梅﨑良則

これから城西キリスト教会の礼拝で話された説教を掲載します。

「今日は救いの日」

2017年12月24日 | 日記
説教題:今日は救いの日、
説教箇所:ルカによる福音書2章8節‐20節

 クリスマス、おめでとうございます。・・・・今年もこのように大勢と方々とご一緒に、クリスマス礼拝を献げることができて大変、うれしく思います。

今日は、クリスマスの最も中心的な、救いについて、
ともすれば、クリスマス、正月と歳時記のように流れていくようにも思えるクリスマスを、立ち止まって「クリスマスの本当の意味」、「クリスマスは誰のところに」、というこの2つのことを通して、考えて見ることは有意義なことだとた思います。


と言っても、まず証から始まることをお許しください。実は今年の11月末で私は招聘いただき満10年になりました。ところが「証をします」と言って証をしたことは、この10年間、一度もありません。
と言っても、今日はクリスマス体験についての小さな証です。私のクリスマス体験と言えるようなものは、近隣に教会が全くなかったこととキリスト教への無関心さから小学校、高校、大学、そして社会人になって16年間というもの全くありませんでした。

しかし、クリスマスの思いでというなら、ない訳ではありません。その思いでは高校生の頃ですから、ざっくり55年位前のことです。私の田舎では長いあいだ、畳表となるゴザの材料であるイ草を作っていました。丁度、12月のこの寒い時期が、そのイ草植えの最盛期でした。イ草を植える前、実は密集して育てたイ草をクワで掘り起こし、根っこに着いた泥を堀の水で落し、株分けできるように準備することが私の仕事でした。もちろん、ゴム手袋をしていましたが、あの堀の水の冷たかったこと!それは忘れられません!
 その作業中、・・・・実は、退屈凌ぎに傍に置いていた携帯ラジオから、クリスマスソングが流れてきたのです。・・・・当時の私にとっては、「なにやら甘い調べ」、「温かな」、そして「ロマンチック」な感じがしました。・・・クリスマスの香りの欠片を、ラジオを通して感じた、というのがその思い出です。真に小さな思い出です。

・・・しかし、それから50数年後に本当のクリスマスを知ることになるとは、無論その時は全く思いもよりませんでした。・・・・・今、思うとその時が私の最初のクリスマスだったのかもしれません。


1. クリスマスの本当の意味?‐
(一言で言えば)、・・・私たちの罪の救いのため、神が人となって来られた、という事です!

 ◆神が人となれたこと、
 クリスマスの物語は、これはルカによる福音書による証言ですが、・・・天使がマリヤに、「あなたは身ごもって、男の子を産む」、というその言葉により、現実化します。「私は男の人を知りませんのに」とそうマリアが反論すると、天使は、「聖霊の力によってあなたは子供を産む。神にはできないことは何一つない」、とそう答えるのです。このことは、神が人となってこの世に来られた、ということを意味しています。・・・この答えを聞き、マリアは、「お言葉通りこの身になりますように」と答えます。・・・これが受胎告知の物語です。多くの画家はこの場面に触発されて絵を描いています。中でもレオナルド・ダ・ヴィンチの受胎告知の絵は有名であります。

 ところで、
 ・・・「聖霊により身籠る」、・・・・・ 近代文明に育った現代人の私たちには、このことは大変不可解なことに写ります。・・・・多くの現代人は、「そんなバカな」、と拒否するか、一歩譲って、「それはおとぎ話・神話でしょう」、と片づけるのではないでしょうか?・・・もしも、そうであるならクリスマスはクリスマスではありません。・・・では私達はこの受胎告知の物語をどう受け取ったらいいでしょうか。

・・・・ここで何回もお話をしていますが、私たちの教会の協力牧師の寺園喜基先生は、ある本に、こう書かれています。・・「ここにあるのは不可解さと恐れです。マリアが聖霊によりメシア、救い主を産む。(救い主のことですね)・・これは彼女にとってものみならず、クリスマスの音信(おとずれ)を聞く、わたしたちにとっても同様です。しかし、この不可解さと恐れは取り除いてはなりません・・・・もし、そうしてしまったら、クリスマスはクリスマスでは無くなってしまいます」と。 

・・・・・そのことは、クリスマスが神の秘儀による出来事だ、ということを意味しています。神の秘儀ですから、わたしたち人間には、・・・わかりようもないことです。・・・わかりようもないことを、・・・・わからないとしてそのまま受け取ること。これが受胎告知物語の意味することです。・・・おそらくこの受胎告知の場面を切り取って絵を書いた、レオナルド・ダ・ヴィンチもこれを神の秘儀として書いたに違いありません。なぜなら、信じてもいないことを長い時間、精魂込めて描くなど、それは拷問にも等しいからです。

・・・・私たちの人生でも、「なぜ、どうして私に、」「どうしてあの人に」、などと、・・・分からない、不可解な出来事はあります。例えば、直近のことで言えば、北部九州豪雨、・・・なぜあそこだけが豪雨になったのか、その災害によって新築したばかりの店を失った方にとって、自然災害とはいえ、・・・まさに、「どうして」「なぜ」でありましょう。・・・・それを精一杯、考えることは大事なことです。しかし、・・・・わからないことがあっても、最後は、わからないまま、・・・・「分からない」として受け取ることが大事だと思います。・・・・・・なんでもわかろうとするということは、・・実は、自分が神になることと等しいことと言えるからです。


◆なぜ、何のために来られたのか?
 「すべてのことには目的があります」、とこう一般化してもいいでしょう。神が人となってこの世にきてくださった、というクリスマスの出来事にも深い目的があるのです。これは、言うまでもないことですが、サンタクロースがプレゼントを持ってくることではありません。

