梅﨑良則

これから城西キリスト教会の礼拝で話された説教を掲載します。

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2016年03月20日 | 日記
説教題:あなたもそこにいたのか?
説教箇所:マルコによる福音書15章6節-15節

これまでの流れ、
 イエスさまの受難物語を辿っています。イエスさまのエルサレム入場から、十字架に架けられ殺されるまでは、実は1週間のことでした。「ホサナ」、「ホサナ」、という歓呼と同時に、人々は自分の服を敷き、また棕櫚の枝をこれまた道に敷いて、歓迎しました。そういうことからこの日は「棕櫚の主日」、と呼ばれます。

そして・・・・エルサレム入場された翌日、イエスさまがエルサレム神殿の境内で見られたのは、商売をする人達でごった返していた風景です。イエスさまは、怒りをもって、彼らの両替商人の商売用の台をひっくり返され、商売をしている者を境内から追い出されたのです。これが月曜日とされており、この日は「宮清めの日」と言われています。

そしてその翌日の火曜日は、「教えと論争の日」と言われています。神殿で、祭司長、学者、ファイサイ派、サドカイ派、ヘロデ党議員、あらゆる敵対者たちと、権威問答、税金問答、再婚問答、復活論争、そしてもっとも大事な律法の考えについて、・・・これらが、次々に、展開されました。しかし、誰もがイエスさまを言い負かすことができませんでした。「大勢の群衆は、喜んでイエスに耳を傾けていた」、と記されています。

そしてその後、イエスさま一行は、エルサレム郊外のベタニヤ村で過ごされました。この時、一人の女性が、石膏でできた壺を割って高価なナルドの香油をイエスさまの頭に注ぎかけました。この日のことは、あまり聞いたことはありませんでしたが、「ベタニヤの日」、と呼ばれ、それは水曜日になるそうです。

そして、「過越の祭り」の日がきました。この祭りは、イスラエルの民が、エジプトにおける奴隷状況から開放されたことを記念する大事な祭りです。この日を記念し、イエスさまも弟子たちと食事をされました。そういう訳でこの食事は、「最後の晩餐」と言われます。弟子たちは、そこで、葡萄酒を飲み、パンに与りました。これは「晩餐式」と言われます。これより後、この式典は全世界で守られるようになりました。この最後の晩餐の席上、・・・・裏切りの告知がありました。そしてこの日は、食事に先立ち、イエスさまが、「弟子たちの足を洗われた」、ということから「洗足の木曜日」と呼ばれるようになりました。ですから、これは木曜日のことです。
しかし、この木曜日はこれだけで終わった訳ではありません。木曜日深夜、イエスさまはゲッセマネで、祈られ、そして、ユダの裏切りにより、逮捕されました。


金曜日の夜が明けてすぐ、の出来事・・・ピラトの裁判
  そして今日の聖書の箇所は、金曜日のことです。外はまだ暗い中、ペテロはイエスさまを、「3度知らない」、と言ってのち、号泣しました。・・・ペテロはあれほど大見得をきっていたのに裏切ったのです。
そして夜が明けると、・・・・祭司長たちはイエスさまをピラトの元に引っ張っていきました。なぜなら、祭司長たちには、イエスさまを死刑にする権限がなかったからです。・・・・・・これは金曜日の早朝、夜が明けてすぐのことでした。

 ピラトはいろいろ、尋問しました。しかし、イエスさまはお答えになりませんでした。だから「ピラトは不思議に思った」、と聖書は書いています。
 ピラトは心の中でこう考えていたに違いありません。「大袈裟にならないよう、うまく解決しようと」。そして本音のところでは、・・・「この男には何の罪もない」、とそう思っていたので、イエスさまを釈放したという思いがありました。そこで群衆のリアクションを想定しつつも、「それでは、ユダヤ人の王とお前たちが言っているあの者は、どうしてほしいのか」と言いました。・・すると、ピラトの予想通り、群衆は「十字架につけろ!」、叫んだのです。

 ピラトはローマ皇帝の官僚です。ローマ皇帝の権限には絶大なものがありました。ですから、当時のローマ皇帝(テベリウス)が、くしゃみをすれば、風邪を引く、場合によれば、肺炎になるくらいの関係にあったことが想像されます。そういう関係の中で、生き残り、出世するための最大の能力一つは、鋭い感があることです。・・・皇帝がどう思っているか、皇帝が何を欲しているか、・・・それをかぎとり、その期待に的確に応える。・・・・そういう人が生き残っていくのです。これは今日でも通用する保身・出世の法則だと云えましょう。

