僕たちの天使

私の愛する天使たち、ネコ、山P、佐藤健君、60~80年代の音楽、バイクなどを徒然に語っていきます。

オトメちゃんが母親になっていました。

zooさん、お元気ですか。 もうご承知かもしれませんが、オトメちゃんが お母さんになっていましたね。市川動植物園のHPに 2013年、オトメちゃんがお母さんになっていたことが載っていました。赤ちゃんを抱いてカメラ目線です、オトメちゃん。こんなに嬉しいことはない。またブログを再開してくださることを願っています。 このブログの2014年8月4日の記事を読んでください。

ネコを室内飼いにした理由

2006年09月30日 12時11分06秒 | ネコ
おはよう。
今日のお天気は
まずまずの天気。
曇り空なんだ。
もしかしたら雨になるのかな。
でもそんなに気温も低くないし
庭の雑草取りの続きをするには
ちょうど良いくらいの天候。

ネコ用のトイレも洗って
綺麗になった。

うちはネコが多いし
しかも室内飼いだから
トイレの数も半端じゃないんだ。

以前は結構外に自由に出ていた
ネコたち。
でも、苦い思い出。

クロポチ等の姉妹の
マユが行方不明になってしまった

あまり思い出したくないので
詳しくは書かないが

この別れが
ずっと自分の心の
悲しさをひきずった
何年も

ロッシやマミたちが
亡くなったときも
悲しかったが
最期を看取ったという
気持ちがあるせいか

立ち直りもしっかりと
できた

だが、行方不明というのは
たちが悪い。
待ち続けて
何年も経ち

何よりも
自責の念が
澱のように
残ってしまうことだ

行方不明は
自分の責任だ

外へ自由に
出ていけることは
危険も覚悟しなければならない

それを忘れるほど
安全、平安だったのかもしれない

でもやはり
いやな事態になった

行方不明の先が
わからない

死んだのか
どこかでさまよっているのか
誰かのうちで可愛がられているのか

そんなことをずっとずっと
考えて
自分を責めた

祈るしかない
どこかでうんと
可愛がられてうちに
帰ってきたくないんだ

と祈ってはみても
自分を納得させるには
空しい祈りだった

そんなことがあっても
まだ他のネコたちは
外に出ていた

私が
もう絶対に
外には出さないと
決断させた
事故があった

クロポチだ

外での冒険が大好きな
クロポチは
よく遠くの場所で
見かけた

それでもきちんと
帰ってくるから
半ば安心していたが

ある時
時間になっても帰ってこない

マユのことがトラウマになって
いるはずの自分の
愚かさ

近所中聞こえるように
名前を叫んだ

すると遠い所で
悲痛な声が聞こえる
ビルに反射して
クロポチの声が聞こえてくる

もう夜9時を過ぎていた

自転車で声のする方へ
行ってみたが
暗くて
しかも民家が立て込んでいて
どこであの悲痛な声を
あげているのかわからなかった

マンションの人が
その騒ぎを聞いて
窓から
あそこで鳴いていると
指示してくれた

見れば
知らない家の裏、塀の内側のようだ

塀を乗り越えられない何かが
あったのだ

いつもなら何でもない
塀の乗り越え

その民家に事情を話して
庭、塀の方を探させてもらった
そこはネコ嫌いの人だと
分かった

この世で一番嫌いなのは
ネコだ!と言われて
それが自分の耳に
残っていたが

クロポチの救出が先だった

塀の内側にうずくまって
悲鳴を上げていた

一体何があったのか
他のノラにでも追いかけられて
腰を抜かしたのだろうか

クロポチを抱き上げて
ケージに入れ、謝罪をして
連れて帰ってくる

家の中に入っても
まだ悲鳴を上げる
腰が抜けている

いやそうじゃない
様子がどうもヘンだ

かかりつけの医者に電話をした
ネコが腰を抜かすということは
ありえない
骨折しているかもしれないから
すぐに連れてくるようにと
言われた

骨折・・・

そうかもしれない
家に帰ってきて
少しは落ち着くはずが
腰あたりを触れば
すぐに悲鳴を上げる
足が不自然に曲がっていることに
気づく

確かに骨折していなければ
塀に軽々とのぼりつたい
うちに帰ってこられる距離だ
それができなかったのだから
アクシデントがあったのだろう

すぐに病院に連れていった
うちから遠いため
もう10時を過ぎていた
先生も、病院と自宅が別だったのに
バイクで病院に駆けつけてくれた

先生は一目見て
これは骨折だと診断
即入院

しかし先生は明日から
学会のために出張

帰ってきたらすぐ手術をする
ことになったが

その間
痛みと戦わなければならないんだ
骨折のしたことのない私は
クロポチの痛みをわからない
どれほど痛いか

腰の骨である
人間が腰を骨折したら・・
と最悪なことを考えた

もう歩けないかもしれない
排泄もうまくできないかも
しれない

いろいろと
覚悟を決めなければ
ならないと思った

そして手術
何ヶ月入院しただろうか
日記を見ればわかるが

年内には退院できた
手術は成功した
あとはリハビリ

家に帰ってきたとき
しばらく不在にしていた
クロポチに
他のねこたちが
寄ってきた
病院の匂いが染み付いている
クロポチに
威嚇する皆

歩く時足が内側に曲げてバネのように
はねる
ナックリングだ
だから床に擦って
毛が抜け皮膚が見えてくる
病院から軟膏をもらい
塗ってやる
ナックリングしながら
歩き走ろうとする姿は
痛々しいが
あの時考えた事態にならず
安心した

もちろん
高い所は上れない
排便も上手くいかなかったが
自分で立ち上がって用を足しにいけると
いうのはよかった

もう二度と誰も
外に出さないと決意させた
出来事だった

クロポチの骨折という
犠牲があって
その結果の決意である

痛い目に遭わなければ
私は気づかないのかと
思わせる出来事だった

現在
クロポチは
後遺症は残っていない
元気に走りまわっている

腰をトントンしてくれと
腰をこちらに向けて
高々とあげる
ナックリングも
なくなった
用便はいつものように
硬くてコロンコロンした
ものだけれど
あまり影響はないようだ

