大空を自由に飛んでいますか?

8年前レビー小体型認知症と診断された母。急激に症状が進行。
3年前の2月に旅立ちました

チャリチャリ

2015-04-30 23:17:36 | 日記
昨日、父の病院に行くと元気がない。
突然39度4分、下痢だったと看護師さん。

前の日、50分のリハビリと50分のおしゃべりをした
ばかり。リハビリは血圧低下で実質10分にも満たないけど、
PTの先生とリハ室に居るだけで気分転換になるはず。

夕飯直前まで見届けていたから、翌日の変化にびっくり。

夜、ナースステーションに電話して様子を聞くと、
食欲がなく、フルーツ程度だと。

転院後、しっかり食べていたから心配が増大。
会話も全く問題ない状態に戻ったのに。


今日、主治医の説明日。入院時に決まっていたもので、
昨日の発熱、下痢は想定外です。
今から点滴開始とのこと。
脱水症状を防ぐ例のやつと、下痢発熱防止策の抗生剤。

逆戻りだ。

医師は、退院後も車イスで常時を見守りが必要と。
起立性低血圧はどうしようもない。
心臓のダメージ(壊死)はかなり大きかったようです。

結論は、やっぱり施設。
医療からみて、施設。


MSW室に直行して、老健の紹介をお願いすると、
新設のグループホームを教えてくれた。
もしかしたら、まだ空きがあるかもと。

老健は在宅復帰が前提だし、5月末予定の退院までに
空きが出る保障はないし。

認知症向けだから、と躊躇いもあったけど、
とにかく、退院後の居場所がないと困る。
病院からグループホームに電話して、見学申込。
チャリで25分余り。

明日、オープンという慌ただしい中、
時間を割いてもらい、見学と申込をしました。


月額負担は20万円ほどだけど、個室だし、何より制度上、
居宅だから、往診の先生が変わらないで済む。
自費覚悟なら訪問看護も母時代からの人たちに
お願いできる。

退院できる可能性がどれくらいあるかわからない。
またまた生命力を発揮するかな。
でも、とにかく、これで一応、退院後は何とかなるかなと。


ケアマネさん、訪問看護ステーション所長、
そして、在宅主治医に報告。

久しぶりに聞く所長の声。
連休明けにお線香をあげに行く予定だったと。
胸が熱くなります。
グループホームの選択は大賛成だと。

主治医の先生もその選択はよかったって。
綱渡りの在宅は、もう無理だと。
同じ行政区だから、グループホームに通いますよ、と。
母同様、最期は先生に脈をとってもらいたかったから、
本当に安心した.....

先生に昨日からの異変を伝え、病院を出られるかどうかは
難しい気がするんです、と言うと否定しなかった。


余命がはっきりしているなら、帰宅させて24時間体勢で
看取りをするけれど。
その辺りが本当に難しい.....

在宅主治医の先生に様子をみてもらうように
頼んでみよう....


いろいろ、いろいろ。

自分にできることには限りがある。
できる限りのことしか出来ない。
今は、何をおいても、毎日病院に通うだけ。

5月は遠方の仕事が入っているから、その日に
何かが起きないように祈るしかないです。

医師から処方されている睡眠導入剤と睡眠薬が効かない。
ずっと浅い眠りで疲れるなあ。慢性的レム睡眠。

運動量は結構、あると思うんだけど。

あ~~!ぐっすり眠りたいよ~~

区切り

2015-04-27 23:15:09 | 日記
父の病院に通う毎日。
顔を出せば少し、何とかなるかなと。

親しかった人のお見舞を機に正気に戻った感じです。
部屋に窓がないので、廊下突き当たりの窓辺で
風を感じられる場所に車イス移動します。

カーテンが風に揺れて、陽射しを浴びると
心なしか笑顔が増えたり、会話も進んだり。

トイレ介助は必ずナースコールしないとダメで、
介護スタッフさんにお願い。

何故か私がいる間に必ず、う○ちに行く父。
必然的に毎日、一緒にトイレに入ることになります。
途中は私が介助。
介護スタッフさんはやってくれない(時間がない)
洗浄を必ずやります。お尻は既に赤くなってて可哀想だけど。