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さてこの保身・出世のことについて少し余談をさせてください。わたしが前努めていた会社で実際にあった話です。わたしの上司は学歴的なコンプレックスを持っていたようでした。ところが私の同僚のA課長は、関西の有名な国立大学の出身でした。その彼が、会議の席で、上司に少し冗談をいれながら、ここがミソですが、・・・「殿、ご決断を」、と持ち上げました。・・同僚A課長は、既に上司のコンプレックスを見抜いており、そこで鋭くカンを働かせ、気分をよくするような、甘い言葉を言ったのです。・・・今では彼は、社員2000人の中に7人しかいない役員になっています。・・・ごますり、といって多くの人は軽蔑しますが、「ごますり」にもこのように人間の心理を読みとった高度のゴマすりというものがあるのです。だから一概に馬鹿にすることはできません。
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話を戻しますが、人の心理を見るのに長けた、・・・ピラトは、群衆の心理も祭司長たちの心理も読み切っていたと思います。ですから、祭司長たちが、イエスさまを何が何でも死刑にしたいと思っている、・・そしてそれは、いろいろ口実を並べているが、結局のところ、・・・妬みからでたこと、・・・・そのことをも見抜いてもいたと思われます。だから聖書にも、はっきり「妬みのためだとわかっていた」、と記されている位です。そして繰り返しになりますが、ピラトには、イエスさまの中に、ローマ帝国に反逆するような何の証拠もない、ということもはっきりわかっていました。

 しかし、・・・ところが、・・・ピラトは実際のところは、・・・自分の良心に従わず、祭司長・群衆に、・・・合わせました。迎合した。妥協したのです。・・・ピラトの中には、・・・総合的に判断するに、これがベストだ、・・・大騒ぎにならず、皇帝の耳にも入らず、・・・罪のない人間が一人死ぬが、・・・まぁ、いいか、しょうがない、・・・・こんなところだろうと思います。ピラトがそう考えて、そうしたのは金曜日の早朝の事です。


妬み、操作、・・それが十字架の判決の根っこにあるもの
 ピラトには、わかっていました。・・・イエスさまを、「この世から葬ってしまおう」、という勢力の中心に、ユダヤの宗教支配者たちがいることを。想像するにおそらく、ピラトの下にはそういう情報が幾重にも届けられていたと思うのです。なぜなら情報は、ピラトのような権力の中枢にいる者に集まるからです。また、集まるような仕組みになっています。ですから、ピラトは、当然、この程度の動きをよく知っていたと思われます。

 そしてこのことで、ユダヤの宗教者たちは、ピラトに2重のプレッシャをかけました。一つは、民衆を扇動してイエスさまを十字架につけるように仕向けたことです。 「十字架につけろ」「十字架につけろ」、と大声で叫ばせたことです。・・・これはどちらかと言えば感情的なプレッシャーの形です。このプレッシャーは、ピラトにしてみれば、ある意味、不満のガス抜きみたいもので、「そうか」「そうか」というような顔をして、無視すればいい、と思ったことでしょう。
 しかし、二つ目は、そうもいかない。彼等はこうも言わせて、プレッシャをかけたことです。「『もし、この男を釈放するなら、あなたは皇帝の友ではない。王と自称する者は皆、皇帝に背いています。』」(ヨハネ18:32)・・・これは論理的なプレッシャーのかけ方といえましょう。・・・こういうことです。・・・・つまり、もし釈放するなら、・・・あなたは反逆するものの味方をすることになりますよ!・・・それだったら、あなたご自身も皇帝への反逆者になりますよ!・・・プレッシャーをかけると同時にこれは一種の脅し。・・・・ピラトが一番怖いのは、ローマ帝国へ、「ピラトは皇帝に反逆している」、という報告がなされること、このことなのです。・・・・宗教指導者たちはそのピラトの弱みを突いたのです。・・・ピラトは、この民衆の叫び声を聞きながら、・・・心の中では思ったに違いない、「うるさい!お前らにそんなことを言われる筋合いはない!」と。・・・しかし、そうは思いつつも、ピラトは、この言葉には少なからずプレッシャを感じたことでしょう。また、一方で、「こいつらと感情的にやりあっても何のメリットもない」、ここは大人の判断をしよう。そうも思ったかもしれません。・・・・・ピラトの中には、ここで鋭く保身の才覚が働いた、とそう思われます。


あなたも判決の場にいた(保身の典型)嫉妬・・十字架は私たちの罪を炙り出す
 イエス・キリストの十字架は、私たちの罪を炙りだします。キリストは私たちに言われました。「あなたも、そこにいたのか」、と。・・・・もし、私がピラトだったら、・・・・民衆を敵に回し、ユダヤの宗教支配者たちを敵に回して、・・・・何のメリットがあるのか?・・・・とそう考えたに違いない。・・・確かに、法に照らし合わせてみても、この男は、なんら反逆罪に見合うことをしていない。・・・無罪だ、とそう思う。
自分の心の中の良心もそう言うし、妻もこの男に関わるな、と言った、・・・・わたしには、イエスを無罪放免する気持ちも大いにあった。・・・だから、イエスに、自分自身を釈明するよう言ったつもりだ。・・・しかし、この男は何も釈明しなかった。

