『知足日記』

『知足』とは、『生かされて、生きている』・『必要な物、必要な経験は与えられている』・『すべて必要。すべて良し』と知ること

思い悩まないことが「安心立命心」(*^_^*)

2013-05-14 15:34:42 | 思索

>★「肉体人間は、業の浄化装置である」というのが、正しい理解だと思うのです。

このなかには、『人間と真実の生き方』の

『人間は本来、神の分霊(わけみたま)であって、業生(ごうしょう)ではなく、
つねに守護霊、守護神(しゅごじん)によって守られているものである。

この世のなかのすべての苦悩は、人間の過去世(かこせ)から現在にいたる誤てる想念が、
その運命と現われて消えてゆく時に起る姿である。

いかなる苦悩といえど現われれば必ず消えるものであるから、
消え去るのであるという強い信念と、
今からよくなるのであるという善念を起し、どんな困難のなかにあっても、

自分を赦(ゆる)し人を赦し、自分を愛し人を愛す、愛と真と赦しの言行をなしつづけてゆくとともに、
守護霊、守護神への感謝の心をつねに想い、世界平和の祈りを祈りつづけてゆけば、
個人も人類も真(しん)の救いを体得出来るものである。


■守護霊・守護神とは、常に私たちの背後にあって、
私たちを専属に守護し、運命の修正に尽力している神霊です』という理解も含まれています。(*^_^*)
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★「自分(人間)」とは、天命を完とうする存在です。

 「自分の経験(=消えてゆく姿)」に何一つ間違いはありません。

 
『守護霊さま、 いろいろと経験させて頂いて有り難うございますと笑顔で言える見識が、
全託であり安心立命の心境です。

自分の魂の計画(経験)を受け入れられないとき人間は悩みますが、

そのことによって、人間(魂)は成長するのです。(*^_^*)

★自分で勝手に想像して迷っているのが人間です。


「世界平和の祈り」(瞑想)とは、
自分への問いかけ(自分の魂の計画を訊くこと)であり、自分から答えを得ることです。


★「世界平和の祈り」は、自分の魂がもっとも落ち着く場所です。

やるのは、今でしょう。(*^_^*)

外界とは内面(意識)である。(*^_^*) この私は「なにも欲しくない人」?

2013-05-12 11:55:29 | 思索
■下記の「覚書」は、下の『「悟り」とは、「覚悟」である』からの意識の流れで読んでください。(*^_^*)ss
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■以下の文章は、自分の魂への語りかけ、宣言、覚悟の「覚書」です。


★外界とは内面(意識)である。・・・であるから、

自分の意識が平安であれば、世界は平安である。・・・これが事実(原理)。


★「自分が満足をしたい」という思いは間違っている。(*^_^*)  我の意識である。

  「他人の役に立つ」つまり「愛の表現」が、普遍意識(ワンネス意識)の結論である。


★この私は「なにも欲しくない人」。(*^_^*)   我意識のない人? 「自分の思い」のない人。


「世界平和の祈り(瞑想状態)の意識の人」であり続けたい。


我がなく、つねに祈っている人でありたい。(*^_^*)



★『「私」には、何も起きていない』(和尚ラジニーシ)とは、

「私の意識には、何も起きていない」という意味。

「私の意識」は、何も意識していないという意味。


自分の普遍意識には、何も起きていないという意味。


人の「思い」が勝手に、迷っているだけ。(*^_^*)



★たとえば、「美味しいもの」があったとしたら、

 自分が食べるのではなくて、他人に食べてもらいたいと思える人が、

「我の思い」のない人。


★余談になりますが、「美味しい」というのは言葉(概念)なので、普遍的な事象(客観的な事実)ではない。
 
 縁(業)によって生じる「思い」の一つであり、「消えてゆく姿」。



★「他人のためになること」が、自分の価値(愛)だと思えば、こころ安らかに暮らせます。(*^_^*)


