自然とデザイン

自然と人との関係なくして生命なく、人と人との関係なくして幸福もない。この自然と人為の関係をデザインとして考えたい。

競争は差別と支配を生み、共創は非暴力と平和を生む

2016-01-31 18:10:00 | 憲法を考える

 憲法改正は国民の権利より国家主義、さらにはドイツのような独裁主義への道を開く危険性があり、これを指摘してきた岸井成格氏は『NEWS23』キャスターを降板する。古舘伊知郎氏も「報道ステーション」を降板する。憲法を守る義務がある政治家が解釈改憲や憲法改正をしようとし、これに批判的で健全なメディアの発言が排除されるのは、いずれ国民の自由も奪われマイナンバーで監視される危険な予兆だ。

 誤魔化された政治や報道によって先が見えなくなった国民は考えるよりも強き者に従い、その一方でモヤモヤした鬱積がヘイトスピーチやネトウヨを生み、日本会議(2)(3)のように国家主義で自分が強くなるかのような錯誤した不穏な動きもある。米ソ冷戦時代からの日米関係は、今もロシアや中国の台頭を抑える砦としての日本の支配構造を維持しようとしている。

 社会主義は組織で国民の自由を奪い、資本主義はお金で国民を支配する。どちらも克服すべき課題があるが、日米支配者構造は米国の戦争に日本を加担させようとしている。「平和ボケ」とは「憲法を無視」することなのに、「平和ボケ」だから憲法を変えようと言う。「失われて気づく日常」、国民主権の日本の憲法こそ我々を守ってくれているというのに、憲法のありがたさも3猿のように見えなくしている。
 
 受験戦争は現実だ!これに勝たねば若者の将来がないと言う。受験戦争の現実は日本だけでなく、中国、韓国にも及んでいる。しかし、悲しいことに現実を大切に考えることが、さらに厳しい現実を生む。正解のある答えを早く正確に見出す能力は、与えられた問題を解く能力には優れていても、利己的欲求を強め「利他の心の叫び」(1)(2)は抑圧するので支配者には都合が良いシステムなのだろう。しかも2代、3代と続いて家業となった政治家が支配者の利権にしがみついている。

 天皇陛下は28日の園遊会の席上、東京都教育委員を務める棋士の米長邦雄さん(61)から「日本中の学校で国旗を掲げ、国歌を斉唱させることが私の仕事でございます」と話しかけられた際、「やはり、強制になるということではないことが望ましい」と述べた。 この天皇陛下の言動が自然で感動したと言う古舘氏に対して、「国歌、君が代を小学校で教えるのは公務員たる先生の義務」だとする石原慎太郎都知事との激論の記録が残されている。この石原都知事は学校教育の現場から自由を奪い、無人島の尖閣諸島を都で購入する無謀な動きから日中関係を悪化させ、それが国のためになると考える危険で幼稚な国家主義者だ。国旗国歌法が法律で決められたとしても、それは国民に強制されるものではない。学校の先生が公務員だからそれを教えるのが義務だとすれば、憲法を守るのは公務員である政治家の義務であることこそを声を大にして言わねばならない。

 憲法学者の小林節教授は「軍隊という仕組みは今の日本国憲法ではありえない」(動画)と言う。だから軍隊を持つには憲法を変えねばならない。私は軍隊を持つ国は過去の国、持たない国こそ未来を目指す国だと確信している。強者は競争を目指し、競争に勝つことで支配者を目指すが、競争こそ過去の目標にしなければならない。 

 我々は今、アマゾンの先住民の言葉に耳を傾けなければならない。
「人間はちっとも偉くない 森や川、空や大地の声に耳を傾けよ
 たくさんの事を教えてくれて、それに従う
 人間の都合だけで判断することは間違っている
 お前たちの社会は目先のことしか考えず
 目に見えるものしか信じない」
そして現代の偉大な縄文人、斉藤晶さんも同じことを言う