いまだに
外に出してくれと
鳴くけれど
それは
もう不可能だよ

さてそのアクシデントの
原因であるが

わかりようがない
ネコの事故は
わかりようがない

ただあの塀づたいに
ハクビシンが通ることが
わかった

都会に住むハクビシン

うちの前の塀を走って
いく姿を何回も見かけた
ネコ同士の喧嘩なら
まず先にワーオ、ギャーオと
いう喧嘩声があるはずだ

一気にハクビシンに
追いかけられて
ドスンと塀から落ちた
のかもしれない

危険がいっぱいだ

冒険好きのクロポチには
窮屈かもしれないが
家の中でせいぜい暴れて
ほしい

写真は
クロポチとミミ
兄弟である
仲が悪い



酒井峰治と山下智久

2006年09月30日 01時49分10秒 | 山Pドラマ
もう日付は変わったが、
今日(29日)として書こう。

夜になって
ようやく
気分のテンションが
あがってきた。

それまで
低。

今日は歴史の勉強をした。

白虎隊がらみで
山下君が演じる
酒井峰治について
調べた。

それほど有名では
なかったんだね。
飯沼貞吉なら
白虎隊の生き証人として
知ってはいたけれど

だからはじめ
その人のことを
演じるのだと勘違い
していた。

なぜ酒井峰治は
有名ではなかったか。

どうも彼が
白虎隊士だというのを
公に、子孫に
知られたのは
平成5年らしい。

平成5年といえば
つい最近のことじゃないか。
歴史的に見て。

酒井家の仏壇に
隠されていた彼の
手記が発見されたのが
その年。

彼自身
生きているときは
そのことを封印して
いたのだろう

会津に残らないで
北海道に渡った

旭川で精米業をひっそりと
営んでいたという

生きている間
あるいは
会津を出るとき

どんな気持ちだったろう

当時の
会津では
自害した若者を
英雄視する傾向にあった
と思われる

時代が時代だから
遅れてでも
自害すべきだったと
なっていたのではないか

彼が生きることを
選ぶというのは
当時にしてみれば
やはり
白眼視されること
だったかもしれない

80歳過ぎまで
生きた彼は
やはり
後世に遺そうと
手記を書き
それを
生きている間に
発表せず

いつ読まれるかわからない
けれど
死んでからわかるように
大切に仏壇に
収めておいたのだろうか

もう長い歳月が過ぎ
白虎隊というのが
歴史ドラマとして
テレビで放映される時代

全ての士が死ぬというより
1人
2人
生き残ったということも
ドラマ的には
おもしろいのかもしれない

しかし
当の本人にしてみれば
そんな未来のことは
想像することはできない

テレビそのものが
発明されるのもわからない
時代に生きたのだから

どんな文章だったのだろう
愛犬クマとの再会が
生きのびるきっかけと
なっているが

その思いや
生きて故郷に残れない
つらい心情

それだけでも
涙が浮かんでくる

生きることを選択するのは
それほど当時は
だめなことだったのか

今なら
よくぞ生きていた

生命の大切さ重さに
感動するはずなのに


山下君が
演じるその酒井峰治

空の上から
観てくれるだろうか

あなたの手記が発見されたことで
白虎隊士の
別な生き様を
演じてくれるよ

あなたの
生きていることの
つらい心情を
山下君が
一生懸命
演じてくれたらいいね

恥ずべきことではないのに
生きることは

それでもつらかったんだ
犯罪を犯したわけでもないのに

自分の若き人生を語らず
故郷を語らず
ずっと
ひっそりと生きていたのだね

故郷を断ち切って
まさに北海道で
第二の人生を送っていたんだね

そしてやはり
あなたは封印できなかったんだ
なぜなら
手記として遺しているからだ
それを
どう扱われるか
どう読まれるかは
書いている当時は
全く想像できなかっただろう

でもやはり遺して
おきたかったんだ
自分の故郷時代のことを

峰治さん
今あなたの手記は
貴重な資料として
大切に扱われているよ

そして会津では
あなたと愛犬の像が
あるという

よかったね
故郷に帰れて


今回こうして
私の好きな山下君が
あなたを演じるということで
少し私も
勉強したよ

きっと彼のファンは
あなたのことを
調べているに違いない

現に
仲間も
白虎隊について
あなたについて
会津について
勉強したいって
口々に言っていたもの

それだけでも
あなたの
生きたことは
報われているよ

いやいや
今の時代
どんなことがあっても
生きなくちゃという時代だから
安心して

報われるとかそういう次元の
生じゃないんだ

ごめん、報われるという
言葉はふさわしくないね

会津に旅したくなったよ
寒くならないうちに
出かけてこようかと
本気で思っている

手記があるなら
それを読みたいと
思っている

そしてまだ
勉強するよ

どうか
あなたのことを
演じる
山下君のことを
空から
応援してください

おはよう。

2006年09月29日 10時42分38秒 | Weblog
おはよう。
今日のお天気はです。
雨になりそうかな。
もう9月も終わりなんだ。
10月に入ると一斉に
衣替えになり、秋色の服に
なっていくんだ。
この気温だと
もう街は茶色系の洋服を
着た人たちであふれているに
違いない。

自分は今でも
半袖、短パンだ。
朝、近所の奥さんに
寒くないの?と
あきれられた。

全然寒くはないのだが
足の指先が冷たいので
靴下くらいは履こうと
思う。

やらなければならないことが
また山積した。
本当に自分はグダグダ人間だ。

もっと
シャキッとせよ。

2つ3つのことを
同時に抱えこまれない
人間だから
時間の使い方がヘタだ。

昔は違ったなあ。
今はこういうグダッとしても
いい環境にいるから
そんな自分になったのだろう。

忙しい人ほど
時間を大切にする。

次何をやるかを
展望できる人ほど
時間の使い方がうまい。

まずは1つずつ
片付けていこうや。

仲間たち

2006年09月28日 22時01分14秒 | 山P
山下君ファンの人が
職場や学校などから
帰宅して
今日のこの
サプライズニュースを
続々と知り、
おめでとう!
を言っている