この男がそうである以上、・・・これ以上、・・・この男を救いようがないではないか!・・・・自分は出来るだけのことはしたんだ。・・・こうなったのは、この男の自業自得のなせる業だ! わたしには責任はない、と。

・・・・私は、・・・自分を守るためなら、このように考えつく限りの言い訳を、自分自身にも、周囲にもするに違いない。

 私は自分を守るために、今までそうしてきた! わたしも今まで、ピラトであった。・・・ピラトのように、大勢の人に迫られたら、・・・わたしは、いくらこの道が正義だとわかっていても、・・・きっと自分の身を守るために、その正義を貫き通せないに違いない。・・・・・・・・・・・わたしは、弱く、なんと惨めなものか!

・・・キリストは、・・わたしがいかに上手に、他の人に、自分自身に、釈明したとしても、私のすべてをご存知であります。・・・3度主を拒んだペテロを見られた目で、私をもご覧になるに違いない。・・・・・わたしは、叫ぶ! この惨めな私を憐れんでください!と。

 しかし、その私の耳に、キリストの言葉が響く。「あなたと共にいる。あなたを見放すことも、見捨てることもない。」(ヨシュア1:5)と。

だから私はもう一度、立ち上っていける。主に従おうと。そのわたしの耳に、今、キリストの言葉が響く。「わたしの後に従いたい者は、自分を捨て、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい。自分の命を救いたいと思う者は、それを失うが、わたしのため、また福音のために命を失う者は、それを救うのである。」
(マルコ8:34-35)・・・・・キリストに罪ゆるされる恵み、・・・・。


お祈りしましょう。
 主よ! わたしたちは告白します。私たちもピラトであると。この道が正義であるとわかっていても、・・・権力者を前にした時、・・・何も言えない弱さがあります。・・・私たちのその罪のために死んでくださった主の憐れみに心から感謝します。それゆえ、自分を捨て主の十字架を負うものへと変えてください。尽きせぬ主の憐れみに感謝して
主イエス・キリストの名を通して祈ります。   アーメン。


主の晩餐式の席で、

2016年03月13日 | 日記


聖書:マルコによる福音書14章12節-21節

起、マタイ受難曲(構成)を通し、受難の全貌
 今年は、3月27日がイースターです。ですからその直前の26日までが受難節なので、今日、13日、そして20日の説教は、受難物語を取り上げる予定です。先週は、受難物語の始まりとして、・・・イエスさまのエルサレム入場を取り上げました。イエスさまが群衆によって大歓迎を受けることと、しかし後に群衆によって裏切られること。特に群衆の心理について、こだわりました。そしてそれは、今日のテーマ、「裏切り」とも結びついています。

 ところで、このように受難物語を取り上げている訳ですが、受難物語は、ご承知のように音楽にもなっています。有名なマタイ受難曲がそれであります。マタイ受難曲は、ヨハン・セバスチャン・バッハによって作られ、1727年4月11日、ドイツ、ライプチッヒの教会で初演がなされています。・・どうして初演を知っているか、実はマタイ受難曲を調べて知った訳です。それによれば、全曲カットなしで演奏されると3時間、もっと長いのはカラヤンの演奏による3時間30分という演奏があるそうです。(全曲、お聞きになった、という方はおいででしょうか?)・・・そしてまたこれは、第一部と第二部に分かれています。・・そしてマタイ受難曲にはイエスさまの受難のすべての出来事が盛り込まれています。そしてまたこれは、マタイ受難曲、というだけにマタイによる福音書の26章、27章を下敷きとして作られています。


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承、過越しの食事の準備(主イエスの全能性を強調)
 聖書に入りますが、イエスさまの受難物語は、4つの福音書すべてに記されています。それはこの物語が、極めて印象に残る事柄であったことを示しています。・・・ですから、是非、伝えたい、是非、知って欲しい、・・ここにはそういう思いが込められています。そこで今日の物語についてですが、面白いのは、実はイエスさまがエルサレムに入場された物語に酷似しているということです。すなわち、今日の13節、「二人の弟子を使いに出された。『都へ行きなさい。(一方、エルサレム入場では、(マルコ11章1節):二人の弟子を使いにだそうとして、言われた「向こうの村に行きなさい」)。
次に、すると、水がめを運んでいる男に出会う。その人について行きなさい。(一方、エルサレム入場では、村に入るとすぐ、まだだれも乗ったことのない子ろばのつないであるのが見つかる。それをほどいて、連れて来なさい。)
14節「その人が入って行く家の主人にはこう言いなさい。『先生が、「弟子たちと一緒に過越の食事をするわたしの部屋はどこか」と言っています。』(一方、エルサレム入場では、もし、だれかが、『なぜ、そんなことをするのか』と言ったら、『主がお入り用なのです。すぐここにお返しになります』と言いなさい。)
ひとつ飛んで、16節 「弟子たちは出かけて都に行ってみると、イエスが言われたとおりだったので、過越の食事を準備した。」(一方、エルサレム入場では、二人が、イエスの言われたとおり話すと、許してくれた。)
つまりこの2つの物語は、イエスさまの言われたことは、その通り、「図星だった」、ということを語っています。・・・・これは何を意味しているでしょうか。・・・実は、マルコ福音書の10章の27節に、・・・・「神は何でもできるからだ。」という言葉が置かれていますが、・・・・・マルコ福音書は、イエスさまも、神さま同じように、・・・・何でもおできになる方、と・・・・そう伝えてたかったのです。・・・・全能なる方、・・・・を描いているのです。・・・繰り返しになりますが、・・・・「人の子」と称されているこの方は、・・・「全能なる、・・神の御子なんだよ」!ということがこの物語に込められている大事なメッセージなのです。全能なる方が、その力を使えば助かるのに、それを使われず、十字架に掛けられる、・・・これが受難物語の意味するところであります。

