DOG is GOD

犬との共生!犬連れ人生/犬連れ日記。
ニセコの自然に囲まれての生活。

薬害訴訟

2007年03月30日 17時11分28秒 | Weblog
 現在、止血剤として使用したフィブリノーゲンでのC型肝炎訴訟が継続している。国と製薬会社は使用当時フィブリノーゲンがC型肝炎を引き起こす因果関係が明白でなかったとして、抗争しているが、因果関係が明白になった現在、患者を救済することは当然である。ある日を境にそれまで以前の患者に対しては補償なし、それ以降の患者は補償するというのは理にかなわない。
 現に薬害で苦しみ、週何回かの治療を受けなければならない状態の患者を因果関係が明確になった時を境に補償する場合としない場合を作ることは国民の安全・健康を求める行政の行動ではない。厚生省としては範囲を広げすぎると補償費が膨大になることを気にしているのだろうが、現にその薬剤を使用しての弊害が生じたのであるから、差を付けることなく補償するのが筋ではないだろうか。役人の勤めはあくまでも国民一人一人の健康と安全を考慮して施策・実行するべきものだ。
 先日も不法残留イラク人家族の強制退去処分が出たが、不法に入国したとはいえ
来日して20年も成ろうとしているのだ。子供はこの4月から大学に進学するという。不法で入国した人がわざわざ自分から名乗り出るだろうか、20年という長い年月未処置でいたいたのであるから国もそれなりの責任が生ずるのではないか。
 あくまでも日本に入国が不法であったから強制退去。ことは簡単だが、イラン人家族にしてみれば20年の生活があったのだ。その経過や実態を無視して国外退去はどうかと思う。心ある裁判官が欲しいものだ。

日本画

2007年03月28日 17時19分55秒 | Weblog
 日光市にある明治から昭和に掛けて活躍した画人「小杉放庵記念美術館」に出掛けてきた。生憎、月曜日は休館なので、戦場ヶ原に隣接する小田代が原の散策をして楽しんだ。戦場ヶ原の手前、赤沼は道路のみが除雪されていたが、一面雪景色。遊歩道を人の足跡たよりに歩き出す。途中何度も雪に足を取られて、膝まで雪に埋まる。犬達は元気でスタスタと軽快に歩を進めていた。曇りだしたと思ったら、雪が降り出し、北西の風が強く頬をたたきつけたと思ったら、突然、青空が覗いたりして、山の天気の変わり様を体験した。
 宿泊は市内のペンション。道路に近いせいもあり、ビルの緊張の上での鳴き声とで殆ど睡眠がとれなかった。
 翌日は輪王寺近くの駐車場に車を入れて、「美術館見学」
開館前に時間が有ったので日光神社横の道を辿って「寂光の滝」見物をする。途中の道路が可成り狭く、ドキドキしながらの運転は肩に力がはいった。
 小杉放庵は五百城文哉に師事したとの説明があった。文久時代から明治に掛けての日本画家「文哉」。一昨年、東京駅の「ステーション美術館」で「文哉」の個展があり、見学に出掛けたことを思い出す。高山植物などの彩色画で有名だある。
 役人として働いていたが日光に隠棲し、そこで放庵が弟子入りしたらしい。暫くして、何も告げずに東京に出て修行を続けるが活きずまり、再度日光に舞戻ったらしいが、文哉は再会の日、長い時間何も言わず、黙々と仕事を続け、日が傾いて初めて「勉強の方はどうだ、そばでも食うか。」と語ったそうだ。それを聞いて、「庭を掃いてきます。」と告げ、箒を持ったまま涙に暮れたという逸話が残っていると解説にあった。日光は当時の駐日外交官や記者等によってヨーロッパに広く知られるようになり、「文哉」の日本画が少なからず日光を広める絵と成ったようである。「東照宮・唐門」などは実に素晴らしい。良くここまで細かくしかも日本的に描いてあると驚いた。その影響もあり、「放庵」の「神橋」も素晴らしい絵であった。橋自体より大谷川の描写が生き生きしていた。

雨模様

2007年03月25日 10時06分06秒 | Weblog
 桜が開花したのに生憎の天気で桜どころではない。強風と横殴りの雨で桜見物を当て込んでいた商売は営業にならない。
 昨日は南房総市にある「里見八犬伝」の発祥の地を訪ねた。内房の岩井から東に入った田園地帯、随所に100-200Mの山並みに囲まれた地域だ。
 曲亭馬琴の「南総里見八犬伝」で有名な地域だ。天気予報では夜になってから編めと予報が出ていたので、早めに訪ね歩く。
 曲亭馬琴は江戸時代の後期、28年もの歳月を掛けて著した時代小説。
 訪ねた地は里見氏の居城であったと言われる「滝田城祉」。県道から案内板に従って細い農道を上がると、駐車場とトイレが設置され、直ぐに登り口。駐車場手前は菜の花に左右を囲まれた畑が点在している。
 階段状の登山道を登ると小高い望楼跡のような高台に出る。更に歩を進めると尾根道に繋がり、左右は竹藪になる。竹藪を越して歩くと高台に出た。ここは展望台となっていて、太い木組みで展望台が設置されている。その前には「八犬伝」の伏姫が八房に跨っている銅像が置かれ、八犬伝の解説がなされていた。さらに、200mも歩くと急な登階段を上がりきったところが滝田城跡、北側には主郭と馬場が有ったようだ。城跡は現在、アンテナ基地となっている。南斜面には眼下に県道や水田が点在している長閑な景気が連なっていた。平地から200mもの高いところに城を構えることは安全策とはいえ、生活の物資などを運ばなければ成らず、日々の苦労が偲ばれる。些細なことを思っても昔の人達の偉大さが感じられた。

