大空を自由に飛んでいますか?

8年前レビー小体型認知症と診断された母。急激に症状が進行。
3年前の2月に旅立ちました

平行棒

2015-02-28 21:32:04 | 日記
父は三連チャンのデイ。

今日は平行棒を2往復したとか。
昨日からトイレで排尿が可能になり、
(勿論、座って)デイではリハパンになりました。


さらに、今日は便もトイレでできたそう。

2週間前、尿袋下げて血圧50だったとは思えない。


すごい。プロ集団の力を痛感です。


ただし。


ケアマネさんによると、要介護2だと半月で16万円。
区分変更で4になっても2万円くらいオーバーみたい。


仕方がないですが。


3月からは、週4回のデイ、月10泊くらいのショートというペースのケアプラン。


ヘルパーさんをなるべく減らして、尚且つ、私の普段を軽くするようにと。


専門職のみなさんが、私のメンタルとフィジカルを心配してくれます。


あまりの休みのなさに、ケアマネさんも、看護師さんも、
まとめて半月くらいショートを利用する気にならないですか?って。


多分、それがいいんだろうと思うのだけれど、
デイとショート5泊で何とかやれる気がして。


便問題と、血圧が安定すれば、介護負担はずいぶん減ります。


ただ、ヘルパーや看護師があまりにも優しいから
私の対応がお気に召さない。


あちらは仕事だから!とつい、言ってしまう。


一昨日だかその前に言い合いになった時に

それは言葉による虐待だと思う、と言われて

虐待上等だよ、って思った。
くたくたで帰宅して、注文ばかり言い付けられると
発狂しそうになる。


看護ステーション所長に「早くショートだね!○○さんが壊れちゃうよ」と
勧められたし、老健ショートだから、リハビリをしっかりだ。



今日は本当に疲れて、しんどかったなあ。


ゆうべは着陸直後に機内に電話、
移動中の地下鉄に電話。


ぼろ雑巾で帰宅して、仕事していると
パット交換、アイスノン、あれこれリクエスト。


今朝は、5時過ぎから脚が攣りっぱなしで、
怖くて眠れず。もう地獄です。

ちょっとトロっとしたらスマホに電話。

父が「そろそろデイの支度だから。髭そりでも」


はあ~~~~?


私に洗面器にお湯はって、かしずいて髭そりやれってか。



もちろん、怒鳴り返してやりました。

お尻をきれいにするのが精一杯だよ。




.....と、書いたところで、胸が痛いから先生を呼んでくれと。




ステーション所長がかけつけてくれて、
湿布を貼り、タオルをさらしのように胸に巻いて、
しばらく様子をみてくれました。



神経痛?


いずれにしても、デイで神経が高ぶっているだろうから、
デパスを飲んで早く寝ましょうということに。




情けないない85歳のじじいですよ、
もう、長くはないですね、
アレ(母)も向こうに行っちゃいましたし。




って所長に言いながら、


「90歳までは生きたい」。




膝カックンだよ。



私の方が先にくたばると思う!


所長と話しているうちに、元気が出てきたのがよくわかる。



ああ、本当になあ。


母の潔い最期から3週間。


父はなあ。


普通、奥さんを追うようにガックリすると聞くけど、
全然、気配なし。


驚愕じじい


と名付けますかね。


疲れはてている娘(オバチャン)より、はるかに意欲的。
貪欲だよなあ。


夕飯は、お肉もサラダもご飯もしっかり。


父よ、あなたはすごいっす。



デカイ溜め息で一日が終わります。

寂しい

2015-02-27 15:53:42 | 日記
とんぼ返りの出張は、もう帰路につくための
空港リムジンバス待ち。

寂しい。


ママ。ただいま~~!って言えない。


私が出掛けた土地のことを、何処でも、
知りたがった母。

私より、前情報をよく、仕入れて
時刻表の地図を見ては「近くに○○(史跡とか)があるわわよ!」と
教えてくれた。電車の時間を勝手に調べては私に
「予定通りに行くとは限らないでしょ!」と
反論されていた。


