自然とデザイン

自然と人との関係なくして生命なく、人と人との関係なくして幸福もない。この自然と人為の関係をデザインとして考えたい。

ウクライナとクリミア、自他分断か?全ては一つか?

2015-03-18 22:33:48 | 自然と人為
 私は言葉で考える理性より、他者を大切に思う感性を大切にしたい。それが人間にとって最も大切なことだと思うから

 我々は全てを知りえないし、言葉では全てを語れない。全知全能の神と言うけれど、私は子供の頃「お天道様が見ているよ」と叱られた「お天道様」の方が「神」より身近に感じる。「お天道様」は天から世界の人々を見ている。世界の人々が「自分こそ正しい」と言って争えば、「お天道様」に叱られる。言葉は自己と他者を分断するけど、もともと全ては一つだったと。
 そう思うけど狭い「世間や自分」を信じる人々、オウム事件のように自分と宗教的絶対者との関係だけに生きた人々、憲法より政治的絶対者アメリカと自己の利益を重視して生きている人々、権力を行使できる立場にいる人々、事実を伝える仕事に責任を持つ人々が、事実と言葉に誠実になろうとせず、自分の感性で得た知と考え方と組織的立場に拘ると、「われ思う、故に我あり」は他者を尊重する「君あり、故に我あり」から容易に自己中心的な「我あり、故に君あり」に変質してしまう。個人の間で意見が対立するのを「まあ、まあ」と収めるのが世間の良識としても、国と国、国と国民の間の意見や利害の対立はどう収めれば良いのだろうか。前者と後者の問題を含む例としてウクライナ・クリミア問題があり、後者の問題としては沖縄基地問題や原発問題等多くの国内問題がある。

 クリミア問題「(日本の対露)制裁が本当に必要か、正しかったかを見たかった」とクリミヤを訪問した鳩山元首相をマスコミ等が批判していることに、「日露関係を少しでも動かしたいという思いが先方には伝わったが、日本には伝わっておらずもどかしい」という鳩山元首相のコメントがある。私は多様な外交チャンネルを無視し、ある時は個人を責め、ある時は個人を守ろうとしない国に、マスコミや民主党を含めて多くの人々が同調する異常で不気味な日本の空気を感じる

 クリミアと言えば第二次世界大戦のヤルタ会談ウクライナはソ連時代は世界の穀倉地帯として有名であり、チェリノブイリ原発事故(1)(2)でも知られ、ソ連崩壊後は「ランドラッシュ 」争奪される肥沃な大地が報道されたように、太字箇所をクリックして読んでいただきたいが、日本にとって貴重な情報を秘めたところである。
 NHKプレミアム ぐるっと黒海4000キロは、トルコのイスタンブールから、ボスポラス海峡を抜けブルガリア、ルーマニア、ウクライナ、ロシアのソチまでを前編で周り、後編はトルコの黒海沿岸の旅をする。前編のウクライナ南部の農家の言葉は、ウクライナ問題だけでなく、日本の地方や農業を考えるとき重要な示唆を与えてくれると思う。





 この黒海沿岸の国々ではオスマン帝国とロシア帝国の支配に翻弄されながらも「ずっと笑っていてほしいのよ。笑っていれば運もよくなるわ。泣いちゃだめよ。悲しいときでも笑顔でね。」と、強く生きてきた人々に出会います。

15世紀
18世紀

 ウクライナの農家は、「ソ連時代に畑で働いていた人が、ソ連崩壊後土地を分けてもらった。ソ連時代 ウクライナの農民には悲惨な歴史があり、農民は収穫を厳しく取り上げられた」と大飢饉事件(ホロドモール)を語ります。「銃を持った軍人が各農家を廻り、最後の一粒まで穀物を取り上げたのです。抵抗や穀物を隠した人は、差別や逮捕されました。ウクライナに対する大量虐殺でした。」





 しかしソ連崩壊によって独立を果たしたものの、ウクライナ農民の暮らしが上向くことはありません。「ソ連の時は一緒に働いた仲間と、どんな時も皆で一緒に楽しみました。今は近所の人たちのことは何も知らない」とも言う。「じゃあ、ソ連時代の方が良かったと思いますか?」と聞くと、「そうね!そうね!当時は皆、自分のためだけでじゃなく、相手のために何かしてあげた。今は自分のためだけにやっているから不思議。」「その通りよ。今は皆、自分のことばかり考えている。都会に住んでいる人は隣の人のことも分からないでしょう。個人主義ってことね。」「全体的生活は前の方が良かったよ。前は仕事があって給料が出たしね。農民も車が買えた。今は無理だよ」と続きます。

