僕たちの天使

私の愛する天使たち、ネコ、山P、佐藤健君、60~80年代の音楽、バイクなどを徒然に語っていきます。

オトメちゃんが母親になっていました。

zooさん、お元気ですか。 もうご承知かもしれませんが、オトメちゃんが お母さんになっていましたね。市川動植物園のHPに 2013年、オトメちゃんがお母さんになっていたことが載っていました。赤ちゃんを抱いてカメラ目線です、オトメちゃん。こんなに嬉しいことはない。またブログを再開してくださることを願っています。 このブログの2014年8月4日の記事を読んでください。

(4/26)今日は羽生君の凱旋パレード

2014年04月26日 07時47分20秒 | 日常、仕事、認知症
久しぶりのブログ。

今日は休み。
羽生君のオリンピック金メダルの
凱旋パレードがあるので
行ってくる。
おそらく人がいっぱいで観るのが困難だと思うが
行ってくる。

職場の元同僚、Iさんからメールがあり
いっしょに観に行かないかとの誘い。
ちょうど休みでよかった。

彼女との不思議な関係。
あれほど彼女のきつい言い回しに辟易して
職場を辞めるきっかけの1つになっていたのだが
(そのあと、彼女も辞めて、私は彼女の辞めたあとに再び復帰。この過程は書いた)
何かと懐かしさがあって
どうしているかな、そろそろ会いたいな、と思っていたら
彼女も同じで
羽生君のパレードをきっかけにして会うことになった。

ピザを食べに行くということで
昨夜、いろいろ検索して、ようやく決まった。
しかし
何しろ、仙台だけではなく、おそらく周辺の県、あるいは遠くからの県から
彼の大ファンがやってくるので
どこも混みそうだ。
それを念頭に、パレードの近くの店を選んだ。
果たして、望みどおりに食べられるかどうか。
お天気も良いことだし、いい休日であればなあ。

ところで
昨年暮れに買ったばかりのテレビ、壊れてしまった。
先日点検に来て
今日また来る。
それの時間の制約があるので、彼女との再会は時間を気にしながらのそれ。
でも、また会うことの約束をしよう。
食べることが好きな二人なので
彼女の住む町のピザ屋など探索するのもいいな。


良い休日でありますように。

(4/10)山P、ハトのPちゃん、私、誕生日おめでとう。

2014年04月10日 11時35分23秒 | 私の鳩


ブログ、1ヶ月ぶりです。
昨日は
山P、ハトのPちゃん、私の誕生日でした。
Pちゃんは、昨年の今頃孵化していて、親鳩がせっせと餌を運んでいたとき。
そのあといろいろあって、私が保護した一連の出来事がありました。
無事、この寒かった大雪の冬を乗り越えて
どこかで仲間と過ごしていることを信じています。
山Pと私の誕生日に、ハトのPちゃんも祝うことに決めていました。

ケーキは毎年買うところに、今年初めて、お祝いの名前を入れてもらいました。
山P、としようと思ったのですが
恥ずかしくて、ハトのPちゃんにしました。
ハトのPちゃんにしても、十分恥ずかしいのですが、笑顔で書いてくださいました。

前日の8日に買ってきました。
夫にはその8日に
「明日、誕生日だな。」と言われ、
「ケーキ買ってきたよ。」とその日のうちに半分食べて
昨日当日には全部食べました。


これはいっしょに買ったプチケーキ。
職場の人たちにお裾分け。
これが物議を醸すことになりました。
昨日は実家に行くことにしていたので
Eさんに、「皆で食べてね。」と依頼したのですが
上司のWさんにはやらない、と彼女。
「なんで?」
「いじわるだから。」
「Eさん、いじわるされたの?」
「いや、彼、瞬間湯沸かし器だから。」
「私だって瞬間湯沸かし器だよ。私はよく彼と話すし、不自然でしょ、彼だけに
やらないなんて。彼にちゃんと聞くからね、ケーキ食べた?って。」
と言って職場を出る。
Eさんは、若い人たちのWさんはずしに便乗している形だ。
ちょっといやな気持ちになって、急いで実家に。


