乱鳥の書きなぐり

遅寝短眠、起床遊喰、趣味没頭、興味津々、一進二退、千鳥前進、見聞散歩、読書妄想、美術芝居、満員御礼、感謝合掌、誤字御免、

法然 4  讃岐配流と晩年 

2024-05-16 | ことのは

 

 法然 4  讃岐配流と晩年 

 

 

 

 建暦2年(1212年)1月25日、大谷禅房にて死去。

 享年80(満78歳没)

 法然の十七回忌でもある安貞2年(1228年)1月25日に信空、証空、覚阿、幸阿、円空らが見守る中で火葬して荼毘に付し、遺骨は知恩院などに分骨された。

 

 今週も忙しかった。

 複数の講義を受け、その後は図書館に行き、先ほど帰宅。

 7、8回目まで見ていたドラマ『光る君へ』を、今一度第七回から見始める。

 退屈だ。

 なので、ドラマをつけつつ、ブログに向かっている。

 

 どこに行っても、まことしやかここでに、当然見ているであろうとばかりに、ドラマ『光る君へ』の話がなされる。

 私はこれまで大河ドラマを一度も見たことがないことをここで暴露しておこう、、、

 

 ドラマ『光る君へ』を一旦見なくなった理由は、清少納言の描き方があまりにも『枕草子』から受ける清少納言のイメージからかけ離れていたため。

 せっかく時をかけて読んだ『枕草子』のイメージを壊したくなかったからだ。

法然 1  京博のために、法然上人を下調べしてみる。

法然 2  生い立ちと出家・授戒

法然 3  長浄土宗の開宗 念仏すれば誰でも極楽浄土へ往生できることを知った聴衆たちは大変喜び、三日三晩、断えることなく念仏を唱え続けた。

法然 4  讃岐配流と晩年 

 

 讃岐配流と晩年 (ウィキペディア)

 讃岐国滞在は10ヶ月と短いものであったが、九条家領地の塩飽諸島本島や西念寺(現・香川県仲多度郡まんのう町)を拠点に、75歳の高齢にもかかわらず讃岐国中に布教の足跡を残し、空海の建てた由緒ある善通寺にも参詣している。

 

 法然を偲ぶ法然寺も高松市に所在する。  

 法然上人廟所 (知恩院) 承元元年(1207年)12月に赦免されて讃岐国から戻った法然が摂津国豊島郡(現・箕面市)の勝尾寺に承元4年(1210年)3月21日まで滞在していた記録が残っている。

 翌年の建暦元年(1211年)には京に帰り、吉水草庵に入ろうとしたが荒れ果てていたため、近くにある大谷禅房(現・知恩院勢至堂)に入っている。

 

 建暦2年(1212年)1月25日、大谷禅房にて死去。

 享年80(満78歳没)

 

 なお、死の直前の1月23日には弟子の源智の願いに応じて、遺言書『一枚起請文』を記している。

 廟所は大谷禅房の隣(現・知恩院法然上人御廟)に建てられた。  

 

 法然の門下には弁長・源智・信空・隆寛・証空・聖覚・湛空・長西・幸西・道弁・親鸞・蓮生(れんせい、熊谷直実)らがいる。

 また俗人の帰依者・庇護者としては、公家の式子内親王・九条兼実、関東武士の津戸(つのと)三郎為守・大胡(おおご)四郎隆義・大胡太郎実秀父子 宇都宮頼綱[注釈などがいる。  

 

 死後・嘉禄の法難 詳細は「嘉禄の法難」を参照

 

 法然の死後15年目の嘉禄3年(1227年)、天台宗の圧力によって隆寛、幸西、空阿が流罪にされ、僧兵に廟所を破壊される事件が発生した。

 そのため、信空と覚阿が中心となって蓮生(れんじょう、宇都宮頼綱)、信生、法阿、道弁らと六波羅探題の武士たちが護衛して法然の遺骸を嵯峨の二尊院に移送した。

 

 更に証空によって円空がいた太秦の広隆寺境内の来迎院に、更に西山の粟生にいる幸阿の念仏三昧院に運び込んだ。

 そして、法然の十七回忌でもある安貞2年(1228年)1月25日に信空、証空、覚阿、幸阿、円空らが見守る中で火葬して荼毘に付し、遺骨は知恩院などに分骨された。 

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立春歌舞伎特別公演 大阪松竹座 昼夜鑑賞 夜の部は二度見た。2024.02

