「気の問題について人体に即して具体的に検討してゆくと、人間というものの見方、つまりは人間観の問題につき当る。たとえば中世のキリスト教では、霊魂―肉体の関係をどう考えるかということはその人間観の基本にかかわる問題であった。霊魂―肉体を近代的な概念でおきかえると、精神―身体という関係になるであろう。「気」の考え方は、この両者の関係について、東洋の宗教・哲学、および科学の歴史の中で育てられてきた独特な見方を示しているのである。したがって「気」の問題を掘り下げてゆくと、人間観や世界観といった、より深い一般的な問題にまで及んでくるように思われるのである」(湯浅泰雄 「気」とは何か~人体が発するエネルギー~ p5 NHKブックス 1994年第12刷)。
湯浅氏は、「気」はみえない道(タオ)のはたらきであると指摘しているが、道(タオ)は哲学的概念である。また、いわゆる「仙人」について、「みえない超越的なもののはたらきとつながり、それと一体となった人間」であり、それを「完成した人格の状態」とも表現していることに留意したい。近代的人間観に従えば、寿命という制約のもとに生きる人間が「不老不死」などということはあり得ず、単なる願望、俗信、信仰といった範疇のことがらとして切捨てられてしまうであろうが、次元を異にする超越的なものとの合一によって感得される世界認識と解するならばどうであろうか。人間のいのちは、不死なるものと結びついているという理解である。そこにおいて、この主題は宗教経験を含む深層心理学の重要な研究テーマとなってくる。
「一太宅之門」をくぐり異次元世界に赴いた主人公が、そこで神女と交合するというモチーフが深層心理学の観点からみると大きな研究課題となるのはそうした理由からである。
「浦島説話研究所」
湯浅氏は、「気」はみえない道(タオ)のはたらきであると指摘しているが、道(タオ)は哲学的概念である。また、いわゆる「仙人」について、「みえない超越的なもののはたらきとつながり、それと一体となった人間」であり、それを「完成した人格の状態」とも表現していることに留意したい。近代的人間観に従えば、寿命という制約のもとに生きる人間が「不老不死」などということはあり得ず、単なる願望、俗信、信仰といった範疇のことがらとして切捨てられてしまうであろうが、次元を異にする超越的なものとの合一によって感得される世界認識と解するならばどうであろうか。人間のいのちは、不死なるものと結びついているという理解である。そこにおいて、この主題は宗教経験を含む深層心理学の重要な研究テーマとなってくる。
「一太宅之門」をくぐり異次元世界に赴いた主人公が、そこで神女と交合するというモチーフが深層心理学の観点からみると大きな研究課題となるのはそうした理由からである。
「浦島説話研究所」