僕たちの天使

私の愛する天使たち、ネコ、山P、佐藤健君、60~80年代の音楽、バイクなどを徒然に語っていきます。

オトメちゃんが母親になっていました。

zooさん、お元気ですか。 もうご承知かもしれませんが、オトメちゃんが お母さんになっていましたね。市川動植物園のHPに 2013年、オトメちゃんがお母さんになっていたことが載っていました。赤ちゃんを抱いてカメラ目線です、オトメちゃん。こんなに嬉しいことはない。またブログを再開してくださることを願っています。 このブログの2014年8月4日の記事を読んでください。

(1/18)曲が思い出せない

2013年01月18日 21時43分15秒 | 両親のこと、入院のこと
あっという間の休み。
うたた寝したくらいかな、リラックスできたのは。
雪が残っている道を自転車で危なっかしく走り
用足しに行き、
洗濯をして
ネコの相手をちょこっとして
終わりの日。
気になっていた用件を終えたというだけで有意義としよう。

父からケータイに電話が入っていた。
気が付かないふりをした。
今度の日曜に用事を告げられるのかもしれない。

正月早々
快気祝いの品物を送ることの用事を済ませたのが4日。
それ以来
父から連絡がなかった。
快気祝いか・・・
そのお祝いをどこかの温泉でするらしい。
親戚が楽しみにしているようだ。
私たちはむろん行かないし、行けない。
土日に仕事が入っていることがむしろラッキーだったと思える。



どうしても
思い出せない曲がある。
夫にメロディを伝えても
わかってくれない。
私のうろ覚えのメロディではわからないか。
何年越しだ、思い出せないのは。
覚えているのは
souvenirという単語だけ。
タイトルに入っていたのか、歌詞の中だったのかも覚えていない。
CDのジャケットを見ればなんとか思い出せるのかも。
でも大変だ、膨大なCDの中から探すのは。
そんな時間が欲しいね、無駄な作業に費やす時間が。
来週2日続けて休めるから、1日それに費やしてみようか。
ただただ、洗濯と掃除で終わる休みにはしたくない。
この間
ようやく別な曲を思い出してyou tubeで見つけたのがあったのだが
またタイトル忘れちゃった。
書いておかなくちゃね。

(1/18)いやな夢

2013年01月18日 03時39分44秒 | 両親のこと、入院のこと
いやな夢を見て目が覚め
そのまま起きている。
起きる予定の時刻は5時。
今日は休みなのでいつもより遅く起きる予定だった。
それが2時ごろに起きてしまった。
寒い。
ストーブをつけてはいるが
寒くて分厚いのを着ている。

夢は3つ見た。
1つは
私の頭上でロケットのようなもの(人が乗っている)が打ち上げられるのだが
あまりにフラフラしていて、大丈夫かな~と思っているうちに
落ちてしまった。
それがアスファルトの道路に落ち、ポッカリ穴が開いた。
人々が大急ぎでそれを埋めてしまった。
乗っていた人は無事だった。

次に。
野良猫がうちの庭に棲み付いた。庭は現実のものと違うけれど
うちの庭ということで、ダンボールハウスを作ってやった。ところがそのネコ、
犬と喧嘩するんだ。強気なネコは疲れてダンボールで寝ていた。

次に。
これがいやな夢だった。
私と知人とで、私の実家のほうに行く。
車で通ると、父と母がゆったりと散歩していた。
父はガウンを着ていた。
私たちの存在に気づかないようにと
通り過ぎたが、なぜか私たちは車から降りていて、
通らなければならない道に、うちがある。
どうしてもうちの中を通らなくてはならない(夢だからヘンだけど許して)。
そうこうしているうちに父たちが帰ってきて
家の中にいた親戚や父の友人たちが拍手をして迎えていた。
そこに水を差すように
私が現れる。
父の友人まで
「なんで君がいるんだ?」みたいなことを言われて
歓迎されない私だった。
私は
「自分のものを取りにきた」と言って
手袋を持った。
早く去れ、と云わんばかりの空気。

