説教題 「罪の赦し」
聖書個所:ローマ3:23-25
「人は皆、罪を犯して神の栄光を受けられなくなっていますが、ただキリスト・イエスによる贖いの業を通して、神の恵みにより無償で義とされるのです。神はこのキリストを立て、その血によって信じる者のために罪を償う供え物となさいました。それは、今まで人が犯した罪を見逃して、神の義をお示しになるためです。」(ロマ3:23~3:25 )
おはようございます
今朝は青年会の主催する礼拝となっています。その時は、神学生が説教を担当することになっていて、神学生である私が説教をすることになりました。年はややとっているが,心は若いと言うことにしていただきます。
さて、先ほど読んでいただきました聖書の箇所は、「ローマの信徒への手紙」の中のある聖句で、パウロという人によって書かれたものです。
この人はイエス様より10歳ほどは若く、ユダヤ名をサウロと呼ばれていました。イエス様は十字架にかかられたとき、33歳か34歳だと言われていますからサウロは23~24歳になっていたでしょう。あるいは「そのとき」、同じくエルサレムにいたかもしれません。
ユダヤ教の「律法」を徹底して学び、真剣に実行していた人でした。
この人は最初の殉教者、ステファノという人が、石打の刑で殺されるときの責任者として、最初に聖書に出てきます。ユダヤの首都エルサレムでも名の通った優秀な若者であったことがわかります。
使徒行伝7章58節には「都の外に引きずり出して石を投げ始めた。証人たちは、自分の着ている物をサウロという若者の足もとに置いた。」と書いています。
聖書によればこのサウロは、その後もキリスト教徒を見つけ出し、牢屋にぶち込み「殺そうと意気込んで」(使徒9:1)この事を熱心に続けていたとあります。
サウロは、キリスト教徒にとっては、現実にある死の恐怖であり、イエス様の敵・迫害者でもあったわけです。それ故聖書には「罪人の頭」(1テモテ1:15)とも書かれています。
その「敵」であり罪人の代表者のようなサウロを、復活のイエス様は救われその罪を赦されたのです。
サウロは、誰より熱心に真剣に神に仕え、学び、定められた律法を守って、積極的に生きて来ました。しかし救われたときのサウロに見えてきた真実は、「神の子の敵としてのサウロ」、「罪人の頭サウロ」でした。
しかもすでにその罪が、神の子イエス・キリストの十字架の贖いによって、引き取られてしまっていたことのです。そしてそれ故に、「神の前に罪のない者」でした。
私たちの世の常識的感覚では「なんで?」となる出来事ではないでしょうか。
イエス様はこのことを通じて私たちに、「これがキリスト教なのだよ」「み言葉の本当の意味だよ」、「このことに気づきなさい」とおしえておられるのです。
サウロが救われるの有様を、聖書は非常に具体的に書いています。
「ところが、サウロが旅をしてダマスコに近づいたとき、突然、天からの光が彼の周りを照らした。サウロは地に倒れ、「サウル、サウル、なぜ、わたしを迫害するのか」と呼びかける声を聞いた。「主よ、あなたはどなたですか」と言うと、答えがあった。「わたしは、あなたが迫害しているイエスである。」(使徒9:3~9:5)
「神が御子を世に遣わされたのは、世を裁くためではなく、御子によって世が救われるためである」というみ言葉がヨハネ3:17にあります。この父なる神の意志に従い、人間の罪をあがない、十字架につかれたイエス様の救いが、先に行われていました。
「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。」(3:16)とありますが、そのことの「具体的なあらわし」がこの出来事でした。
このことをパウロは、自らの経験を通して、私たちに以下のように教えています。
「しかし、わたしたちがまだ罪人であったとき、キリストがわたしたちのために死んでくださったことにより、神はわたしたちに対する愛を示されました。」(ロマ5:8)「敵であったときでさえ、御子の死によって神と和解させていただいたのであれば、和解させていただいた今は、御子の命によって救われるのはなおさらです。」(ロマ5:10)