土筆

2007年03月23日 17時33分04秒 | Weblog
 散歩途中の競馬場横に土筆の群生を発見する。2日前に確認したが、生憎カメラがなくて撮影が今日にずれ込んだ。道路沿いの植え込みは雑草が伸び放題であったが植物の生命力に驚いた。注意して見ないと発見できないだろう。
 数年前、同様に南門近くの宅地で見かけたことが有ったがベスとの散歩の時だから、7年前だったことは確実だ。
 毎年、3月は浄化槽の清掃時期であり、朝方1番で汲み取りに来て貰う。
 天気がいいので、半年ぶりにバイクを出してエンジンを掛ける。何度も、ギアを入れて走ってみたがなかなかかからない。息が弾んだが掛かるまでしつこくバイクに跨り往復を来る返すとこと7度、やっと掛かる。ギアをニュートラルにして空ぶかしをすること30分、ライトも輝きだしたので、馬主駐車場で運転特訓を繰り返す。警備員が不審気ににらんでいたのが感じ取れた。バッテリーが上がってしまっているので毎度、ギアを入れての始動が必要だ。これからはバイクが気持ちいい時期になる。少し遠出を計画してみるか。

大相撲

2007年03月22日 20時31分29秒 | Weblog
 今、大坂で大相撲が行われている。12日目現在1敗は白鳳、2敗で追うのが横綱朝翔龍と平幕の栃王山、初日・2日目と連敗した横綱がここへ来て調子を上げてきた。残り3日で大きく代わるのではないか。
 子供の頃から相撲は好きだった。小学生2年の頃、町内相撲大会があり、出たことがある。初戦は相手を寄りきりで負かし、2番目は5年生ぐらいの身体がごつい相手と対戦した。立ち会い直ぐに相手に土俵中央で投げられ、負けてしまった。
 悔しさの余り、受け取った入浴券を持って、銭湯に向かう間、悔し涙を流した思い出がある。6年生の時の担任は相撲が好きらしく、体育の時間になると良く相撲をした。強い方だったが、先生は必ず学年遅れの体が弱いK君の相手に指名して本気を出しているように負け役を仰せつかったものだ。
その後は大学で体育の必修科目として「相撲」をとり、当時の講師S先生の指導を受けた。S先生の祖先は行司に関係があると聞いていたが真偽は曖昧だ。
 出久根達郎の「漱石とスポーツ」の中に漱石は相撲がことのほか好きだったようだ。明治42年5月に両国に国技館が出来るとその6月の夏場所に高浜虚子と揃って出掛けたらしい。贔屓の力士は太刀山だったらしく、太刀山の突っ張りを「45日の突っ張り」と言っていたそうだ。
 子供の頃の力士と言えば「千代の山」「吉葉山」「鏡里」「松登」「大内山」
「房錦」その後「若乃花」「栃錦」「安念山」等記憶している。
相撲ほど心・技・体であり小柄な安馬が2Mもある琴欧州を破るのだから面白い。
押し一辺倒だけでもダメだし、ましてや引き技などすれば負ける。今場所の優勝は誰かな。栃東の休場が残念で仕方ない。引退も近いか。

西部劇

2007年03月21日 18時10分47秒 | Weblog
 1955年の西部劇に忘れもしない「シェーン」がある。アラン・ラッド主演の西部劇の決定版。拳銃での撃ち合いを嫌う向きも多いだろうが、土地を巡っての殺し屋に対しての抵抗だ。ジャック・パランス扮する殺し屋に立ち向かう牧場手伝いのアラン・ラッド。本人も過去に多くの人をあやめたガンマンだ。足を洗うきっかけを牧童で励んでいたが、雇い主家族に対して、入植者の家族に対しての大地主の嫌がらせ、ついに対決することになる。拳銃での立ち合いは相手より遅れて拳銃を抜いて相手より早く拳銃を撃ち相手を倒す技術が問題だ。日本の武道を考えると居合いの感じだ。子供の頃から映画と言えばジョン・ウエインやゲーリー・クーパーなどの西部劇をよく見た。最近も「幌馬車」が放映された。
 「シェーン」で子供に「ビー ストロング アンド ストレイト」と語って山の方向に去っていくラストの場面は眼に焼き付いている。「カンバック シェーン カンバク シェーン」思い出すな。良かったな。西部劇の舞台でもあるグランド・キャニオンに観光を目的の遊歩道が崖の先に出来たらしい。いくら観光とは言え自然を破壊するものだ。インディアンも怒ることだろう。景観も悪くなる。崖の上から崖下を覗いてスリルを味わって何かプラスになるのかな。大自然はそのままに鑑賞すべきだと思うがな。

