僕たちの天使

私の愛する天使たち、ネコ、山P、佐藤健君、60~80年代の音楽、バイクなどを徒然に語っていきます。

オトメちゃんが母親になっていました。

zooさん、お元気ですか。 もうご承知かもしれませんが、オトメちゃんが お母さんになっていましたね。市川動植物園のHPに 2013年、オトメちゃんがお母さんになっていたことが載っていました。赤ちゃんを抱いてカメラ目線です、オトメちゃん。こんなに嬉しいことはない。またブログを再開してくださることを願っています。 このブログの2014年8月4日の記事を読んでください。

(5/27)重い心で

2015年05月27日 20時27分27秒 | 日常、仕事、認知症
あんなに暑かった土曜、日曜。
今日はひんやりした空気だ。


心が重くなることの連続である。

捻挫した足の痛みが取れない。
明日で2週間である。全く日に日に善くなる気配がない。

昨日の子ネコの件。とうとう捕まえられなかった。
どこかに逃げたのか、今日は全然鳴き声が聴こえない。
昨夜の寒さで体力が無くなったかもしれない。
親元に帰れればいいが、それもわからない。

知人の夫が脳梗塞になったと連絡があった。
これが重い。
知人の心を忖度すると重い。

夫の会社の人が大怪我をしたとのこと。
詳細はわからないが、夫の話を聞いてきた限り、
その人も不運の連続である。

人の身を案じるほど
自分の生活はどうなのかというと
この通り。
義母とは夕方会話したが
抵抗力のない私は
沈んだ心で応対。

そして昨夜眠られず読んだ本(昔のを引っ張り出して再読している今)
の内容。
ノンフィクションのため、
昭和48年前後に起きた事件の当事者は
今、どうしているのかとネットで検索する。
私の若いときはネットがない。
今は
どんなことでも検索ができて

その女性が
義母と同じ年齢だということを知り
現在どのようにして暮らしているのだろうかと巡らす。

1人1人に人生あり。
義母にも人生あり。
若かった頃。
夫を生んだ頃。
可愛かった息子を毎日出迎えたころ。
義母には
あの頃の息子が今でも傍にいるように語る。
認知症じゃなかったころも
よく、聞かされた。
私は親の愛情が薄かったために
親から
そんな思い出は語られないだろう。
最近の語られた思い出は
養子縁組をした頃のことだ。
私は
子供のころから
遠慮気味でオドオドしていて
いつも母の機嫌に左右されて生活してきた人間だ。
夫は
普通に、きわめて当たり前に
母の愛情を受けてきた人間だ。
義母の語る息子への愛は誇張ではない。
母親なら当たり前の愛である。
私は
愛を語られる前に、規律を求められた人間だ。
母の求められる規律に達さない場合
容赦なく鉄拳だ。

夫の母親に初めて接したときに
庭に咲いていたバラを束にしてもらった。
お近づきの印に、と。
買ったバラではなく、庭に咲いていたバラを抱えきれないほどに
持ってきた夫に
今までとは違う、明るい未来を感じさせた夫との出会いだった。
あの頃の義母。
親の愛を身につけた夫。
自分のこれまでの生活を変える
「心の安定」の未来を予感した出会いであった。

しかし人生。
その思い出は消えずとも
色褪せることがある。

もっと客観的に
俯瞰的に
見ることのできる自分でありたい。

(5/26)義母との諍い 2

2015年05月26日 20時13分25秒 | 日常、仕事、認知症
今日は私の休み。
4時過ぎに起きて
5時ごろから夫の朝食の準備。
案の定
義母がその前から起きていて
食堂の周りのドアなど全開していた。
普段は
食事の準備のときは義母の部屋と通じるドア、引き戸は閉めるが
彼女はそれに抗うように
全部オープンにしていつでもこちらに来ることができるようにしているのがこのごろ。

「言いたいことが山ほどある!」と
いつものように話しかけ、一方的に
機関銃の如くわめいている。
彼女の部屋と台所は少し距離があるので
手元で家事の音を出していて、耳の聴こえない私には
何を言っているのかわからない。
それらを聴いているうちに
自分の身体が震えてくるのがわかった。
腕も足も心もガタガタ震えだした。
彼女の声への恐怖心か。
以前、仕事に行く時に前チーフとのやりとりを想像して
ガタガタ震えだしたのを思い出した。
あれが続いて、仕事を辞めることにした。

家事の途中で二階に上がった。
夫はまだ二階で支度中だった。
身体が震える、と訴えて自分自身を落ち着かせた。
すると夫は一階に下りていった。
その後
私がちょっとしてから下りていくと
全部閉まっていた。

家にいる間
また何か言ってくるのでは、と思い
洗濯などをしたあと
二階の奥でネコたちと過ごす。

朝、いつも出てきては怒鳴り散らしている。
夫は
私が仕事に出たあとに
自分で朝食の準備をして新聞を見ながらラジオの音を流していると
必ず、「言いたいことがある」と絡んでくるようだ。
夫は
相手にしない、無視することにしている。
仕事に行く前に相手をしていたら
時間もないし、何より仕事に影響が出る。
昨日も
前日のやりとりが尾を引いて
私の仕事は暗かった。

