監督 北野武
北野武 (我妻諒介)
白竜 (清弘)
川上麻衣子 (灯)
佐野史郎 (吉成新署長)
芦川誠 (菊地刑事)
平泉成 (岩城刑事)
音無美紀子 (岩城の妻)
岸部一徳 (仁藤)
吉澤健 (新開)
小沢一義 (植田・清弘の手下)
寺島進 (織田・清弘の手下)
佐久間哲 (片平・清弘の手下)
一匹狼の刑事・我妻諒介は凶暴なるがゆえに署内から異端視されていた。暴力には暴力で対抗するのが彼のやり方だった。麻薬売人の柄本が惨殺された事件を追ううち、青年実業家・仁藤と殺し屋・清弘の存在にたどり着いたが、麻薬を横流ししていたのは、諒介の親友で防犯課係長の岩城だった。やがて岩城も口封じのため、自殺に見せかけて殺されてしまう。一方、清弘の仲間たちは知恵遅れの少女を諒介の妹と知らずシャブ漬けにして輪姦する。諒介は刑事を辞めて、岩城の復讐のために仁藤を撃ち殺した。さらに清弘もアジトで射殺するが、その死体にすがるのは変わり果てた妹・灯の姿だった・・・。
★★★★☆
キタノ映画をなんとなくろくに観ていなかったけれど、『ソナチネ』が気に入ったので少しずつ観ていこうと思う。そんなわけで初監督作品の『その男凶暴につき』。もし北野武がこの一本で映画を撮ることをやめたとしても、内田裕也の『コミック雑誌なんかいらない』みたいなカルトな人気を保ち続ける作品になっていただろう。その後の映画のバイオレンスへと派生する魅力や、映画構成がすべて詰め込まれた原石みたいな映画だ。なんといってもこの映画での武の暴力的で無軌道な存在感がすごい。それを際立たせるのは、敵対する白竜の薄気味悪いくらいの極悪ぶりだ。この二人が組織という存在を超えて個人対個人レベルで火花を散らす凄味ってのは息が詰まるくらいだ。神経を逆なでする過剰な暴力描写は今でこそ認知されているが、当時は衝撃的だっただろうなぁ。ヤクの売人が屋上に追い詰められてしがみついている手の指を切るシーンとか、ナイフを素手で握りしめるシーンとか。『アウトレイジ』にもカッターで指をつめる痛いシーンがあったが、こういう映画を観て痛さが伝わってくるような表現って、正直辛い。辛いだけにビクビクしながら怖いもの見たさでついつい映画に集中してしまう。こういう感覚ってコーエン監督の映画やリュック・ベンソン監督の映画を観ている感覚に近い。ボクがなにげに気に入ったシーンは、もうひとりの売人を白竜が始末する描写。売人のアパートに武が訪れて話したあと夜道を歩いて帰っていると、陸橋でなにげに白竜とすれ違う。そのあとも不自然なくらい延々と武の歩く姿が映され続けて、線路沿いを歩いていた武が突然気がついて駆け戻るっていう描写。いやぁ長い長い。だがその歩いている時間に白竜によって殺人がおこなわれたことを示唆している。最初の売人の殺され方とまったく違う描き方。静と動、緩急のみごとな演出っぷりは、もうここで開花している。『ソナチネ』でボンネットに映る光で銃撃を現したみたいな。う~む、やはりタダモノではない!
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こういう暴力映画は嫌いなのになぜか見に行って、思いのほか面白かったのを覚えています。
たしかタケシの妹が心を病んでいるんですよね。
何本かは見ていたけど、バイオレンスについていけないかも・・・と、敬遠してきたんです。
んでもって遅まきながらタケシ映画を今年中に制覇しようなんて思っております。
>たしかタケシの妹が心を病んでいるんですよね。
そうです、そうです。薬漬けにされちゃうんです。
暴力で語る事が必要な世界もある、というハードボイルドでしたね。
男子は、子供でさえも、暴力の芽は持っている。それを、止めるには、
やはり、同じくらい理不尽な暴力、自衛と説得の為の腕力が要る、
という肉食系なストーリーでした。
監督の二作目もそうだし、「ソナチネ」然り、
人間その気になれば何でも出来る、という、武士道かと思いきや、
民の力によるボトムアップの、自由と平等の世界観があると思います。
暴力映画は、自由と競争ありきであって、階級による支配や禁欲はタブー、
むしろ、そういった、支配する側を敵として扱い戦う事に、
作品世界のヒロイズムがあるのでしょうね。