梅﨑良則

これから城西キリスト教会の礼拝で話された説教を掲載します。

「罪の赦し」

2017年04月30日 | 日記
説教題 「罪の赦し」
聖書個所:ローマ3:23-25
「人は皆、罪を犯して神の栄光を受けられなくなっていますが、ただキリスト・イエスによる贖いの業を通して、神の恵みにより無償で義とされるのです。神はこのキリストを立て、その血によって信じる者のために罪を償う供え物となさいました。それは、今まで人が犯した罪を見逃して、神の義をお示しになるためです。」(ロマ3:23~3:25 )

おはようございます
今朝は青年会の主催する礼拝となっています。その時は、神学生が説教を担当することになっていて、神学生である私が説教をすることになりました。年はややとっているが,心は若いと言うことにしていただきます。

さて、先ほど読んでいただきました聖書の箇所は、「ローマの信徒への手紙」の中のある聖句で、パウロという人によって書かれたものです。
この人はイエス様より10歳ほどは若く、ユダヤ名をサウロと呼ばれていました。イエス様は十字架にかかられたとき、33歳か34歳だと言われていますからサウロは23~24歳になっていたでしょう。あるいは「そのとき」、同じくエルサレムにいたかもしれません。
ユダヤ教の「律法」を徹底して学び、真剣に実行していた人でした。

この人は最初の殉教者、ステファノという人が、石打の刑で殺されるときの責任者として、最初に聖書に出てきます。ユダヤの首都エルサレムでも名の通った優秀な若者であったことがわかります。
使徒行伝7章58節には「都の外に引きずり出して石を投げ始めた。証人たちは、自分の着ている物をサウロという若者の足もとに置いた。」と書いています。
聖書によればこのサウロは、その後もキリスト教徒を見つけ出し、牢屋にぶち込み「殺そうと意気込んで」(使徒9:1)この事を熱心に続けていたとあります。
サウロは、キリスト教徒にとっては、現実にある死の恐怖であり、イエス様の敵・迫害者でもあったわけです。それ故聖書には「罪人の頭」(1テモテ1:15)とも書かれています。

その「敵」であり罪人の代表者のようなサウロを、復活のイエス様は救われその罪を赦されたのです。

サウロは、誰より熱心に真剣に神に仕え、学び、定められた律法を守って、積極的に生きて来ました。しかし救われたときのサウロに見えてきた真実は、「神の子の敵としてのサウロ」、「罪人の頭サウロ」でした。
しかもすでにその罪が、神の子イエス・キリストの十字架の贖いによって、引き取られてしまっていたことのです。そしてそれ故に、「神の前に罪のない者」でした。

私たちの世の常識的感覚では「なんで?」となる出来事ではないでしょうか。

イエス様はこのことを通じて私たちに、「これがキリスト教なのだよ」「み言葉の本当の意味だよ」、「このことに気づきなさい」とおしえておられるのです。

サウロが救われるの有様を、聖書は非常に具体的に書いています。
「ところが、サウロが旅をしてダマスコに近づいたとき、突然、天からの光が彼の周りを照らした。サウロは地に倒れ、「サウル、サウル、なぜ、わたしを迫害するのか」と呼びかける声を聞いた。「主よ、あなたはどなたですか」と言うと、答えがあった。「わたしは、あなたが迫害しているイエスである。」(使徒9:3~9:5)

「神が御子を世に遣わされたのは、世を裁くためではなく、御子によって世が救われるためである」というみ言葉がヨハネ3:17にあります。この父なる神の意志に従い、人間の罪をあがない、十字架につかれたイエス様の救いが、先に行われていました。

「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。」(3:16)とありますが、そのことの「具体的なあらわし」がこの出来事でした。
このことをパウロは、自らの経験を通して、私たちに以下のように教えています。

「しかし、わたしたちがまだ罪人であったとき、キリストがわたしたちのために死んでくださったことにより、神はわたしたちに対する愛を示されました。」(ロマ5:8)「敵であったときでさえ、御子の死によって神と和解させていただいたのであれば、和解させていただいた今は、御子の命によって救われるのはなおさらです。」(ロマ5:10)

パウロ(サウロ)はイエス・キリストに生涯をささげる者となりました。
この出来事は、聖霊の導きによって聖書に書き記されました。この出来事を書き記すことによって、イエス様は、私たちがどのように、どちらを向いて生きるべきかをも併せて示されているのです。
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さてパウロはそうでした。では今の私たちにはどのように示されているのでしょうか。最初の説教ですので、私の場合を少し話させていただきます。
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子供の頃の私は、いわゆる性の悪い子供でした。母がある晩、布団の上で私を見ながら、
「ほんて、こがん子を産まんけりゃよかった。流してしまおて思っとったとばってん、流せば監獄に入れられたけん、産んだらこがん子が生まれてきてしもて・・」と言いました。
今なら、「つらかった母親が、子供に当たってしまっただけのこと」とわかります。しかし、4年生だった私は強いショックを受け、心が少し壊れました。
「生まれて来てはいけない者だったのだ」というその時の思いは、「生きる理由がない」となり、その後もいろいろな形に姿を変えながら、根深く残り続けました。
それは、イエス・キリストに出会い、その恵みの呼びかけを受けるまで、私を虚無の下に置く底流になりました。

そのようなこともあり、若い頃の私は、「人生には何の意味もない。私自身にも何の価値もない。生まれてこなければ良かった、死ねないから生きている」と考えていました。
意味のない人生に意味を与えるためには「人のために働くこと」と考え、そのように務めました。しかし心の奥底には「おまえの生き方は本物か」という問いかけが何処かにありました。

「人のために働くこと」と考え、大学の生活協同組合の運動に従事してきました。いわゆる生協は、「一人はみんなのために・みんなが一人のために」がそのスローガンです。
学内に店舗を持ち活動します。生活協同組合運動は経営体でもあり、また人間の組織でもありますから様々なことが起こります。

特に1970年代の大学生協では、安易に、理想に燃えた言葉を語り、語りながら結局は、自分達の目前の存在におもねる力しか持ちませんでした。そして破綻していきました。
私が再建のために呼ばれた九州大学の生協は、当時パートさんを含め、260人近い人が働いたと記憶しています。10年近く赤字が続いており、大きな負債があり、ここ数年給料も据え置かれたままとなっていました。

職員内部は分裂し争いが続き、感情的なもつれとなってしまっていました。このまま行けば倒産は避けられない状況でした。
すぐそこにある倒産の危機を防ぐため、緊急的な対策を取らざるを得ませんが、そこで一番つらいのは「首切り」です。
パートさんを含め、少なくとも60人ぐらいは、すぐにでも減らさなければ、運動の継続も、仕事の改善も、何も出来ない状況でした。

自分では「人のために生きる」としながら、現実には60人近い人を首切るわけです。放り出された人、その家族には次の仕事があるかどうかわかりません。「私は何をしているのか」と思いながら、残る200人のためにと、「首切り屋」と言われながら、再建と改革の仕事をすすめました。

5年もすると経営は立ち直り、給料は倍近くまで上がり、駐車場の職員の車も、軽のボロ車から次々と新車に変わっていきました。

経営改革というものは、そこで立ち止まってしまっては、また何年かすると、以前の状態へ逆戻りするものです。
しかし食べられるようになると、職員のある人たちは、「これで良い、これ以上の努力はイヤだ」と言いはじめました。
それは、「仲間の首は自分たちでは切れないので、生き残るために、外部から私を呼ばざるを得なかった。が、それはもう済んだ。」と言うことでもあったと思います。
その結果は、連日の、深夜に及ぶ団体交渉となります。彼らの立場からするとそれはその限りでは正義の主張であり、正しい要求でもあるわけです。私はとにかく「首切り」をした本人です。悪口雑言が浴びせられ、物が飛んでもきました。
「私は何をして来たのだろう。」「人間とは一体何か。」その間(かん)このような思いが胸をよぎります。この問いは私の身体をむしばみ、私の体力と内臓を痛めつけました。
世の仕組みに根本的な問題はあるとしても、この現実の有り様は何なんだろうか。
それは昨日まで笑って挨拶しあっていた者を、今日は互いの心を背けさせ敵どうしにする。妥協はあってもそれはあくまで形式的なものとなる。
人は本来わかり合えない存在なのだろうか、と深刻に考えました。
「やはり人間は最後まで一人であり、人が真に連帯し生きてゆくことは絶対的に不可能なのだ。つき詰めていけば、それは人と人の間に絶対的に超えられない“死”という底の見えない谷間、隔絶と終わりがあるためだろう」。
根源的には、「“死”に規定された人間の存在そのもの」のありようから来るのだろうと、考えるようになりました。それが私の結論でした。