父の一方的にまるで洗脳のように
娘は親不孝者と吹聴されてきて
それを鵜呑みにしてきた人たち。
私は
宣言するかのように言って出てきた。
「これですっかり縁も切れた。介護もどうぞそちらでやってください。
葬式にも出ません。」と。
母は
「もう会えないけれど、テレビに出ているからそれを観るよ。」と言った。
いやいや、私、芸能人じゃないから。
うちを出て、遠くに歩いている知人。そして夫の姿もあった。

そこで目が覚めた。
まるで近い将来やってくる光景を見ているようで
そんなところでフィルムが切れて目が覚めた。
そして起きている。

2週間ぶりだ、父や母のことを書いたのは。
まさかこんな夢を見ているなんて
父も思っていないことだろう。
でも
現実に近い夢だ。
自分の心を表している夢だ。

では5時までまた寝ます。

(1/14)今日は大雪

2013年01月14日 21時57分06秒 | 東日本大震災
今日は
東日本、大雪ですね。
仙台も
朝から積もりました。
自転車、玄関前に放置です。
乗って帰ってこられなかった。
明日の朝
少し早めに出て
歩いて行くか
自転車を引っ張って行くか
迷います。
早朝4時、歩いていくには
怖いかな。
長靴履いていきます。

今日は
仙台
どんと祭。
正月飾りを神社の御神火に。
初詣、行けなかったので
神社のサイドの小さな社にお賽銭。
別の神社にも寄って、お賽銭。



鳩は
今日来なかった。
雪が降っていたので
どこかにいたのでしょう。
寧ろ
いつもの巣の方が
雪にも当たらないし
風もしのげるのに
こんな雪の中
街の鳩は本当に
どこにいるのだろうと思ってしまう。

もう1箇所
鳩のいるところを見つけたんですよ。
歩道橋の下。
非常に狭いところで
立って休んでいる。
そこを今日見たら
二羽いた。
もちろん
いつもの鳩とは違う鳩。
こんなところにも
巣を作っているんだ、と思った。
さすがに今日は
じっと立って
風、雪に耐えていた。



(1/13)鳩は足が悪かった

2013年01月13日 20時28分54秒 | 東日本大震災
昨日の今頃はもう寝ていた。
そのため
3時過ぎに自然に目を覚ます。

風邪の症状があまり重くなっていなかったので
起きて洗濯をした。
そのあと出勤。

今ももう眠い。
佐藤健君の出演する「とんび」を観たいのだが
11時まで起きていられるだろうか。
途中で寝てしまうかもしれない。



雌の鳩、足が悪い。
怪我をしているか、ちぎれてしまったのか。
歩き方が変だった。
夫婦で、珍しく下の通りに降りて
あまり人が通らない時刻
自由にツツツツと走っていた雄。
雌は
降りたまま動かない。
少し歩いたかと思うと
思うように歩けていない。
そのまままた自分たちの巣に飛び戻った。
そして
夫婦二羽、まるでネコが寄り添うようにピタッとくっついて
座っていた。
雄が寄り添っていた。
鳩のそんな姿を見るのはあまりないことだし
意識して見たことがないから
また感情移入してしまった。
餌を十分に摂れないと思う。
そのために雄がずっと付き添っているんだね。
感動した、というよりも
どうか見守ってください、と祈る。

同僚のEさんは
「大丈夫だよ、鳩は飛べるんだから。」と言ってくれた。
そうだね、飛べるんだ。
羽根を傷めていたら、致命傷だ、餌場に行けないもの。
今、真冬。
この厳しい冬、早く終わればいいね。
どうか無事、冬を越せますように。


昨日は仕事の失敗や体調不良で
気分的に沈むかと思ったが
今日の方が
鬱的だ。
鳩の足のことがわかってから落ち込んだ。
「私ってバカでしょ。鬱に入ったと思って、原因を探っていくと
鳩のことだった・・・」と
自嘲的に言う。

存在の弱きもののために光をください。
いつもいつもそう思っている。

(1/10)おはよう、鳩。

2013年01月10日 23時12分59秒 | 東日本大震災
夫は
8時半に寝てしまい
私とネコたちは
さっきの地震で
あわてふためいて、2箇所のストーブを消しに行った。
落ち着いていたのは
ノリというネコ。
皆、あちこち散って隠れたのに
ノリだけが
デーンとソファに座っている。
ヘンな揺れだったなあ。
短かったけれど、立っていられない揺れ。
これが長く続くと
あのときの地震を思い出す。
今、真冬。
仙台の朝は雪。ずっと寒いんですよ。
職場でも
省エネの警告ブザーが鳴るので
エアコンを消せ、と言われる。
寒い寒い、とずっと言っている。
家でも
省エネと夫に言われて、設定温度が低い。
こんなときに
地震があって外に出たり、電気が止まったら
どうすりゃいいの。
電気を使わないストーブが重宝された、と地震のときに言われたけれど
買っていない。

