憂太郎の教育Blog

教育に関する出来事を綴っています

労働の意義とは

2009-02-28 01:31:20 | フラグメンツ(学校の風景)
 中学校の社会科公民分野には,経済と労働とのかかわりで,「終身雇用制」や「年功序列賃金制」や「ワークシェアリング」などを教えるところがある。
 私が社会科教師だったころ,ここの部分はこんな風に授業を流していた。
「はじめにきくが,何で,人は働くんだい?」
 生徒からは,答えはすぐに出る。
「給料をもらう」「お金をかせぐ」「生活をする」など,表現は違えどおおむねこんな答えが返ってくる。私は,「そうだね」などといいながら,黒板に「収入を得る」と板書する。
「まだ,ある。さあ,何だ」
 ここからは,すんなりとは出てこない。「考えろ」と言って,少しの時間,考えさせる。
 さーて,皆さんも考えてみてください。いうなれば「労働の意義」です。「収入を得る」ほかに,「労働の意義」って何でしょうか。
 授業では,なかなか出てこない場合は,「みんなは,収入を得るためだったら,どんな仕事でもいいのかい」などと,ヒントを与える。
 そうするうちに,「夢をかなえる」「自分のやりたいことをする」などの答えがやっとでる。そこで,「自己実現」と板書をする。
「さて,2つでた。実は,人が働くのはもう1つ理由があるのだ。わかるか」
 この最後はまず答えられない。私の記憶では,過去に1~2人の生徒が答えたくらいだったはずだ。皆さんはわかりますか?
 正解は,「社会に役立つため」。
 以上,「収入を得る」「自己実現」「社会に役立つため」の3つが「労働の意義」である。

「ニート」「フリーター」の増加というのは,今おさえた「労働の意義」についての3つ目「社会に役立つため」すなわち「社会貢献」という意義がスッポリ抜けているせいだ,と私は考える。なので,授業でもそんなことを生徒に話していた。     
 ときには,「職業に貴賤なし」ということについて教えたり,当時売れていた村上龍の『13歳のハローワーク』を話題にして,「あれは「労働の意義」を「自己実現」に特化してんだよ,あんなもの読んだら「ニート」になるぜ」などと,脱線していた。

 いわゆる「キャリア教育」を「総合的な学習の時間」などでおこなう学校が増えた。
 「総合的な学習の時間」の導入がなされた時,私は当時の勤務校で研修を担当しており,ご多分にもれず「キャリア教育」の年間計画をつくり,3年生の生徒を「職業体験」と称して地域に放した。
 「キャリア教育」のねらいを,「ニート」や「フリーター」にならないように中学生のうちから「労働」について体験させておく,とするのは極論に過ぎようが,「ニート」や「フリーター」の増加が社会問題化したとき,教育界ではにわかに「キャリア教育」の必要性が議論されたわけでもあるから,あながち間違いではないであろう。ただ,計画を立ててみればわかることだが,「キャリア教育」というのは,「労働の意義」を「自己実現」とすることに大きくウェイトをおいている。つまり,中学生のうちに自分のやりたいことや適性がわかれば,大人になったらしっかりと働くだろうという理屈となっているのだ。
 けど,当時の私は,「労働の意義」を「自己実現」に特化しているから,「ニート」は増加しているのだと思っていた。すなわちここでも「労働の意義」として「社会貢献」という視点は抜け落ちていたのだ。
 担当として計画を立てながら「キャリア教育なんてのは,高校に入ってバイトをやってみれば,すぐにわかることなのに,それをわざわざ中学校で授業時間削ってやる意義はねえよなあ」などと,うそぶいていた。けど,実際にやってみたら,消防署へ体験に行った生徒が集合時間にほんの少し遅れただけで,署員から「そんな気持ちでは消火活動はできるか!」と説教をうけたりして,それはそれで,地域に放すのはいいことだと思った。

 そうこういっているうちに今じゃあついに「派遣切り」のご時世だ。
 そもそも派遣社員というのは,正社員になれなくて仕方なく派遣で糊口をしのいでいるのだという主張もあり,そういう労働者も多いだろうことは想像に難くないのだが,ともかく「労働の意義」の3つのうち「収入を得る」ことが大きなウェイトとなっていることはいえるであろう。「派遣」が「自己実現」としての労働というのは無理のある主張と思われるし,ましてや「社会貢献」の意義は正社員より小さいだろうと考える。
 ただ,今回の「派遣切り」問題は,労働者側の自己責任とはとても言えない。
乱暴な議論を承知で言うなら,「労働の意義」を「収入を得る」だけでいいと労働者ならず雇用主までもが認識した結果が,今のような冷酷な惨状となっているのではあるまいか。
 雇用側が,派遣をあっさりと切るのは法的には問題はないのであろうが,倫理的には大いに問題であろう。ああやって平気で人をクビにする風景を見せられて,会社はなんのためにあるのかと思った人も多かったろう。
 そういうなかで,現在,派遣切りで職を失った者への救済は労働運動的発想でしか議論が生まれていないが,そもそも倫理的に考えて会社の方に非があるという議論も多いになされるべきであろうと思う。
 すなわち,雇用主も「労働の意義」として「社会貢献」の意識を持つことが,今回の雇用問題の議論には必要なことだと思う。

 そんなことを思いつつ,今回紹介する本は,坂本 光司『日本でいちばん大切にしたい会社』(あさ出版,2008年)。私のいう雇用主の「社会貢献」というのは,どういうことかということを具体的に紹介している。決して大企業のメセナとかそういう発想ではなく,社員をいかに大切にしているか,そういう会社を紹介している本です。
 まあそんな堅苦しいことなんかより,ノンフィクションで感動したい,という人にもおすすめです。