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「浦島説話」を読み解く

「浦島説話」の時代を生きた古代人の人間観を歴史学、考古学、民俗学、国文学、思想哲学、深層心理学といった諸観点から考える。

外丹にして内丹

2012-04-30 08:15:31 | 深層心理学
「金水火の三物が互いに依存して用をなすことをいってこれを煉丹を作るの要道とする。金水が火を得れば、温和にして相生ずる。金水は火がなければ、金は寒く水は冷えて造化をなし、丹を結ぶことはできない。また天一水を生ずで、水は五行の始めであり、もっとも重要なものである。そしてその功を水に帰する。けだし至善の徳は水と同じである。水はよく万物に恵みを与え、低きに流れて他と争わず、柔弱にして清く澄み、清徹にして瑕がない。水の形象は天一の源、五行の始で、真一の気の化するところで形象がなく、その端倪を測り知ることができない。真一の気たる道は、変じて分布するや、一、変じて水を生じ、位、北方に居り、二、化して火を生じ、位、南方に居り、三、変じて木を生じ、位、東方に居り、四、化して金を生じ、位、西方に居り、各自、分布独居して相関係しない。聖人は集めてこれを和合し、これをして集合して丹を作る。故にこれを五行といわずに丹というのである」(周易参同契 鈴木由次郎訳 pp132~133 明徳出版社 1977年)

『周易参同契』は外丹の書にして内丹の書でもあることがわかる。
ユングが中世ヨーロッパの錬金術を深層心理学の観点から考察したのは、物質としての「黄金」を精製する作業である術(オプス)は、実は「たましい(Psyche)」を磨く作業にほかならないことを洞察したからである。『周易参同契』中の前述部分もそのことを示している。

浦島説話研究所

「水」は「一」となり

2012-04-28 23:55:24 | 浦島説話研究
「白を知り黒を守れば、神明自ら来る。白は金の精、黒は水の基。水は道の枢、その数、一と名づく。陰陽の始にして、玄。黄芽を含む。五金の主にして、北方の河車なり。故に鉛は外黒く、内に金の華を懐く。褐を被りて玉を懐き、外は狂夫となる。金を水の母となし、母は子の胎に隠る。水は金の子にして、子は母の胞に蔵る。真人は至妙なり、あるがごとくなきがごとし」(周易参同契 鈴木由次郎訳 p55 明徳出版社 1977年)

『周易参同契』は後漢末の魏伯陽の撰で、周易をもとに煉丹の法を説いた外丹の書である。
鈴木由次郎氏は「参同契に用いられている漢易の思想は漢代の風気の中から生れたことは疑いない。参同契は易の太極と老子の道とを会通し、易とともに老子を盛んに引用している」とある(前掲書pp8~9)。
漢代思想の影響を強く受けていた天武帝であるが、馬養がこの書に触れていた可能性を考慮する必要があると思う。というのは、「浦島説話」は、参同契と同様、「易の太極と老子の道とを会通」して構想されていることが汲み取れるからである。

浦島説話研究所

「易」の思想と「共時性」

2012-04-27 23:52:32 | 深層心理学
「『易経』は中国哲学の源流を示す古典である。それは、儒教と道教が対抗して二つの流れをつくり出す以前の中国的思考の原型像を示している。ユングは、彼のいう「共時性」synchronicityの考え方を「易」の思想にもとづくものであると言っている。筆者は彼の主張に興味をもって、この古典に関心をもつようになった。専門分科を重んじるアカデミズムの常識からみれば破天荒とも思えるのだが、ユングは、この古代中国の古典が、心理学をはじめ中国研究や古典研究とは無関係と思われる現代のさまざまな学問にとって重要な意義と価値をもつ、と主張している」(湯浅泰雄 共時性の宇宙観 p122 人文書院 1995年)

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「六甲おろし」

2012-04-25 22:27:50 | インポート
阪神タイガースの応援歌に「六甲おろし」があるが、原始的な魔術に「六甲の法」というのがある。
「日には干支というものがある。甲乙丙丁・・・の十個の干と、子丑寅・・・の十二支を組み合せて、日に命名してあるものだ。このうち甲がつく日、つまり甲子、甲寅、甲辰、甲午、甲申、甲戌の六つの日は神聖な日で、天女が天から下って人間のところにやってくる日と考える。そこでこの日には謹んでしずかに日を送り、下ってきた天女と会することを待つ。この修行をつめば、みごと天女と会合してその力によって仙人の資格を得ることができることになる」(吉田光邦 錬金術 pp30~31 中央公論社 1993年)

「六甲おろし」が六甲山に由来することはわかるが、この場合の「六甲」は「六甲の法」の「六甲」と何か関係があるのだろうか。もし、仙人になるための秘密の呪法と関係するとするなら、永遠の命を宿した天女との会合とは、チームの不死=“常勝”に繋がる意味をもっていたのかもしれない。
「甲子園」の「甲子」は干支の筆頭(始まり)である。野球の“メッカ”、あるいは“首位”の象徴をも含んでいたのかもしれない。
阪神タイガースファンの前に、毎試合、不死の天女が下って来てチームを勝利に導く。「六甲おろし」には、そんな思いと象徴的意味が込められているのかもしれない。それが仙人になるための秘術と関係しているとするなら、想像するだけで楽しくなる。

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「筒川嶼子」と「水江浦嶼子」

2012-04-24 23:37:27 | 浦島説話研究
「浦島説話」を伝える始原の三書のうち、『丹後国風土記』「逸文」には、「丹後國與謝郡日置里筒川村」に「筒川嶼子」なる人物が存在し、この人物こそが「水江浦嶼子」にほかならない、という記述がある。
「筒川嶼子」という姓名は、「水江浦嶼子」に比べ実在を強く感じさせる。だが、「筒川嶼子」という人物は、他の史料には出てこないのである。この問題も未解決の研究課題として残されている。
「筒川嶼子」は「日下部首等先祖」とも記載されており、実在を補強する材料と指摘することもできる。このことから、馬養が任地に赴いていた時に実在していた日下部首等の始祖伝承とみる見解もある。「筒川嶼子」=「水江浦嶼子」という関係を説きながら、実は両者は全くの別人のように扱われているという見方もできる。
これが馬養の意図の一つであったはずである。

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