私は
明日も休みです。
2日続けて。
だからこの時刻、起きています。
まもなく寝ます。
5時に起きる。

書いておきたかったこと。
職場から見える鳩のこと。

一週間前に
雄しか居なかった、心配と書いたけれど
2日後に出勤して
早朝はいないのだが
7時半過ぎに
やってきた夫婦。
午前中10時半ごろまでいます。
いつも同じ姿勢。
雄には
私、手を振って合図。
わかるかなあ。
雌はいつもうずくまって、顔が見えない姿勢。
尾だけをプルプルと震わせています。
雄は雌の傍を離れず、あっち向いたりこっち向いたり。
昼間はいつのまにかいなくなる。
寒いときは
雄も座って、いつもいつもいっしょ。
卵、ないと思うんだ。
夜中、早朝、いないから
卵、寒さで凍ってしまうでしょ。
でも、まるで卵を温めているような姿勢。
なんでそうするのか習性わからず。
2羽、こうして健在。

7時半ごろ
やってくると
「おはよう、鳩」と心の中で
挨拶するのが日課。

(1/10)rita coolidge /沢田研二-美しき女  love from tokyo(原題)

2013年01月10日 09時00分42秒 | 名曲
rita coolidge - love from tokyo


ザ・タイガースが今年の12月に再結成される。
いよいよだね。
仙台でも公演するというので
行く予定にしている。
おそらく
彼らの年齢や事情を考えても
これが最後だと思う。
80年代に
「10年ロマンス」「色つきの女でいてくれよ」で
ザ・タイガース同窓会と称して再結成されたときがあったが
あのときは
ピーがいなかった。
トッポはいた。
夫と私と私の同僚(ジュリーのファン)で武道館に行ったなあ。
そして
ここ最近ジュリーのコンサート中心に
ピーが(永遠に拒否するのかと思っていたが)加入して
いよいよ
トッポも入れば
初期ザ・タイガースの結成かと言われてきた。

私の初恋(?)の人、サリー(岸部一徳さんね)は昨日誕生日。
いつも1月9日は
今日はサリーの誕生日だ、と思うのよね。
昨日も思っていた。

昨年秋
その同僚に誘われて
ピーの講演会に行ってきた。
彼は
タイガースを脱退してから
高校の国語教師になり
タイガースとは無縁の生活。
講演会も
中国の話、漢文の話、ほとんどタイガースの話には触れず。
でも
ジュリーのコンサートに参加したドキュメントを観ると
ピーとジュリーが最も
はしゃいでいて
その姿が嬉しかった、嬉しかった。

やっぱり
ジュリーとトッポの2大ボーカルがいないと
タイガースじゃないね。

同僚とまた連絡取らなくては。
彼女は
ジュリーの筋金入りファンで
その繋がりが広い、ということを
ピーの講演会のときに感じた。
永遠にジュリーのファンだ。

さて
そのジュリーだが
この
リタクーリッジの「美しき女(ひと)」は
彼の作曲である。
名曲です。
うちにはシングル盤のレコード。
ディスコでよく流れていた、とコメントあり。
そうか。
まさかジュリー作曲だと、そのころ誰も思っていなかったのかな。
私は
カラオケで歌いたいが、カラオケにないらしい。

「10年ロマンス」もジュリーの作曲。
「色つきの女~」の方が流行ったけれど(これはタローが作曲)、
私は
「10年ロマンス」が
タイガースの10年ぶり(82年?)の再結成の始まりにふさわしい曲だと
思って、大好きだったね。
ジュリーの作曲才能、売れ線だと思う。

