしたら、それはそんな事実がないからではなく、それらが現実の生活では抑圧されたり忘れられたりしているかもしれないことを危惧するからである。

 この記事を読んで、私が、犠牲者たちの隔離と人間性の剝奪を正当化した社会の過ちに対して怒りを覚えつつ、徹底的に糾弾する気持ちになりきれないのは、その非道に対する怒りと同情の一方で、他ならぬ私自身がこの非道と同等のものを何らかの形で抑圧・忘却しているのを危惧し、また感情を爆発させるとかえってそれを知らされ、対峙する羽目になるかも知れないことに怯えているからだといえる。

 この「私宅監置」の記事の妙な後味の悪さ、寝覚めの悪いときの寝汗に似た感覚は、こうした怒りと危惧と怯えが綯い交ぜになってもたらされたものなのだろうと思う。


1.2020-01-23 10:13。紙面掲載記事の方のタイトルは「私宅監置 生々しく/原さん、ドキュメンタリー映画製作/実在女性の隔離小屋再現」沖縄タイムス2020-01-23朝刊。
2.J=L=フリードマン『エリクソンの人生』上・下、やまだようこ・西平直監訳、鈴木眞理子・三宅真季子訳、新曜社、2003年。
3.同前、上、206頁。
4.同前、208頁。
5.同前、213頁。
6.同前、212-213頁。
7.同前、213頁。
8.同前、217頁。
9.同前、213頁。
10.同前、218頁。
11.205頁。
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