夫は
ジキルとハイドのような面を持っている、と言った。


どうにかしなければ、と思う。
彼女の病気というよりも
今の状態は
嫁姑の諍いに映る。
言っている内容がこれまでの
「オトコやオンナが来て覗き、あれこれいたずらしている。」というものであれば
まだ擁護できていた。
そんなものはいない、と何とか安心させていた。
自分の物を失くすのもそれらのせいにして
私たちに直接の攻撃をしてはこなかった。
それが今は
「二階に、トモロッシちゃんの(拝み屋の)旦那がいる。」
機嫌のよいときは
「二階の旦那さんも呼んでゴハンを食べさせたら?」となる。
そんなものはいない、二階にいる旦那はあなたの息子だ、と言っても
「いや、いるんでしょ、息子には内緒にしてあげるから。」などと
私が笑って「そうですね」と言えるわけがない。
もしかして
階段の壁とか二階の居間の山Pの写真のことを指しているのか?
あるいは
バイクの青木治親と共に撮った写真を飾っているのを見てか?
あれの撮影者は夫だ。

そしてこのところの口論は
これまでためていたものを吐き出すかのように
現実的な問題を口にする。
挙句の果てに
「だからこの家を建てるのは反対したんだ!」と数十年前のことを言う。
「何を今更言うか。反対したなどとは一度も聞いたことはない。
反対したなら、当然この家は建っていない。あなたがた(義父母)が賛成したから
こうして何十年も経っているのだろう。」
と私もまともに相手してしまうから
売り言葉に買い言葉になっていく。
そこが賢くない、とでもいうのかもしれない。

彼女の言うことに相手してしまう自分、正論を言ってしまう自分が
彼女を追い詰めている、と時折思う。
それは通用しないよ、と隣の奥さんに言われた。
5月1日のことだ。
あの日もいろいろとあった。
そして
彼女が買い物に出かけている間
隣の奥さんの所に行った。
以前、義母の様子がいつもと違うということで
奥さんの所に聞きに行った。
半信半疑だったので、隣の奥さんが客観的に見てどうだったかを知りたくて。
それ以来
この件については触れていなかった。
義母は隣の奥さんを非常に信頼していて
「私の本当の娘のようだ」と私にあてつけのように言うことがある。
私たちが結婚する前からのお付き合いだから
それはそうかもしれない。

そして今回5月1日に言われたのは
一番可哀相なのは義母だ、ということ。
毎日毎日不安でしょうがないんだと思うよ。
あなたと息子がきちんと病院なり連れていって
何かしら手を打たねばならないでしょ、と言われた。
まずは包括支援センターに行って相談してごらん、と。

さて
このような状況で
どのようにして病院に連れていくことができるか。
かかりつけの病院の先生にも協力を仰いだが
進展がない。
こじれてしまった私たちに今は信頼関係はない。


彼女はチヤホヤされていると機嫌がよい。
隣近所の人達と話す彼女は
「私は息子のことが心配で、いつも外に出て帰りを待っているの。」と
言うと
「おばちゃん、岸壁の母だねえ。」と言われて喜んでいる。
5月1日の夜
義母をかわいそうだ、と思ったときに私は
白昼のことを詫びた。
すると
「私はね、こんな胸(小さい)だからオッパイが出なかったの。
だから、一生懸命出して育てたの。」と
1人息子がいかに大事かを切々と言う。
息子がどんなに白髪頭になっても、彼女にとっては
カワイイ息子なんだ。
それがわかった。
が、それまでである。
そのカワイイ息子に朝毎日のようにわめいている。

私がもっともっと
彼女の自慢話を聞いてやれればいいのかもしれない。
もっとスキンシップをとればいいのかもしれない。
しかし
この私も、屈折した生き方をしてきたために
そういうのができない。

そんな2人のぶつかり合いである。



子ネコ騒動。
しかし捕まえられなかった。

(5/24)義母との諍い

2015年05月24日 20時58分45秒 | 日常、仕事、認知症
4月15日
5月1日
そして今日5月24日

このところ
義母との激しい口論が続く。
もう夫に遠慮することなく
義母と対立する私だ。

5月1日の複雑な気持ちも整理できずに
20日ほど経ち
また今日口論になってしまった。

義母は病気なのだ
とせっかく1日に私自身が納得したはずなのに
現実では
どうしても許せない言動等に突っかかる私だ。

私がバカなのか。
賢くなければならないとはわかっているが
賢さとは
どういうことを指すのだろうか。

記録として書いておかねばならないと思いつつも
書けない心境だ。


(5/17)すずめ踊りと点字ブロック

2015年05月17日 22時17分37秒 | 日常、仕事、認知症
青葉祭りというイベントが2日続いた。
街には観光客等にぎわっていた。
そのイベントの1つに、すずめ踊りというのがある。
いろいろな団体のチームがお囃子と踊りをしながら街の中を練り歩く。
それを観るのが楽しみだ。
日本人だけでなく、外国の方も交じって、堂に入った踊りを楽しく披露する。
毎年そんな光景を観てきた。