旅が大好きだったから、時刻表と地図で全国を駆け回る私と一緒に
旅をしていたのかもしれない。


仕事前も、仕事が終わったいまも、涙がぽたぽた止まらない。


花粉症だと思ってもらえるだろう。



遠くに行くのが怖かった。
母をなくした実感が押し寄せる気がして怖かった。


やっぱり、だ。



お土産物話しをいの一番に聴いてくれた母。
私を待ちわびてくれた母。



だれより、私を待っててくれた母。



遠隔地で、シルバーカーを押すお婆ちゃんを見た。
母はシルバーカーを一度も使わなかったけど、
母と重なって、いとおしささえ覚えた。



帰っても母は、いない。

おかえりなさい~~って迎えてくれない。


一緒だと思い込もう。


母も一緒なんだと思い込もう。



嫌いだけど、他にないから入ったスタバ。


泣きながらスマホにペタペタやっている私は
みっともないだけだ。


学生しかいない、こんな時間、
べーべー泣いてるオバチャンはヤバイ存在だ。


そろそろバスが来る。

帰還

2015-02-26 23:35:07 | 日記
朝、車酔いなどを考慮してご飯はバナナ半分とヨーグルト、ホットミルクだけ。

生活相談員さんが一足先に来て下さり、父を端座位に。
血圧を計りながら姿勢を保ちます。

108-70。

大丈夫だろう。


家内にリクライニング車いすが運び込まれる。
相談員さんは男性だから、移乗もスムーズ。

いよいよ、お出掛けです。


お迎えの車。久しぶりの運転手さん。
車いすごとリフトで・・・・・、という光景が母と重なって、
突然、涙が溢れて来た。
おいおい、予定外だよ~~~~。

ここで泣く?
ダメだ、ダメだ。
朝からなにやってんだ!

「ついこの前でしたからね」と相談員さんに慰められて、あれよという間に父は出発。


自分は仕事が切羽詰まっているからソッコーで仕事場へ。


誰からも電話が来ない。

ということは、問題なく過ごしているということ。

ほっ・・・・・・・。



明日の出張に備えていると、ちょっとしたトラブル。
なんでこんな時に・・・・・。



帰宅は20:00。
父は寝ていました。

デイの記録は丁寧でよくわかりました。入浴したこと、食事は9割自分で食べたこと、
父は軽いストレッチをしたと。疲れたけど心地よいと。

ヘルパーさんの記録にも異変はなく、まずは順調な再スタートが切れた。
明日、明後日と頑張ってもらわねば。


私は明日、早起きして空港へ行かねば。
気が重い・・・・。

いろいろ、父のことを用意しなければ。

さっき、夜のパット交換時、ちょっと漏れてた。

あ”-------------------



久しぶりに自宅のパソコンで仕事の後始末。
それだけは、嫌だったけど(メリハリがつかないので疲れる)
仕方が無いです・・・・・



朝は5時頃におむつ大パット交換して出発です。
あとは、何が起きても不可抗力。

空の上かもしれないし、遠隔地にいるかもしれない。
みなさまにお任せするしかない。


あれもこれも、中途半端でイヤだなあ。


とにかく、明日を一日、どうにか過ごさないといけない。

父じゃないけど、動悸がすごいよーーーーー!
救心?
あれって高いんですよね。あ~。


介護は孤独。
こんなにたくさんの人たちに援けられているのに、
贅沢だな。

すんません・・・・。

再デビュー前日

2015-02-25 23:55:44 | 日記
明日から父のデイ再開。

今日は11:30過ぎに電話があり、「動悸がひどい」と。
仕事でテンパっているのに、うるさいなあ・・・・・。

「あと40分でリハの先生が来るでしょ。バイタルチェックしてくれるよ!」
「ひどいんだよ・・・・」
「待てるでしょう、それくらい。そのあと2時からは訪看さんも来てくれるし」
「・・・・。ひどい状態だったってことだけは覚えておいてほしいよ」

死ぬってか。

もう、本当にめんどくさい。

いやいや訪看事業所に電話。近くを回っている看護師さんが来てくれることになりました。

電話が鳴ります。「お父さん、どうしたのかなあ」と所長。
ああ、良かったーーー。最も頼れる人です。
「なんだか動悸がするって言うんです。生きてる証拠なんですけど」
「アハハ、いいよ、一度、私がお父さんに電話で確認するね。今日はリハの先生が
もうじき来るんだよね。その後、わたしも行くし」
「宜しくお願い申し上げます」

40秒後くらいに・・・・・
「あのね、もう動悸は治まったって。大丈夫だって」
「ありがとうございますーーーーーーーー!」


一度でも玄関を開けてしまえば、料金が発生する。
退院してから訪問看護師が何度来てくれたことか。
当然、介護保険の限度額をはるかに上回る利用料でほぼ全額自己負担。
1回8400円くらいだから、もう、破産です。


所長はその点を気にかけてくれたんだ。
本当に助かる・・・・・。


リハの先生からも所長からも、夕方のヘルパーさんからも緊急の電話はなし。
つまり、無事だったってことです。

デイが始まるとなれば、いろいろ支度が必要で、バタバタと準備していると
父があれこれと指示。おまけにパンツを履いていくと。

何だと思っているんだろうか?