パウロ(サウロ)はイエス・キリストに生涯をささげる者となりました。
この出来事は、聖霊の導きによって聖書に書き記されました。この出来事を書き記すことによって、イエス様は、私たちがどのように、どちらを向いて生きるべきかをも併せて示されているのです。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
さてパウロはそうでした。では今の私たちにはどのように示されているのでしょうか。最初の説教ですので、私の場合を少し話させていただきます。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
子供の頃の私は、いわゆる性の悪い子供でした。母がある晩、布団の上で私を見ながら、
「ほんて、こがん子を産まんけりゃよかった。流してしまおて思っとったとばってん、流せば監獄に入れられたけん、産んだらこがん子が生まれてきてしもて・・」と言いました。
今なら、「つらかった母親が、子供に当たってしまっただけのこと」とわかります。しかし、4年生だった私は強いショックを受け、心が少し壊れました。
「生まれて来てはいけない者だったのだ」というその時の思いは、「生きる理由がない」となり、その後もいろいろな形に姿を変えながら、根深く残り続けました。
それは、イエス・キリストに出会い、その恵みの呼びかけを受けるまで、私を虚無の下に置く底流になりました。
そのようなこともあり、若い頃の私は、「人生には何の意味もない。私自身にも何の価値もない。生まれてこなければ良かった、死ねないから生きている」と考えていました。
意味のない人生に意味を与えるためには「人のために働くこと」と考え、そのように務めました。しかし心の奥底には「おまえの生き方は本物か」という問いかけが何処かにありました。
「人のために働くこと」と考え、大学の生活協同組合の運動に従事してきました。いわゆる生協は、「一人はみんなのために・みんなが一人のために」がそのスローガンです。
学内に店舗を持ち活動します。生活協同組合運動は経営体でもあり、また人間の組織でもありますから様々なことが起こります。
特に1970年代の大学生協では、安易に、理想に燃えた言葉を語り、語りながら結局は、自分達の目前の存在におもねる力しか持ちませんでした。そして破綻していきました。
私が再建のために呼ばれた九州大学の生協は、当時パートさんを含め、260人近い人が働いたと記憶しています。10年近く赤字が続いており、大きな負債があり、ここ数年給料も据え置かれたままとなっていました。
職員内部は分裂し争いが続き、感情的なもつれとなってしまっていました。このまま行けば倒産は避けられない状況でした。
すぐそこにある倒産の危機を防ぐため、緊急的な対策を取らざるを得ませんが、そこで一番つらいのは「首切り」です。
パートさんを含め、少なくとも60人ぐらいは、すぐにでも減らさなければ、運動の継続も、仕事の改善も、何も出来ない状況でした。
自分では「人のために生きる」としながら、現実には60人近い人を首切るわけです。放り出された人、その家族には次の仕事があるかどうかわかりません。「私は何をしているのか」と思いながら、残る200人のためにと、「首切り屋」と言われながら、再建と改革の仕事をすすめました。
5年もすると経営は立ち直り、給料は倍近くまで上がり、駐車場の職員の車も、軽のボロ車から次々と新車に変わっていきました。
経営改革というものは、そこで立ち止まってしまっては、また何年かすると、以前の状態へ逆戻りするものです。
しかし食べられるようになると、職員のある人たちは、「これで良い、これ以上の努力はイヤだ」と言いはじめました。
それは、「仲間の首は自分たちでは切れないので、生き残るために、外部から私を呼ばざるを得なかった。が、それはもう済んだ。」と言うことでもあったと思います。
