昼行灯(だった)トキの大雑把なひとりごと

クレヨンしんちゃんよりもユルく生きていた(当面過去系)私の備忘録と、大雑把なひとりごと。時々細かく語ることも。

能登半島地震私考

2024-01-10 00:35:34 | Weblog
正月の夕刻、昼寝をしようとしていたところに、能登で震度5強のアプリ速報。飛び起きてNHKニュースを点けたら、その数分後に震度7。珠洲市ライブカメラでの住宅倒壊を生で見て「これ震度7ある」と分かってしまった。

その後の直下型での大津波警報は大変ビビった。例の山内アナの声はかくあるべしと思ったが、次第に神経に刺さり一時民放へとチャンネルを変えたりもした。そして後日集められた津波映像は東日本大震災と同じだった。それが揺れとほぼ同時に来るとは。
今回の地震は阪神淡路と東日本大震災の両方の特徴を併せ持つ非常に厄介な災害と思う。
以下私見。

一連の地震活動の始まりは平成19年の能登半島地震と考える。ここは当時「地震の空白域で起きた」と言われた。つまり観測史上初であった。
その後の新潟県中越沖地震もやはり空白域だったようで、この2つが能登半島沖の活断層を目覚めさせた端緒と想像する。以後、謎の群発地震に次いで、昨年5月の震度6がいよいよ本震かと思えば、今回の事態であった。確かに、群発はこの震度6以後も継続していたが、これほどとは、である。
長さ150kmに渡る複数の断層が浅い地域で一気に動き、震度7の強烈な揺れと、多くの木造家屋倒壊に繋がった。直下型で揺れの周期が木造家屋にダメージを与える点は阪神淡路に似る。火事は起こったが予想以上に少なく、これは阪神淡路の教訓を踏まえた成果であろう。
そして一連の地震の原因は地下の流体移動にあるとされるが、長距離に渡り複数の断層が連動して動いた点は、メカニズムは全く違うが東日本大震災と似ている。なお東日本大震災でずれたプレート境界に進入した水分が能登半島地下で上昇したと見る向きもあるそうだが、東日本大震災よりも平成19年の地震が先行していることから、私は両者の直接的な関係性には懐疑的である。
今回、直下型・断層型地震であるが、陸地近傍の海底断層が動いた為に津波発生となった。東日本大震災では震源が沖合であったため、揺れと津波規模は大きく長時間であったが建物倒壊や地割れ崖崩れ等は今回の地震ほどはひどくなかった。そのため、地盤沈下で津波浸水が引かない地域以外は道路啓開が比較的早く進んだ。仙台空港を米軍が片付けてくれたのも大きいが、津波による瓦礫堆積だけでなく地盤が能登空港並みにガタガタだったらこれは無理だっただろう。今回、道路復旧がなかなか進まないのも同じ理由で、揺れの被害が酷すぎるのと、かつ山岳地形がほとんどで土砂崩れの道路寸断が致命的に多すぎるのもある。余震もこう多くては手のつけようがない。
また、能登では海岸線が東日本とは逆に大きく隆起しているのはまずかった。しかもこれは一説には数千年に一度起こるレベルで、能登半島には同様に数千年おきに形成された断層崖が3つほど見られるという。つまり、地質学上は知見のあった、しかし東アジアの歴史上記録のない大事件に我々は居合わせてしまったのだ。
ということは、この現象について我々は予測の術を持っていないということになる。今後どのような周期で、ひょっとしたらさらに大きな地震があるのかもしれないが、それをわかりようがない。
それもあり、東日本大震災の時、宮城県は発災後数日のうちに市町の復興グランドデザイン案を作ったのだが、これが今回の石川県では難しい。
というのは能登半島北岸の漁港は軒並み隆起しており、元の位置に港を復旧するには大きく掘削、事実上の掘り込み築港を行うことになる。これはとても現実的ではない。かといって新たに生じた土地の外部に港を作るといっても、当面地盤は安定しないだろうから、実用的な港の再建は、できても30年後くらいになると思われる。付言すれば工事に先立ち測量や表示登記といった事務手続きも要する。そんなことをしている間に、超高齢化していた被災集落の多くの人が再建を待たずに去ることだろう。
東日本では牡鹿半島などで「過疎化が10年加速した」と言われたが、能登半島地震ではおそらく「都市消滅が加速到来した」ことになる。生業を支えるインフラが当面再建できないのなら人は住み続けられない。
つまり復旧・復興の青写真を今回のケースで描くのは非常に困難である。これは液状化が激しかった新潟県なども同様で、どこに住宅再建を進めるのかといえば、防災集団移転どころではなく、もう既存の生き残った宅地に移ってもらう方がましだ。この20年の間だけでも何度もこうした住宅倒壊規模の地震が起きているとなれば、宮城県のように防潮堤や高台移転で何とかするレベルではない。100年単位で様子を見なければ安心して再建などできないように思う。現実的には「現地復旧は諦め、災害救助法など各種法制度の枠組みをフルに使い、なんとか故郷を離れ、先祖伝来の土地を捨て、他の仕事を見つけて生きていく」しかないであろう。つまり、事実上「復旧」は無理で、取りうる選択肢は人生のリセットしかない。ハワイの大規模溶岩被害のように、もう住めないレベルで地質学的変化が起きてしまったという事実を、今度こそ受け入れなければならない。とりあえず地殻変動が沈静化するまでは、断層から離れた箇所に仮設住宅を早く整備し、そこで住むしかない。
しかし、自らの家屋敷や土地といった財産が無価値になるという残酷な事実を人は受け入れることが難しい。そういう現実に、旧住民の心は東日本の時以上に荒むだろう。被害面積は東日本の時よりは狭いので、県外への二次避難などはやりやすい(道路が通れば)と思うが、おそらくこういう地方集落の人はそこを離れたがらない。まず、自宅や埋まっている家財道具、財産など心配なものが多くあるだろう。まして行方不明者がいる人は尚更である。ましてや、1月1日という、よりによってほとんどの人が休みで、かつ田舎に帰省でキャパ以上の人が存在しているときの災害である。深刻すぎる。本当は、もう何もかもを無くしたのだと割り切って二次避難をすぐにすべきである。そして元の家に戻ることは諦め、新しい生活を模索することだ。年配者ほど辛かろうが、そうすることが最も合理的である。
そして人は、合理性では決して行動決定しない。感情的好悪でその行動を最終決定する。これも東日本大震災の復旧・復興で得られた大きな教訓である。ヒトという生物はそんなに合理的にはできていない。
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