聖書には、「民を罪から救う」。・・・つまり救世主、として来られた、ということが書かれています。それが、クリスマスが、クリスマスであるという目的です。一般には、この「救う」、という言葉だけが、取り出されて「救世主」、という言葉が広まりました。

しかし、聖書は、・・何から救うかを、問題にします。イエス・キリストは、多くの病人を癒されました。生まれつき歩けなかった人や、目の見えなかった人や、ライ病(今で言うハンセン病)を患った人など、・・・ありとあらゆる病人を救われたのです。つまり一つは病気からの救いです。

また、当時は、多くの虐げられた人々がいました。一日中羊の番をしている羊飼いや生まれつき身体に障害を抱えた者たちがそうでした。彼らは当時の社会から、神さまとの約束事である、律法を守らない罪人として差別されていたのでした。しかし、イエス・キリストはこの社会の最下層の側に立たれ、・・・彼らに人間としての尊厳を取り戻させ、・・・その彼らに再び生きる力を授けられたのです。つまり、社会の差別、偏見からの救いです。これがもう一つの救いの形です。・・・以来、キリスト者は、これまでもこの精神に立ち、様々な社会的差別にあっている方々へ救いの手を差し伸べてきました。

 しかしながら、聖書が、「罪から救う」、と言っていっているのは、もっと根源的なことです。私たちは、他人に「踏まれた足の痛み」はよく分かります。しかし、「自分が踏みつけている」相手の痛みはよく分かりません。わからない、気付かない自分がいます。この自己中心性が誰にもあります。
また、「こうした方がいい」、とよくわかっていながらできない自分がいます。「こんなことはしてはいけない」、とよくわかっていながら、する自分がいます。・・・・相手を許した方が自分も楽になるとわかっていながら、赦せない自分がいます。「互に愛しなさい」、という聖書の戒めを、よく知っていながら、一番の隣人である、夫や妻を愛することができない自分がいます。・・「わかっていながらどうすることもできない」、これらのことを、私たちの社会は、「人間の業」、という言葉で表わしてきました。・・・そしてそれを神仏の世界では、修行によって乗り越えようとしました。ある人は修験者となって険しい山を踏破したり、冷たい滝にうたれて、・・そこからの悟りを得ようとしました。悟りの結果、これを救いと言ってきました。

・・・・しかし、聖書は、この「業」との言われるものを、・・・・・これを「罪」と言います。・・・そしてすべからく人間は罪人だ、と言うのです。そしてまた、この罪は自分の力、自分の努力で取り除くことはできない、・・これも聖書の教えることです。

・・・それゆえ、この罪から人間を救うために、というのが、・・・クリスマスの中心的なことです。・・・・この罪からの救いが中心であるということは、まったくもって小さなことではありません。なぜなら、罪は私たちに霊的な死をもたらすからです。霊的な死のもたらす結果は、・・・敵意、争い、利己心、不和、仲間争い、妬み、嫉妬、不安、恐れ、などなどです。人はこの罪のもたらす果実ゆえに、将来を必要以上に恐れ、・・・・自分自身との関係に苦しみ、多くの人間関係に苦しんでいるのです。

・・・そしてこの罪についてつけ加えるなら、・・・それも大変、大事なことを付け加えなくてはなりません。・・・聖書は、「イエス・キリストが、私達の罪の為に十字架で死んでくださった」、と書いています。・・そしてこのキリストの十字架のみ業を信じる者のみが、・・・救われる、というのです。・・・・従って、救いは、・・人間の側の頑張りではなく・・・・・・、ただ神の救いを信じる信仰からくる、・・・これが聖書の語る福音なのです。

 クリスマスの主であるイエス・キリストは、・・・水戸のご隠居さん、水戸黄門のように、大向うをうならせるような仕方ではなく、・・・真逆の、・・・もっとも惨めな十字架刑に架かる仕方で、・・・民を罪から救われたのです。これは神の本質である愛が、行為として示されたことを意味しています。・・・クリスマスの目的とは、私たちを救うために、・・・十字架に架かるまでしてくださった方が、この地上に来てくださった、ということです。



3.クリスマスは「誰の」のところに?
 聖書は、クリスマスのよき音信は、すべての人へ届いた、とそう書いています。それも真っ先に羊飼いのところに来た、とあります。よき音信が、真っ先に羊飼いのところに来た、というのは、・・・・人となれた神が、人間社会のもっとも底辺のところに来られたことを意味します。それはまた、今日、最も生きる辛さを味わっている人々のところに来られたと、いうことを意味しているのです。

今年のこのクリスマス、・・・・神がイエス・キリストとなってこの地上にきてくださったのは、今から2000年前の1回きりのことではありません。・・・・神は今も生きて働いておられます。なぜなら、今も、この社会に、私たちの心に、・・暗闇とも言えるような現実があり、・・・・ここにも「クリスマスのよき音信」を必要としている方々が沢山おられるからです。
・・・・・クリスマスの良き音信は、・・・・今日、・・・今、ここにいる

病気を抱え、・・・恐れと不安を抱きながら生きている人に、
人と人との関係が行き詰まり、・・・日々、緊張と行き詰りを抱えながら生きている人に、
一人暮らしで、・・・・襲ってくる孤独感を抱えながら生きている人に、
さまざまな、・・・・不安、心配を抱えている人に、
世の矛盾、不正義と戦って、打ち敗れ、挫折感を覚えている人に、
自分の人生は何だったろう、と・・・・人生の意味を問うている人に、
大事な人を失い、・・嘆きと悲しみ、失意の中にある人に、
人の温もりが欲しい、自分の存在を忘れないで欲しい、と・・愛を求めている人に、
戦乱の中で、平和を求めている人に、
不条理を押し付けられている人々に、