リクライニング車いすをベッド脇まで搬入しての移動だと話しているのに。
今までと同じように行けると思ってる。


とにかく、ウルサイ!

昼間の電話の件を「いい加減にしてよね!まるで放置されて死ぬ、みたいな言い方して」
「そうだよ、何で死んだのか報せずに死んだらいけないと思ったんだ」
「知らなくていいよ。命の儚さはママでわかったから。リハの先生が発見者じゃ気の毒だけど
それだって仕方が無いじゃない」

てなやりとりをしていると

「あんたのそういうのって、言葉による虐待じゃないかと思ったりするんだ」


ムカーーーーーーーー!!!!!!


あれこれ記録したり、連絡帳に記載したり、食事の支度をしたり、
バタバタしているのに、いちいちウルサイんだよー!

ベッド上で不快なのはよくわかるけど、状況判断くらい出来るでしょうが。


「出来ないよ。判断力ゼロ」と開き直る。

「私だって仕事がギリギリでもう追いつめられているんだからさ!」
「そうやって、仕事だ仕事だって言っていればいいんだからな」


もう、イヤになる。


ようやくお風呂に入ろうか、という時になって
「○○ちゃん、おしっこ出ちゃった」

「2回分は大丈夫ですから!」

さらに
「ママの気持ちがわかったでしょう。痛い痛いって言ってたよね。
オシッコ出ると、痛い~!って。それを、ウルサイって言ってたよね」
「また、そういうこと言うんだな・・・・」


ケッ。


もう、思い遣る気持ちなんて全然、表現できない。

やれることをやっているつもりだけど、父には全く通じていない。
感謝しているとか、ありがたいとか言っているけど、
うわっつらじゃないかと思ってしまう。



今まで、父・母・私という三角形だったから、バランスが取れていた。
今は、ただの棒。だから、倒れてしまう。


父の言い分は想像できるんだけど、親の権威とか威厳とかこだわりがあるんだろうけど。


ヘルパーさんたち、看護師さん、PTさん、先生。
みんな優しい。
特にヘルパーさんと看護師さんはほぼ父の要望を全て叶えてくれる。
丁寧に、優しく。

心地よいだろう。
うっとり気分だろう。


それに慣れすぎているような気がする。


わたしは娘だもの。仕事で来ている人と同じようにあーだこーだと言われて、
その通りには動かないよ。

イヤはイヤだし、ダメはダメとハッキリ断る。
出来ないこともたくさんある。


つい先日まで、痰吸引していたのに、ここまで回復してわけわからないよ。

お尻の傷もほぼ完治。ハイスピード再生のようだとみんなが驚く。
めちゃくちゃ恵まれた環境で看護と介護を受けているんだ。


わたしは、自分のミッションを淡々とこなすしかないや。

明日のデイだって、どうなるかわからない。
行ってみて、低血圧でソッコー、帰宅となる恐れもあると所長が言ってたし。

あ~。
滅入る。

もう、何だか泣きたいっす。

母のこと

2015-02-24 23:55:11 | 日記
デコちゅうをしていたころ。

もう3週間も経つんだな。



眠っているようにしか見えなくて、ずっと声かけしていました。




まだ、元気だった母。写真を写メしたので小さく加工です。





今日も疲れた~~~。


父は看護師さんに車いす20分。足浴、爪切りなどケアをしていただいたようで。
68まで下がったそうですが、気分不快(-)って記録で、
これは良い兆候。本当にすごいです。専門職って。

デイにはリクライニングの車いすでトライ。
明後日、緊張するけど何事も始めてみなければ。


明日は訪問リハの先生と看護師さんの観察でデイ再デビューに備えます。

わたしは明後日、朝から飛行機。ああ、気が重い・・・・・。
日帰りする距離じゃないと思うけど、しょうがないんだ・・・・。


55歳。働かないといかんのです。とほほ・・・・。