この人達にも私にも、どちらにしても希望はありません。「一応食べていけるようにはしたので」とむなしい感情を持って退職しました。

その後、4年生のあの時以来持ち続けてきた「虚無」に、さらに加えられたこの思いは、「おまえは何者か」と私を問い続けました。
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そしてついにイエス様との出会いがありました。聖霊のみ働きは、連れ合いの神学校での学びを契機に、私を聖書、それもマルコ福音書にたどり着かせ、バプテスト教会へと導きました。

そしてそこでイエス・キリストが私を救われていたことを知りました。
そこでは、イエス様は
「私はまさにあるがままのあなたを愛する。 あなたの正しさでもなく、 あなたの謙遜さでもなく、 あなたの信仰でもなく、 あれこれのあなたの業績でもなく、 あなたそのものを愛する。・・虚しさにまみれたそのあなたを、赦し受け入れる」と言われていました。
「おまえは生きて良い」と言われていると感じました。
私のためにも、イエス・キリストの「十字架と復活の出来事」があったのでした。

救われて初めて、人間が罪の生き物でしかないこと、今までの、生きる苦しみは、そこに根源があったこと、このどうしようもない苦しみは、イエス様に依る事でしか解決できなかったことを知りました。

「だれがわたしを救ってくれるでしょうか。わたしたちの主イエス・キリストを通して神に感謝いたします。」(ロマ7:25)この言葉は、私にとっても最後の言葉、救いのみ言葉でした。

私が追い続けた、「自分自身を拒否しながら人のために働くこと」は、不可能なことであり、結局は、救いのない人間の間違いへと、行ってしまうことであったのです。
「絶対的に超えられない死によって、人は絶対的に隔てられ、孤独な存在とならざるをえない」という、結論と実感は消え去りました。

私にとって、福音は、なによりも先ず、あの「死」がもはや乗り越えられたこと。それは、「形だけのものに変えられてしまったこと」を告げ知らせる、喜びの知らせなのでした。
それは、私には「十字架の救い・恵みの力」によって、隔てなく助け合える立場に移されているのだ、ということを意味していました。


ここに教会の希望あります。教会はそのことを知っているからです。これを取って離さないようにしましょう。

今日も明日も、私たちはあれこれと悩み苦しみますが、「にもかかわらず」すべては解決されているのだとイエス様は言われます。

私たちは胸の中に、「いつまでも燃え続けるカイロ」を持たせてもらっているのです。だから、心は冷えても、凍り付いてしまうことはないのです。いつか必ず、温かい体に戻ります。

イエス様は、私にも、あなたにも、「試練と共に、それに耐えられるよう、逃れる道をも備えていてくださいます。」(1コリント10:13)

自分と和解し、隣人と連帯し、自分と人々の幸せのために生きなさい! 喜んで感謝しながら、その戦いに加わりなさい! 
「主は救い。主はいつもあなたと共に」とみ言葉は告げています。



お祈りします。

この機会を与えてくださいましたことに感謝します。語る者と聞く者の上への聖霊の注ぎに感謝します。この教会がますますあなたのみ旨にそうものとなりますようにお導きください。この祈りをイエス様のみ名を通してお祈りいたします。アーメン

「福音を生きる」

2017年04月23日 | 日記
 説教題:福音を生きる
 聖書個所:ローマの信徒への手紙1章16節


起、情報媒体としての手紙
考えてみると古来、人間は伝えたいことがあると、顔と顔を突き合わせ、・・・言葉によって伝えてきました。そして文字を発見してからは、石や粘土に文字を彫り込み、あるいはパピルスという紙に文字を書き、伝えてきました。・・・・その紙と言うものから、手紙という情報手段が生まれてきました。
 
 その手紙ですが、紀元50年ごろ、パウロというイエス・キリストの使徒が、「伝道のため」、「教会を整え、成長させるため」、に教会宛ての手紙、という方法を編み出しました。・・それはキリスト教の歴史の中でも画期的な手法だとされています。なぜなら、それまでの「会って話す」という1対1の形での伝達が、手紙を回覧する形により、より多くの人に、ほぼ同時に、曲げられることなく主旨が、伝わるようになったからです。・・それはしてみれば、今日、情報が、インターネットにより、「ローカル」から「グローバル」へと拡散していく、いわば先駆者のようなものだったと言えるのかもしれません。

 さて今日、インターネットを始め、さまざまな情報伝達手段が生まれてきたのに、宗教界は活気がありません。例えば、仏教、・・・浄土真宗の門徒数は1000万人が800万人に、20%減だそうです。バプテスト福岡地方連合も42にある教会伝道所で、礼拝の出席者が、約13、比率にして30%が低落傾向なのです。・・・このまま行けば、おそらく10年後には、約70%の教会・伝道所が低落傾向になると思わされます。・・・そうなれば、ルーテル教会のように、それぞれの教会で牧師を雇う、ということが出来なくなり、牧師が幾つかの教会を掛け持ちする、・・そういう状況にならないとも限らないと思われます。・・・そういう訳で、今日、私たちの教会でも「伝道」が課題なのです。その伝道の中心、福音をどう伝えるのか、・・それが課題であります。・・・今日の総会の主題もこのことです!


承、聖書より
  その福音について、今日、示された16節には、「福音を恥とはしない」、とこうあります。この福音という言葉は、私たちの社会では、「グッドニュース」という意味で使われています。・・・でも決してしばしば使われている言葉ではないように思います。その理由は、この言葉がキリスト教に根があることが薄々知られており、キリスト教の土壌のない私たちの国では、何となく居場所のない言葉、になっているのでは、と思えます。・それは当時、同じようにキリスト教の土壌のなかったローマでも同じだったと思われます。・・・福音を恥とする空気があったのでしょう。

さてパウロは、ここで「福音を恥とはしない」、と否定形の形で表現しています。一般に、否定形は肯定形に比べ、強いインパクトを与えます。・・もしパウロが「福音を誇りにする」、と言ったならどうでしょう、・・・「ああ、そうなの」程度のインパクトしかなかったのかもしれません。

  しかし、これは「否定か肯定か」、という単なる表現上の問題ではありません。これにはパウロの強い思いが込められているからです。どういう思いなのか、・・・パウロはかって、イエスさまの説かれていた神の国の福音、・・・これを異端の思想だと考え、「この道を歩む人達」、を憎み、迫害していました。また、イエスさまに従う人々は、弟子の筆頭のペテロすら、無学な漁師上りであり、他には軽蔑すべき取税人、またその取り巻きには売春婦もいました。・・・普通の人からみても恥ずかしい人達でした。パウロもそう思っていたに違いありません。
・・・しかも、イエスさまは、もっとも恥ずかしい死刑の仕方、「木にかけて」・・これは十字架刑ことですが、・・そういう形で処刑されたもっとも軽蔑されるべき罪人でもありました。また、ローマ人にとっても、・・・属州のユダヤで、「ローマ帝国に逆らい、十字架刑で処刑された男がいたそうな」、・・・とそういう噂が立っていたに違いないような男、・・・・・そんな男の説く、「神の国の福音」が、ローマの人にとって何の誇りになったでしょうか、・・・・むしろ大多数の人は、「恥ずかしいこと」、と思っている、・・・・・パウロもそう思っていたに違いありません。そういうふうに認識していた男、パウロが、・・・・回心した後、・・・・挑戦的に、しかも強い思いを込めて、・・・・私は、・・「福音を恥としない」、とそう言い切ったのです。・・・・・何という、強い使命感から出た言葉でしょうか