 これら、一人とも神の目からこぼれる人はいません。なぜなら神は愛なる方で、「あなたを見放すことも、見捨てることもしない!」とそう語られているからです。もちろん、マッチ売りの少女も神の目からこぼれてはいません。

・・・そして今日、ここにおられる全ての方々へ、クリスマスの良き音信、・・・神の独り子が、来てくださったことを改めてお伝えします。

そして講壇に灯された蝋燭の4本の光は、教会の窓を通し、・・・この地域に、全世界に、クリスマスによる、「平和」、「希望」、「喜び」、「救い」、を伝える明かりです。           
どうぞ、一人でも多くの方がこの光に気づかれますように!

MERRY CHRISTMAS !

お祈りしましょう。(どうぞ、目を閉じて心を合わせてください)
慰め、平和、希望、喜び、救い、愛の源である神さま、・・・あなたご自身が人間となって来てくださったという不思議な知らせを私たちは聞きました。キリストの誕生を祝う私たちのあいだに、あなたが永遠の真理の光を灯してください。どうぞ、この時代と世界において、私たちをあなたの器として用いてください。
この祈りを真の人にして真の神、主イエス・キリストの名によって祈ります。 アーメン。







「クリスマスー希望の到来ー」

2017年12月17日 | 日記
説教題:クリスマス、希望の到来。
コロサイの信徒への手紙1章:3-6節


起、希望を失うと人は死ぬ
 ほとんどの方は初めて聞く話だと思います。今から27年前、1991年の年末に、神奈川県の三浦半島からグアム島までという国際ヨットレースがありました。話というのは、実はヨットレースの途中、「たか号」というヨットが転覆し、7名の乗務員中、たった一人だけが27日の後に生還したという実話であります。
 
 転覆直後、船長はヨットと共に沈みなくなりました。残された6名の乗務員は小さな丸型の救命ボートに乗り移ります。▲本を示す。しかし、転覆の時、ボートに縛り付けてあったはずの非常用の食糧、水は救命いかだが海に傾いた瞬間、ほとんど海に流出しました。手元に残ったのは乾パン9枚と水一本だけだったのです。・・・まさにサバイバルですね!それを6人で均等に分けたのです。例えば、水は小さなケースの蓋に1cmだけ注ぎ、・・後にはそれが一人20滴になりました。・・小さなボートに6人が炬燵を囲むよう座る、・・・・人はそのままの姿勢で何時までもいれるものではありません!・・そういう極限状況が続きました。

 ・・・その中で、降った雨をなめ、軍歌を歌い、海・山の遭難で助かった過去の事例を話し、・・・互いに「帰ったらあれをしたい、これをしたい」と励まし合ったそうです。そして、極限状況になると人はどうなるか、・・・脱水症状が進み、それと共に少しづつ気力、体力が奪われ、遂には幻覚症状が出てきたそうです。例えば、脱出時に船に残したと言って荷物を探しはじめたり、「自分の足がボートから海に突き刺さったので足を抜いて欲しい」とか言ったりして、・・・さながら狭いボートの中は修羅場になったそうです。

 そんな時に捜索機が現れ、・・・・上空で引き返すのを見て、・・・一同は、「助かった!」と喜び、残りの水も飲んでしまいました。・・・・ところがいつまでたっても助けがこず、「実は、発見されたのでなかったんだ」、とそう悟った時、・・・彼等はガックリし、生きる気力を失ってしまいました。その結果、その翌日一人が、そしてその翌日には三人が立つ続けて亡くなります。漂流6名中、残ったのはたった2名になりました。それは転覆から11目のことでした。

・・・・・極限状況の中で人はどうなるのか、興味を引く話なので続けてみたい気はしますが、これが本論ではないのでここでお終いにします。

 この例話は何を語るのか、・・・・人は希望を失い、ガックリした時、・・・・死ぬのだ、ということです。逆に言えば、希望がある限り人は生きていける、・・そういうことだ、と言えましょう。


承、ユダヤ社会には希望があった
  さて、翻ってみて聖書の時代、イエスさま誕生の時代、・・・・イスラエルの社会はどうだったでしょうか、人々には希望はあったのでしょうか?
・・・・政治的に言えばイスラエル社会はローマ帝国の支配の中にあり、そのローマ帝国の支配は揺るぎないもので永久に続くものとみなされていました。それは大多数のローマ人、それから支配されている側のユダヤ人、・・・その双方にとっての共通認識であったことでしょう。・・・人間にとって耐えがたい苦痛とは、苦しみの終りが見えないことでしょう。もうちょっと我慢すれば終わる、というなら人は大概の苦しみに耐えられます。しかし、その苦しみがいつ終わるとも思えないなら、それは耐えがたい苦しみであったに違いありません。・・ですから聖書を読むと、随所に、「民衆はメシアを待ち望んでいた」、(ルカ3:15)というような記述があります。それは耐えがたい苦しみを一刻も早く、断ち切りたいというユダヤの民衆の心からの願いであったと思います。・・・・そういう意味では、ユダヤ民族としての希望はまだ潰えてはいなかったと言えましょう。