(1/5)たった2日間の正月休み

2013年01月05日 21時05分14秒 | 両親のこと、入院のこと
私の正月休みは
たった2日で終わりです。
そのうち1日は
朝から疲れて休みになっていない。
今日は
夫とともに
牛タンを食べに行きました。
正月料理を作っても
自分自身が
落ち着いてゆったりと
テレビを観ながら食べる、ということが
なくて
栄養摂っていないなあ、と牛タンを。
さすがに今日は
空いていました。

明日からまた
仕事の一週間。
これまで私への配慮で
私の仕事は簡単なものにしてくれていたけれど
今月から復帰です、難しいの。
頭、抱えるなあ。
できるかな、2ヶ月ぶりなんだけれど・・・


私は
父にまんまと
巧みに騙されているような気がしてね。
そうと気づいているけれど
単純に受け止めているふりをしている自分。
争いたくないから。
いろいろ
思うことあるけれど
あくまで素人だから
もう少ししてから
弁護士に相談してみます。
皆さんの意見を聞きたい。

極端な話
私、この街を逃げ出したくなるんですよ、突発的に。
父と会いたくなくて
お呼びがかかっても
簡単に行ける距離じゃないところに篭りたいんですよ。
連絡先も教えずにね。
でも
私には
大事なネコたちがいる。
高齢の義母もいる。
夫もいる。
うちのカエルもいる。
これらを簡単に動かせるはずがない。
仕事もしていかなくては生活もできないしね。
義母は怒っているんですよ。
それまでの鬱憤が爆発。
興奮して眠れないらしい。

昨日今日、養子縁組したわけじゃないのに
自分の子どもなのに
血も涙も無い人だ!とかなんとか。
もう、行くな、
呼び出しがかかっても行くな、と
私に強く言っていますよ。

そういうわけにいかない、というのが心理でね。
母の
腹をかばった歩き方を見ていると
父に殺されそうだ、と思ってしまう。
病院にいたころの母のほうが
穏やかな様子だった。

だから
私は
実家に行っても
母のことばかり心配して
父に対してはそうでもないんですよ。
父、落ち着いたら
首の手術をするんですって。
とにかく長く生きるためには
首でも腹でも手術してしまう人です。
私なんか
どこを手術するのもいやな人間。


ああ
こんなことばかり書いて
つまらんブログですね。

(1/4)あけましておめでとうございます

2013年01月04日 23時17分56秒 | 両親のこと、入院のこと
あけましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いいたします。

今日と明日
正月休みです。
結局、駅伝観られなかった。
正月のテレビ番組、全然おもしろくない。
こういうとき映画に行けばいいのかな。

年末年始
ほぼ毎日、実家に行っています。
父の用事をこなすために
実家だけでなく、あちこちに出かけています。

彼らが退院して一週間。
父はいろいろと性急すぎる。
そのために
母も私たちも翻弄されている。
母の姿が可哀相で。
退院が早かったのではないか、と今日も思っていた。

義母に
相続放棄の件、伝える(話のいきがかり上)。
義母があきれかえる、そんな人間に会ったことがない、などなどを言う。
夫は
それに対して
冷静。
冷ややか。
「世の中、そういう人間たくさんいる。お父さんが特別でもなんでもない。」と。
夫が冷静なのでよかった。
ただ、ここずっと、使われている感に憮然としている彼。



今日は寒かった。
風が強くて強くて
自転車ごと飛ばされそうになった。
ものも飛んできそうだった。
久しぶりの休みなのでゆったりとしたいところだが
洗濯ものが山、それらを何回か洗濯して
そのあと用事で出かけ、実家に。
自分たちの用事も片付けたので一安心。
明日は自分のための休日にするよ。


職場の窓から見える鳩は毎日夫婦でやってきて
微笑ましかった。
卵あるのかな。
その割りに、早朝見ても二羽ともいない。
そして夜が明けて明るくなったころにやってくる。
ただし、昨日
雄だけしか来なかったんだ。
それが心配。
この風の冷たさ、強さ、寒さで
日中、どこかに飛んでいるときに何か雌のほうにあったのかなとまたも
心配の私だ。
愛着を持てば持つほど
平安であってほしい、と強く願ってしまう。


今年は
どんな出会いがあるでしょう。
生活の厳しさがますます増すような予感。
そんな中で
癒しとなるもの、心の糧となるもの
どうか出会えますように。