 パウロには全く、比べようもありませんが、私もキリストと出会う前は、「キリスト教は女、子供の弱い人間行くところ」、といわばキリストの福音を侮っていました。そういう男が今では、「福音を語られて戴いています」
、神さまのなさることは、何と不思議で、時に適って美しいのでしょうか。

 話は戻りますが、そのパウロは、「福音」をどう理解していたでしょうか  パウロにとって、福音は、頭の中のことではなく、信じるものに、・・生きて働く、・・・・神の力だったのです。・・・・「神の力」と訳されているギリシャ語は、「ヂュナミス」という言葉であり、そこから英語のダイナマイト、ダイナミックス、・・・といった一連の「力」を表す言葉が生まれました。パウロはそのダイナマイトとも言うべき神の力を、自らにおいて実感していたのです。
 
話はまた戻りますが、実は、パウロが、・・・福音のなんたるかを全く知らなかった時、・・ 福音を信じていたキリスト教徒をひたすら憎んでいた時、・・・そのキリスト教徒を次々と捕まえようと奔走していた時、・・・・・・信仰的に言えば、罪びとの先頭に立っていた時、・・・・パウロは、突然、主の光を目に浴び、地上に倒れたのであります。・・・いわゆる、挫折をするのです。・・しかしこれはパウロにとって、「恵みの挫折」でありました。・・・そのパウロに・・・イエスさまが、「あなたのなすべきことが示される」、と声を掛けられました。これは異邦人伝道への使命のことですが・・・以来、パウロは自分の生き方を180度、方向転換するのです。・・それゆえ、パウロにとっては、イエスさまご自身が、・・・福音そのものとなったのです。

 福音を知ってパウロは、人間の救いは、「神との約束、すなわち律法、・・それを守るという行為によって成し遂げられる」、という従来の考えから解放されます。・・・そうではなくて、「救いは神の恵みによって、神の側から与えられる」、という考え方に思い至るのです。・・・実際、パウロ自身が救われたのも、「まだ罪びと」の時でした。彼が、何か良いことをしていたからではありません。
・・・・この気付きにより、パウロは自分自身の自我の縛りから解放され、彼の罪は、神の力により打ち砕かれて、・・・自由の身となったのです。・・・人が、バプテスマで水から引き揚げられ新生するように、パウロもそこで新しい自己を発見し、・・それにともない世界伝道というようなダイナミックな生き方をすることができるようになったのです。しかも、その福音は、パウロだけに及んだのではなく、ユダヤ人にもギリシャ人にも、・・つまりあらゆる民族と宗教の違いを越えて、イエスさまを信じるすべての者を救うことができると考えるようになったのです。・・・・その事が本当に、自分の腑に落ちたので、それを実感できたので、・・・・パウロは、「私は福音を恥とはしない」、と断言することが出来たのです。

 さて、パウロ同様、私たちも福音を知りました。では福音を知った私達は、何から解放されたでしょうか
尚も、私達は自我の縛りの中に生きているのでしょうか・・・・・この問いに対する答えは、最後に触れたいと
思います。


転、パウロの手紙の意味&今日の伝道の媒体
 ところで、私達は少し、脇道に入って見たいと思います。・・・・・実は、聖書は何時、誰が、どこで書いたのか、・・・その執筆の目的は何かなど・・・そういう研究が近世にはいりなされてきました。そういう研究をしているある神学者が、このパウロの書いたローマの信徒への手紙のことを、1)手紙の形をとった神学論文であるとか、 2)パウロ神学の円熟した総括である、とかと評しています。・・・そもそもこの手紙が、福音書に比べ何かとっつきにくい、という印象があるのも、神学論文であるなら、さもありなん、ということで納得できます。・・・ そういう前提の上で、このパウロの手紙がどういう特徴があるのか、そのことについて少しだけご紹介したいと思います。 紹介は、ゲルト・タイセンという聖書学者の『新約聖書』、という本に助けていただきます。

 それによると、1章の冒頭に、「キリスト・イエスの僕、神の福音のために選び出され、召されて使徒となったパウロから、――」・・・というのがありますが、当時、このような書き出しで始まる公開書簡と呼ばれるものは珍しくなかったようです。それらは、ローマ皇帝や地方総督が出す、「勅令」としてよく知られていました。そしてそれらはしばしば銘文としても刻まれていたので、ローマ帝国内の住民はだれでも読むことができました。・・・実は、パウロもこの形式を借用して、いわば目一杯の肩書を響かせて自己紹介をしています。・・・実はこのような自己紹介仕方を、・・・パウロは自分が書いた他の手紙ではしていません。・・・ローマの信徒への手紙で、そういうふうにした動機は、パウロ自身が全世界の支配者なる神から委託を受けて行動していること。自分のしている伝道はすべての民族に及ぶものであること、・・この二つを強調したかったからです。

 このように職務上の肩書を目一杯響かせて始まる手紙がローマから送られてくることには、属州、例えばユダヤなどに住む人間は慣れていました。ところが、何がすごいのか、・・・ローマの信徒への手紙のこの冒頭の部分は、・・・一属州の人間であるパウロが、ローマ宛てに書いているということです。・・いわば「上から下はあっても、下から上はなかった」、・・それをパウロはしたのです。しかも、パウロのような一介の「私人」が、自分の私信を、いわば全世界に向けて発信すると形というものは、当時はなかったのです。そういう中で、パウロは、政治的な勅令の形式をちゃっかり利用して、・・・全世界へ、と発信したのです。・・・このあたりの独創的な発想がパウロのすごいところで、そのパウロがいたからこそキリスト教が世界宗教になったのだと、改めて思わされました。そしてその恩恵を、私たちの誰もが受けている、と言って過言でしょう。



結、福音を生きる
  そのパウロが伝えたかったのは、イエス・キリストの十字架と復活です。・・・・パウロにおいて中心となる福音は、この二つにして一つのものです。パウロは、十字架について、「十字架の言葉は、滅んでいく者にとっては愚かなものですが、わたしたち救われる者には神の力です。」と言っています。また、復活についても、「そして、キリストが復活しなかったのなら、あなたがたの信仰はむなしく、あなたがたは今もなお罪の中にあることになります。」と言っています。・・・・十字架において罪赦されたものは、復活において希望を戴く、・・・だから、これは福音の核心となるものです。

 しかし、わたしはこの大きなテーマを短い時間で語ることはとても出来ません。ここまで4606文字を使っています。残された文字数は多くて、約900文字、都合5500文字程度で説教を終えようと予定しているからです。従って、ここでテーマをグーツと絞りたいと思います。昨今の教会の周囲にある現状です。

 今日、心が弱っている人、生き生きと生きれていない人、自分に自信がない人、自分のことが嫌いな人、不安や心配にいつも包まれている人、・・・少なくありません。・・そういう人にとっての福音、「子よ、あなたの罪は赦された」(マルコ2:5)、・・・「自分を愛するように」(マルコ12:31)、があります。・・・この福音は何を語ってくれるでしょうか

・・・・自分を責めなくていいんです!・・・自分を赦していいんです!、・・・自分が自分の最良の友人になっていいんです!・・・○○でなくてならない、という心の過剰な鎖をちぎっていいんです、・・・・・

神さまのスケールからみたら、人間がやり遂げたことなど、高々しれています。だから、他人を過大に評価することはありません。むしろ、神さまは小さなことを評価なさいます。だから、自分にできること、直ぐ出来ること、・・・・今日できること、・・・それをやれば、・・いいのです。・・・・

そして今はできないが、何時の日か、必ず何とかなる 「大丈夫」と自分を励ましていい、・・・また、大丈夫、何とかなるから、・・と友人を励ましていいんです、・・・・

このようにして、わたしたちが生き生きと生きるなら、私たちの日常が平安であるなら、私たちが自分にも人にも寛容であるなら、・・・・・・・神さまが、その生き方そのものを力としてくださり、その生き方を見た人を心動かして下さり、・・結果、それが私たちの伝道となっていくのだと思います。
・・・・・・ですから、伝道の中心である福音をどう伝えていくのか、という冒頭の問は、・・私達がどう福音を生きるのか、・・・そこに帰結するのだと言えましょう。・・・・さて、どう福音を生きるのか?


