「三爻の八卦同士を互いに組み合わせて六爻とすると、六十四種類のパターンができる。これが易の最終レベルである六十四卦である。占いもこの六十四種のパターンによって行なうが、占断の辞は六十四卦だけでなく各卦の個々の爻にも付されている。幹としての前者を卦辞(かじ)、枝葉としての後者を爻辞(こうじ)と呼ぶが、爻辞は六十四×六の合計三百八十四通りもあることになる。しかし、これだけ備わっていても現実の力はもっと多様多彩であって、三百八十四程度では占者の複雑多岐な現実にとても対応しきれない。それに、旅のことを占って旅(りょ)の卦が出るというふうに、常に占問のテーマに沿った卦が出るとは限らない。この隘路を開くのが「象(しょう)」という考え方である。つまり、易は占者に象=象徴としてしか答えを啓示しない。その象をいかに自己および現実に引きつけて読み解くか、そのとき占者の力量が問われるのである」。
(三浦國雄 気の中国文化 p322 創元社 1994年) 易が示すのは、いわば象徴表現である。その“象徴表現”をどう読み解くか。それは「浦島説話」が語る内容をどう読み解くか、という問いと通底するものであると本論は考えている。
「浦島説話研究所」
(三浦國雄 気の中国文化 p322 創元社 1994年) 易が示すのは、いわば象徴表現である。その“象徴表現”をどう読み解くか。それは「浦島説話」が語る内容をどう読み解くか、という問いと通底するものであると本論は考えている。
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