「浦島説話」を考察するうえで、古代人の人間観と近代の人間観という問題は核心的論点になると考える。
その一例として、「元号」の問題に触れたい。
現在の元号は「平成」である。「元号」制度の成立を歴史的に遡ると、確実な端緒は「大宝」元年に至る。「大宝」以前にも元号は存在したことになっている。我が国の「元号」の始まりは「大化」(645年)とされている。その後、「大宝」に至るまでに、「白雉」(650年)と「朱鳥」(686年)という元号が残されている。「元号」の成立問題については、今も諸説がある。
ただ、確実にいえることは、「大宝」以後は、現在の「平成」に至るまで途切れることなく連綿と続いている。その意味で、一本の糸を手繰り寄せれば、確実な最初の元号は「大宝」であり、「浦島説話」を書き記した伊預部馬養連は、「大宝律令」撰定作業に関わった人物なのである。そのように考えると、馬養が身近な存在に思える。
「元号」制度の根底には、神秘主義に根ざした讖緯思想が横たわっている。現在の「元号」制度は、明治時代の改元に伴う「一世一元の制」に依拠している。「一世一元の制」が定められた1868年(慶応4)、「明治」という近代国家が産声を上げた。
だが、「明治」以前の改元では、元号は、「瑞祥」「災異」「三革」(辛酉・甲子・戊午年等)などの理由を根拠としていたのである。「元号」制定に際しては、『易経』などから吉祥の意味をもつ佳字が引かれることが少なくない。改元には、国家の安寧、治世の安泰を祈願した呪的操作が含まれていた。「一世一元の制」の導入によって、というより近代国家の誕生によって、呪力を介した呪的操作といった本源的要素はすっかり意味を喪失してしまったのである。
伊預部馬養連らが生きた時代の「元号」は、制定作業自体が一種の呪的操作であった。当時は、呪術といった非科学的な事柄が国家運営の基幹に据えられてもいたのである。
「元号」という制度の背景に存在した当時の時代精神について思いを巡らすことは、古代人の人間観を探る重要な手がかりとなる。
「浦島説話研究所」
その一例として、「元号」の問題に触れたい。
現在の元号は「平成」である。「元号」制度の成立を歴史的に遡ると、確実な端緒は「大宝」元年に至る。「大宝」以前にも元号は存在したことになっている。我が国の「元号」の始まりは「大化」(645年)とされている。その後、「大宝」に至るまでに、「白雉」(650年)と「朱鳥」(686年)という元号が残されている。「元号」の成立問題については、今も諸説がある。
ただ、確実にいえることは、「大宝」以後は、現在の「平成」に至るまで途切れることなく連綿と続いている。その意味で、一本の糸を手繰り寄せれば、確実な最初の元号は「大宝」であり、「浦島説話」を書き記した伊預部馬養連は、「大宝律令」撰定作業に関わった人物なのである。そのように考えると、馬養が身近な存在に思える。
「元号」制度の根底には、神秘主義に根ざした讖緯思想が横たわっている。現在の「元号」制度は、明治時代の改元に伴う「一世一元の制」に依拠している。「一世一元の制」が定められた1868年(慶応4)、「明治」という近代国家が産声を上げた。
だが、「明治」以前の改元では、元号は、「瑞祥」「災異」「三革」(辛酉・甲子・戊午年等)などの理由を根拠としていたのである。「元号」制定に際しては、『易経』などから吉祥の意味をもつ佳字が引かれることが少なくない。改元には、国家の安寧、治世の安泰を祈願した呪的操作が含まれていた。「一世一元の制」の導入によって、というより近代国家の誕生によって、呪力を介した呪的操作といった本源的要素はすっかり意味を喪失してしまったのである。
伊預部馬養連らが生きた時代の「元号」は、制定作業自体が一種の呪的操作であった。当時は、呪術といった非科学的な事柄が国家運営の基幹に据えられてもいたのである。
「元号」という制度の背景に存在した当時の時代精神について思いを巡らすことは、古代人の人間観を探る重要な手がかりとなる。
「浦島説話研究所」