考え方としては、
他人のためにお金を使うことは「善」であり、

自分のためにお金を使うことは「業」である。


★どれだけ、他人のためになれたのか(有形・無形を問わない)が、
肉体としての人間(=自分)の価値であると覚悟する。(*^_^*)


★すべては、自分の思いのなかで起きていること。 すべては、「自分の思い」。


瞑想(「世界平和の祈り」)は、それをとめること。


「生」という意識、「死」という意識、「他人」という意識すらも止める。 無くす。


「言葉(概念)」を止めて生きる。


これが安心立命の人生を生きる方法。(*^_^*)  宗教の目的。

「魂そのもの」になる感じがステキ(快感) (*^_^*)

2013-05-12 10:35:53 | 思索
★自分の魂の計画の一つは、「不食」のようです。

「世界平和の祈り」(瞑想)をしていますと、丹田に気がたまってくる感じがして、

「何かが欲しい」という意識(欲望)が起きなくなります。

それで自然に「不食」になります。




★「不食」が人生の目的ではないのです。


肉体、感情体、メンタル体、スピリット体が調和しチューニングされた形が「不食」であり、

「世界平和の祈り(瞑想)」と縁のある人の魂の計画のなかに、「不食」があるのです。


これが「人類の意識の進化した状態」(悟り・普遍意識になった意識)だと思います。


人類の一人一人の意識は、そういう「進化した状態」になれる可能性を持ったものです。


この世での出来事(被災も含めたあらゆる出来事)は、修行中の身に起きている事柄(プロセス)です。


★たえず「世界平和の祈り」をしていますと、

自分の魂の計画が調和のなかでよりスムーズに達成されるので、おすすめの瞑想法です。


★瞑想をしていると、自分が「魂そのもの」になった感じがして、

それがとても心地よいので、つねに祈っていたい(瞑想をしていたい)と思うようになります。(*^_^*)

宇宙の存在の不思議(*^_^*)

2013-05-12 09:40:04 | 思索
★私が宇宙と思っている現実は、「自分の思い」の「消えてゆく姿」です。

そういう意味でも「自分の思い」が湧かないことが、「意識としては正解の姿」です。

まわりの事象は、「自分の思い」が観察している事柄ですから、

「自分の思い」が湧かなければ、「事柄の把握」はないのです。


まわりの事象は、ただただ自分の思いの「消えてゆく姿」です。


★宇宙の事実をみてみれば、

「瞬間瞬間の自分の思い」が、縁(業)があって現れ、消えてゆくだけです。

「我即神也」の印は、その縁(業)を切る方法(写経も)ですから、

「自分の思い」が消えて、普遍意識(無分別智・ひらめき)とつながれるのです。

「ないもの」にも把らわれない。なんの思いもないことがベスト。(*^_^*)

2013-05-12 09:04:41 | 思索
★本当に、何に執われる必要もないのです。(*^_^*)

「全部が神(宇宙)の表現」なのですから、

「個人の意識(我意識)」で、ああだこうだと考えてみても始まらないし、

間違うだけなのです。(^^;ゞ

とくに他人の言動というのは、その人の魂の計画であり、「消えてゆく姿」なのですから、

他者がああだこうだと批評できることではないのです。

お互いが修行中の身(身体)であり、その身体も含めて、人類全体が「消えてゆく姿」なのです。


★「ないもの」にも把らわれないことが、正解です。

「把らわれ」とは、自分の思いです。

「自分の思いのない状態」が、正解でありベストです。


★瞑想をすると「自分の思い」が消えるので、このベストの状態(ワンネス意識・普遍意識)になれます。

自分の業想念が消えるので、すかすがしい気持ちになれます。(「被災地での写経」のすすめ)

自分の魂の計画に、深い意識(本心)のなかで出会えます。

「悟り」とは、「覚悟」である

2013-05-12 08:36:17 | 思索
本日の日曜日も営業中です。(*^_^*)

★人類の一人一人に魂の計画(悟りへのプロセス)があって、
 その一つ一つが神の表現ですから、
 他人のどのような人生の事柄であっても「否定すべきものではない」のです。