その結果は、連日の、深夜に及ぶ団体交渉となります。彼らの立場からするとそれはその限りでは正義の主張であり、正しい要求でもあるわけです。私はとにかく「首切り」をした本人です。悪口雑言が浴びせられ、物が飛んでもきました。
「私は何をして来たのだろう。」「人間とは一体何か。」その間(かん)このような思いが胸をよぎります。この問いは私の身体をむしばみ、私の体力と内臓を痛めつけました。
世の仕組みに根本的な問題はあるとしても、この現実の有り様は何なんだろうか。
それは昨日まで笑って挨拶しあっていた者を、今日は互いの心を背けさせ敵どうしにする。妥協はあってもそれはあくまで形式的なものとなる。
人は本来わかり合えない存在なのだろうか、と深刻に考えました。
「やはり人間は最後まで一人であり、人が真に連帯し生きてゆくことは絶対的に不可能なのだ。つき詰めていけば、それは人と人の間に絶対的に超えられない“死”という底の見えない谷間、隔絶と終わりがあるためだろう」。
根源的には、「“死”に規定された人間の存在そのもの」のありようから来るのだろうと、考えるようになりました。それが私の結論でした。
この人達にも私にも、どちらにしても希望はありません。「一応食べていけるようにはしたので」とむなしい感情を持って退職しました。
その後、4年生のあの時以来持ち続けてきた「虚無」に、さらに加えられたこの思いは、「おまえは何者か」と私を問い続けました。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
そしてついにイエス様との出会いがありました。聖霊のみ働きは、連れ合いの神学校での学びを契機に、私を聖書、それもマルコ福音書にたどり着かせ、バプテスト教会へと導きました。
そしてそこでイエス・キリストが私を救われていたことを知りました。
そこでは、イエス様は
「私はまさにあるがままのあなたを愛する。 あなたの正しさでもなく、 あなたの謙遜さでもなく、 あなたの信仰でもなく、 あれこれのあなたの業績でもなく、 あなたそのものを愛する。・・虚しさにまみれたそのあなたを、赦し受け入れる」と言われていました。
「おまえは生きて良い」と言われていると感じました。
私のためにも、イエス・キリストの「十字架と復活の出来事」があったのでした。
救われて初めて、人間が罪の生き物でしかないこと、今までの、生きる苦しみは、そこに根源があったこと、このどうしようもない苦しみは、イエス様に依る事でしか解決できなかったことを知りました。
「だれがわたしを救ってくれるでしょうか。わたしたちの主イエス・キリストを通して神に感謝いたします。」(ロマ7:25)この言葉は、私にとっても最後の言葉、救いのみ言葉でした。
私が追い続けた、「自分自身を拒否しながら人のために働くこと」は、不可能なことであり、結局は、救いのない人間の間違いへと、行ってしまうことであったのです。
「絶対的に超えられない死によって、人は絶対的に隔てられ、孤独な存在とならざるをえない」という、結論と実感は消え去りました。
私にとって、福音は、なによりも先ず、あの「死」がもはや乗り越えられたこと。それは、「形だけのものに変えられてしまったこと」を告げ知らせる、喜びの知らせなのでした。
それは、私には「十字架の救い・恵みの力」によって、隔てなく助け合える立場に移されているのだ、ということを意味していました。
ここに教会の希望あります。教会はそのことを知っているからです。これを取って離さないようにしましょう。
今日も明日も、私たちはあれこれと悩み苦しみますが、「にもかかわらず」すべては解決されているのだとイエス様は言われます。
私たちは胸の中に、「いつまでも燃え続けるカイロ」を持たせてもらっているのです。だから、心は冷えても、凍り付いてしまうことはないのです。いつか必ず、温かい体に戻ります。
イエス様は、私にも、あなたにも、「試練と共に、それに耐えられるよう、逃れる道をも備えていてくださいます。」(1コリント10:13)
自分と和解し、隣人と連帯し、自分と人々の幸せのために生きなさい! 喜んで感謝しながら、その戦いに加わりなさい!