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転、「ユダ」の裏切りの告知(最後の晩餐の絵)
 17節以降に行きます。この最後の晩餐の物語は、いろいろの画家により描かれています。その中でももっとも有名なのは、1495年、レオナルド・ダ・ヴィンチによる「最後の晩餐」の作品でありましょう。(スクリーンに写す。本物と模写)
この絵は、イタリア、ミラノにあるサンタ・マリア・グラーツィエ教会に付属する修道院の食堂の壁に掛けられています。『ヨーロッパ美術史』によると、縦、4.6m×横8.8mにもなる大きな絵です。実は私も一度だけイタリアに行ったことがあります。その時、この絵をみたいな、と思いました。しかし、ガイドから、「事前の予約がないと見ることができません」、と言われて断念したことがあります。聞けば、1日に確か200人くらいしか見ることができない、・・・そういう人数制限をしていて簡単に予約がとれない、・・そういうことでありました。
ともあれ、大事なことはこの絵と聖書の関係です。そのことについて、『ヨーロッパ美術史』という本に依拠してご説明したいと思います。(スクリーンに写った絵より)。まず、絵の真ん中がイエスさまです。イエスさまを中心にして、大きく左右2つに別れます。更に、3人が一組となり、それぞれに左側に2組、右側に2組づつという構図となっています。(指し棒で差しながら説明する)これが全体の構成です。

ところで、聖書の言葉、・・・イエスさまの「あなたがたのうちの一人で、わたしと一緒に食事しているものが、わたしを裏切ろうとしている」、というこの投げかけは、丁度、池に投げた小石が作る波紋のように、使徒たちの間に大きな波紋を呼ぶことになります。・・・彼らは驚き、互いに顔を見合わせ、訝しがり、あるいは否認の表情を浮かべるのです。(後にこのことを、ドイツの文学者ゲーテは、「人間の心理劇」と呼んだそうです。)・・・そう言われるほどに、ダ・ヴィンチは、「弟子たちは心を痛めて、『まさか、わたしのことでは』と代わる代わる言い始めた」、というたった1節を、表情豊かに描いたのです。

ところで、「美術史」(以下、簡略して)の説明によれば、・・・ダ・ヴィンチは、ここで、左右に別の瞬間を対応させている、というのです。すなわち、向かって左側の部分は、「裏切りの告知」のその瞬間に対応している。・・・一方、右側は「晩餐式」に対応しているというのです。

ここで、余談です。わたしは神学生時代、「ヨーロッパ美術史のクラス」をもぐりこみで聴講していました。それは絵が好きだ、ということとその他に、好きな絵をただ見るだけでなく、そこに込められた意味がわかれば絵をもっと深く見れるのでは、と思ったからです。実際、最後の晩餐のこの絵も、聖書を読んでいれば、聖書の登場人物が分かり、絵の意味が更に深まり、・・・やはり西洋美術は聖書の知識なしには鑑賞できないと言われる理由がわかる気がします。・・・これは余談でした。

引き続き、「美術史」の解説に倣って、もう少し絵の説明をさせてください。一番、右側が熱心党のシモンと言われる弟子です。右から2番目が、タダイ(この人はあまり聖書に描かれない、12弟子の一人)。そして右から3番目が、収税人マタイと称される人物です。ここで、シモン、タダイ、マタイの6つの手は、あたかも「取って食べよ」、と言われたイエスさまの言葉に反応するように、手を開き、手はイエスさまの方に向かっている、と解説されています。
次に、右から4番目は、フィリポ、(この人はヨハネ福音書に詳しく描かれています。「その翌日、イエスは、ガリラヤへ行こうとしたときに、フィリポに出会って、『わたしに従いなさい」と言われた』。」ヨハネ1:43)、という人物です。次に右から5番目は、ヤコブ(この人は、ペテロ、ヨハネと並んでイエスさまの側近の人物です。「この話をしてから八日ほどたったとき、イエスは、ペトロ、ヨハネ、およびヤコブを連れて、祈るために山に登られた。」にでてくる人物です。(ルカ9;28)そして、イエスさまの右隣が、「疑い深いトマス」、といわれた、トマスです。・・ヤコブはイエスさまが変貌されたのを目撃した人物です。また、トマスはイエスさまの傷口を、自分の手で触って復活を確証した人物です。そしてフィリポは、ペテロと同じくローマで逆さ貼り付けにて殉教死した人物と言われますが、「美術史」によれば、・・誰よりも頭をあげて、・・イエスさまから主の晩餐に与りたいとの思いをしている、と解説されています。

