今年も終わりである。
昨日が仕事の納めであった。
このBlogも1年が経った。
当初の予定では,しばらく週1回のペースで更新して,慣れてきたら増やしていこうと考えていたが,結果的に週1回のペースの更新がやっとこさであった。それでも,休みなく更新できたのは,我ながらよく頑張ったと思う。
さて,この1年を振り返ってみて,私の大きな出来事はというと,やはり特別支援学級の担当になったことである。4月より,普通学級の担任と社会科教師を辞めて,特別支援(情緒学級)担当となった。いわゆる教壇に立つということが無くなったのだ。
現場でこれまでとは違うポジションに就くことになり,結果として,いろんなことを新しい視点で考える機会となった。また,より深いところまで考える機会にもなった。
どれくらい深く考えたかというと,教育とは何か,というところまで考えた。
もう,いい歳になって,まさか,そんな深いところまで考えねえだろうと思っていたので,私自身けっこう驚きであった。
障害を持った子どもへの教育(学校に通えない重い障害を持った子どもにも教育を受ける権利があるわけで)とは何なのか,と考えていくと,普通一般の教育の目的とは違っていくのだ。
学力向上ではないし,生きる力でもない。人格の陶冶も,遠い。情緒障害の子どもにそれを当てはめるのは,ツライ。
今のところの私は,「人間の尊厳」といったようなものなのだろうと考えている。
障害が重い子どもへの教育とはと考えていくと,人が人であるための「尊厳」みたいなものなのであろう。こんなこと,学校現場を通して実感するとは,思わなかった。
これが深いところ。
もちろん,こんな深いことを常に考えているわけではなく,日常では,キレた子どもをなだめる方策とか,席についていられない多動の子どもへの言葉がけとか,そんな対応で毎日を過ごしていたのであった。
来年は,もう少し仕事も慣れてくるだろう。
仕事に慣れて,余裕も生まれれば,また,あれやこれやと考える余裕も生まれるであろう。そんな余裕が生まれることを願いつつ,このBlogのほうも,なんとか週1回以上更新できればいいなあと思うのであった。
昨日が仕事の納めであった。
このBlogも1年が経った。
当初の予定では,しばらく週1回のペースで更新して,慣れてきたら増やしていこうと考えていたが,結果的に週1回のペースの更新がやっとこさであった。それでも,休みなく更新できたのは,我ながらよく頑張ったと思う。
さて,この1年を振り返ってみて,私の大きな出来事はというと,やはり特別支援学級の担当になったことである。4月より,普通学級の担任と社会科教師を辞めて,特別支援(情緒学級)担当となった。いわゆる教壇に立つということが無くなったのだ。
現場でこれまでとは違うポジションに就くことになり,結果として,いろんなことを新しい視点で考える機会となった。また,より深いところまで考える機会にもなった。
どれくらい深く考えたかというと,教育とは何か,というところまで考えた。
もう,いい歳になって,まさか,そんな深いところまで考えねえだろうと思っていたので,私自身けっこう驚きであった。
障害を持った子どもへの教育(学校に通えない重い障害を持った子どもにも教育を受ける権利があるわけで)とは何なのか,と考えていくと,普通一般の教育の目的とは違っていくのだ。
学力向上ではないし,生きる力でもない。人格の陶冶も,遠い。情緒障害の子どもにそれを当てはめるのは,ツライ。
今のところの私は,「人間の尊厳」といったようなものなのだろうと考えている。
障害が重い子どもへの教育とはと考えていくと,人が人であるための「尊厳」みたいなものなのであろう。こんなこと,学校現場を通して実感するとは,思わなかった。
これが深いところ。
もちろん,こんな深いことを常に考えているわけではなく,日常では,キレた子どもをなだめる方策とか,席についていられない多動の子どもへの言葉がけとか,そんな対応で毎日を過ごしていたのであった。
来年は,もう少し仕事も慣れてくるだろう。
仕事に慣れて,余裕も生まれれば,また,あれやこれやと考える余裕も生まれるであろう。そんな余裕が生まれることを願いつつ,このBlogのほうも,なんとか週1回以上更新できればいいなあと思うのであった。