お祈りしましょう  
私たちの神、主、・・・あなたからの「良き知らせ」を隣人に伝えることは、私たちに託されており、私たちの責務でもあります。でもその前に、私たちの生き方を問われました。私達が、生き生きと楽しく、明るく生きることにおいて、世の人へのキリストの証人となっていくことです。どうぞ、そのような者へとこの年、私たちを一歩でも近づくよう導いてください。・・・・そのためにたゆまぬ歩みを重ねるよう導いてください。
この祈りを主イエス・キリストの御名によって祈ります。   アーメン

でも、私は主に出会った

2017年04月16日 | 日記
説教題:「でも、私は主に出会った!」
説教箇所:マルコ16:1-8

 今日、結城 波さんのバプテスマ式がありますが、今から31年前の4月19日に、私もバプテスマを受けました。その時、教会の一人の執事からこう言われたことがあります。・・・「梅崎さん、見るのはただ神さまだけですよ」、と。・・・今、振り返ってみると、そのアドヴァイスのお陰で、今日まで、人に躓かず私が教会に繋がっておれた、と思うのです。ですから、私も今日、バプテスマを受けられる結城 波さんに、「見あげるのは、ただ神さまだけですよ」、ということを語り伝えています。なぜならそうしないと、必ずと言っていいほど、躓き、教会を離れてしまうことになるからです。
ところが、この信仰の先輩はもう一つ、良いアドヴァイスをしてくれていました。それは「復活あってのキリスト教ですから」、という言葉でした。当時はよくわかりませんでしたが、私も牧師になりましたので今なら、「復活あってのキリスト教ですよ」、と同じように申し上げられます。・・・キリスト教の使徒、パウロを引用しますが、パウロが「復活がなかったのなら、私たちがこうしてキリストを語り伝えることも、私たちの信仰さえも無駄だと」、言う位、復活はキリスト教にとって大事なものです。

・・・・しかし、この復活を語り伝えるのは日本社会においては大変、困難だということを申し上げざるを得ません。・・・・その理由は後ほど触れたいと思います。
 さて、こうした前置きの中で、今日は8節の復活の出来事に遭遇した婦人達の恐れ、驚きから、復活が如何に人知を超えた出来事だったか、ということについて、・・・これが1つ、そして6節の若者の言う、十字架と復活から、・・・その意味について、・・・・合わせてこの2点をお話したいと思います。
まず、最初の8節ですが、ここには人間の感情を表わす言葉が3つ記されています。「震えあがり」、「正気を失っていた」、「恐ろしかった」・・・・・これまでイエスさまは3度にわたり、「殺され、3日後に復活する」、ということを弟子達に語っておられます。おそらくイエスさまに同行していたこの婦人たちもその言葉を耳にしていたはずです。ところがこの婦人たちには、その言葉が本当のところ、何を意味しているのかがわかってはいなかったようです。・・・墓に来てみて、イエスさまの遺体がなく、そればかりか白い衣を着た若者がいて、イエスさまの復活を告げるわけですが、・・・・・言われていたことが現実に起きてみても・・・直ちに喜びというよりは、・・・・・むしろ恐ろしかった、というのが聖書の描くところで、それは彼らの本音でもあったでしょう。・・・これは一体、何のことだ、と!・・・・・私たちは一般に、重大な出来事を経験すると、その出来事に見合う感情になるのは、数日後であることが多いのです。感情が即出来事に、追いていかないのです。

これは何のことだ、と、、、、。ところで、当時、ユダヤ社会、それも多数派であったファイサイ派の人々は死者の復活を信じていたと言われています。イエスさまも復活を信じておられましたので、当然、婦人達も弟子達も復活を信じていたと思います。しかし、現実に死んだ人間が甦る、という出来事が起こってみると、それが尊敬するイエスさまであったとしても、やはり、・・・怖かった、というのです。・・・ということは、・・・やはり復活の出来事は、・・・・人間社会の出来事ではない、人間の思い巡らすことのできるその範疇を超えたこと、・・・だから本音のところでは、怖かった、ということでだと思うのです。
当時、世界文明の中心地であったギリシャのアテネで、使徒パウロはキリスト教を広める活動をしていました。パウロが、そこで「死者の復活」を語ると、遠慮のない者は「嘲笑い」、遠慮深いものは「いずれまた聞かせてもらうよ」、というこういう反応があったことが聖書にも記されています。ご承知の通り、アテネは近代文明の発祥の地と言われるところです。近代文明は、見えるもの、測定できるもの、原因-結果がはっきりしていること、人間中心であること、・・・そうしたところに特徴があると言われていますが、アテネの人にとって、キリストの復活はこのどれにも該当しません。 見えませんし、測れませんし、原因―結果もはっきりしません。
同様に、ギリシャ文明の流れを汲む私たち現代人も、あのヨハネ福音書に出てくるトマスのように、「あの方の手に釘の跡を見、この指を釘跡に入れてみなければ、また、この手をそのわき腹に入れてみなければ、わたしは決して信じない。」(ヨハネ20:25)、という考え方をしているのです。つまり現代人にとっても復活の出来事は、人間社会の出来事ではない、人間が思い巡らすことのできる範疇を超えたこと、なのです。

しかし、聖書の証言は違っています。使徒パウロの証言によれば、「ケファに現れ、その後十二人に現れたことです。次いで、五百人以上もの兄弟たちに同時に現れました。・・・・次いで、ヤコブに現れ、その後すべての使徒に現れ、 そして最後に、月足らずで生まれたようなわたしにも現れました。」(コリント一15:5-8)・・・・イエスさまは、こうして次々と弟子達の前に現れました。●(絵画)先ほど「実際見て、触らなければ信じない」、と言ったトマスにも現れました。つまりイエスさまが復活されたその瞬間を見た人は誰一人いませんが、・・・・しかし、実際、復活のイエスさまを多くの人は見たのです。人間が理解できる範疇を超えて、・・・・・出来事は起きたのです。そして、その出来事を信じました。
・・・ですから甦りの主イエスと出逢ったペテロやパウロは、誰に嘲られようと、「でも、わたしは甦りの主に出会ったのですから、わたしは甦りの主を信じます」、という他はなかったのです。・・甦りの主と出会い、聖霊の満たしを受けたペテロは、使徒としての最初の説教をしています。それは、それは、「これがイエスさまを3度、知らないと否んだ、あのペテロなのか」、というような堂々たる説教です。それは使徒言行録2章14節から36節まで記されています。あとでゆっくり読んでみてください。・・・その説教はユダヤ人に向けてですが、説教の最も中心となるのは、神が、イエスさまを、死の苦しみより解放され、復活させられた、と言うところです。・・・・・・ですからキリスト教は、神が、イエスさまを復活させた、と語る、ペテロのこの説教から始まっていると言っても過言ではありません。
韓国の第15代大統領であった金大中大統領はカトリックの信者で、もう亡くなられました、波乱万丈とも言ってよい、生涯を送られた方です。その金大中元大統領は、波乱万丈と申しあげたように殺される直前まで行ったこともあり、何度も牢獄にも囚われています。そこで彼は獄中記を書いています。その中で、・・・・「私は復活を信じる。なぜなら、ペテロのあの変わり様は、甦りの主と出逢った、ということを抜きにして説明できないからだ。」・・・「一人の人間に、あれだけの変化をもたらすということは、甦りのイエスさまの力をいただいた、ということを抜きに、考えられない」、と書いているのです。金大中元大統領自身は、もちろん、直接、甦りの主に出会ったことはないでしょう。ただ聖書に語られた復活の証言を信じた一人です。
・・・・それは使徒パウロからイエスさまの甦りの話を聞き、嘲笑ったアテネの人々とは対極にある態度です。歴史年表には記されていない甦りを、あったこと、出来事として、・・・信じたのです。目に見えないことを、証明できないことを、・・・有った事として信じたのです。・・・それが信仰です。目に見えるものを信じる、ということなら誰にもできます。しかし、信仰の恵みは目に見えないものを、もう既にそうなったと信じることなのです。
・・・ここで少し、挑戦的な言いかたをしますが、目に見えないものを信じると言うのは、それは愚かで、無知で文明人のやることではない、と言うことでしょうか。では目に見えないものを信じた金大中元大統領は愚かな人だったでしょうか。私は、全くそうは思いません。・・・・目に見えないものを信じながらも、彼ほど現実を見据えて生きた政治家はいないのではないでしょうか。・・・・復活は信じること。・・・イエスさまも「わたしを見たから信じたのか。見ないのに信じる人は、幸いである。」(ヨハネ20:29)と言っておられます。・・・復活は聖書に書いてある通り、ぺテロが証言した通り、パウロが証言した通り、・・・イエスさまが死より甦られた、という出来事をただ信じることです。