2024-05-16 | 歌舞伎

立春歌舞伎特別公演 大阪松竹座 昼夜鑑賞 夜の部は二度見た。2024.02

 

 今となってはずいぶん昔のように思えるが、、、

 以前、南座の大歌舞伎は昼夜鑑賞の記録は書いた。 

 だが、ブログの再開に伴い、松竹座の昼夜鑑賞の記録をしてなかった。そのことが気がかりで、ここにきて、急遽書くことにした。

 

 二月は大阪国際文化芸術プロジェクトということもあるのか、料金が少し安かった。

 あまり期待はしてなかった興行だったが、夜の部が大変見事であった。

 

『新版色讀販(しんぱんうきなのよみうり)』の出来が良く、面白かった。

 何度も通いたいと思わせるほどにこなれた芝居であった。

 なので、三月の夜の部は席を変えて二度見に行った。二度ともに色あでやかであった。

 

 また夜といえば、扇雀親子の『連獅子』も丁寧で、おまけに気品に満ちた『連獅子』が展開された。

 毛振りは三十数回以上で、割合に多いほうだ。

 回数では過去の故勘三郎の五十回以上には満たないが、品位を感じさせる松羽目者らしさを感じさせる扇雀さんの良さが前に出た『連獅子』だった。

 

『曽根崎心中』の壱太郎も大変良かった。

 

 

 また昼の部の愛之助は、何度も見ている演目だが、畳と階段部分ではかっこ良くて黄色い悲鳴を上げそうになった。

 愛之助もそこそこのお歳なのに、まだこんな舞台を展開される気力があるのだと感心した。

 同時に、仁左衛門丈のこの芝居を今一度見たいとも感じた。

 

大阪松竹座「立春歌舞伎特別公演」
日時
令和6年(2024年)2月1日(金)~18日(日)
昼の部 午前11時~
夜の部 午後4時~
【休演】8日(木)
劇場
大阪松竹座
昼の部
演目
源平布引滝げんぺいぬのびきのたき
義賢最期
竹生島遊覧
実盛物語
配役
〈義賢最期〉
【木曽先生義賢】片岡愛之助
【下部折平実は多田蔵人行綱】尾上右近
【御台葵御前】片岡千壽
【高橋判官長常】市川荒五郎
【長田太郎末宗】片岡當吉郎
【待宵姫】片岡りき彌
【腰元】片岡愛三朗
【腰元】片岡千太郎
【進野次郎宗政】上村吉太朗
【百姓九郎助】片岡松之助
【矢走兵内】中村亀鶴
【九郎助娘小万】中村壱太郎
〈竹生島遊覧〉
【斎藤別当実盛】片岡愛之助
【小万】中村壱太郎
【主馬判官】中村かなめ
【飛騨左衛門】中村翫政
【塩見忠太】上村吉太朗
【平宗盛】中村亀鶴
〈実盛物語〉
【斎藤別当実盛】片岡愛之助
【小万】中村壱太郎
【葵御前】片岡千壽
【矢走仁惣太】市川荒五郎
【庄屋太郎右衛門】片岡當吉郎
【郎党】中村翫政
【郎党】片岡愛三朗
【九郎助】片岡松之助
【九郎助女房小よし】上村吉弥
【瀬尾十郎兼氏】中村鴈治郎
夜の部
演目(一)
 
配役
【油屋番頭善六】中村鴈治郎
【丁稚久松】中村壱太郎
【娘お染】尾上右近
【女中おとり】中村鴈乃助
【油屋後家おみね】上村吉弥
【松屋源右衛門】中村亀鶴
【山家屋清兵衛】片岡愛之助
演目(二)
連獅子れんじし
配役
【狂言師右近後に親獅子 扇雀 小獅子小太郎
【法華の僧蓮念】中村かなめ
【浄土の僧遍念】市川荒五郎
演目(三)
曽根崎心中そねざきしんじゅう
配役
【天満屋お初】中村壱太郎
【平野屋徳兵衛】尾上右近
【茶屋女おさと】中村扇乃丞
【同  おくに】上村折乃助
【町の衆六兵衛】市川荒五郎
【同  甚兵衛】中村かなめ
【同 松右衛門】片岡當吉郎
【女郎お千代】上村吉太朗
【同  お仲】片岡千太郎
【同 おかつ】片岡愛三朗
【下女お玉】中村翫政
【手代茂兵衛】中村鴈成
【天満屋惣兵衛】中村寿治郎
【油屋九平次】中村亀鶴
【平野屋久右衛門】中村鴈治郎
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