<製本してみました>
これまでのこのBlogに書き溜めた駄文を、本にしてみました。
オンデマンド出版とかいうんですね。
ものは試しとネットで発注したら、すぐに製本されて納品されてきました。
ディスプレイ上の横のものが、紙媒体の縦のものになったわけですが、そんなに違和感はありませんでした。
早速、ここ2年間に自分が書いたのを読み直してみました。
感想はというと…、2年前の私の方が、ちゃんと考えて書いているなあという感じ。初期の頃の方が断然いい。
人によっては、過去に自分が書いたものなんて恥ずかしくて読めたものではない、というように思う人もいるらしいですが、私の場合は逆でした。読み直してみて、昔の自分(といってもたかが2年前ですが)が誇らしく思えます。それに比べて、今の私ときたら…という感じでしょうか。
Blogへのコメントも、初期の方が批判的なのが多くて、やはり刺激的な内容だったのでしょうね。今じゃあ、批判もなくなりましたね。せいぜい、中学校に勤務していた頃の生徒からコメントをもらうくらいです(それも、最近は無くなりましたが)。
それはともかく、週1回更新している以上は、やはりもう少し深く考えなくちゃあならんなあと、昔のを読み直しながらあらためて思うのでありました。
<知り合いのBlogをみつけた>
つい先日、かなり近しい人のBlogを見つけました。
中学校の国語教師のBlogなのですが、一読、その人だとすぐにわかりました。
みると、もう4年以上つづっていて、全然知らなかったことに驚きでした。
けれど、こうやって同業者の人のBlogを読んで思うのは、勤務校のことや生徒の様子を気取らない筆致で書いて、果たして平気なのかなあ、ということです。赤裸々とまでは言いませんが、それでもネット性善説に立ってネット上に他者のプライバシーを掲載している訳でありまして、同業者として大丈夫かなあと心配してしまいます。そのうえ、自分の家庭のことや自分の心情をもつづってあるわけです。
私は、ただただ、すげえなあと思うのでありました。
けれど、こういう、実にほのぼのとしたBlogは学校の先生に多いのも事実であります。
私のような、身の回りの皆さんのことに触れるのを恐れるあまり、自分の実践を語らないでいる教師のBlogの方が少数でしょう(だから、あんたのBlogは評論家のようだといういらぬ誤解を受けるのでありますが…)。
だけどね。ネット空間上にパーソナルをさらしてしまうと、もう現状については絶対的に肯定した内容でしかBlogに書けないわけで、それは実に不自由なことに違いないわけです。
そんな不自由な状態で、発信するなんて私には絶対無理だなあと思います。
ただ、そういう不自由な思考空間に身をおくからこそ、書く意義があるのかも知れませんが…。私には、到底、無理なことでありますが。
これまでのこのBlogに書き溜めた駄文を、本にしてみました。
オンデマンド出版とかいうんですね。
ものは試しとネットで発注したら、すぐに製本されて納品されてきました。
ディスプレイ上の横のものが、紙媒体の縦のものになったわけですが、そんなに違和感はありませんでした。
早速、ここ2年間に自分が書いたのを読み直してみました。
感想はというと…、2年前の私の方が、ちゃんと考えて書いているなあという感じ。初期の頃の方が断然いい。
人によっては、過去に自分が書いたものなんて恥ずかしくて読めたものではない、というように思う人もいるらしいですが、私の場合は逆でした。読み直してみて、昔の自分(といってもたかが2年前ですが)が誇らしく思えます。それに比べて、今の私ときたら…という感じでしょうか。
Blogへのコメントも、初期の方が批判的なのが多くて、やはり刺激的な内容だったのでしょうね。今じゃあ、批判もなくなりましたね。せいぜい、中学校に勤務していた頃の生徒からコメントをもらうくらいです(それも、最近は無くなりましたが)。
それはともかく、週1回更新している以上は、やはりもう少し深く考えなくちゃあならんなあと、昔のを読み直しながらあらためて思うのでありました。
<知り合いのBlogをみつけた>
つい先日、かなり近しい人のBlogを見つけました。
中学校の国語教師のBlogなのですが、一読、その人だとすぐにわかりました。
みると、もう4年以上つづっていて、全然知らなかったことに驚きでした。
けれど、こうやって同業者の人のBlogを読んで思うのは、勤務校のことや生徒の様子を気取らない筆致で書いて、果たして平気なのかなあ、ということです。赤裸々とまでは言いませんが、それでもネット性善説に立ってネット上に他者のプライバシーを掲載している訳でありまして、同業者として大丈夫かなあと心配してしまいます。そのうえ、自分の家庭のことや自分の心情をもつづってあるわけです。
私は、ただただ、すげえなあと思うのでありました。
けれど、こういう、実にほのぼのとしたBlogは学校の先生に多いのも事実であります。
私のような、身の回りの皆さんのことに触れるのを恐れるあまり、自分の実践を語らないでいる教師のBlogの方が少数でしょう(だから、あんたのBlogは評論家のようだといういらぬ誤解を受けるのでありますが…)。
だけどね。ネット空間上にパーソナルをさらしてしまうと、もう現状については絶対的に肯定した内容でしかBlogに書けないわけで、それは実に不自由なことに違いないわけです。
そんな不自由な状態で、発信するなんて私には絶対無理だなあと思います。
ただ、そういう不自由な思考空間に身をおくからこそ、書く意義があるのかも知れませんが…。私には、到底、無理なことでありますが。