普通に働いていれば
朝からネットを
覗く時間もないし
職場では
情報も入りにくいだろう

昨日、
久々に仲間たちと
山下君の話をして

今日のニュースの
予兆のように
思えた

普段そこはひっそりと
している
ほとんど日中は
書き込みのないところ

それが昨日は
なぜか盛会だった
ずっと日付が変わるころまで
絶えることなく
書き込みがあり
皆で一斉に
風呂に入ることまで
合わせて
また戻ってきて
山下君について
話すような
温かい雰囲気

そして明日も
仕事があるから
11時過ぎには
ネットから離れようと

匿名でありながら
その秩序立った
ところは
不思議でもある

決して
派手ではなく
誰彼となく
互いを思いやる
書き込みがあると
いうのは
嬉しいことだ

その雰囲気に
引かれて
新しい人が
ポツリポツリ
入り、いつのまにか
仲間になっていく

いつかは
あまりに月が
美しかったので
月が綺麗ですよ
と呼びかけてみた

すると
全国の
あちこちで
月を今眺めた
という
報告をネットで
してくれる

ネットって
こういうことも
できるんだ
と思った

心が洗われる


普段
自分はそんなに
心の綺麗な
人間じゃない

文句も言い
愚痴も言い
短気も起こし
怠け者で

と情けない部分が
ある、ある

それでも
会えぬ人々
見えぬ人々

夜空を仰いで
美しい月を
眺めて
澄んだ気持ちに
なれたことは

貴重な瞬時の体験

それらが
偶像である
山下智久という
人間がきっかけなのだから

彼の存在の
力を感じ
感謝しているんだ

彼を通して
見つけたもの
得たもの

たくさん
あるじゃないか

彼を知らなかったら
自分はどんな
人間なんだろう

彼のファンになって
マイナスになったものは
ない

自分の生活に
ハリが出れば
それ自体
プラスになっている

人は
いつまでも
憧れを抱くほうが
希望も生まれる
想像力も
豊かになる

皆も
毎日いやな仕事を
しているけれど
しんどいけれど
山下君を想うことで
乗り切ろうと
思っていると
口々に言う

月の美しさに
感謝した

あの時の気持ちを
忘れない

全国の見えない仲間が
あの時と
同じように
優しさを持って
昨日もいたよ・・

山P、白虎隊主演パート2

2006年09月28日 17時00分40秒 | 山Pドラマ
いやあ何だか興奮している。
他のことが見えない。
手につかない、とまでは
いかなくても
早く「白虎隊」モードの
山下君を見たい、見たい。
落ち着かない、なぜか。

