ロンドの日記

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神楽坂 築土八幡神社と寺内(じない)公園

2009-05-18 21:26:25 | 神楽坂散歩
神楽坂、本多横丁を抜けて突き当たった所に築土八幡神社が現われます。




1200年ほど前、武蔵国 豊嶋郡 牛込の里に大変熱心に八幡神社を信仰する翁がいた。と書かれています。
あるとき、翁が夢に神雲を見・・・・・・、そして松の木に注連縄(しめなわ)をゆいまわして、その松を祀った。


この木なのでしょうか?





その後、伝教大師がこの地を訪れ、このことを知って神像を彫刻して祠に祀った。その時に筑紫の宇佐の宮土をもとめて礎としたので、筑土八幡神社と名づけられた。


江戸時代には「筑土八幡宮」といい、応神天皇、神功皇后、仲哀天皇を神としてまつった神社です。
本殿の横に古いお神輿がありました。


右のお神輿


左のお神輿





お参りをして、神楽坂をまた本多横丁を上ってきて、五十番の角まで来て、右に折れ、坂を上りました。
少し行くと、新しい看板に目を奪われ(それは新しく出きた洒落た焼き鳥やさんのようでした)小さな路地を右折しました。ちょうどカフェ茶寮とその焼き鳥屋さんに挟まれた道を行くと目の前に、あらら、公園?

知らなかった小さな公園。


こんな所に公園。公園といっても今は近所の方のスモーキングスペースのようです。ベンチの一つもありません。
それでも「寺内公園」という名前があり、由来がありました。

ここは鎌倉時代の末から「行元寺」という寺があり御本尊の「千手観音像」は太田道灌、牛込氏はじめ多くの人々が信仰したと伝えられています。

江戸中期、境内の東側が武家の住まいに貸し出されるようになり、
安政四年ころ、この一部が遊行の地となり神楽坂の花柳界が発祥したと伝えられる。
行元寺は明治四〇年に区画整理の際、品川区西五反田に移転したということです。


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