先週から、本当にいろいろあって。
いろいろ、いろいろあって。

マンションの売り出しを決断して、
購入したときの仲介業者と打ち合わせ。
具体的に話が進むにつれ、不安も募る....
父は帰る家を失う。
私が奪う。

何だかな。

そんな毎日で、仕事もバタバタしてブログが書けなかった。

で、昨日。友達と会いました。
事情を全部、話して
迷っていることや不安を吐き出して。

彼女は、別居の判断を後押ししてくれました。
親の人生と私の人生、ベツモノだって。
同居しても、きっと切なくなるよ、と。
別居しても、切ない。
同じ切なさなら、自分の人生(老後)を考えて!と。

迷い迷いだったけれど、出来ることに、限りはあるし、
自分を過信しちゃいけないな。

金曜日はケアマネさんに自宅まで足を運んでもらい、
話をしました。在宅前提のケアマネさんだから、
施設に舵を切った私とは縁が切れる。
お世話になったから、すごくサビシイ。

母のときから在宅でお世話になった人たち、全てと
縁が切れる。本当に寂しいです。

支えてくれた人たち。
すごいチームだったなあ。



父の病院では、ゆうべ、車イスポケットに拘束帯が。
父に聞くと、朝ご飯のとき、突然、縛られたって。
確かに、今まで拘束は全くありませんでした。

座った姿勢での拘束は、
肉体的圧迫感と精神的屈辱があったって。

とにかく、理由を聞かないと。

看護師さんはわからないわからないの一点張り。
引き継ぎも記録もないと。

結局、わからずじまいでした。
ただ、現状で父に車イスで拘束帯をする理由はないし。
拘束するなら、ベッドでいい。
車イスからずり落ちるリスクはないし。

理由があるなら、仕方がないんです。
でも、看護師さんが説明できない状態で
安易な拘束帯はNGだと思う。

で、説明できないなら拘束は止めて欲しいと
伝えて来ました。

父は自宅に戻れない類の話題を「今は止めておきたい」って。
絡まりまくりの諸々、今は棚上げです。


ずっと、悪い夢ばかり観ていたけど、
区切りをつける時期なんだな。
具体的に進めて行かなきゃならないことも多いし。


それでも映画は欠かさず。
「プリズナーズ」。
ヒュー ジャックマン主演ってあるけど、
刑事役の人が主演のよう。
すごく、面白かったです。

「NICK 狼の掟」というドイツ?のアクションだか
警察もの、なかなか面白かった、かな?
役者に見覚えがあって、似たようなものばかり観ていると
自分に呆れてしまいました。

あと、「RUCY」
リュックベッソン監督。
アクション映画かと思いきや爽快感がない
ビミョーな不気味系映画。主演女優が綺麗だから、
最後まで観ちゃったけど。

LUCYのとき、予告はいつも飛ばしちゃうのですが、
いきなり「TED」が出てきて。
8月に第2弾が公開されるんです。
もう予告動画を何度も観ているけど、
本当に楽しみです。公開されるときには56歳。
ヤバイです。

うん。昨日、言われたように、父のこれからより、
自分の老後を考えねば。

母のお誕生日の花束、買い忘れてしまうくらい
ぼけぼけですが、しっかりしないと。

久しぶりで、とりとめなさすぎだなあ。
スミマセン。

昨日、病院でチラ見しか出来なかった
DASHを観て、マツコを見て寝よう....

月曜から夜ふかし、と怒り新党はココロの安定剤的番組です。
マツコのまっとうな見識、かなりの偏見?や
価値観の一致加減(10歳以上です年下なのに頷くことばかり)、
有吉さんの棘がたまらんです。

最後に、ママ、お誕生日おめでとう!
天国?で85歳なのか、1歳なのか。
旅立った日が誕生日になるのか?

わからないことだらけだな。
(馬鹿が加速している.....)