・・・・そして思うに、・・・この民族は、紀元70年、ローマ帝国に滅ぼされ世界各地にデアスポラ、「放浪の民」とされ、チリギリバラバラになりました。それでも自らの国をもう一度、再建するという希望を失わなかった民族です。・・・そして第二次世界大戦後、それは国が滅びて約1900年後のことですが、イスラエル共和国として国を再建したのです。・・・・「希望がある」、「希望を持ち続ける」、ということは何という力となるのでしょうか  イスラエル建国は、今日、様々な問題を内包しているといえ、そのことを物語っていると思います。


転、希望のない社会
 しかし、翻って、私達の社会ではどうでしょうか 私達の社会に、何か、ユダヤ人のような民族として一つの希望、というようなものが、あるようには思えません。あればそれに越したことはありませんが、しかしそのような大きな問題をここで扱わなくてもいいと思います。そうではなく、私達の教会周辺に、私たちの友人・知人に、私達の家族に、私自身に、あなた自身に、・・・こうした身近なところに希望はあるのか、という問いの方がはるかに大事に思えます。

・・・・・・それを思う時、私には、・・・本当に希望の見えない社会になったな、という思いがあります。特に若者にとって希望が持てない社会になっているように思います。そう思う根拠は、私が大学を卒業した時代、1970年代、・・・普通に働けば、大多数が、・・・結婚もでき、子どもでき、家を持てる、・・・そういう将来設計ができたからです。しかし、経済的に遥かに豊かになったのに、・・・今日、その将来設計が、希望が、・・・多くの若者に見えないように思われのです。
 
 そして希望が持てないという側面の一つは、社会を覆っているこの閉塞感です。この状況がいつまでもつづくと思われていることです。10年位前にも、ある青年が「戦争でも起きればいい」、とネット上で発信し、大きな話題になったことがあります。それは派遣のコンビニ店員の境遇からどう考えても次の展望が開けないという焦り、あるいは絶望感、閉塞感というべき現状からの発信でした。だから多くの若者が北朝鮮問題に目を向けるのです。これは閉塞感に対しての三角形なのです。

・・・そしてどうしたら私達の社会は、この閉塞状況から流動化社会になることができるでしょうか、・・・そうなることを望むのは、それによりもっと希望の持てる社会が実現すると思うからです。

 閉塞感、・・・絶望感ということについてここで余談をしたいと思います。最初に紹介したヨット、「たか号」で最終的に助かったのは実はたった一人、佐野さんという方でした。彼が後に語ったことによると、仲間が死んでしまい一人になった時、「漂流中、最も辛かったのは、水の心配でも食べ物の心配でもなかった。『この漂流には、本当には終わりがないのではないか』という絶望感であった。期限の決まった苦痛ではない出口の見ない苦痛、・・それが最大であった。」・・こう聞くと、人間というものは、根源というところで、精神性で生きている存在だと。・・イエスさまが、「人はパンのみで生きるものではない」、と言われた聖書の言葉はその通りだな、と思わされます。


結、クリスマスは希望が降りてくること(聖書)
 さてクリスマスは、不思議なことですが、神さまが人となり天上界からこの地上に来てくださったという出来事です。私達、クリスチャンはいわば「神話」とも言えるこの出来事を信じています。神話は、母親が子供に読み聞かせする絵本に似ていると思います。絵本では、実際あったか話か?なかったか話か?ということは実はそう大事なことではありません。それよりも語られているその事柄そのものに、・・・命があります。だから神話も絵本も人間の実存を表す、一つの形式なのです。・・・・だから、「神さまが人となって来られた」、・・・そのことを全く、疑うことなく私達は信じるのです。

 そしてクリスマスはその神さまが、ご自分のリックサックに「平和」「喜び」「希望」「救い」というお土産を詰め、・・・天上界から降ってきてくださったということなのです。今日の聖書個所にはその事が記されています。(コロサイ1:5)スクリーンに掲示する

それは、あなたがたのために天に蓄えられている希望に基づくものであり、あなたがたは既にこの希望を、福音という真理の言葉を通して聞きました。

 地上に来て下さったイエスさまはどんな方でしょうか、・・イエスさま誕生の預言をした主の天使は、イエスさまの名を、「インマヌエル」、すなわち「神は我々と共におられる」、と告げました。イエスさまは、私が希望を失い、絶望に陥った時、・・また、あなたが希望を失い、絶望に捉われた時、・・・・共にいてくださる方。そしてあなたからこぼれ落ちた希望をそこで拾い挙げて、持っていてくださる。・・・・そしてあなたが「試練と共に逃れる道もある」、として再び道を見出し時、また、あなたに希望を返してくださるのです。・・・こうしてあなたは、引き続き、「主と共」に生きるものになるのです。・・・あなたを見捨てない、・・・これは主の約束なのです。

 でも、不幸にして再び道を見出すことができなかった。見出そうとどう頑張ってもそれができなかった。・・そしてそのまま人生を閉じることになった。・・これも人生です。・・・その時は、イエスさまが、天上界におられる父なる神さまに精一杯取りなしてくださる。「この者は、あなたの前で精一杯生きました。私はそれをよく知っています。どうぞ、あなたの傍に置いてください」、と。

・・イエスさまの取りなしを聞かれた神さまは、「よく来た」、といって彼を、彼女を抱きしめてくださるのです。・・・そして彼は、彼女は、・・・・天上界にて「永遠の命」を生きることになるのです。そこにてこの世で実現できなかったことを実現すべく永遠の命を生きのです。・・それ故、私達は生きるにしても死ぬにしてもキリストなのです。・・

そして、ヨハネの書き記した言葉、
イエスは言われた。「わたしは復活であり、命である。わたしを信じる者は、死んでも生きる。
生きていてわたしを信じる者はだれも、決して死ぬことはない。このことを信じるか。」
(ヨハネの福音書11:25-26)で

イエスさまの言われた・・・この聖書の御言葉が実現するのです。

 いいこと、悪いこと、・・・それがあっての人生です! しかし、悪いままでは終わらない。遠いまなざしを
向けて見ると、それがわかるのです。

               クリスマスはそう語られる方が地上に来られた出来事!



