乱鳥の書きなぐり

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国宝 興福寺五重塔  2024年4月から始まった五重塔の修復は着実に少しづつ進んでいる。5/11(10景)

2024-05-12 | 神社仏閣・祭り

国宝 興福寺五重塔  2024年4月から始まった五重塔の修復は着実に少しづつ進んでいる。5/11(10景)

 

 工事が始まるまでが難航していた興福寺五重塔の修復が4月から始まり、5月11日現在、その工事は着実に進みつつある。

 完成は8年後の2030年。

 いったん五重塔が囲いで覆われると、長い年月この五重塔は見ることができない。

 

 興福寺の五重塔は国宝で、日本で二番目に高い塔だといわれている。

 人力車の案内人の方が大声で旅行者に言う、

案内人「二番目なんですよ。一番はどこだと思います?」

観光客「京都」

案内人「そうなんですよ、東寺なんですよ。嫌でしょう。悔しいでしょう、、、」

観光客「、、、、」

案内人「お客さんは◎◎から来られたので、いってもいいかとおもって、、、」

観光客「、、、、(苦笑)」

 そういった案内者がおられた(爆笑)

 周りには京都からの観光客や京都出身者もいるであろうにと、今一度 人力車(案内人)をみてしまった、、、

国宝 興福寺五重塔について

奈良県公式HP(国宝 興福寺五重塔/奈良県公式ホームページ (pref.nara.jp)

                  ↓

 興福寺は、『宝字記』によると、天智8年(669)に藤原鎌足の夫人であった鏡女王が、夫の病気の回復を祈願するために、堂舎の建立を夫に再三願い出て許しを得て建立を果たしたとされております。

 山科にあったので「山階(やましな)寺」と呼ばれておりましたが、この寺がのちに近江から飛鳥に遷都され、さらに平城遷都に際して再度平城京に移建されて興福寺と改称されたと伝えられております。

 五重塔の創建は天平2年(730)光明皇后の発願によるものとされ、創建以来、度々雷や兵火、類焼による火災に見舞われ、5度の罹災と再建を経ております。応永33年(1426)のものが現在の建物となっております。塔の高さは、50.937mで、奈良県内で1番高い建物です。

 修理は奈良県が興福寺より受託し、文化財保存事務所興福寺出張所が直営にて調査と工事を実施します。

 

 

『宝字記』(天平宝字  てんぴょうほうじ)とは (ウィキペディア)

 天平宝字てんぴょうほうじ旧字体天平󠄁寶字)は、日本元号の一つ。天平勝宝の後、天平神護の前。757年から765年までの期間を指す。

 この時代の天皇は孝謙天皇淳仁天皇称徳天皇(孝謙天皇重祚)。

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