 「ソ連時代が良かった」と懐かしむ場面は、ソ連のソホーズ(国営農場)、コルホーズ(集団農場)は働く意欲を失わせ、「社会主義の国」は自由がないと思っていた私たちには驚きであり、自由と平等、尊厳の問題を改めて深く考えさせられます。農民が飢餓で死亡した歴史は日本にもあり、上杉鷹山が米沢藩の財政を立て直し、飢餓を防ぎ、農民を守ったことは有名で、我々は今でも尊敬し、アメリカのケネディ大統領も尊敬した日本人の一人だと言われています。飢餓や貧困は社会主義であれ、資本主義であれ、どのような体制であれ、為政者やそれに従う人たちの責任だと思います。社会主義ではその人たちの判断と行為がストレートに国民に影響を与えるので社会主義国は自由がないと思い、資本主義はお金を介して生じるので人の問題ではなく自己責任や地域の問題と見られ批判されにくいのでしょう。しかも資本主義では「自由」の名の下にお金が心を支配し、個人主義が当然の世になりますので、地域や家族の絆が薄くなるのは今の日本と同じだと思います。



 さらに「ウクライナは今、EUに加盟したがっているけれど、望んでいるのは首都に住む人だけ。田舎に暮らす私たちは望んでいません。ますます大変になるだけだから」とも言います。

 ウクライナ南部・東部の州の独立を問う住民投票の結果(日経新聞)は、ロシア側(ロシアの声)とウクライナ側(ウクライナ駐日大使)で利害が対立し、言い分が違うでしょうが、国の権力で国民の主権を奪うことが許されて良いのかという問題だと思います。英国のスコットランドやスペインのカタルーニアの独立を住民投票で問う動きがあります。ウクライナやクリミアの場合になぜ住民投票の結果が尊重されなかったのか。投票方法に問題があった等認めたくない力が働けば国の権力は国民の声より強いものになります。

 その国の事情とか法律に詳しくないのでこれ以上の追求は困難ですから、問題を国民と国の関係に絞って考えてみましょう。日本の国と国民の関係は憲法によって定められています。とくに政治家、官僚、学者等の公務員は憲法を守る義務があります。しかしその憲法よりアメリカを大切にする為政者とそれに従う者の声が大きくなってきています。水戸黄門は「葵の御紋」の印籠をかざし、悪代官を「この御紋が見えぬのか」と退治しますが、国民は「憲法」をかざして「公務員は憲法に違反している」と糺すことが、今こそ必要な時代だと思います。

 鳩山元首相は米軍基地を「海外、最低でも県外」への道を切り開いた最大の功労者です。その政策が実現できず謝りますが、政治家としてはなぜ実現できないのかを明言して退陣すべきだったと思います。ただ、自衛隊に日本を守る責任を大きくさせるとは、仮想敵国に対する備えを重視するのではなく、日本や海外の災害救助と復興に対する力量を大きくすることだと思います。仮想敵国は相手を信頼しないことに根拠があり、現実的効果よりも相手の不信感を増幅させたり、日本の軍関係の発言力を増したりといろいろな思惑が入り込みますが、災害救助と復興は現実に求められる即戦力です。福島の原発廃炉作業は科学的知識や技術、ロボット等の装備が必要であり前向きな体制を組む必要があり、下請けや孫請けで命を危険にさらさせ人件費を搾取する方法は止めねばなりません。経済大国アメリカは貧困大国でもあります。アメリカで貧困層の若者を戰爭に駆り出し、PTSDなどの精神障害 や自殺が増大していることと、日本の為政者が目指す経済構造と貧困者の宿命は同じではないでしょうか。

 仮想敵国を想定して二項対立させ抑止力のための軍事体制と軍事力増強という議論は、国民を戦争に駆り出す危険極まりないことなのに、何故か「負けたくない日本」の国民を納得させるようです。日本の国民は世界で働いていますし、ますます交流を増やしていかねばなりません。それなのに国と国を対立させることは国民と国民を分断することにつながり、世界中の為政者にとっても決して認められることではありません。沖縄や原発のような国内問題でも為政者に従う側には補助金を与え、反対派は取り締まる政治は国内や地域を分断して為政者のやるべきことではありません。「為政者は国民の声を聞け」というのが日本の憲法です。日本が世界に発言力を持つということは、「戦争は絶対にさせない」という日本の憲法を誇りとし、世界の人々のために国と国、国と国民の争いを中止させることに貢献すべきだと信じます。

 岡倉天心「茶の本」は英文で世界に発信されています。大久保喬樹訳「茶の本」を参考にして、最初の章の最後の部分で私の気に入っている箇所を抜粋して、私風に訳して紹介しておきます。

 「お天道様」は富と権力を求める世界の闘争によって粉々にされた。強欲な人たちは利己主義と下品な小賢しさで暗闇を徘徊し、知識は邪心によって買い占められ、善行さえも効用を期待している。東と西の国民は、荒れ狂う大海に投げ込まれた2匹の龍のように、人間性を取り戻そうともがいている。美しい天女が「お天道様」を修復してくれるまで、まあまあ東も西も同じ人間、地球という一つの世界の住人ではないか、お茶でも一服して美しくも愚かしいことに、お互い思いをめぐらせようではないか。

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