考えるための道具箱

Thinking tool box

◎全ては繋がっている。

2008-01-31 22:55:14 | ◎書
▶昨日のジグソーパズルのピースの話で書き忘れたこと。まわりのピースで自分を再生・複製すると書いたけれど、逆に言えば、自分のピースでまわりの再生と複製を手助けることもできる。一歩間違えば、もとの話に戻って、「自分のピースにまわりを合わせさせる」ということにもなりかねないんだけれど、欠けたは1ピースは自分の意図だけで再生・複製されるのではなく、他の3辺・4方の影響も受けるわけだから、決して自分の思うままにはならない。

▶Hくんから『沿志奏逢 2』を借りた。「歌うたいのバラッド」を手放しで褒めたい。すでにネットで見ていたライブ音源よりも格段に力が入っている。もちろんオリジナルがすばらしいことは言うまでもないけれど、こちらはこちらで、新しい「歌うたいのバラッド」である。「関係」からよりよき新種が生まれている。

▶ようやくたどり着いた青山真治のブログと、偶然発見することができた『新潮』編集長の矢野さんのWEB日記を読んでいる。もちろん青山真治は映画であり、矢野さんは文芸が生活の幹にはなっているのだけれど、2人もそれ以外に中柱ともいえるような幹があることがわかる。そして、食べることへの記憶をかかさない。柱-中柱-食(飲)の間の刺戟や弁証のようなものが、それぞれの柱をより強力に滋味深くしていくのだろう。全ては繋がっている。

▶「月10,000円以上、本を買おう」というのは蓋し名言だ。字義どおりに受け取り「買う」だけでも意味はある。本を「買う」という行為は、まず問題意識を顕在化・構造化させるということだし、選ぶときにはリテラシーを発動させなければならず、それだけでじゅうぶん考えていることになる。毎月の習慣を繰り返すことで、最初はつたない課題化の思考技術やリテラシーも洗練されてくるだろう。もっと遡って、そもそも書店に「行く」だけでも意味はあるんじゃないだろうか。そこは高い頻度で更新される情報の抽斗だし、デザインのアンダーレイの倉庫である、と考えれば、自分の思考のよきパートナーになりえる。
こういった前提があるとして、では、どんな本を買って読めばよいのか。仕事という立ち位置で語る以上は、マーケティング、ターゲット、表現技法、WEBトレンド、デザインノウハウといった本であるていど基礎の部分をおさえることは必要だけれど、極論すればなんだっていい。小説はもとよりノンフィクション、人文思想、随筆、雑誌、漫画。きっと何かがどこかで繋がっている。学校の勉強と同じようなもので、直接的に役に立つことは少ないかもしれないが、勉強をしておくとトクになることが多いし、していないというデバイドで損をすることも少なくはない。なにがなんでも繋げてやろうといった、さもしい野心はいらないとは思うが、つねに繋がる可能性があることを自覚しておくことは大切だ。無意識に読んでいてピンときたところがあれば、それは、きっと何かに繋がるという信号なので、いったん本を置いてあれこれ思考をめぐらせてみる。そういったユーレカのためには、じつは様々なジャンルの本を並行して読み進めることが必要で、だからこそ10,000円が必要なのだろう。
そういった見方をするなら、あまりにも通俗的なベストセラーは避けた方がよいかもしれない。たとえば「ダディ」とか「宜保愛子の死後の世界」とか。べつにコンテンツを毀損するわけではない。どこかにちらっと書かれたダイジェストで充分なんだろうというのが大きいが、なにも自らマーケティング的な操作の成果に埋もれていく必要はないだろうし、どこかで漏れ聞く、定まってしまった評価を追認する読み方はどうも受動的になってしまい、いわばテレビを見るのと同じになってしまうからだ。

▶そもそも「本」以前に「新聞」についても言ってしかるべきかもしれない。「新s」なんかが始まっちゃったので、これを免罪符に、がますます加速するんじゃないかという懸念もあるが、年齢を問わず新聞の「購読をやめる」人の話をよく聞くようになってきた。WEBをリビングのモニターで家族全員でみているからそれだけで充分、といわれれば、充分な人には充分なんだろうなあとは思う。
新聞だって情報の上澄みでしかないわけだが、それでも、ページを捲りながら全紙面をスキャンすることで、自分の関心のない、だからこそ思いもよらないソースを発見できることがあるかもしれない。ネットニューズでこれをおこなおうとすればたいへんだし、そういった面倒をあきらめるということは、新聞各社の何かのフィルターがかかっているかもしれないトップページのニューズのしかも上澄みだけを目にすることになり思考の多面性を損ねることになる。「捲る」「折る」という身体感覚もなにかには寄与していると思う。
さらにいえば、情報を読むのではなく文章を読むという鍛錬にもなる。そう考えると記事下の書籍・雑誌広告だって貴重になってくる。ニュースサイトと新聞はやはり別もので、とりわけぼくたちのような仕事をしている人間にとってはどちらも必須ツールとなる。はずなんだけれどなあ。テレビジョン受像機は捨ててもいいけど新聞だけはなあ、とひとこと苦言を呈しておきたい。

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