この情報は
今朝、いつもの山下君ファンが
集まるネットのところを
覗いたところ
早朝に落ちていた。

サプライズが
こう来るとは思わなかった。

コンビニに行って
スポーツ紙を買ってくる。

スポニチと日刊。

記事は
彼が白虎隊の主演
来年新春SPドラマ
テレビ朝日
2夜連続
役柄

そのぐらいの情報である

彼のほかに
誰が白虎隊士をやるとか
どんなベテランの俳優と
共演とか

一切ない

だからますます
想像を掻き立てられる

もうもちろん
誰が出るとか
決まっているのだろうけれど
何もその周辺の情報が
ないとなれば

逆に
ズラーッと豪華出演者が
並んだところの
真ん中に
Pちゃんがいるという
場面を大いに想像してしまう

Pちゃん
すごいなあ

あンたは
すごい

そういう言葉しか
出てこないよ

まだまだ俳優として
勉強中だと
思うけれど

このような大役を
まかせられると
いうこと自体
すごいことじゃないか

有名な歴史ドラマの
主役をまかせられる
ということ自体

あなたの俳優としての
存在感を認めてくれて
いるということじゃないか

あのクロサギの
最終回の逮捕シーンの
あなたの熱演を
見たテレビ関係者なら

きっと
うちのテレビ局でも
使いたい俳優だ
と思ったにちがいない

見ている人は
冷静に
見ている

冷静に見て評価するから
あの子を
使ってみよう
使いたい
と思うのではないか

ただ単に
人気に便乗して
使おうと
思うような役柄ではない

時代劇
しかも
有名な
悲劇の白虎隊剣士たち

あなたにとって
未知の役柄

頑張れ
山下君

あなたは勉強家

山下智久の
白虎隊を見せてくれるに
違いない

酒井峰治だって、山P

2006年09月28日 12時06分58秒 | 山Pドラマ
今ちょこっと
調べたところ

山下君が
演じるのは

酒井峰治だって

私は
飯沼貞吉の方を
浮かべて言っていた

やっぱり勉強不足ね
酒井峰治って
知らないんだもの

これを機に
会津若松の小旅行を
したらいいんでないかい、
トモロッシ君。

むかーし
行きました。
一人旅。
会津城行った。

でもなーんにも
覚えていない。

山P、白虎隊主演決定!

2006年09月28日 11時45分17秒 | 山Pドラマ
おはよう。
と言ってももう11時過ぎているんだ。
今日は昨日の雨から一転してです。
気温も昨日より7℃も高いとのこと。少しだけ
夏から秋にかけての気温に戻りそう。
だから今日も半袖短パン。

さーて、朝から

サプライズニュース!

山下君、来年正月SP番組に出演というニュース!

白虎隊

の主演です。

やっぱりサプライズ来ました
予想していた通りに。

今フィーバーが一段落して
そろそろ何か
サプライズが10月頃に
あるのではと
予想していましたが、

この9月28日に
正式な
サプライズ情報。

やっぱり
Pちゃん
必ず何か
やってくれる
この一年間

これでもかって
ファンを
びっくりさせて
くれて
ありがとう、ありがとう。

私たちファンの間では
クロサギSPの正式発表とか
新曲発表とか
その辺を期待予想していたけれど

まさか
時代劇とは!

サプライズでしょ!

それが来たか!っていう感じ。

いいねえ
いいねえ

恋愛ドラマでないって
いうところが

私の期待路線に
沿っている

あなたは恋愛ベタでいい

と私はどこでも言っているから
いや、恋愛ドラマは
いつでもできるだろうって
思っているから

こういう人の心を打つ
ドラマにいっぱい
出てほしいんだ

あなたはドラマに関して
勉強家だから
きっと
会津若松を
訪れたり
本を読んだり

以前やっていたドラマを
観たりと

役作りに没頭すると
思うんだ

1月までのこの3ヶ月間
どうぞ
白虎隊に没頭してほしい

いろいろなことが
初体験だね

かつらをかぶって
殺陣をやって
時代劇セリフを言って
会津若松弁を言って

ああ大変だあ

でもあなたは
必ず私たちの心に
残ることをやってくれる
と信じている

今までがそうだったからね

テレ朝さん
よろしくお願いしますね

売れっ子です、Pちゃん

でも単に売れっ子という
枠でチマチマやるような
子ではないんです

必ず
山下智久の
白虎隊

となるはずです

彼はやっつけ仕事を
しない

役作りのために
勉強する子

だから私は
ドラマに関しては
年に何本も出なくていいと
思っている

きっと不器用だと思うから
1つのことを
丁寧に作り上げたいという
性格だと思う

自分のセリフだけ
覚えればいいというのではなく

主役として
ドラマ全体を見渡し
自分はどう演じればいいのか
自分の考えを持って
やろうとしていると思う

それは野豚とか
クロサギというドラマを経て
つかんだ
感触だと思う

イメージトレーニングをする子

そう思っている

どれどれ
私も白虎隊を
勉強するぞ

うちにある
白虎隊の本を
また読むぞ

あの生き残りの人の
役をやるのね
あの人の
生き残った無念さを
やるのね
そして生き残って
後世に伝えていこうと
決意する人の役ですね

私もよくわかっていないなあ
勉強、勉強

ともあれ

山下君
時代劇の主役
おめでとう!