次に6節の意味する、十字架と復活の意味についてお話したいと思います。イエスさまは、「わが神、わが神、なぜ、わたしをお見捨てになったのですか」、と言って亡くなられました。・・・・なぜ、イエスさまが、神から見捨てられるのですか、・・・なぜ、神は愛するわが子を見捨てたのですか、・・・・・というこうした疑問は普通に、誰にもでもあるかもしれません。・・・・しかし、十字架は確かに、神からの見捨て、・・・それは神の裁きによる死を、意味しています。それゆえ、キリストは文字通り「どうして私をお見捨てになったのですか」、と叫んで死なれたのです。しかもこの、キリストの十字架において起きた神の裁きは、ただ、キリストの身の上にだけ起きたことなのです。これは強調しておくべきことです。なぜなら、本来、裁かれるべきは、キリストではなくて、神に背を向けて、自己中心に生きていきている私たちであるからです。・・・・・しかし、それを、・・・神さまは、わたし達にではなく、キリストの身に負わされたのです。
・・・ですから十字架は、キリストの側から言えば、神がキリストをお見捨てになられ、神がキリストを裁かれた、という出来事なのです。
しかし、その神はイエス・キリストを死者の中から甦(よみがえ)、させられました。この信じられないような出来事において、・・・十字架の意味は全く、・・・逆転してしまいます。甦りのこの出来事において、・・・キリストの十字架は、神の見捨てによる死でもなく、神の裁きによる死でもなくなります。・・・・キリストがわたし達の身代となり十字架に架かってくださった、というこれまた信じられないような福音の出来事となったのです。
・・・・・ですから、イエス・キリストを主と信じるものにとって、・・・・神に不従順であった罪は、このキリストが十字架で流された血により、洗い清められた、とそういうことができるのです。「子よ、あなたの罪は赦された」、というキリストの宣言が、ご自身の十字架によって完全な形で成し遂げられた、ということができるのです。私たちキリスト者で、「神の、赦しなしで生きられる人はいるでしょうか」、赦されているという恵みは、・・・・その赦しは、・・この十字架にこそ源流があるのです。
・・・何と言う恵みでしょうか。・・・・奴隷船の船長をしていて、回心して後、牧師となったジョン、ニュートンは、この比類なき、くすしき神の恵みを、讃美歌にしました。日本語の題では、「いかなる恵みぞ」、・・・・英語の題では、「アーメンジングレース」がそうです。・・・この讃美歌ほどクリスチャン、ノンクリスチャンを問わず、多くの人の魂を揺さぶる、讃美歌は他にはないのでは、ないでしょうか。▲(ここで宮崎宗親兄)・・・十字架の恵み、・・・全世界の教会に十字架が立てられていますが、その十字架はアーメジンググレース同様、比類なき神の恵みの象徴です。

また、先ほど申し上げたように使徒パウロは、「自分は甦りのイエス・キリストに遇った」、と証言しています。その甦りのキリストとの出会いにより、パウロも自身も回心へと導かれました。そしてパウロは復活についてこう言っています。「キリストは死者の中から復活し、眠りについた人のなかで、最初の人となられた」(コリント15:20)・・・・・キリストが復活した後で、先に神の元にいった私たちの愛するものも甦る、とパウロはそのように言うのです。更に、「キリストに結ばれて死んだ人たちが、まず、最初に復活し、それから、わたし達生き残っている者が、空中で主と出会うために、彼らと一緒に雲につつまれて引き上げられます」(テサロニケ1 4:16-17)・・・・・・愛するものと再び会えるというのです。・・・・更にパウロはこうも言います。「死は勝利に飲み込まれた」(コリント1 15:54)・・・・・これは、死は最後のものではない、ということを意味します。・・・死に最後の言葉を語らせない。・・死は永遠の命へ至る通路にすぎないということも語っています。・・・・・・・パウロは復活についてもっともっと沢山語っていますが、パウロが復活について語っている言葉の数々を、一つに束ねてみるなら、それは希望を語っている、ということでしょう。・・・「いつまで残るのは信仰と希望と愛」・・・・・復活はその希望だ、とそういえるのだと思います。ポーランドのアウシュビッツ強制収容所で生き残った、ビクトール・フランクルは、収容所生活で希望を失ったものは、次々と死んでいった、と言います。しかし、「愛する者とまた会える」、という再会の希望を持った者は生き残ったと言っています。
・・・・・希望・・・愛する者を失い、失意の中にあるものにとって、・・・愛するものと再び会える、という希望はどれほどの慰めになるでしょうか。・・また、人生に行き詰っているものにとって、今が永遠に続くものでないこと、暗闇から必ず光が差し込むということ、・・その希望はどれだけ力になるでしょうか。

イースターのこの日、
・・・・・・主は甦られた・・・・・この喜ばしい福音を、共に分かち合い、私たちも多くの人に伝えようではありませんか。

お祈りしましょう
 希望と慰めの源である天の神さま、み名を崇めて心から讃美します。今日のみ言をありがとうございます。甦りのキリストのくすしきみ業を覚えて心から感謝いたします。甦りのキリストが今も生き給い、いつも私たちの傍にいて、わたし達を支え、護って、励まし、慰めてくださいますから、ありがとうございます。
死をもって死を滅ぼし、罪の力に勝利した、・・・主イエス・キリストのみ名によって祈ります。
                                                  アーメン。


「主文、死刑を言い渡す」

2017年04月09日 | 日記
説教題:主文、死刑とする!
説教箇所:マルコによる福音書15章6節-15節


起、今日から受難週
  キリスト教会の暦で言えば、今日から受難週に入ります。受難週とは、イエスさまが大歓呼の声で迎えられ、それから十字架刑にて殺される1週間までのことです。棕櫚の主日と称される今日は、大勢の群衆が、イエスさまを、棕櫚の木の枝を持って熱狂的に迎えた日として記念されているのです。
 
承、聖書から
 さて、ユダヤの宗教指導者たちが、どの理由をもって、「イエスさまを死刑」にしようとしたのか、・・・それはイエスさまが、・・神を冒涜した、いう理由でした。しかし、その罪状は、ローマ総督府にとっては、いわば内輪の宗教上の問題でした。そこで彼らは知恵を絞り、「ユダヤの王を自称している」、「これはローマ帝国に対する反逆罪だと」、・・・イエスさまを政治犯として訴えました。・・・いわば、今日でいうところの法廷戦術であります。・・・
 