お祈りしましょう

希望に乏しい、現実世界だと思います。しかし、このことは長い人間の歴史の中で、「今あることはかってあったこと、何一つ新しいことはない」、と聖書が語るように、・・人間の歴史の中であったことだと思います。
その都度、暗闇の中に光があった、という聖書の言葉を思い起こし、キリスト者は力を得て生きてきたと信じます。どうぞ、この時、暗闇のある人に、希望の光を差し込んでくださるよう心から祈ります。

                 この祈りを主イエス・キリストの名によって祈ります。
                                                    アーメン




 

「クリスマスー平和の到来ー」

2017年12月10日 | 日記
説教題:「平和の到来」
説教箇所:イザヤ書5章:1、5節


 きよしこの夜は、クリスマスで必ず歌われ、そして世界中でもっとも慕われている讃美歌だろうと思います。
先程、西南学院中学のギター部の皆さんが演奏してくださり感動しました。私達も説教の後で讃美します。
・・・美しく気品のある歌詞、そしてなじみやすいメロディー、私はそう思います。そしてこの讃美歌に何の解説もいらないと思います。しかし、もしこの讃美歌の由来を知ったなら、このきよしこの夜がもっと素晴らしくなるように思え、ここでご紹介したいと思います。


「きよしこの夜」  題名の由来  「静かな夜」 「聖なる夜」 Silent night holy night
「きよしこの夜」は私たちの使っている新生讃美歌集では、163番にあります。▲開けてみてください。―左上部にStille(シュティル ナハト) nacht,heilige nacht(ハーィリゲ ナハト)!とありますが、・・・これは「静かな夜」、「聖なる夜」というドイツ語の題名です。・・・それを日本では由木康という有名な讃美歌の作詞家・訳詞家が、「きよしこの夜」という題名を付けたのです。・・・・きよしこの夜、聖なる夜、ということでも十分、静けさは読み取れますが、元々の歌ではもっと静けさがもっと強調されているようです。

さて、み子の誕生のその時、ヨセフとマリヤが「泊まる場所はありません」、といって断れた宿屋では、ユダヤの各地からきた宿泊人が大声で話したり、また笑い転げる声で賑わっていたことでしょう。・・・・・しかし、その宿屋とは違い、ヨセフとマリヤのいた家畜小屋は得も言えぬ静けさに包まれていた、というのが元々の歌の描いるところでしょう。・・・・ですからこの讃美歌は、・・・静けさ十分を意識して讃美した方がいいのでしょう。


Joseh Mohr(ヨゼフ・モール)とFranzGruber(フランツ・グルーバ)について
 そして、Stille nacht,heilige nacht!の下にJoseh Mohr1818(ヨゼフ・モール)書かれているのが、この「きよしこの夜」を作詞した人の名前で、1818が作詞の年月日です。そして同じく、その右側にFranzGruber1818(フランツ・グルーバ) と書かれているのが、この詩に曲を付けた作曲家の名前で、同じく作曲した年月日です。

ここでは、このもっとも知られたクリスマスの讃美歌の歌詞を作ったヨゼフ・モールが、どういう人だったかを、ご存じない、という方もおいでかもしれませんのでご紹介したい、と思います。


モールの生まれと育ち
作詞家のヨゼフ・モールは1792年に生まれています。「きよしこの夜」は先ほど申し上げたように1818年に作詞されていますので、モールが26才の時、作った、ということになります。生い立ちをみると、彼は裕福な家庭に生まれたのではありません。そうではなくザルツブルク▲(当時ドイツ領)の貧しい裁縫師(お針こ)の母の元で生まれています。母はアンナ・ショベリンと言い、彼女には4人の子どもがいましたが、全て父親が違っていました。モールの父親は洗礼者名簿によればフランツ・モールという銃撃手だったそうです。雇われ兵士ということで身分も不安定だったようです。そして父のフランツ・モールは、息子モールの生まれた時には、既に母を捨ててどこかにいなくなっていました。史実によれば、モールは生涯、父と会う事はありませんでした。


マリヤプファール・・静かな村・聖なる村
 厳しく貧しい家庭環境で育ったモールに、神の憐れみなのか、ザルツブルグ大聖堂の副司祭が、「テノールのいい声をしている」、いうただその理由から養子を申し出てくれました。モールは養子になり、その大聖堂聖歌隊員になりました。そしてその副司祭の援助で、大学に進み、23歳の時に聖職者として一番下の位の助祭に任命されたのです。

 聖職者になって間もなく、モールは自分から志願してマリヤプファールという所の教会に赴任します。マリヤプファールというこの村は、オーストリア・アルプス山中の本当に夢のように美しい村だそうです。この村に行くには、今でもザルツブルグから列車を乗り継ぎ2時間、そこからバスに乗り換え途中、標高2000mの峠を越えて、さらに2時間。・・・本当に山奥にある大変、不便な村、だというのです。・・・・・・おそらくそんな村だったので、「静かな夜」という曲のモチーフが生まれたのではないでしょか。夜になり、モールが、一人になった時、その村の静けさと同時に、・・・満天に輝く星の光が一層深く心に残ったに違いないのです。