久々に山Pを語り合う仲間。

2006年09月27日 23時54分43秒 | 山P
今日の夜も
久々に
あの仲間たちと
Pちゃんのことを
語り合った。
盛り上がった、盛り上がった。
節度ある
お互いに思いやる
コメントと
楽しい楽しい想像と
よかったなあ。

本当に
皆に愛されている
山下君だ。

男の人にも
好かれているという
のがいいんだよなあ。

万人に
受けています、今の

山下智久。

ブログ一ヶ月目

2006年09月27日 11時06分34秒 | Weblog
今気づいたのだが
昨日でちょうど
ブログを始めてから
一ヶ月経ったんだ。

まだ一ヶ月か。
初心者の中の
初心者だなあ。

ただ書くだけで
他のことは
何もわからないで
いるもの。

トラックバックって
いう意味も
わからないでいる。

何となくわかるけれど
どうするのかも
わからないから
風まかせ。

この間、自分の
所に
トラックバックというのが
初めてついて、
しかもすぐには気づかなくて
あとから気づき、
そこをクリックしてみた。

なるほど
自分の書いた記事に関連して
他のブログの方のを
読まれるようになっているのね。

ということは
自分の書いたものが
読まれているんだと
改めて感じた私。

おバカ。

あんまりバカなことを
書けないね。
この間の
クラス会のバカ話って
いいんだろうか。

いいんだよ
グリーンだよ。

いいべさ。(北海道弁)



で、プロフィールの所を
ちょっとだけ
変更。

気づかないかも。

エッ?