ここでの裁判官は、ローマ総督でもあるポンティオ・ピラトです。かれは絶対的権限をもっていました。だから、彼自身、実際、「俺次第で、お前はどうにもなるよ」、というようなことをイエスさまにも言っています。このピラトのことは4福音書のすべてに書かれています。後に教会は、使徒信条というものを作りますが、その中にも、「ポンティオ・ピラトのもとに苦しみ」、ということで記されている人物です。良くも悪くも、彼の名は、おそらくキリスト教が続く限り、覚え続けられるでしょう。ともあれ、4つの福音書を読んでそこから透けてくるピラトの人物像は、「凡庸な人ではなかった」、と言えましょう。だから、彼は、・・・ユダヤ人達の訴えが実は単なる口実で、その本音は、ねたみからでたことであると見抜いていました。だから、ピラトは何度か、「この男に罪は見いだせない」、と釈放の提案をしているくらいです。
 
 しかし、群衆は「十字架につけろ!」「十字架につけろ!」、と叫び止みません。そこで、ピラトはそれ以上、イエスをかばい立てすることが、自分の利益にならないとして、妥協して、バラバを釈放し、イエスさまを十字架につけることを了承したのです。・・・・ここまでが今日の聖書のあらましです。・・これが説教題、「主文、死刑を言い渡す」の背景です。
 

転、
 さて、今日の聖書個所に登場する人たちの人となりを、それぞれ見てみたいと思います。6節には、ピラトが出てきます。7節には、人殺しをした暴徒、・・バラバと言われる人物がいます。8節には、群衆がいます。10節には、祭祀長がいます。15節には、具体名は記されていませんが、イエスさまを引き取った兵士が登場します。

まず最初の人物のピラトは、先程申し上げたように、この裁判の本質が、「ねたみからでたこと」、とよく解っていました。ピラトの言動からして、彼は、次々と起きる物事の本質が何であるか、あるいはその時の人々の心がどうであるか、手に取るようにわかる人だったと思います。それであるからこそ、彼は高級官僚として属領、ユダヤの支配者として君臨できたのです。役人の常として彼は、・・・用心深く、利益とリスクを絶えず天秤にかけ、・・・・いつも利益をとっていくタイプだったと思われます。・・・・・だから、これ以上、イエスさまをかばい、もし、暴動にでもなれば、ローマ帝国から、管理能力のない総督だ、として烙印を押されてしまう、・・・・そんなリスクは負いたくないし、負わない!・・・・ 妻があの男には手をくだすなというけど、たかが一人のユダヤ人ではないか! 冤罪だとわかっていても自分の身を守るためなら、だれかが犠牲になることは仕方がない、・・・こう考えたでありましょう。・・・・こう考える人なら、今でも、・・・どこにでもいます。

 暴徒とは、暴動の時、人殺しをした人物として描かれています。・・・・聖書学者は、バラバを当時の宗教団体、ローマから独立を勝ち取ろうと活動した熱心党の党首だった、と考えているようです。だから、自分達の理想実現のためには、敵対する者を殺してもいい、・・・・・読みこみすぎかもしれませんが、・・・バラバはそういう人物だったのかもしれません。・・・・・であれば、かってのオーム真理教の狂信的な宗教指導もそうでありましょう。また、北朝鮮のような全体主義体制もそうでありましょう。・・・・・こういうことなら、今日も、色の濃淡はあれ、・・・そう言う人、団体はありましょう。

 群衆とは、・・・・この群衆は、ほんの数日前は、イエスさまを「ホサナ」、(ああ、救い給え!)と大歓呼で迎えました。ところが、その群衆が、今度は祭祀長達の扇動で、・・・「十字架につけろ」、と180度、態度を変えてしまうのです。・・・・ところでどうして扇動されたのでしょうか・・・・当時、モラルが低かった時代、人を動かしていたのは、「賄賂」でした。・・・・「十字架につけろ!」、と大声を出すだけでいいならそうしよう。と、そう思ったのかもしれません。・・・・・この頃はうるさくなりあまりききませんが、・・・「・・・・○○に1票いれてくれたら、1万円くれるというなら、・・誰にもわからないし、そうしよう」、・・・こういう話ならつい最近までありました。

また、群衆は、ユダヤ各地から集まってきていました。過ぎ越しの祭りにはそうしたのです。群衆は、今日の私たちと同じように出身も違えば、考えも違います。・・・・・しかし、彼ら、群衆にも共通した思いがありました。それは、異邦人、ローマ帝国を追っ払って、かってのダビデ王朝を復活してくれる「真の救い主の到来」、だったのです。・・・この人がそうだと期待し、大歓迎もしたのに、・・・・何のことはない、「神の国など」、・・目に見えない訳のわらないことを言って、・・・・自分達が待ち焦がれた救い主ではなかった!・・・・全く期待が裏切られた!・・・かわいさ余って憎さ100倍!
・・・・・・・2014年の衆議院選挙で民主党が敗北しました。その選挙で、民主党に×をつけ、自民党に○を付けた人達も、自分たちの期待が裏切られたということにおいて、これに近いのではないでしょうか。・・・・一般化していうなら、このように群衆は豹変します。・・・・自分の期待に応えてくれる限り満足し、期待を裏切った人などは、何の価値もない、落ちぶれようが、死刑になろうと知ったことではない・・・・それが群衆だと言えましょう。・・・・今日のマスコミ、・・・褒めちぎっておきながら、ある時から、一転して叩きまくる、・・・・それならそれも、今日の日常風景であります。

 ・・・・しかし、「豹変しなかった人」はいたのです。・・それはイエスさまの故郷、ガリラヤからついてきた群衆だというのです、・・・彼らは最後まで、その数は多くはなかったようですが、・・・・イエスさまに対する思いを変えなかったのです。それは、マルコによる福音書の15章40節に、小さく記されている人々です。その人たちのことを聖書は控えめに「この婦人達は、イエスがガリラヤにおられた時、イエスに従ってきて世話をしていた人々である」、・・・・いつの時代も、見捨てる人がいれば、このようにどこまでも付いて行く人がいる、・・・・それも群衆というものではないでしょうか。・・・群衆とは、・・・・「あれだ」、と決めつけるものでもなく、・・「あれであるし」、「これでもある」のです。

 次に、祭祀長たちです。資料を読むと、ユダヤ人の最高議院は、サドカイ派、パリサイ派、長老、という人々、・・12名程度の人々で構成されていたようです。彼らは行政権と裁判権をもっていました。だからこの人達がイエスさまを裁いたのです。・・・しかし、聖書には、その彼らが、「イエスさまをねたんだ」、ということを明白に記しています。このようにねたみの気持ちは、それも男のねたみは、・・人を死に追いやるのですね!・・ところでねたみとは、・・自分が欲しいものを、相手がそれ以上に豊かにもっている、・・・・そう思った時、・・起きるようです。・・そういえば、音楽の才など全くない、とそう自任しているわたしは、・・・上手に奏楽している人を見て、ただ素晴らしいと思うだけで、ねたみが起きたことはありません。・・・でも、同業の牧師の働きに対し、あるいはすばらしい説教をされることに対し、・・・ねたみがないとは言いません。自分も牧師として、多少「何者か」、という自意識があるからでありましょう。
・・・・・・ともあれ祭祀長たちは、民衆から今までのように尊敬の眼差しで見られていたかった、・・しかし、民衆はこぞってイエスさまの方にその心が向いてしまった!・・・ヨハネによる福音書には、「見よ、何もしても無駄だ、世をあげてあの男についていったではないか!」、(ヨハネ12:19)、とねたみの感情を通り過ぎ、憎々しげに語る、彼らの心の内が描かれているのです。

 最後は、ローマの兵士です。彼らは肩書さえも、ましてやここでは名前さえ記されていません。ただ、イエスさまを「十字架につけるため引き取った」、役割上の人物としてそこにいた、とされる人物です。彼らは、権力のある人物には、表向き従順です。しかし、弱いものには態度を180度変えて、今度は自分が権力者となってしまうのです。・・・・弱い立場になってみて、弱い人のことはよくわかるはずなのに、今度は自分が弱い人に対する支配者になってしまう。・・・・人間とは何と悲しい動物なのでしょうか。・・・ローマの兵士たちも、自分が小さなピラトになり、権力を好き勝手に行使しています。16節以降に記されていますが、・・・イエスさまを散々、なぶりものにして自分達の憂さ晴らしをしています。・・・・・・こういう姿をみると、今日、いじめられっ子だったのが、今度は、いじめっ子になる構図と似ているように思え、・・・わたしは人間の罪深さを思われ、悲しくなるのです。