一方、左側の使徒達、・・・特に内側の3人は「十字架刑」に関与しています。イエスさまのすぐ左隣のヨハネは、イエスさまの最愛の弟子の一人でした。後に十字架の足元で悲嘆にくれることになりますが、その時と同様に、ここでも既に両手を握り併せています。そして、イエスさまから見て2人目がイエスさまを裏切るユダです。彼の左手は明らかにイエスさまの手が向かう同じ皿に伸びております。またユダの右手には裏切りの報酬としての銀貨30枚を暗示する財布が握らてれています。そして、ペテロは、このユダの背後に立ち、数時間後には、逮捕の際に振るうことになるナイフをすでに握りしめています。これが「美術史」の解説するところです。

更に左から3人目がアンデレですが、彼は「イエスは、ガリラヤ湖のほとりを歩いておられたとき、シモンとシモンの兄弟アンデレが湖で網を打っているのを御覧になった。彼らは漁師だった。」、に出てきます。彼は、両手の平をあげ、一見驚愕とも狼狽ともとれる身振りをしています。彼はX型十字架で殉教したと伝えられており、・・・この身振りには彼の磔刑への運命を読み取ることができる、とそう解説されています。そして左から2番目の小ヤコブはイエスさまの十字架刑の時、婦人達と一緒に遠くから見守っていた一人です。この絵の中では、右手と左手をそれぞれ、アンデレとペテロの上において蝶番のような役割をしています。後に彼は初代エルサレム教会の司教になった人物だそうです。その彼の身振りはあたかも、ローマ教会とエルサレム教会の司教という役を、アンデレとペテロに命じているようである、とそう解説されています。最後がバルトロマイですが、最後は皮を剥がれて殉教するそうですが、この絵の中では、ペテロのかざすナイフの刃にさらされている、・・とそう解説されています。
 
 こうして見ると、ダ・ヴィンチは、聖書の物語と一人一人の人物がどう生きたか、それらを深く理解して、それぞれの人物に明確なメッセージを持たせていることがわかります。・・・・そして解説によって初めてわかるのですが、・・ここには、「裏切りの告白」、「晩餐」、「十字架」というテーマが描かれていて、・・・・・それにしても月並みですが、レオナルド・ダ・ヴィンチてすごいな、と言わざるを得ません。
 ともあれ、サンタ・マリア・グラックエ教会に付属する修道院の食堂で、修道士たちは、イエスさまの裂かれた肉、流された血を思い起こしながら、毎日の食事をしていた、と言われています。

結、受難そのものの足音
  最後の晩餐、その始まりは、「自分を裏切るものがいる」、というイエスさまもその一言でした。そして食事どころではない、という様相の中で、・・・イエスさまは、「私は神様が自分に課せられた道を歩んでいく」、ということを語られます。それは、淡々と語られる、・・・そのような感じがします。そしてその後に、「私を裏切るものがいて、その者は不幸だ」、とそう語られます。・・・ここにも淡々とした様子が感じられます。決して感情的ではありません。
 裏切る、という言葉を辞書で調べてみると、第一義的には、敵側に「寝返る」という意味があります。・・・イエスさまは「誰が」、という名指しはされていませんが、・・・ユダは体制側に内通したことにより、「寝返った」、ということができましょう。ですからユダは確信的な裏切り者、とそう言うことができると思います。
 第2義的には、背信行為、変心(心変わり)、変節というのがあります。・・・・「ホサナ」、「ホサナ」といってイエスさまを歓呼の声で迎えた、群衆が、一転して「十字架につけろ!」「十字架につけろ!」、・・・これは変心、変節だといえましょう。だから群衆も裏切り者。
・・・それから、後に、「お前も仲間だったろう」、とイエスさまの裁判の席で、指さされ、・・・「俺は知らん」「何を言っているかわからん」、としらを切ったペテロも、これも大いなる変心、変節でありましょう。であれば、ペテロも間違いなく裏切りものであります。
・・・・また、イエスさまの逮捕に併せて「雲の子を散らしたように逃げ去った」弟子たちも、これも変心、変節でありましょう。ならばこれも裏切りでありましょう。