自分の好きなものに

山下智久を

入れたの。

前は書かなかったけれど

山Pについて
ずいぶん
語っている自分。

これでは
看板に偽りあり
で、

入れました。

今の生活に
山P、はずせないもの。

ネコと山Pと音楽と。
そして
バイク復活。

そのほかにも
自分の
好きなものを
これから語っていこう。

それにしても
いまのところ
毎日更新しているので
この気持ちを
続けなくちゃ。

日記は
中学時代から
書いているもんね。

だから苦にならない。

中学時代に
あったことを記載していたので
この間のクラス会のとき
誰がいつ
転入してきたとか
転校したとかも
正確に記録してあるので

ある意味
おそろしいです、みんなの
忘れていることを書いているので。

会話まで書いてあるからね。

あとラジオで
流れた曲で
自分でいいと思った
曲は必ず
メモってあるから
それをもとに
レコード、CDを買ったりね。

そういうわけで
今後も
細々と
このブログを書いていくつもりです。




僕たちの天使・・・・テンプターズ

2006年09月27日 10時22分36秒 | ブログタイトルの由来
僕たちの天使という
タイトルにした
理由をブログを
始めた頃に書いた

自分にとっての
心の拠り所

天使と呼べる
愛すべきもの

心から好きと
思えるもの

悲しい時
自分の心を
癒してくれるもの

かつて心から
夢中になって
若さをぶつけたもの

そしてこの
タイトルは
テンプターズの
歌のタイトルでも
あると書いた

そのテンプターズの
歌も好きだから

いいタイトルだなあ
なるほど
僕たちの天使か・・

自分にも
天使と呼べるものが
たくさんあるぞ、と

そういう気持ちから
このタイトルにした

今でもこのタイトルにして
よかったと思っている

僕の
私の天使
ではなく

僕たちという複数形に
共感したんだ

もちろんテンプターズが
5人という複数だから
僕たちであるのだが

自分にあてはめれば
当然
私の天使
になるのだが

僕たち
とすることで
自分以外の
人も

それらのものを
きっと
好きであるだろうと
その願いを
こめて

そのまま僕たちの天使
とした

ところで
このテンプターズの
僕たちの天使
という曲は

もうラジオとかで
聞くことは
不可能に近いと
思うが

本当に
いい曲なんだ

テンプターズと
いえば
エメラルドの伝説が
いつも出てくるが
この
僕たちの天使は
私は
テンプターズの
ベストスリーの
一つなんだ

こんないい曲が
もう誰にも
聞かれないなんて

今どこかの
グループが
カバーしても
いいくらいだ

山下智久よ
歌っておくれ

あなたにピッタリだよ
あなたの好きな
転調にもなっているよ

*夢もない若者を
やさしく見つめてくれた
君たちがいるかぎり
いつまでも
僕たちは
夢を見るでしょう

どうもありがとう
この恩は
決して忘れはしないでしょう*

そしてこのリズムの刻みは
テンプターズの特徴なんだ

誰が編曲しているか
わからないけれど
このドラムとベースの
刻みは一貫しているよね

ヨッチン(松崎由治)は
天才作曲家
本当にもったいない