 
結、わたしも死刑判決に同意した!
  使徒、パウロは、ローマの信徒への手紙というのを書いていますが、その中で、「正しい人はいない!一人もいない!」、・・・・とそれこそ断罪しています。その意味は、人間の本質として、神の前には、「正しい人はいない」、・・・それも強調していうなら、「一人もいない」、ということです。

今、ピラト、暴徒、祭祀長、群衆、兵士とみてきましたが、その内、・・・誰一人、神の前に正しい人はいませんでした。誰もが、罪を抱えていました。ピラトは、自分を護るためには正義を貫くことを犠牲にしました。暴徒は自分の主義主張のためなら人も殺しました。群衆は、自分の望みを叶えてくれないとわかると態度を豹変させました。祭祀長は、自分のプライドを守るためなら、人を扇動し、殺してしまうことなど厭いませんでした。兵士は、弱い立場にある人をなぶりものにしました。・・・・・これらの者たちに、もし櫛をさすなら、・・・・突き刺さる、それは「自己中心性」、だということができましょう。そのすべて者たちに、「自分中心」を見ることができます。使徒パウロは、これを罪と呼びました。

ところで、私たちはこのように彼らの罪深さを、一様に、えぐり出すことができました。・・・・・しかし、そういう私たちも、今度は、彼らから、・・・・ピラトから、暴徒から、祭祀長から、群衆から、そしてローマの兵士から、問われるのでありましょう、・・・・「あなたもイエスの十字架の傍にいなかったのか」・・・・・・と。

・・・・そう言われれば、私たちも本質として、小さなピラトであり、小さな暴徒であり、小さな祭祀長であり、・・・・小さなローマの兵士ではないでしょうか。・・・・・・自分だけは違う、といえる人はいるでしょうか!
・・・・だとすれば、私たちもイエスさまも死刑判決に、・・・小さく頷いた一人であります。

しかし、イエスさまは、・・・・・ただ、「わが神、わが神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか」、と叫ばれて十字架にて絶命されました。小さく頷いた私たちを責められていません。

後に、このイエスさまの十字架の死が、・・・「私の罪のあがないのための死だった」、「この人の受けた傷により自分は生かされているのだと」、ということが、弟子たちにもやっとわかったのです。

それから、人々はこのことを、・・福音、すなわち「よき知らせ」、と呼ぶようになりました。なぜなら死ぬべきは、罪びとであったわたしであったのに、・・・・・代わりにイエスさまが死んでくださったからです。

私達は、この受難週、・・・何をもって、  これに応答するのでしょうか


お祈りしましょう。    全知全能にして不変なる方、み名を讃えて心から讃美します。
今日も聖書から、私たちが罪多きものでありながら、イエスさまの十字架の恵みによって、救われていることを思い起こさせてくださり心から感謝します。

ぞうぞ、この週、イエスさまの受難を自らのことして歩む週でありますように。

 この祈りを主イエス・キリストの名を通して祈ります。
                                               アーメン。

「主文、死刑を言い渡す」

2017年04月09日 | 日記
説教題:主文、死刑とする!
説教箇所:マルコによる福音書15章6節-15節


起、今日から受難週
  キリスト教会の暦で言えば、今日から受難週に入ります。受難週とは、イエスさまが大歓呼の声で迎えられ、それから十字架刑にて殺される1週間までのことです。棕櫚の主日と称される今日は、大勢の群衆が、イエスさまを、棕櫚の木の枝を持って熱狂的に迎えた日として記念されているのです。
 
承、聖書から
 さて、ユダヤの宗教指導者たちが、どの理由をもって、「イエスさまを死刑」にしようとしたのか、・・・それはイエスさまが、・・神を冒涜した、いう理由でした。しかし、その罪状は、ローマ総督府にとっては、いわば内輪の宗教上の問題でした。そこで彼らは知恵を絞り、「ユダヤの王を自称している」、「これはローマ帝国に対する反逆罪だと」、・・・イエスさまを政治犯として訴えました。・・・いわば、今日でいうところの法廷戦術であります。・・・
 
ここでの裁判官は、ローマ総督でもあるポンティオ・ピラトです。かれは絶対的権限をもっていました。だから、彼自身、実際、「俺次第で、お前はどうにもなるよ」、というようなことをイエスさまにも言っています。このピラトのことは4福音書のすべてに書かれています。後に教会は、使徒信条というものを作りますが、その中にも、「ポンティオ・ピラトのもとに苦しみ」、ということで記されている人物です。良くも悪くも、彼の名は、おそらくキリスト教が続く限り、覚え続けられるでしょう。ともあれ、4つの福音書を読んでそこから透けてくるピラトの人物像は、「凡庸な人ではなかった」、と言えましょう。だから、彼は、・・・ユダヤ人達の訴えが実は単なる口実で、その本音は、ねたみからでたことであると見抜いていました。だから、ピラトは何度か、「この男に罪は見いだせない」、と釈放の提案をしているくらいです。
 
 しかし、群衆は「十字架につけろ!」「十字架につけろ!」、と叫び止みません。そこで、ピラトはそれ以上、イエスをかばい立てすることが、自分の利益にならないとして、妥協して、バラバを釈放し、イエスさまを十字架につけることを了承したのです。・・・・ここまでが今日の聖書のあらましです。・・これが説教題、「主文、死刑を言い渡す」の背景です。
 

転、
 さて、今日の聖書個所に登場する人たちの人となりを、それぞれ見てみたいと思います。6節には、ピラトが出てきます。7節には、人殺しをした暴徒、・・バラバと言われる人物がいます。8節には、群衆がいます。10節には、祭祀長がいます。15節には、具体名は記されていませんが、イエスさまを引き取った兵士が登場します。

まず最初の人物のピラトは、先程申し上げたように、この裁判の本質が、「ねたみからでたこと」、とよく解っていました。ピラトの言動からして、彼は、次々と起きる物事の本質が何であるか、あるいはその時の人々の心がどうであるか、手に取るようにわかる人だったと思います。それであるからこそ、彼は高級官僚として属領、ユダヤの支配者として君臨できたのです。役人の常として彼は、・・・用心深く、利益とリスクを絶えず天秤にかけ、・・・・いつも利益をとっていくタイプだったと思われます。・・・・・だから、これ以上、イエスさまをかばい、もし、暴動にでもなれば、ローマ帝国から、管理能力のない総督だ、として烙印を押されてしまう、・・・・そんなリスクは負いたくないし、負わない!・・・・ 妻があの男には手をくだすなというけど、たかが一人のユダヤ人ではないか! 冤罪だとわかっていても自分の身を守るためなら、だれかが犠牲になることは仕方がない、・・・こう考えたでありましょう。・・・・こう考える人なら、今でも、・・・どこにでもいます。

 暴徒とは、暴動の時、人殺しをした人物として描かれています。・・・・聖書学者は、バラバを当時の宗教団体、ローマから独立を勝ち取ろうと活動した熱心党の党首だった、と考えているようです。だから、自分達の理想実現のためには、敵対する者を殺してもいい、・・・・・読みこみすぎかもしれませんが、・・・バラバはそういう人物だったのかもしれません。・・・・・であれば、かってのオーム真理教の狂信的な宗教指導もそうでありましょう。また、北朝鮮のような全体主義体制もそうでありましょう。・・・・・こういうことなら、今日も、色の濃淡はあれ、・・・そう言う人、団体はありましょう。