「主は救い。主はいつもあなたと共に」とみ言葉は告げています。
お祈りします。
この機会を与えてくださいましたことに感謝します。語る者と聞く者の上への聖霊の注ぎに感謝します。この教会がますますあなたのみ旨にそうものとなりますようにお導きください。この祈りをイエス様のみ名を通してお祈りいたします。アーメン
聖書個所:ローマ3:23-25
「人は皆、罪を犯して神の栄光を受けられなくなっていますが、ただキリスト・イエスによる贖いの業を通して、神の恵みにより無償で義とされるのです。神はこのキリストを立て、その血によって信じる者のために罪を償う供え物となさいました。それは、今まで人が犯した罪を見逃して、神の義をお示しになるためです。」(ロマ3:23~3:25 )
おはようございます
今朝は青年会の主催する礼拝となっています。その時は、神学生が説教を担当することになっていて、神学生である私が説教をすることになりました。年はややとっているが,心は若いと言うことにしていただきます。
さて、先ほど読んでいただきました聖書の箇所は、「ローマの信徒への手紙」の中のある聖句で、パウロという人によって書かれたものです。
この人はイエス様より10歳ほどは若く、ユダヤ名をサウロと呼ばれていました。イエス様は十字架にかかられたとき、33歳か34歳だと言われていますからサウロは23~24歳になっていたでしょう。あるいは「そのとき」、同じくエルサレムにいたかもしれません。
ユダヤ教の「律法」を徹底して学び、真剣に実行していた人でした。
この人は最初の殉教者、ステファノという人が、石打の刑で殺されるときの責任者として、最初に聖書に出てきます。ユダヤの首都エルサレムでも名の通った優秀な若者であったことがわかります。
使徒行伝7章58節には「都の外に引きずり出して石を投げ始めた。証人たちは、自分の着ている物をサウロという若者の足もとに置いた。」と書いています。
聖書によればこのサウロは、その後もキリスト教徒を見つけ出し、牢屋にぶち込み「殺そうと意気込んで」(使徒9:1)この事を熱心に続けていたとあります。
サウロは、キリスト教徒にとっては、現実にある死の恐怖であり、イエス様の敵・迫害者でもあったわけです。それ故聖書には「罪人の頭」(1テモテ1:15)とも書かれています。
その「敵」であり罪人の代表者のようなサウロを、復活のイエス様は救われその罪を赦されたのです。
サウロは、誰より熱心に真剣に神に仕え、学び、定められた律法を守って、積極的に生きて来ました。しかし救われたときのサウロに見えてきた真実は、「神の子の敵としてのサウロ」、「罪人の頭サウロ」でした。
しかもすでにその罪が、神の子イエス・キリストの十字架の贖いによって、引き取られてしまっていたことのです。そしてそれ故に、「神の前に罪のない者」でした。
私たちの世の常識的感覚では「なんで?」となる出来事ではないでしょうか。
イエス様はこのことを通じて私たちに、「これがキリスト教なのだよ」「み言葉の本当の意味だよ」、「このことに気づきなさい」とおしえておられるのです。
サウロが救われるの有様を、聖書は非常に具体的に書いています。
「ところが、サウロが旅をしてダマスコに近づいたとき、突然、天からの光が彼の周りを照らした。サウロは地に倒れ、「サウル、サウル、なぜ、わたしを迫害するのか」と呼びかける声を聞いた。「主よ、あなたはどなたですか」と言うと、答えがあった。「わたしは、あなたが迫害しているイエスである。」(使徒9:3~9:5)
「神が御子を世に遣わされたのは、世を裁くためではなく、御子によって世が救われるためである」というみ言葉がヨハネ3:17にあります。この父なる神の意志に従い、人間の罪をあがない、十字架につかれたイエス様の救いが、先に行われていました。
「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。」(3:16)とありますが、そのことの「具体的なあらわし」がこの出来事でした。
このことをパウロは、自らの経験を通して、私たちに以下のように教えています。
「しかし、わたしたちがまだ罪人であったとき、キリストがわたしたちのために死んでくださったことにより、神はわたしたちに対する愛を示されました。」(ロマ5:8)「敵であったときでさえ、御子の死によって神と和解させていただいたのであれば、和解させていただいた今は、御子の命によって救われるのはなおさらです。」(ロマ5:10)