私の職場はそんなにぎやかな街の中にあり、
窓から仕事をしながら眺められる。
見ていると
1人の目の見えない男性が点字ブロックの上を杖で探りながら歩いていた。
点字ブロックは道路の真ん中にある。
そして反対側から踊りの団体がやってくる。
当然ぶつかるのがわかる。
踊りの先頭の人が気づき、その方を道路の脇に連れていった。
踊りは支障なく続き、観ている人たちは歓声と拍手。
お囃子の音は非常に大きい。
その男性は、点字がないため、立ったまま杖を周りを探ったが
何も当たるものはなく、耳をふさぎ、立ち往生していた。
命綱のブロックがないから、1歩も動けない。
目が見えないから、劈くような音だけが彼を取り巻く。
群衆の中の孤独。
上から見ていて、たくさんの人の踊りに夢中になっている歓声と
その男性の姿の対比がわかった。
私はチーフに事情を話して、
その人を誘導しに行っていいか、と尋ねた。
承諾を得て
捻挫した足をひきずって(2日前に大捻挫した)階段を下りていった。
しかし
その男性の姿がなかった。
たくさん人がいたから紛れたにしても、わかるはずだ。
数十メートル先の横断歩道まで行ってみたがいなかった。
誰かに連れられて点字ブロックのところまで行ったのだろうか。
まあ、人間だから、誰かに誘導をお願いすることができるので
それに親切な方々はたくさんいるので、それほど心配することはないのだろうが
昨日まで気づかなかったことを気づかされた気分だ。
昨日も、楽しくすずめ踊りを観て、カメラに収めたりしていた。
まさか
点字ブロックが道路の真ん中だけにしかないとは。
仙台はこうしたいろんなイベントが街の中、アーケードの中いっぱいある。
おそらくその方も
こうしたイベントがあるときは、点字ブロックが使えない状況もありうる、と
気づかされたに違いない。
せめて予備のブロックが道路の脇にもあれば、なんとかなったかもしれない。
目で見て音で聴いて楽しむ踊り。
それが当たり前と思っていた。
今日は別の視点で観ることができた。

足、捻挫。
どうということもなく歩いていたらグキッと音がしたような感覚で
捻挫した。
たまに捻ることはあるが、今回はひどかった。
数十年前に
生徒とバスケットをしていて捻挫し、こじらせてしまった。
なかなか治らないので外科に行き、電気をかけてもらったが
なぜ、ここまで放っておいたんだ、と怒られた。
それが頭にあったので
今回はとことん冷やした。湿布よりもまず冷やした。
足の裏が床につけばギーンと響くので、ズルズル引きずって移動。
仕事ができない、というのが真っ先に浮かんだ。
幸い捻挫の翌日は休みだったので、ひたすら冷やし。
そして出勤。何とかこなせたが、左足をかばうので動作が緩慢。
チーフが気づかってくれた。

義母は
寝た、と思ったら起きてきて
「トモロッシちゃん、ちょっとおいで!」と命令口調で呼びつける。
始めから挑発されるので私も挑発に乗る。
義母とのやりとりを書いていないが
いろいろとあったので
いつか近いうちに。

今夜は就寝の時間、大幅に過ぎているのでここで終わり。



(5/5)懐かしい名曲 Boz Scaggs - "Hard Times" (1977)

2015年05月05日 19時39分33秒 | 名曲
Boz Scaggs - "Hard Times" (1977)


日本に来まくりのボズスキャッグスの名曲を。
今年も来ますね。仙台にも。

AORというジャンルが流行った頃
ボビーコールドウェルとか、この人とか。
私は
この人の歌声が、上手く聴こえるようで、こもっているような気がしてね。
しかし夫によれば
80年代に代々木で観たときは
マイケルマクドナルドとかよりも大物に見えたとのこと。
彼の曲の中で好きなこの歌を。



(5/1)私の名曲  The Pan Within  Waterboys

2015年05月01日 18時53分43秒 | 名曲
The Pan Within


以前にも取り上げたが
今、この曲を聴きたい心境で。

ライブの映像があった。
80年代の曲だが、この映像は2007年。
ボーカルのマイクスコットの声、表情、好きです。
自分の最期に聴きたい曲は何か、と問われれば
ストーンズでもなく、シンリジィでもなく
この曲だろうなあ。

この曲なら、勢いで飛べそうだ。
夫に教えられた曲。
身体に染み入る曲。
CD盤よりもテンポが速いけれど
演奏も歌も壮大さ、悲哀がよくにじみ出ていて
(私はライブ盤を聴くのはあまり好きじゃない)、
ライブも良い、と感じさせる逸品です。