先月の中旬
母の病院の付き添いのときに
待合のときに父はいつもテンション高く私と話すのだが
「4月9日、オマエの誕生日だったなあ、その日
外食してお祝いしよう。」と言ってくれた。

両親が私の誕生日を覚えていてくれた、と思った。
なにしろ
結婚してから
私の方から両親の誕生日ごとの祝いの品を持っていったのはあったけれど
両親からの私の誕生日祝いというのはもらったことがないし
父は
私の誕生日なんて覚えていないだろうとずっと思っていた。
それが
こんな晩年近くに
急に祝おう、と言うものだから私は驚いた。


父は風邪を引いていた。
母は
父の風邪を心配し、彼女も咳をしていた。

中途半端な時間の食事だったが
3時ごろ
いつも行くトンカツ屋に。
私は
あまりトンカツは好きではないけれど
両親も夫も好きなので
迷いもせず、そこに行く。
夫は仕事なので
持ち帰りのトンカツを持たせてもらった。

そこで観察したのは
母が無言でパクパクと食べること。
食欲旺盛。食べるのも速い。
父が食べなかったこと(風邪のせいもあるが、最近食欲がないとのこと)。

家にて
母が使っていた貴金属を私に。
どのくらい価値があるかわからないが
父も母も
少しずつこうして遺品整理していっている。
父の部屋(元の私の部屋だった)に行って
引き出しを開けて
「ここにあるもの、皆捨てたんだ。」と綺麗にカラになった書棚を見せてもらった。

その貴金属の中に
場違いなバッジがあった。
それは
私がずっと探していたものだった。

朝日新聞の「小さな目」という
小学生が書く詩を載せるコーナーがあったのだが
数十年前の私の小学生時代の
詩が載ったことによって
新聞社から送られたバッジだった。
「ああ!ここにあった!」と
私はてっきり自分が無くした(何しろ整理ベタだから)と思っていたのが
こうして何十年ぶりかに発見。

どんな詩か全然覚えていないし
どの先生が推薦したかわからないけれど
当時
母に聞かされていた。
そして肝心の母は
このバッジにエピソードがあるとは今はわからないんだ。
母の記憶からどんどん小さいときの思い出が忘れられていく。
父に誕生祝い金をいただいたけれど
母は
「結婚記念日祝いだから、だんなさんにもちゃんと伝えてね。」と言う。
「誕生日祝いね、結婚記念日も3月28日で近いからいいよ。」と私。

母は
認知症がひどくなっている。
先日の病院の検査のときも
先生から「大分認知症が進んだね。」とはっきり言われても
母は認知症の意味がわからないので
「ウフフ」と笑うばかりだった。
「はい、私も母とは久しぶりに会うのですが、それ感じました。」と私。
父に
「お母さん、大分認知症進んだって言われたよ。」と母の目の前で言っても
差し障りがない。
父の名前と私の名前しかわからないようだ。
あの、厳しかった母が穏やかな認知症になっている。
それとは反対に
義母が別な形で認知症になっているようだ。

あるとき
暖かい雨の日
いつものように
カエルたちの冬眠から覚めての動きを懐中電灯を照らして観察。
道路に出ているカエルたちを保護の私。
南側の庭に懐中電灯を照らしているのが見えた。
一瞬ドキッとしたが
義母が部屋から外に照らしていた。
そして怒鳴り声。
いない人間に向かって
「また、来たな。暇だれもいいところだ。」と外に大声をあげている。
庭はいつのまに
バリケードらしきもの4箇所に増えている。
トラップらしいものもある。
ブスリブスリと土に刺した植木用の長い棒など。
撒き散らしたビン。

穏やかだっただけに、これらを観ると
人の最期ってギリギリまでわからない。

しかし最近はおとなしい。



ということで


山P
29歳おめでとう。
ハトのPちゃん、1歳おめでとう。
私、
健康に気をつけてね。