 先週、聖書を読むに際し、「私たちは聖書の登場人物に重ねあわせて読むべきだ」、とそう申し上げました。私たちも「主の救いを信じます」、といってバプテスマを受けた者、・・・であるなら弟子の端くれということができましょう。イエスさまの弟子たちは、イエスさまに忠誠をつくすことは、実は宗教指導者に睨まれ、牢にいれられ、挙げ句の果ては、神を冒涜したという罪名を課せられ、殺されるとわかった途端に、・・・・恐ろしくなり、イエスさまを見捨て、逃げ去った者たちです。弟子の端くれとして、もしそこに私たちもいたなら、・・・・私たちはそれでもイエスさまについて行けたでしょうか。誰が、権力者たちとの戦いに引きずり込まれ、負け犬となると、わかっているのについていくでしょうか。・・・・・そうなれば、・・・私たちも変心、変節するのでは、・・・・外から見てる者から、「裏切り者」の烙印を押されても仕方がない者になるのではないでしょうか。・・・・ですから、イエスさまが、「私を裏切るものがいて、その者は不幸だ」と言われますが、その言葉の広がりは、・・・・実はユダだけに突き刺さるのではなく、・・・今日の私たちの胸にも、突き刺さる言葉ではないでしょうか。

・・・・・イエスさまを十字架へつける者たちの足音がひたひた、と聞こえてきました。私たちもその足音を聞きつつ、・・・・今日の説教を閉じたいと思います。


お祈りしましょう。
受難物語から、今日は最後の晩餐、それも裏切りという主題を考えさせられました。私たちの信仰には、悲しいことに、状況が順調な時には、あなたを信じます、とそういえますが、・・・逆境の時、イエスさまへの信仰を保てるか、・・・・信教の自由の時も迫害にあった時の信仰を考えましたが、・・・
今日も、わたしたちも、・・・主イエスを裏切る者になるかもしれない、・・・そのような弱さをおもわされました。・・ああ、主よ、弱いわれ等を救いたまえ!と祈らざるをえません。
                 救い主、イエス・キリストの名によって祈ります。   アーメン。



受難、その始まり

2016年03月06日 | 日記
説教題:受難、その始まり
説教箇所:マルコによる福音書11章1節-11節

起、受難物語の始まりの始まり
 今年は、「灰の水曜日」と言われる2月10日より3月28日までが受難節となります。受難節とはイースターまでの46日間を指しています。「今年は」、と言ったのは、年によって、イースターが移動祝日のため、受難節も違ってくるからです。また聖書で言えば、イエス・キリストがエルサレムに入場されてから、ゴルゴダの丘で処刑され、埋葬されるまでの物語の部分であります。

 そういう意味では今日の箇所は、分岐点となる箇所です。なぜなら、10章までは、イエスさまの宣教や救いの活動-イエスさまは多くの奇跡を顕し、神の国の来臨が近いことを、語り続けてこられました。-これらのことが中心に記されています。ところが11章から一転して受難物語が始まるからです。
特に14章以降では、イエスさまの十字架への道行が、・・・いわば秒読みのように刻々と記されて行きます。・・そういう中で、今日の11章は、少し牧歌的でもあります。と言いますのも、子どものロバの話で始まるからです。

イエスさまは二人の弟子たちに、「まだだれも乗ったことのない子ろばのつないであるのが見つかる。それをほどいて、連れて来なさい。」と命じられます。・・・そしてイエスさまは、その子ロバに乗ってエルサレムの街中に入場されます。この出来事が、実は、受難物語の「始まり」の始まりとなります。・・・・なぜなら、敵対者にとって見れば、面白くないことを見せ付けられることになるからです。


承、・・・群衆の移ろいやすさ・・・・大歓迎と非難
 何が、面白くないのか、・・・36節、・・イエスさまが子ロバに乗って進んで行かれると、人々は自分の服を道に敷きました。服を敷くということは、当時、王としてこられたイエスさまを、「あなたを敬い、大歓迎します、」ということが意味されていました。そしてこのことは4つの福音書の全てに記載されています。それはこの出来事が、確かにあった出来事だという、伝承の確かさをも意味しています。そのことを、マタイ福音書では、「大勢の群衆は自分の服を敷き」、マルコ福音書では「多くの人が自分の服を敷き」、ルカ福音書では「イエスが進んで行かれると、人々は自分の服を敷いた」、とそれぞれ記しています。

 この大勢の群衆は、「ホサナ」、「ホサナ」と歓呼の声を上げました。ユダヤからガリラヤの全土で奇跡を起こし、病人を癒し、力強い宣教をしてきたこの人こそ、ダビデ家からでると言われた、メシアに違いない、と人々はそう確信したのです。・・・だから、イエスさまのこのエルサレム入場が嬉しくて、嬉しくて仕方がありませんでした。少し冷めた人がいたとしても・・・、救い主、メシアの到来が、今、ここに来ている。そう実感したに違いありません。それ程、イスラエルの民上げての喜び、うれしさ、希望、というものがここから伝わってきます。・・・・こういう光景をみて、イエスさまに敵対する人達が面白い訳がありません。・・ちなみに「ホサナ」とは、「われらを救い給え」、という意味です。