凹凹凹

2015-04-21 21:50:16 | 日記
1655に父の病院。

目をパチリと開けて、寝ていた。
嫌な感じです。

会話が成り立たない。


大阪までベッドを運んだ2万円の領収書はちゃんと受け取ったか?
大阪は箕面だと。

ふうん・・・・。推測するに・・・・

「ママと箕面行ったの?」
「うん。行った、行った。」
「なんだろう?三十三観音かな」
「そうだよ」
「どこかな」
「わからない」
スマホで箕面、西国三十三札所と調べると、箕面に勝尾寺とある。

「ここ?」
「そうだ、そうだ。行ったんだよ。ママと」

「千里中央駅からバス、ってあるけど」
「そうだ、千里中央に行った」

このあたりまでは何とかなるけど、ベッド云々は全くわからない。


シンガポールに行って帰りのチケットをなくしちゃって、お財布もなくして
新幹線で香港まで来て、とりあえず大阪に戻ってとかなんとか。
それが昨日のことで。


病院にいることがわからくなっているようだったけど
「よかったね、世界旅行に行けて」と言うと
「本人は真剣なんだよ」と妙に力んでいる。


幻視に近いものが見えていたりもする。
長期入院であちこちダメージがきても不思議ではないけれど。


「血圧はどう?」
「100あたりか。80ってこともあるけど」
とりあえずホッとしたら・・・

トイレというので看護師さんを呼ぶと、今日は車いす上で意識低下の場面が
2回あったため、排泄はオムツで・・・とのこと。
明日から血圧のお薬が必要になったそうです。
100、なんてとんでもなかったんだ・・・・。


とにかく会話にならないのがしんどい。発する言葉がフニャフニャしていて
何度も聞き直し。
一昨日とは別人の父。変動の範囲内で起きていることはわかるんだけど。

娘からの「別居」宣言、「もう、家には帰れない」現実の再確認が
父の何かを壊してしまったのではないか。


せん妄なのか、認知症の始まりなのか。
血圧がネックになっているだけなのか。
いずれにしても、「早く元気になっておうちに帰ろう」と言ってあげられない。

父の何かが壊れていくかのような状況をこうして見続けていくことになるんだろうか。

明日になれば、少し、現世に戻ってきてくれるの?
もう、このまま、落ちていくだけ?

いっそ、認知症が進んでしまえば施設入所も抵抗が薄まるかと思っていたけど、
もし、自分が進行の引き金を引いたのだしたら何とも言えない。

そうじゃないよ、と言う自分もいるけど今回は間違いなく私の宣告が父の何かを壊した。

何だか、ひどいな。

仕事だけが順調に進んでいく。しんどいけど、前に向かっている。
でも、何だか気持ちが晴れない。当たり前です・・・・。

親を捨て・・・とは思わない。
今回、壊れなくても近い将来、別の要因で認知症を発症していた可能性は低くないと思う。
でも、時期を早めたことは確かだろう。わたしの「決断」をデイルームで再確認したことが。

母は怒っているんだろうか。
怒っているよね・・・・。

自分の人生を歩くことが大切だとわかっているけど、
それと親を傷めつけることは話が別。

はあ。
いやあ、めげます。ホント。


院内のレベルダウンなのかな。
認知症発症なのかな。

思えば、父は2月5日から今日まで3ヶ所の病院を
転々としている。
うちにいた2週間は端座位すら取れなかった。

頑張っているよなあ。
ああ、(´ω`)です。

耳掻き

2015-04-19 19:58:12 | 日記
父の病院。ベッドが空で今日もトイレでした。

トイレに一人だったので見守りも兼ねて。
車イス用トイレなので、やたら広く、一緒に入っても
違和感ゼロ。髪が乱れていたので部屋から櫛を持って行き
整えました。で、看護師さんに移乗してもらいデイルームへ。

少しずつ、感情が落ち着いてきたかな、私。
まだまだ、怪しいかな。

ご飯が常食らしいです。本当かな?
水分はトロミをつけてもらっているみたい。
リハビリはPTさんとOTさんだけで
STさんのリハがプログラムにないから、
もう、大丈夫と判断されたのかもしれないです。