ちょうど
山下君と同じくらいの
年齢に作詞作曲を
していたんだね

作詞作曲家として
山下智久も
いいと思うよ

と、なんで
行き着く所は

山下智久なんだろう・・

いや、山Pも
もしかしたら
ヨッチンのような
天才作曲家かなと
思ってサ。









今日は大荒れの一日。

2006年09月27日 08時54分54秒 | Weblog
おはよう。
今日のお天気です。
東北は今日大荒れの予想。
今もものすごい勢いで雨が降っています。
家の中は暗い。
ネコも静まり返っています。

夕べは結局3時近い就寝。
起きる時刻は6時半。
こういう生活を続けていいのかな。
とまた
自分を責めそうなので、ヤメヤメ。

この雨の中、おいしいケーキを買ってこい、トモロッシ君。


小山君とNEWS

2006年09月27日 01時23分49秒 | 山P
久々に夜中に書いてみようと思う。
今日は
NEWSのメンバーの小山慶一郎君が
ナースあおいのスペシャルに出演したので
それを観た。

小山君、いいんだよねえ。
花嫁は厄年でも
結構今風の役で、彼の特長が現れていた。
このナースでも
さわやかで、ちょっと今風で、
正義感があって、
そして淡い恋心を表していて
それに好感を持って観る事ができた。

あのくらいの恋心を表現する
役がいいかなあ。

仕事が第一で、そしていっしょに
仕事をしている中で
互いを尊敬し、励ましあい
助け合い、そこで育んでいく恋。

発展しそうで発展しない。
でも決してもどかしいとも
思えない、イライラするとかも
思えない。

やっぱり仕事第一というのが
前面に出ていると
さわやかさが増す。

若い二人にはまだ仕事の面で
可能性があるもの。

あおいちゃんもまんざらでも
ないけれど、きちんと
職場での役目を果たそうとしているから
とても好感が持てるんだ。

NEWSのメンバーが
単独で頑張っているのを
観ると安心する。

だから極力、彼らの出演する
ドラマは観るようにしている。

こうしてこの数ヶ月、
一人一人が
それぞれのドラマで頑張って
力をつけて
自信をつけて
再び
皆が結集した時に
見せる新しいパワーが
来年のNEWS復活の基盤に
なるような気がして。

Pちゃん以外はここずっと
歌や踊りから遠ざかっているので
あと2ヶ月、勘を取り戻す意味でも
レッスンに励み
新生NEWSとして
はばたいてほしい。

すごく楽しみなんだ。
私はNEWSのことを
ほとんど知らずに
Pちゃんのことを好きになった。

去年のことも知らないんだ。
そんなことあったかもぐらいの
一般人。
これでPちゃんのことを好きに
ならなかったら、
ずっとわからないでいる。

この数ヶ月
自分もNEWSのことについて
いろいろ勉強した。

過去の録画とか
0304のDVDとか
CDを購入して
勉強した。

こんなもったいない
グループだったと
認識。

だからむしろ
来年からのスタートは
自分自身
白紙状態で観る事ができる。

たくさんいい歌があるんだね。
「紅く燃ゆる太陽」は
本当に私に合う曲。
何度も何度も観た、聴いた。
リアルタイムで聴きたかったなあと
自分の知らない時間、年数が
悔やまれる。