そしてモールがこの山奥の村に赴任したのには他にももう一つ理由があったそうです。実はこの地がもの心つく前に自分を捨てた父の出身地であったのです。ひょっとしたら、モールは母からはよくしてもらえなかったのかもしれません。その分、現実に暮らしたことのない父にはよい幻想を抱いた、とそんなふうに考えられるのかもしれません。ともあれ彼の最初の赴任地は、ここマリヤプファールで、実は私たちの「きよしこの夜」の詩は、ここで誕生しているのです。


「きよしこの夜」の誕生日
 「きよしこの夜」がどうして誕生したのか、すでに誕生の秘話をご承知の方もお有りだと思います。この讃美歌ができたのは、先ほど申し上げたように1818年(今からほぼ200年前)のことです。それもクリスマスイブの日ことだと言われています。

・・・・「ザルツブルグの北、約20kmの小さな村、オーベンドルフの教会で、クリスマス・イブの日に、オルガンの風袋がネズミにかじられ音が出なくなり、慌てたオルガニストのグルーバが助祭のモールに頼んで、急いで詩を作らせ、その日の内に作曲し、二人で、聖夜のミサにギター伴奏で歌った」、という有名な話がそれであります。ネズミが登場し、聞いていて大変楽しくさせられ誕生秘話ですね。

しかし、折角の良くできた楽しい伝説を壊すようで申し訳ないでのですが、このネズミの話は事実ではないようです。このネズミの話はさておき、1818年のクリスマスに、この「きよしこの夜」がオーベンドルフの教会で讃美されたのは記録にもあり、これはまぎれもない事実なのです。
二人の出会いと最初のきよしこの夜の演奏
 1817年(これはきよしこの夜が出来る1年前のこと)、モールが健康を害して、極寒の山奥の村マリヤプファルから、温暖なオーベンドルフに配置換えになってやはり助祭と赴任してきます。そして翌年の1818年にこの地に赴任していたグルーバはモールから一編の詩を示され、作曲を依頼されます。「グルーバさんこれに曲を付けてください」か、既に仲良くなっていて「フランツ、この詩に曲を付けてくれないか」、どういったかは分かりません。・・・いずれにしてもモールが詩を渡し、それにグルーバが曲を付けた。・・・・これがわたし達の「きよしこの夜」なのです。

グルーバは、そもそも、・・・この詩をギター伴奏による二重唱として作曲しました。二人は、クリスマスイブの礼拝が終わり、礼拝堂内に飾られた蝋細工の「まぶね」飾りをみるため集まった人々のために、この歌を歌って聞かせた、と想像されています。
なぜなら、当時はミサの中でギターを弾くなどということは絶対に考えられなかったからです。ギターによる二重奏が最初のきよしこの夜の演奏だったのです。


元歌は、
私達のこのきよしこの夜は3節です。しかし、モールの作った元の歌詞は実は6節であったことが明らかになっています。その元々の1節は次のような歌詞です。現在のものと比べてください。
1節
   静かな夜 聖い夜 全てのものが眠りに落ち
   目覚めているのは愛すべき聖母子。
   巻き毛の気高い幼子は
   天国の安らかさに包まれて眠り給う
   天国の安らかさに包まれて眠り給う
 
   ここに漂っているのは、静けさ、この地上にはない天的な安らかさ、平和です。
   そして続けて3節です。

3節
    静かな夜!聖い夜! 神のみ子よ。
    何と愛らしくあなたは笑いたもうか、気高いその口で。
    その口は救いの時の襲来を告げ知らせる。
    キリスト、今、生まれたまえり!
    キリスト、今、生まれたまえり!

モールはきっと、幼子の頬笑みにつられて、揺りかごに眠っている赤ん坊の顔に見入っていたのではないでしょうか。ところが、モールにとって、ここでのみ子のほほ笑みは、かわいいだけを表わしているだけではありませんでした。モールはこの詩を通して、わたしたちに「救いの時が襲来したことを告げ知らせている」のです。今、読みましたように元の歌には、み子の誕生の出来事に、・・・・救いが人間を襲う、という、強烈なメッセージが込められているのです。
ところが、この基歌とも言うべき、3節は、現在のきよしこの夜の歌詞からは省かれています。きよしこの夜は、一旦、チロル民謡となったのですが、・・・その民謡に「救い」などは似つかわしくないとして削られたのです。

では、なぜモールは救いが襲来するなどという歌詞を書いたのでしょうか
 
実はこの時代、当時のドイツは様々な王国に分裂していました。モールの生まれたザルツブルグ大司教国が、ナポレオン戦争の嵐のなかで崩壊し、フランス領、ドイツ領、イタリヤ領、オーストリア領とめまぐるしく支配者が変わったのです。ですから当然、政治は乱れ、飢えと困窮が時代を覆っていました。そればかりか、ザルツブルグからはナポレオン戦争に数千人の若者が徴兵され、帰還できた若者は数えるほどであったそうです。・・そういう戦乱が終わった!やっと地上に平和が到来した!それは神の救いの出来事なんだ、・・・そうした時代背景を受けて、モールはキリストの救いが、人間を襲う、とそう詩を書いたのです。
でも、繰り返しになりますが、それは、・・・・きよしこの夜の歌詞からは削られたのです。


モールの生涯
 きよしこの夜を作った翌年、モールはオーベンドルフの教会を辞任してまた別の地に転任になっています。モールと作曲家のグルーバの出会いはたった2年でした。このたった2年の出会いの中で、神さまは二人に永遠に残るクリスマスの讃美歌を作らせたのです。それも全世界の人々に知られることになった讃美歌を。