パウロ(サウロ)はイエス・キリストに生涯をささげる者となりました。
この出来事は、聖霊の導きによって聖書に書き記されました。この出来事を書き記すことによって、イエス様は、私たちがどのように、どちらを向いて生きるべきかをも併せて示されているのです。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
さてパウロはそうでした。では今の私たちにはどのように示されているのでしょうか。最初の説教ですので、私の場合を少し話させていただきます。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
子供の頃の私は、いわゆる性の悪い子供でした。母がある晩、布団の上で私を見ながら、
「ほんて、こがん子を産まんけりゃよかった。流してしまおて思っとったとばってん、流せば監獄に入れられたけん、産んだらこがん子が生まれてきてしもて・・」と言いました。
今なら、「つらかった母親が、子供に当たってしまっただけのこと」とわかります。しかし、4年生だった私は強いショックを受け、心が少し壊れました。
「生まれて来てはいけない者だったのだ」というその時の思いは、「生きる理由がない」となり、その後もいろいろな形に姿を変えながら、根深く残り続けました。
それは、イエス・キリストに出会い、その恵みの呼びかけを受けるまで、私を虚無の下に置く底流になりました。
そのようなこともあり、若い頃の私は、「人生には何の意味もない。私自身にも何の価値もない。生まれてこなければ良かった、死ねないから生きている」と考えていました。
意味のない人生に意味を与えるためには「人のために働くこと」と考え、そのように務めました。しかし心の奥底には「おまえの生き方は本物か」という問いかけが何処かにありました。
「人のために働くこと」と考え、大学の生活協同組合の運動に従事してきました。いわゆる生協は、「一人はみんなのために・みんなが一人のために」がそのスローガンです。
学内に店舗を持ち活動します。生活協同組合運動は経営体でもあり、また人間の組織でもありますから様々なことが起こります。
特に1970年代の大学生協では、安易に、理想に燃えた言葉を語り、語りながら結局は、自分達の目前の存在におもねる力しか持ちませんでした。そして破綻していきました。
私が再建のために呼ばれた九州大学の生協は、当時パートさんを含め、260人近い人が働いたと記憶しています。10年近く赤字が続いており、大きな負債があり、ここ数年給料も据え置かれたままとなっていました。
職員内部は分裂し争いが続き、感情的なもつれとなってしまっていました。このまま行けば倒産は避けられない状況でした。
すぐそこにある倒産の危機を防ぐため、緊急的な対策を取らざるを得ませんが、そこで一番つらいのは「首切り」です。
パートさんを含め、少なくとも60人ぐらいは、すぐにでも減らさなければ、運動の継続も、仕事の改善も、何も出来ない状況でした。
自分では「人のために生きる」としながら、現実には60人近い人を首切るわけです。放り出された人、その家族には次の仕事があるかどうかわかりません。「私は何をしているのか」と思いながら、残る200人のためにと、「首切り屋」と言われながら、再建と改革の仕事をすすめました。
5年もすると経営は立ち直り、給料は倍近くまで上がり、駐車場の職員の車も、軽のボロ車から次々と新車に変わっていきました。
経営改革というものは、そこで立ち止まってしまっては、また何年かすると、以前の状態へ逆戻りするものです。
しかし食べられるようになると、職員のある人たちは、「これで良い、これ以上の努力はイヤだ」と言いはじめました。
それは、「仲間の首は自分たちでは切れないので、生き残るために、外部から私を呼ばざるを得なかった。が、それはもう済んだ。」と言うことでもあったと思います。
その結果は、連日の、深夜に及ぶ団体交渉となります。彼らの立場からするとそれはその限りでは正義の主張であり、正しい要求でもあるわけです。私はとにかく「首切り」をした本人です。悪口雑言が浴びせられ、物が飛んでもきました。