 群衆とは、・・・・この群衆は、ほんの数日前は、イエスさまを「ホサナ」、(ああ、救い給え!)と大歓呼で迎えました。ところが、その群衆が、今度は祭祀長達の扇動で、・・・「十字架につけろ」、と180度、態度を変えてしまうのです。・・・・ところでどうして扇動されたのでしょうか・・・・当時、モラルが低かった時代、人を動かしていたのは、「賄賂」でした。・・・・「十字架につけろ!」、と大声を出すだけでいいならそうしよう。と、そう思ったのかもしれません。・・・・・この頃はうるさくなりあまりききませんが、・・・「・・・・○○に1票いれてくれたら、1万円くれるというなら、・・誰にもわからないし、そうしよう」、・・・こういう話ならつい最近までありました。

また、群衆は、ユダヤ各地から集まってきていました。過ぎ越しの祭りにはそうしたのです。群衆は、今日の私たちと同じように出身も違えば、考えも違います。・・・・・しかし、彼ら、群衆にも共通した思いがありました。それは、異邦人、ローマ帝国を追っ払って、かってのダビデ王朝を復活してくれる「真の救い主の到来」、だったのです。・・・この人がそうだと期待し、大歓迎もしたのに、・・・・何のことはない、「神の国など」、・・目に見えない訳のわらないことを言って、・・・・自分達が待ち焦がれた救い主ではなかった!・・・・全く期待が裏切られた!・・・かわいさ余って憎さ100倍!
・・・・・・・2014年の衆議院選挙で民主党が敗北しました。その選挙で、民主党に×をつけ、自民党に○を付けた人達も、自分たちの期待が裏切られたということにおいて、これに近いのではないでしょうか。・・・・一般化していうなら、このように群衆は豹変します。・・・・自分の期待に応えてくれる限り満足し、期待を裏切った人などは、何の価値もない、落ちぶれようが、死刑になろうと知ったことではない・・・・それが群衆だと言えましょう。・・・・今日のマスコミ、・・・褒めちぎっておきながら、ある時から、一転して叩きまくる、・・・・それならそれも、今日の日常風景であります。

 ・・・・しかし、「豹変しなかった人」はいたのです。・・それはイエスさまの故郷、ガリラヤからついてきた群衆だというのです、・・・彼らは最後まで、その数は多くはなかったようですが、・・・・イエスさまに対する思いを変えなかったのです。それは、マルコによる福音書の15章40節に、小さく記されている人々です。その人たちのことを聖書は控えめに「この婦人達は、イエスがガリラヤにおられた時、イエスに従ってきて世話をしていた人々である」、・・・・いつの時代も、見捨てる人がいれば、このようにどこまでも付いて行く人がいる、・・・・それも群衆というものではないでしょうか。・・・群衆とは、・・・・「あれだ」、と決めつけるものでもなく、・・「あれであるし」、「これでもある」のです。

 次に、祭祀長たちです。資料を読むと、ユダヤ人の最高議院は、サドカイ派、パリサイ派、長老、という人々、・・12名程度の人々で構成されていたようです。彼らは行政権と裁判権をもっていました。だからこの人達がイエスさまを裁いたのです。・・・しかし、聖書には、その彼らが、「イエスさまをねたんだ」、ということを明白に記しています。このようにねたみの気持ちは、それも男のねたみは、・・人を死に追いやるのですね!・・ところでねたみとは、・・自分が欲しいものを、相手がそれ以上に豊かにもっている、・・・・そう思った時、・・起きるようです。・・そういえば、音楽の才など全くない、とそう自任しているわたしは、・・・上手に奏楽している人を見て、ただ素晴らしいと思うだけで、ねたみが起きたことはありません。・・・でも、同業の牧師の働きに対し、あるいはすばらしい説教をされることに対し、・・・ねたみがないとは言いません。自分も牧師として、多少「何者か」、という自意識があるからでありましょう。
・・・・・・ともあれ祭祀長たちは、民衆から今までのように尊敬の眼差しで見られていたかった、・・しかし、民衆はこぞってイエスさまの方にその心が向いてしまった!・・・ヨハネによる福音書には、「見よ、何もしても無駄だ、世をあげてあの男についていったではないか!」、(ヨハネ12:19)、とねたみの感情を通り過ぎ、憎々しげに語る、彼らの心の内が描かれているのです。

 最後は、ローマの兵士です。彼らは肩書さえも、ましてやここでは名前さえ記されていません。ただ、イエスさまを「十字架につけるため引き取った」、役割上の人物としてそこにいた、とされる人物です。彼らは、権力のある人物には、表向き従順です。しかし、弱いものには態度を180度変えて、今度は自分が権力者となってしまうのです。・・・・弱い立場になってみて、弱い人のことはよくわかるはずなのに、今度は自分が弱い人に対する支配者になってしまう。・・・・人間とは何と悲しい動物なのでしょうか。・・・ローマの兵士たちも、自分が小さなピラトになり、権力を好き勝手に行使しています。16節以降に記されていますが、・・・イエスさまを散々、なぶりものにして自分達の憂さ晴らしをしています。・・・・・・こういう姿をみると、今日、いじめられっ子だったのが、今度は、いじめっ子になる構図と似ているように思え、・・・わたしは人間の罪深さを思われ、悲しくなるのです。

 
結、わたしも死刑判決に同意した!
  使徒、パウロは、ローマの信徒への手紙というのを書いていますが、その中で、「正しい人はいない!一人もいない!」、・・・・とそれこそ断罪しています。その意味は、人間の本質として、神の前には、「正しい人はいない」、・・・それも強調していうなら、「一人もいない」、ということです。

今、ピラト、暴徒、祭祀長、群衆、兵士とみてきましたが、その内、・・・誰一人、神の前に正しい人はいませんでした。誰もが、罪を抱えていました。ピラトは、自分を護るためには正義を貫くことを犠牲にしました。暴徒は自分の主義主張のためなら人も殺しました。群衆は、自分の望みを叶えてくれないとわかると態度を豹変させました。祭祀長は、自分のプライドを守るためなら、人を扇動し、殺してしまうことなど厭いませんでした。兵士は、弱い立場にある人をなぶりものにしました。・・・・・これらの者たちに、もし櫛をさすなら、・・・・突き刺さる、それは「自己中心性」、だということができましょう。そのすべて者たちに、「自分中心」を見ることができます。使徒パウロは、これを罪と呼びました。

ところで、私たちはこのように彼らの罪深さを、一様に、えぐり出すことができました。・・・・・しかし、そういう私たちも、今度は、彼らから、・・・・ピラトから、暴徒から、祭祀長から、群衆から、そしてローマの兵士から、問われるのでありましょう、・・・・「あなたもイエスの十字架の傍にいなかったのか」・・・・・・と。

・・・・そう言われれば、私たちも本質として、小さなピラトであり、小さな暴徒であり、小さな祭祀長であり、・・・・小さなローマの兵士ではないでしょうか。・・・・・・自分だけは違う、といえる人はいるでしょうか!
・・・・だとすれば、私たちもイエスさまも死刑判決に、・・・小さく頷いた一人であります。

しかし、イエスさまは、・・・・・ただ、「わが神、わが神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか」、と叫ばれて十字架にて絶命されました。小さく頷いた私たちを責められていません。

後に、このイエスさまの十字架の死が、・・・「私の罪のあがないのための死だった」、「この人の受けた傷により自分は生かされているのだと」、ということが、弟子たちにもやっとわかったのです。

それから、人々はこのことを、・・福音、すなわち「よき知らせ」、と呼ぶようになりました。なぜなら死ぬべきは、罪びとであったわたしであったのに、・・・・・代わりにイエスさまが死んでくださったからです。

私達は、この受難週、・・・何をもって、  これに応答するのでしょうか


お祈りしましょう。    全知全能にして不変なる方、み名を讃えて心から讃美します。
今日も聖書から、私たちが罪多きものでありながら、イエスさまの十字架の恵みによって、救われていることを思い起こさせてくださり心から感謝します。

ぞうぞ、この週、イエスさまの受難を自らのことして歩む週でありますように。

 この祈りを主イエス・キリストの名を通して祈ります。
                                               アーメン。