・・・こうした歓呼の声で迎える、という光景は、かってのルーマニアで、かってのリビアで、かってのイラクで、・・独裁者が倒れ、・・新しいリーダーが生まれたその瞬間の映像に、・・・私たちも、その臨場感を感じ取ることができたように思います。

・・・・・このように多くの群衆が熱狂的にイエスさまの入場を迎えました。ところが、聖書には多くの群衆と書いてあるだけで、群衆の数や群衆が、どういう人たちだったかについては何も記していません。しかし、聖書の前後の記述から想像されることは、・・・群衆の中には、もとからのエルサレムの住民、故郷ガリラヤからついて来た者達、それからイエスさまの宣教を聞きつき従ってきた者達がいた、ということです。・・・・多くの群衆でエルサレムの町が膨れ上がったということです。

 なぜ書かれてもいない群衆にこだわっているかといえば、この群衆はここから4章くだり、15章になると、・・・・豹変するからです。・・・・・群衆はいつの時代でも、どこでも豹変する、・・そんな存在だな、ということを改めて聖書より知らされます。・・実は15章、そこではピラトが、「バラバか、イエスのどちらを釈放するか」、と群衆に問う場面ですが、ご承知のように群衆は、イエスさまを「十字架につけろ! 十字架につけろ!」と叫び続けた訳です。ここでは大勢の群衆は、「イエスを殺せ!イエスを殺せ!」とこう言いました。ここには、数日前の、イエス様を迎えた、・・・あの喜び、うれしさはなどはまるでなく、・・・あったのは、・・憎しみ、怒り、でした。・・・・・・時間にすればほんの数日の中で、群衆の空気はまるっきり変わってしまったのでした。

・・・・・・どうしてこうしたことになったのでしょうか。・・・・わたしは長いあいだこの記事が不思議でしかたがありませんでした。・・まさに、弟子達や一部のつき従った人達も、大きな戸惑いを持ったのではないでしょうか。・・・・・どうしてこうなったのかその理由については、いくつか考えられると思いますが、・・・群衆はまさに群衆であって、簡単に扇動された。・・「メシアが来た」、という声を聞けば、付和雷同的に、「わぁ、メシアが来たんだ」、とそう思うような人達だったと思われます。またその群衆は、一方で、・・・裁判の時、何ら期待するメシアらしい振る舞いができないイエス様を見て、・・・弱い!頼りない!何の力もない!・・・自分たちのメシアはこんな男ではない!とそう思ったに違いありません。ユダの裏切りの理由と併せてこれが一般的な解釈だと言えましょう。

群衆にとっては、神の国が来るとか来ないとかより、・・・自分の思いを満してくるかどうか、・・・これが大事だったでしょう。ですから、その自分の思いが満たされない時、・・・・そこに残るは、落胆、絶望、そして怒り、・・とこうなることは頷けることではないでしょうか。期待が裏切られた思い、その時、それが付和雷同的な群衆にとって、手のひらを返すような行動になっていったのでありましょう。


転、群衆・・・それは私たち
 ところで聖書を読む時、自分を登場人物に当てはめて読むと、実感を持って読める、とく言われます。そういう意味でいえば、・・・ここでの登場人物は、・・律法を基準に、罪びとか罪びとでないか、と人を2者択一的に判断するフアリサイ派の人々。あるいは保守的で自分の立場を守ることを第一とする支配階級の人々。 そして先ほどでてきた付和雷同的なエルサレムの群衆。 イエスさまの弟子たち。イエスさまに付き従ってきた人達。 そして今日の聖書の箇所にはでてきませんが、ユダヤ人から異邦人として差別されている人々。 また、社会の中で一人前として扱われていない女性。子どもといった人たち。・・・・・こうした人たちが記事の背景に埋もれています。・・・・だとすれば、今のわたしは一体、どこに当てはまるか、ということです。