ぜひぜひ、
私の好きな山下智久と
小山君らが絡むところを
見せてほしい。

やっぱり長年いっしょに
やってきたメンバーと
いるのが
Pちゃんもリラックスできる
に違いない。

Pちゃん、この数ヶ月
本当に頑張ったものね。

おやおや、しめくくりは
やはりPちゃんへの
愛ですね。

今日はこれでおやすみなさい。

寒くなってきたようだ、ねこたち。

2006年09月26日 20時26分50秒 | ネコ
午後にも雨、と思っていたが
夕方にも降らず。
しかしずっとどんよりした空だった。
そして夜
8時ごろに降り出した。
明日の方が、天候は荒れるとのこと。
本当に寒くなってきた。

ネコたちも、フワフワした所の
争奪戦。
北国のネコだから
なるべく寒さに強い
ネコであってほしいんだ。
複数いるから、自分たちで
固まってお互いの体温で
暖を取ってほしい。
世の中、寒さの中
凍えるネコいっぱいだよ。

シンノスケはおしっこ今のところ
大丈夫みたいだが、
トイレに行く動作が鈍いなあ。
今は私の横の椅子に寝ている。

クラス会宴会の夜。

2006年09月26日 09時35分45秒 | Weblog
おはよう。
今日のお天気はです。
そして後にになるようです。
最高気温も20℃に満たないという寒い日に
なりそう。

今までずっと半袖スタイルだけれど
今日あたりから長袖になるのかな。

昨日の夜は
クラス会のHPで載った
写真で大笑いした。

男子は宴会の時は
もう浴衣で参加するじゃない。
だから唄って踊っての時
ひっくり返った人が
股も開いちゃって
映っていそうなんですよ。
その部分に
修正にうちわの絵が描いてあって
見えないんですけど
そのカエルがひっくり返ったような
格好に大笑いだった。
もちろん下着は穿いているのだろう
けれど、
下着が見える写真さえ
恥ずかしいものじゃないですか。
ここに載せたいけれど
顔も映っているからNGですね。
でも本人は
恥ずかしい恥ずかしいと言いながらも
絶対
ウケて、おいしいと思っているはず。
そういう人なんですよ。
他人に喜ばれて快感な人。
生徒会長していた人だけれど
いっつも、人を笑わすことを
考えていた。

中学生当時
授業中に隣の席で
ボソッと

「サックスって夜吹くのが
いいんだよね。」

とサックス奏者だった彼が
ニヤニヤして言うので

私はゲラゲラ笑った。

「エッチだあ。」って。

絶対そういうつもりで
言っていたから。

また私も耳年増だったから
スルーできなくて。

そんなことに笑っていた
頃が懐かしい。

北海道の人たちは
まだまだこのクラス会の旅の
余韻が続いていて

よっぽど
この東北の旅が
良かったみたい。

昨日の手紙にも
「いまだに、○○(地名)モードだ。」
と書いてあった。

ホントに楽しかったもの。
こちらに皆で来ると決まったときは
私はエエーッという気持ちだった。

北海道の大自然の良さと
比べたら全くこっちは
見るところないし。

でも自分は地元を
過小評価していたんだなあと
皆が帰ってから
気が付いた。

皆はどこに行っても
楽しんでいたし、堪能してくれた。

2日目の夜の宴会は
カラオケもできる
大きめの防音の個室。
カラオケ屋とはまた
違うんだ。

そこに3時間であらかじめ
予約しておいた。

街の中で初めから3時間予約という
のはあまりないよね。

終了時間になったので
2次会に行くとなったのだが
そこは延長OKとなって
2時間延長。
都合5時間もそこにいたことになる。
唄って踊ってドンドン20人近くが
騒いでも一切、何も言われなかった。
皆感激していたよ、そこの店。

予定していた飲み代も
2万円ほど安くて、良心的だった。
地元にいるもう一人のクラスメイトは
これからここを使う、使うって
すっかり気に入っていた。

あんなにドンチャン騒ぎして
大いに満足した夜だったので
北海道の人たちは
すっかり
ここ私の地元のファンになってしまったようだ。

今私は皆一人一人に
お礼の手紙を書いている。

遠くまで来ていただいて
こんなに楽しい思い出を
残してくれて
私こそありがとうだ。