・・その後、モールはいくつかの教会を転々として、最後はやはり山奥の小さな教会の神父として生涯を閉じています。きよしこの夜の作詞家として知られるまでほとんど無名の存在でした。子どもたちの教育と貧しい人々の支援に力を注ぎ、人々から敬愛され、文字通り「清く、貧しく、美しく、平穏な」、56歳の生涯だったと言われています。


平和が求められる
さて、今日、・・・モールの時代のようにヨロッパ中を巻き込むような戦争こそありませんが、シリア内戦、ウクライナ紛争、果てしないイスラエルとパレスチナの戦いなどが尚もあります。私達の国では戦争こそありませんが、お隣の北朝鮮との間にも緊張関係があります。

・・・・また、そうした国と国との争いにまで至らにしても、多くの国内問題があります。また社会のあらゆる領域で慢性的なストレスが蔓延しています。このストレスを受けて多くの病理が発生しています。

この時代、今こそ、主による平和の到来が求められています。人間の知恵を越えた神よりの平安があるよう祈りましょう。



イエス・キリストの父なる神さま

平和の源なる神さま  アドヴェント第二主日の今日、きよしこの夜の物語を通してクリスマスの伝える平和のメッセージを聞きました。イエスさまは平和の君と呼ばれてきました。それ故、戦争の最中でもクリスマスには休戦があった位です。・・どうぞ、クリスマス、あらゆる世界に到来する神の平和を心に迎えることができますように、
           この祈りを主イエス・キリストの名によって祈ります。
                                           アーメン。


 
 


「喜びの到来」

2017年12月03日 | 日記
説教題:喜びの到来
聖書個所:ルカ2章8節-14節

起、アドヴェント
 今日からアドヴェント、・・・・クリスマス前の4週間ですね。キリスト教徒が多い、それもドイツのアドヴェントの様子が先週の城西の広場に描かれていました。寺園峯子さんが書いてくださいましたが、それによると実際は既11月から前触れが始まるようです。11月11日、「聖マルティン祭り」(子どもたちが提灯を手に家々を廻り、ご褒美を戴くそうですが)、・・・・そして、・・「寒い、暗い冬の最中、何となく温かで、・・・・嬉しい高揚感を覚えるのだった」、と記されています。・・・・アドヴェンに入ると、ドイツの人達の伝統による、そしてその背後に、・・・クリスマスを迎える思いが伝わってきます。


承、聖書より
  さて聖書を見て見ましょう。8節には或る意味この個所の主役ともいうべき「羊飼い」が出て参ります。羊飼いの仕事は、・・・広々とした草原で、大人しい羊を、それこそ羊が草を食べるまま、のんびりと、そして誰にも指図されず、・・・いい仕事だな、と思われるかたもおいでかもしれません。しかし、どんな仕事も楽な仕事がないように羊飼いの仕事も大変なようです。・・・なぜなら、羊飼いはまず羊に草を与えなくてはなりません。現実には草が青々としてあるような場所は農作地です。羊飼いの主なフィルドは砂漠で草がちょぼちょぼとあるようなそういうところが現実であった思われます。次に、水を飲ませなければなりません。また他の獣から守らなくてはなりません。また、大部分の羊飼いは雇われ人でしたが・・・彼等は、・・もし羊を失くしたら、弁償しなくてなりませんでした。だから、九九匹を残してまで、・・・一匹の羊を必死に探したのでしょう。・・・ともあれ、楽な仕事ではありませんでした。今日の言葉で言えば、・・・絶えずプレッシャーは掛かり張なし!そのうえ自己責任をも追及される、・・・そういう状況にあるのが彼等、・・・羊飼いでした。

 そして、羊飼いの置かれた立場ですが、・・・・当時のユダヤ社会は、政治的にはローマ帝国の支配下にありました。一定の自治は認められていたものの、大事なことを決定する権限はありませんでした。ですから、歴史上のどの民族にも共通するように、彼等にも、・・・自らのことを自らで決めれないということに対する反発がずっーとあったのです。・・・・・そこからメシア待望、・・・・救い主を待望するということが、・・・・・いわば或る時は伏流水のように、ある時は激流とも言うべきような形で、ユダヤ社会にはあったのです。

そういう中で、羊飼いたちは、もちろん政治的には全く無意味な存在でした。ただ、戸籍簿に○○と記される存在にしかすぎなかったのです。そうでありながらもただ、税金は取り上げる対象であったのです。・・それがローマ帝国から見た羊飼いの存在でした。
それから宗教的に、というなら、それはユダヤ人側の問題でした。ユダヤの宗教界、それは支配階級といわれたサドカイ派、律法に拘るファイサイ派の二つでしたが、・・・・・この両派にとっても、或る意味、羊飼いは数のうちに入らない存在であったでしょう。なぜなら、律法順守を厳しく要求したファリサイ派にしてみるなら、・・・仕事柄とはいえ、安息日を守れない羊飼いは、いわば卑しむべき罪びとであったからです。・・・・そこから羊飼いに対して何が起こるのか、と言えば・・・同じ民族、・・同胞からの差別です。・・・・・羊飼いはローマ帝国からもユダヤ社会からも差別の対象であったのです。ですから、もっとも社会の底辺で生きている人だといえるでしょう。


転、差別、虐げられる・・苦しみ
 人間に取って生きる上で何が苦しいか、・・それは自分の存在が否定されることでしょう! そういう意味で差別されてきた羊飼いには大きな苦しみがあったことでしょう。・・・・・私自身は大事な人を失うという苦しみは経験していますが、実は差別されたという苦しみの経験は持ち合わせていません。