・・・そしてそれぞれの人達の特徴をいうなら、・・例えば、支配階級の人々・・・彼らの特徴は、変化を好まず体制を守ろうとすることです。そのために今まで「こうしていた、だからこうすべき」、と前例を守ることに固執しました。ですからそのことを平気で破ったイエスさまを全くもって、・・苦々しく思っていました。・・ですからもし、わたしたちが小さいことまでも一点一角こだわり、前例を踏襲することに固執するなら、私たちも統的な支配階級だと云えましょう。
またエルサレムの群衆の特徴とは、聖書に「根がない人のことで、艱難や迫害が起こるとすぐに躓いてしまう」、とあるような人たちで、・・・彼らはイエスさまの教えはほとんど知らなかったと思われます。・・ですから根がなく、ムードに左右されやすい人!と云えましょう。ですからもし、私たちが聖書の言葉に頼らず、その時々の情緒によって動いていたなら、・・・私たちもまただと云えましょう。
そしてイエスさまに付き従ってきた人達とは、弟子たちはもちろんそうですが、他には故郷、ガリラヤから付いてきた婦人たちがそうです。また町々、村々で、イエスさまの宣教を聞き、あるいは病を癒していただき、・・この方についていこうと決意した人達のことです。ですからもし、わたしたちが聖書を読み、祈り、礼拝をまもり、・イエスさまの教えをいつも傍においているなら、・・・わたしたちもまたイエスさまの弟子、ガリラヤからついてきた熱心な支持者だと云えましょう。
そして異邦人、一般の女性、子供達とは、・・・彼らも群衆の一部ですが、彼らは社会の周辺に置かれていました。ですから、イエスさまのことは直接的にはよく知りませんでした。イエスさまを知る手がかりは噂、あるいは夫や隣人が語る話を通してしか、手立てはなかったのです。ですからもし、私たちが教会の周辺にいるとすれば、情報に乏しくなり、私たちも異邦人、あるいは一般の女性、子供達だと言えまししょう。・・・・・・・・・さて、私たちはどこにいたでしょうか。

 今から2000年前、・・・・・私たちも、「ホサナ」、「ホサナ」、といってイエスさまを大歓迎した一人として、・・・どの立場の群衆かはともかくとして、・・・・あそこにいたのです。・・・わたしたちは、「あなたもあそこにいただろう」、と主イエスに指をさされる一人一人であり、・・・「前は何者だ」、と問われている一人でしょう。


結、キリストの群衆になる
 私は、・・・群衆にこだわっています。群衆の特徴は古来、・・熱しやすく、冷めやすい。例えば、数年前、尖閣列島の問題であれほど大騒ぎした中国の群衆は、今、冷めています。・・エルサレムの群衆もそうだったと言えるでしょう。彼らの熱気は怒りに変質しました。ともあれ、こうした異常な熱気や怒りは、・・実は彼らの抱えている問題のはけ口となっていることがしばしばあります。

自分の心の中に問題を抱え、どうすることもできないでいる人達は、実はその苛立ちを容易に他に転換します。数年前の、・・・中国の尖閣列島の問題に対する日本への抗議も、実は貧富の差に対する群衆の怒り、高級官僚の汚職に対し手を打てない中国政府への苛立ち、・・・そのはけ口だ、ということは多くの識者の指摘するところでした。そういえば当時のイスラエルの群衆も相当、苛立ち、ストレスを抱えていたことが想像されます。そのはけ口としての、歓呼の叫び、あるいは、一転して、殺せ!という怒り、・・・それもあったに違いありません。社会学的にはそういう分析も十分に有り得るのだと思います。

しかし、ここから学ぶことは、・・・わたしたちもしばしばそういう「群衆」になるということでありましょう。しばしば、自分の期待を人に押し当て、それがかなわぬ時、「裏切られた」、と心で叫ぶのが、私たちでありましょう。また群衆の弱いところは、しばしば変化を恐れ、変わろうとせず、自分に生じた悪の原因を、・・・変化しようとしない他人や社会に求めることです。もちろん社会悪がありますから、それに目をつぶる、ということではありません。

 私たちが群衆であるなら、イエス・キリストに従う群衆でなくてはなりません。イエス・キリストを主と告白し、救われた喜びを隣人に伝えるだけではなく、・・・キリストに従い歩む生き方において、・・・私たちはキリストの群衆にならなくてはなりません。・・・・なぜなら、その生き方に於いてこそ、本当に充実したキリスト者としての人生を歩むことができるからです。

・・・・キリストに従い歩んでいくとするなら、私たちが依り頼むべきは、人に、ではなく、・・・神さまなのです。・・・・イエスさまはそういう生き方をされました。人々の歓呼の声にも、人々の嘲りの声にも人間的な感情の揺れ動きは当然あったと思いますが、・・・それはイエスさま自身に影響を与えるほどのものではありませんでした。なぜなら、イエスさまは人の思いに生きられたのではなく、神さまののみ旨に生きられたからです。

 私たちもいつもキリストを見上げて、キリストに従って生きようではありませんか。その具体的な一歩は、大きなことではありません。・・・・毎日、聖書を読み、・・・毎日、神と隣人を覚えて祈る、という小さな一歩です。なぜなら、その小さな一歩こそが、・・・私たちをキリストの群衆とするからです。

お祈りしましょう。
 受難節に入っています。今日わたしたちは、受難物語の始まりを学びました。この物語を通して群衆を考え、自分も群衆の一人であったという思いにされました。
 主よ、願うらくは、・・付和雷同的な群衆ではなく、・・・キリストに従う群衆になれるよう、支え、導いてください。
この祈りを主イエス・キリストの名を通して祈ります。
                                    アーメン。