「私は何をして来たのだろう。」「人間とは一体何か。」その間(かん)このような思いが胸をよぎります。この問いは私の身体をむしばみ、私の体力と内臓を痛めつけました。
世の仕組みに根本的な問題はあるとしても、この現実の有り様は何なんだろうか。
それは昨日まで笑って挨拶しあっていた者を、今日は互いの心を背けさせ敵どうしにする。妥協はあってもそれはあくまで形式的なものとなる。
人は本来わかり合えない存在なのだろうか、と深刻に考えました。
「やはり人間は最後まで一人であり、人が真に連帯し生きてゆくことは絶対的に不可能なのだ。つき詰めていけば、それは人と人の間に絶対的に超えられない“死”という底の見えない谷間、隔絶と終わりがあるためだろう」。
根源的には、「“死”に規定された人間の存在そのもの」のありようから来るのだろうと、考えるようになりました。それが私の結論でした。
この人達にも私にも、どちらにしても希望はありません。「一応食べていけるようにはしたので」とむなしい感情を持って退職しました。
その後、4年生のあの時以来持ち続けてきた「虚無」に、さらに加えられたこの思いは、「おまえは何者か」と私を問い続けました。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
そしてついにイエス様との出会いがありました。聖霊のみ働きは、連れ合いの神学校での学びを契機に、私を聖書、それもマルコ福音書にたどり着かせ、バプテスト教会へと導きました。
そしてそこでイエス・キリストが私を救われていたことを知りました。
そこでは、イエス様は
「私はまさにあるがままのあなたを愛する。 あなたの正しさでもなく、 あなたの謙遜さでもなく、 あなたの信仰でもなく、 あれこれのあなたの業績でもなく、 あなたそのものを愛する。・・虚しさにまみれたそのあなたを、赦し受け入れる」と言われていました。
「おまえは生きて良い」と言われていると感じました。
私のためにも、イエス・キリストの「十字架と復活の出来事」があったのでした。
救われて初めて、人間が罪の生き物でしかないこと、今までの、生きる苦しみは、そこに根源があったこと、このどうしようもない苦しみは、イエス様に依る事でしか解決できなかったことを知りました。
「だれがわたしを救ってくれるでしょうか。わたしたちの主イエス・キリストを通して神に感謝いたします。」(ロマ7:25)この言葉は、私にとっても最後の言葉、救いのみ言葉でした。
私が追い続けた、「自分自身を拒否しながら人のために働くこと」は、不可能なことであり、結局は、救いのない人間の間違いへと、行ってしまうことであったのです。
「絶対的に超えられない死によって、人は絶対的に隔てられ、孤独な存在とならざるをえない」という、結論と実感は消え去りました。
私にとって、福音は、なによりも先ず、あの「死」がもはや乗り越えられたこと。それは、「形だけのものに変えられてしまったこと」を告げ知らせる、喜びの知らせなのでした。
それは、私には「十字架の救い・恵みの力」によって、隔てなく助け合える立場に移されているのだ、ということを意味していました。
ここに教会の希望あります。教会はそのことを知っているからです。これを取って離さないようにしましょう。
今日も明日も、私たちはあれこれと悩み苦しみますが、「にもかかわらず」すべては解決されているのだとイエス様は言われます。
私たちは胸の中に、「いつまでも燃え続けるカイロ」を持たせてもらっているのです。だから、心は冷えても、凍り付いてしまうことはないのです。いつか必ず、温かい体に戻ります。
イエス様は、私にも、あなたにも、「試練と共に、それに耐えられるよう、逃れる道をも備えていてくださいます。」(1コリント10:13)
自分と和解し、隣人と連帯し、自分と人々の幸せのために生きなさい! 喜んで感謝しながら、その戦いに加わりなさい!
「主は救い。主はいつもあなたと共に」とみ言葉は告げています。
お祈りします。
この機会を与えてくださいましたことに感謝します。語る者と聞く者の上への聖霊の注ぎに感謝します。この教会がますますあなたのみ旨にそうものとなりますようにお導きください。この祈りをイエス様のみ名を通してお祈りいたします。アーメン