仕事のことや母のこと。
とりとめなく。


かすれ声が治らない、と言うので
歌を歌えば治りが早いよ、って話から
♪花
♪茶摘み
♪富士山
を歌ったことを思い出して、シンミリしちゃったり。


と、突然、耳が詰まった、と。

耳の不快感はよくわかります。
自分の声が反響しちゃうやつ。

よく考えたら、二ヶ月くらい耳掻きしていない。

看護師さんに要請すると耳掻きがないから買って来て下さいと。


買って来てお願いすると、まあ、採れるわ採れるわ。

あんなに溜まっていたらダメだあ。


買ってくる間に昨日購入したクロスワードパズルを
解いているように、言っておいたら30分弱で一頁の8割が埋まっていました。
難しい、と言っていたけど十分です。


父のお隣さんが、毎度、排便してナースコールで、
なかなか臭いが厳しい。
つい、半月前まで父もそうだったんだ。ご本人は褥瘡で苦しんでいる。
大変だな。本当に大変です。


父には明日は仕事で来られないことを伝え、
バイバイして退室。


1日、1日を少しでもちゃんと生きないとイカンと。
いい加減に生きて来たから、今さらだけどそう思う。


思うだけで終わってしまうんだけれど。

母の祭壇がちょっと寂しくなっていたので、
お花を買って来ました。
来週は、母の誕生日。存命だったら85歳。

死んだ親の年を数える、って変かな。
お誕生日にはちょっと気張って大きな花束を飾ろう。

難しい

2015-04-18 20:17:44 | 日記
1400に父の病院。
寝ていました。

起こすとすぐにトイレ要請。
介護スタッフさんに車イス移乗→トイレ介助をお願いです。

トイレ内に入っていくとスタッフさんに驚かれましたが、
リハの進捗状況が気になるので、見せてもらいました。
一時期より大腿筋が少しついたかなと。
でも、痩せ方がハンパない。
それも仕方がない。

トイレのあと、デイルームへ。


同じ高さの目線で会話するのは半月ぶりくらいかもしれない。

もう、一緒に暮らせないことを再確認。
でも、同じ屋根の下でお互いに煮詰まるより、
距離を保つことで心配したい、と。

話し始めは目が虚ろで、
「どうでもいいんだよ。もう、どうでもいいんだ」
と投げ遣りだった父ですが、
ゆっくり話し合ううちに
「本当にもう、一緒に暮らせないのか?」

「うん」と言うと、ガックリ肩を落として
テーブルで祈るようなポーズ。
....しんどいな。


途中、看護師さんが血圧測定に。
「普段から低いのですか?」
「はい。在宅で70の40ということもありました」
「ああ、そうですか。昨日のリハビリでも60台になって
しばらく始められなかったんですよ」
「今はいかがですか?」
「70の44です(苦笑い)」

たとえ、筋力が多少、ついても血圧の問題があるから、
車イス生活を余儀なくされるだろうな.......


「マンションを売って別々に暮らす決心を
してから、毎日、嫌な夢ばかり見る」
「お父さんもだよ。話しを聞いてから、せん妄が増えた」

私は情けないことに、どうしても涙が出てしまう。
ただ、私も苦渋の決断をしたのだということは
少しだけ、伝わったかなあ。


ざっと数えても、ここ5年で7回以上の入退院を繰り返し
その都度、蘇ってきた父。長生きしすぎたのかなあ。
でも、人が生きているって、生かされているって
必ず、意味と意義がある。私は、父の命の意味と意義を
考えなくちゃいけない。父が何故、たくさんの病を克服しながら
生きているのか?私の人生へのメッセージがあるはずなんだ。


そう考えたのは、今朝のこと。

このところ、毎朝、本当に嫌な夢を見る。
父を見捨てるような潜在意識に縛られているみたいてま。


いま、父を厄介だと思っている自分に気付いたのかもしれないです。

なんで、生きているの?と。


とんでもない、傲慢。


このトシになって、酷いもんです。

人間としてサイテーです。
痩せこけて、ベッドと車イスの生活を強いられている父。
その尊厳は父がどんな性格か、価値観か、人間性はどうか、
私との相性はどうか、なんて関係ない。

何だか、スマホで書くには面倒すぎる内容になってしまいました.....

とにかく、父にとって悪い居場所にだけはならないよう、
しっかり探してもらおう。探そう。

選択肢は余りに少ないけれど。


「施設って、こういうところか?」
「ここは病院だよ...生活する場所だよ」
「そうか」


もし、近い場所ならば週3で通える。いや、通う。
お互いのため。

きっと、お互いのため。

言い訳かな。

言い訳でもいいや。


母は怒っているかな。私の選択。


生きるって、難しいなあ。