でも、小さな差別なら経験があります。それはわたしがサラリーマンとして働いていた頃のことです。私の所属していた部は、神奈川京浜コンビナート、千葉湾岸コンビナートと日本を代表する企業、新日鉄や日本石油などを担当していました。その部の中にあって、私が担当課長として与えられていたのは、千葉県内の内陸と言われる電機や食品を主力とした企業でした。私の課のなかでトップの売上は日立製作所茂原工場でした。年間6千万円程度の売り上げはありました。しかし、部のなかではその日立製作所さえも売上上位30傑中で、28位でした。部長は普段は、私の課をほとんど無視している中で、売り上げの厳しい月だけは、私の課に目を向け、「お前のところは後、幾ら積み上げれるか」、とプレッシャをかけてくるのです。わたしはすごく腹がたちました。・・そして同時に、「同じように扱われていない」という差別を強く感じたのです。・・・・大きな差別、あるいは社会的差別に遭っている人にとっては、私の経験した差別など塵芥のようなものでしょう。・・・でも私にいわせれば、これでも尊厳が深く傷つけられたことでした。
しかし、今は、そのことさえ神さまが与えてくださった、とこの経験を深く感謝しています。・・なぜなら、ほんの耳かき一杯程度でも差別される悔しさや悲しみを知ったからです。・・・しかし、振り返ってみれば、聖書が言う通り、すべての事は相、働きて益となる、ですね!

 ・・・・・・・ともあれ、今日にも沢山の羊飼いがいます。学校や職場でいじめられている人がいるならそうでしょう。もし、ブラック企業などと言われるところに働いているならその人もそうかもしれません。いつも厳しい叱責、非難、批判を浴びている人がいれば、その人もそうかもしれません。・・・・また、休みなくプレッシャーを絶えず担っていかなくてはなら人がいたらその人もそうかもしれません。

また、自分で自分を虐めたり、自分で自分を過剰に叱責したり、自分で自分を過剰に非難したりしている人がいたら、その人も現代の羊飼いなのかもしれません。

・・・・いずれにしても色の濃淡はありますが、存在を否定されるような、あるいは自ら存在を否定するような、「今日の羊飼い」が、・・・・都市部にも、農村部にもたくさんいるのです。


結、それは喜びの知らせ  本当の悦び
  聖書の語るによると、最初の良き知らせは、「恐れるな。わたしは、民全体に与えられる大きな喜びを告げる。今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである。」、という形で、・・・・まず羊飼いのところにきました。
 もっとも良きしらせが、もっとも底辺で生きている人のところに、・・それも最初に来た!
・・これがクリスマスなのです!・・・・神さまは・・・・かってエジプトで奴隷であったイスラエルの民の悲惨さ、苦労、嘆き、絶望感をつぶさに見ておられたように、同じように羊飼いの悲惨さ、苦労、嘆き、絶望感をつぶさに見て、知ってくださっていたのです。・・・そしてそこに具体的に働いてくださったのです。
 
 「大きな喜び」、と聞いても、羊飼いには一瞬、戸惑った様子が見えます。しかし、羊飼いは自分達の戸惑いは置いて、・・・その言葉を信じて、救い主、・・・・主メシアに会いに行きます。」・・・そして羊飼いは、そこで、・・・天使が、告げた方に出会ったのです。・・・その方こそが、多くの方が待ち望んでいたメシアだったのです。・・・・・・その大きな喜びが最初に、羊飼いに届いたのは、羊飼いに大きな喜びに値する何かがあったわけではなく、ただただ神の側から一方的に到来するもの。・・・・このクリスマス物語は、「この喜び」についてそう語っていると思います。

 さて神さまは、今日の羊飼いとも言える人へも、・・・・その苦労を、その嘆きを、その閉塞感を、・・・つぶさに見ておられます。イスラエルの民を、羊飼いを見放されなかった神が、・・・・・公平と義なる神が、・・・今日の羊飼いとも言える人を見て見ぬふりをされるでしょうか    どういう形かではわかりませんが、必ずや、「大きな喜び」を届けてくださる。それも誰よりも早くその人へ、・・・・・それが今年のクリスマスです。

・・・しかしこう聞いても、今日の羊飼いも同じように戸惑うかもしれません。・・・・・100%信じられなかった羊飼いもそれでも自分の信じた範囲で、「さぁ、ベツレヘムへ行こう」、と行動したように、自分の信じられる範囲で、「大きな喜び」を探しに行っていいのです。

それは「あなたと共にいる」と神の約束かもしれません。「あなたを愛している」というイエスさまの語りかけかもしれません。あるいは「あなたは高価で尊い」という神の存在承認かもしれません。「試練と共に逃れる道も用意してある」、という神さまの約束かもしれません。あるいは、祈ったように状況が具体的に動き出すという奇跡が起きるのかもしれません。・・・いずれにしても、どうかその大きな喜びを見つけて欲しいのです。


 「恐れるな。わたしは、民全体に与えられる大きな喜びを告げる。」という形で喜びが告げられるアドヴェント、第一週目、・・・・皆さん、ご一緒にお祈りしましょう!

愛する神さま、・・アドヴェントに入りました。あなたが人となりこの世に来てくださったというクリスマスの出来事を前に、今日、そのクリスマスの意味する「喜び」について聞きました。どうぞ、このアドヴェンの期間、家庭にあっても、働きの場にあっても、教会にあっても、・・・神さまから賜る喜びをもって日を重ねることが
できるよう、お導きください。
                   この祈りを主イエス・キリストの名によって祈ります。

                                                  アーメン