読書

2007年03月20日 19時21分26秒 | Weblog
 写真は1月前のニセコでの散歩。ニセコから帰って20日が経過する。
来週は日光に家族旅行と元仲間内の箱根の会が予定されているので出入りが有る。
 ゆっくりと読書でもと思うがなかなか読めない。読み出しても直ぐに飽きてしまうし床の中で読むと直ぐに睡魔に襲われる。
 川本三郎の本に読書に関してのエッセーを思い出す。森鴎外や永井荷風という作家も市電の中で読書をしている姿を当時の人に見せていたらしい。作者の川本氏も散歩の傍ら電車の中で読書をするように心がけているらしい。
 大学に通っている頃私も良く電車で読書を繰り返していたことを思い出す。電車での読書は集中できる。帰りも読むので文庫本ならば1冊程度は読破出来た。テーマを決めずに手当たり次第に読んだ。恩師のU先生から借り受けた本が多かったようだ。読める時に読んでおこうと考えたからで、今では読もうとしても読めなくなった。直ぐに眠くなる。

冬と春の鬩ぎ合い

2007年03月19日 10時14分03秒 | Weblog
 あと数日で春分の日だ。この春は季節が冬に逆戻りして、今日も北風が冷たい。それでも、犬と散歩していると「水仙」「こぶし」「沈丁花」と春の臭いも加わり確実に季節が移りつつあることが感じ取れる。
 桜はここ1週間の冷え込みで大きくふくらんだつぼみも一気に堅く成長の度合いが鈍ったようだ。それでも今週には開花するのは間違いない。日本人は「桜」民族らしい。多くの人が桜を愛でる習慣は江戸の中期ぐらいかららしい。昔から桜を愛でていたのは高貴な公家社会の人達だけであり、一般人が桜に浮かれ出したのは江戸時代だとある本にでていた。桜はそのころ里桜、山桜が主流で江戸時代に染井吉野の品種が作り出されて、全国に広まり現在では桜の8割が「染井吉野」になったとか。明治の頃、イギリス人が桜の品種改良を地域ぐるみでやっていたことに驚いたそうだ。日本人は文化を持っていると感心したそうだ。何せ、そのころの西洋人は日本人を東洋の1野蛮人と認識していた証拠である。日本人は情が細やかで親切心に富み、読み書き算盤も上手であり、信心深い国民と写ったに違いない。
 その日本人の良さが大戦後激減し、合理的生活が幅を利かせている。話し言葉も生活様式も日本的な物が廃れ、新しさをしつこく追い求める風潮が一段と強まっている。生活しずらいな。

 

飲み会

2007年03月17日 09時13分29秒 | Weblog
 正月も新年会が立て込んだので市川に戻ってきた。今回も祝う会や元同僚との飲み会が有るので帰ってきた。今日も元同僚夫婦との会食で出掛ける。
 2月にキロロに滑りに来た夫婦だ。あれから1か月早い者だ。
今日はいつもご馳走になっているので今回は此方が接待しなければならない。
事前に寿司屋を予約した。以前勤めていた駅前の寿司屋だ。鐘淵に出掛ける。
勤務していた頃は昼飯などでも出掛けたし帰りに何人かで寄ったものだ。奥さんがS高校卒業で偶然に判明、それからはことある毎に帰りに寄った。
転勤で足立区に移ってからも年に何回かは出掛けて、近所の卒業生などを呼びだしては大声を張り上げていたことが思い出される。今日は夫婦同士の会食なので品良く行きたい。
 市川に帰ってくると飲み会が立て込むので飲み過ぎになりやすい。翌日は必ず2日酔いで時間を無為に過ごしてしまう。 

初雪

2007年03月16日 09時22分13秒 | Weblog
 今朝、散歩をしていると小雨に混じって雪が降り出す。東京地方では観測史上初、昨年から遅れること75日振りで初雪が降る。
 北の大地では先週からの大雪で今季一番の積雪だとのこと。地球の回転が多少変化しているのではないか。温暖化も然りだが地球そのものが変調のようだ。
 昨夜は以前の勤務でお世話になった若きF姉妹との会食会で錦糸町に出る。
錦糸町駅前に「伊藤左千夫記念碑」があったので見学。明治期千葉から出てきて今の錦糸町駅前あたりに牛舎を構え、採乳業を起こし、その傍ら詩作に励んで正岡子規に認められ、大いに明治期の短歌や俳句更には小説など幅広く文筆業に精を出したそうだ。以前、勤務した城東でも俳句会をしたことを思い出した。敷地内には伊藤左千夫の歌碑があった。設置には長のO氏が精力的に働きかけ西の庭の一角に立派な石碑がある。長のO氏は伊藤左千夫の孫弟子に当たるそうで、亀戸の縁の地に建立したのだ。伊藤左千夫とえば「民子」の「野菊の墓」が思い出され、中学生の頃えいがでを見て、淡き初恋の心情を感じとったものだ。