>★「肉体人間は、業の浄化装置である」というのが、正しい理解だと思うのです。
このなかには、『人間と真実の生き方』の
『人間は本来、神の分霊(わけみたま)であって、業生(ごうしょう)ではなく、
つねに守護霊、守護神(しゅごじん)によって守られているものである。
この世のなかのすべての苦悩は、人間の過去世(かこせ)から現在にいたる誤てる想念が、
その運命と現われて消えてゆく時に起る姿である。
いかなる苦悩といえど現われれば必ず消えるものであるから、
消え去るのであるという強い信念と、
今からよくなるのであるという善念を起し、どんな困難のなかにあっても、
自分を赦(ゆる)し人を赦し、自分を愛し人を愛す、愛と真と赦しの言行をなしつづけてゆくとともに、
守護霊、守護神への感謝の心をつねに想い、世界平和の祈りを祈りつづけてゆけば、
個人も人類も真(しん)の救いを体得出来るものである。
■守護霊・守護神とは、常に私たちの背後にあって、
私たちを専属に守護し、運命の修正に尽力している神霊です』という理解も含まれています。(*^_^*)
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★「自分(人間)」とは、天命を完とうする存在です。
「自分の経験(=消えてゆく姿)」に何一つ間違いはありません。
『守護霊さま、 いろいろと経験させて頂いて有り難うございますと笑顔で言える見識が、
全託であり安心立命の心境です。
自分の魂の計画(経験)を受け入れられないとき人間は悩みますが、
そのことによって、人間(魂)は成長するのです。(*^_^*)
★自分で勝手に想像して迷っているのが人間です。
「世界平和の祈り」(瞑想)とは、
自分への問いかけ(自分の魂の計画を訊くこと)であり、自分から答えを得ることです。
★「世界平和の祈り」は、自分の魂がもっとも落ち着く場所です。
やるのは、今でしょう。(*^_^*)