 一方、人種差別や平和を「非暴力・不服従」で闘うことは何故か重い重い問題だ。人類の願いに思い重圧がかかることは、支配者が目指す世界が如何に歪んでいるかの証であろう。「悪を見るな、悪を聞くな、悪を言うな」の3猿はマハトマ・ガンジーの教えだそうだが、日本の国民にとっては触れてはならない真実が3猿の「黙」となり、支配者にとっては「悪」が美徳なのだろう。

 ガンジーは英国の帝国主義、植民地支配という人種差別から同胞を解放するために、「我々人間は、どこへ行こうとも人々の心に平和と非暴力の種を蒔き続けることに、命を捧げなければならない」と「非暴力・不服従」で闘った。「イギリス人が敵なのではなく考え方が敵なのだ」と国民一人一人に「非暴力・不服従」への理解を求め、宗教間の戦いに対しては「私はヒンズー教であり、イスラム教であり、キリスト教徒であり、ユダヤ教徒です。枝は違っても皆、同じ一つの木なのです。」と宗教の原点には人間尊重があることを説き続けた。しかし、「イスラム教に寛大すぎる」とヒンズー教至上主義者ナトゥラム・ゴドセに暗殺され、その命を運動に奉げる結果になったが、ガンジーの志は世界の人々の心に「平和と非暴力の種」を蒔き続けている。
クリックで拡大! 「ガンジーの言葉
参考: 21世紀への伝言1/5【非暴力・不服従】ガンジーとキング牧師 (動画)
    21世紀への伝言2/5【非暴力・不服従】ガンジーとキング牧師 (動画)
    21世紀への伝言3/5【非暴力・不服従】ガンジーとキング牧師 (動画)
    21世紀への伝言4/5【非暴力・不服従】ガンジーとキング牧師 (動画)
    21世紀への伝言5/5【非暴力・不服従】ガンジーとキング牧師 (動画)

 アメリカのキング牧師は国内の人種差別から同胞を解放するために、ガンジーに学び「非暴力・不服従」で闘い暗殺されている。虐げられた人々を守るにはキリストが殉死したように、ガンジーとキングも殉死しかなかったのがと思うと辛くて重すぎる。
参考:ザ・プロファイラー「栄光の行進の先に見た”悪夢” キング牧師」
 プロローグ キング牧師「私には夢がある」(動画)
 若きリーダーの夢と非暴力(動画)
 格差と暴力(動画)
 暴力は差別を生む~憎しみが暴力を生む矛盾(動画)
 夢から悪夢へ:支配者にとって平等は共産主義?(動画)

 ガンジーもキング牧師も非暴力で同胞を救おうとして暗殺された。日本にも平和のためには暴力(武力)を持つことが正義だとする支配者や同調者がいる。非暴力の戦争放棄の憲法を持ちながら、これを変えようとしている憲法違反の犯罪グループが堂々と政権を握ってる。犯罪者の自覚がないのは国民主権の立憲主義を理解していないことで恐ろしいことだ。NHKは憲法改正については3猿のように黙して語らずだ。一人の国民としてはいろいろな考え方も許されるだろう。しかし、それも憲法があるから許されている。

 憲法を守ることの主張は政治的問題ではない。聖徳太子の時代は憲法十七条が国を治める人たちの規範であったが、現代では憲法を守ることは政治家、官僚等の公務員の義務だ。徳川時代は脱藩して勤王の志士となったが、憲法を変えたいなら公務員を辞職して運動すべきだ。そうでなければ独裁者ヒットラーと同じことを許し、その現実を拒否しないことで、やがて独裁者に自由を奪われ、暗い監視社会を迎えることになろう。平和と国民主権を守るには、国民が一人一人の責任に目覚め、分断されて暴力を生まないように団結して憲法を守るしかない。

 世界に誇れる憲法を守り、憲法の理想を実現、充実させていく社会を共創しよう!

初稿 2016.1.31 更新 2018.5.16

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