他人の言動(人生)に「把らわれる必要はない」のです。

人生の思いは、「消えてゆく姿」なのですから、
「消えてゆく姿」にすればよいのです。

神様(守護霊)が、消して下さっているのです。(*^_^*)

それぞれ一人一人が、神の計画(魂の計画)を生きているのです。

人生の事象のすべては、それぞれの方が普遍意識(ワンネス意識)にいたるための計画なのです。


★東北の被災地で写経をすすめるお坊さんの番組を拝見しました。

写経(瞑想)とは、自分(自分の魂の計画)と向き合う時間を得る方法です。

『与えられた場で、すべての人に「悟り」があり、
それは覚悟である』
というのが、そのお坊さんが気づかれたことです。
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★永平寺でたくさんの修行中の雲水さんを見かけ頭の下がる思いでした。
 頭をまるめておられるその姿に清々しさを感じました。
 
けれども考えてみますと、それぞれの方々がご自分の魂の計画を完とうしておられるのですから、

目にするすべての方々は、「修行の身」の方々なのです。

お坊さんというのは、そういうこと(本来無一物・ワンネス意識)に気づかせてくれる存在でもあったのですね。

私がかってに、葬儀と仏教を関連づけて考えていただけで、

仏教は安心して生きるための教え、自分と向きあうための方法の提示(写経・瞑想)だったのです。

「自分の意識は、大きな意識の一部」という安心立命感

2013-04-21 11:11:28 | 思索

私たちは、大いなる意識の一部を生きているという安心感http://youtu.be/oBshlaYp5BM

悟り(思考停止・無自我)の感覚

2013-04-21 09:34:25 | 思索
自分の思考が止まっている感覚(意識)

「欲しいものは何もない」という感覚(意識)

状況が、ただ過ぎてゆくという感覚(意識)

瞬間から瞬間に生きている感覚(意識)

「世界平和の祈り」の感覚(意識)

ただ「自分の意識があるだけ」という感覚




「鷹の選択」
http://www.youtube.com/watch?v=0duG5WFk_xs

不思議な体験

2013-04-17 15:16:57 | 思索
日曜日に永平寺に分骨に行き、その際に両親の永代供養もお願いして、
納骨の儀式に参列して帰りました。

昨日(火曜日)、実家の仏壇に手を合わせてお参りをしますと、
(具体的には「世界平和の祈り」をして祖先の御霊の天命の成就を祈る)、
なぜかとても軽い感じがするのです。

「もう、母はここにはいない」と感じました。

それで気づいたことは、
母の魂(思い)が父の魂(天命)とともに、
この家から離れて、天界(救われの世界・おおもとの世界・魂の世界)に行ったということです。

遺骨は単なる物質ではなく、その人の思い(魂)が宿っているものだとわかりました。

安心立命、安楽の極意とは(自分の魂の計画について)

2013-04-15 18:19:15 | 思索
この日帰りの旅で出会った方々お一人一人はそれぞれに、違った人生を歩んでおられます。


すべての方々は、自分の人生(消えてゆく姿・体験)を引き受けておられる尊い神々様です。

私自身も自分の「消えてゆく姿(体験)」を引き受けている尊い神です。


このことに気づくことが、安心立命、安楽の極意です。

自分の経験や体験は、自分の魂の計画です。



宮崎老師の魂の計画
http://www.youtube.com/watch?v=Jkf0e9P3SKc




永平寺のなかで感じたこと、考えたこと。

2013-04-15 18:02:12 | 思索
★雲水のかっこよさ(*^_^*)

★ つねに瞑想(「世界平和の祈り」)がしたくてしかたない私とは何か?

そしてそれが、自分の心の落ち着く先。

瞑想が実践されると欲望が消える。 自分の欲望から自由になれる。


★ 雲水僧侶の人生と私の人生の違いは何か?

「消えてゆく姿」の違いだけ、良し悪しはなし。比較の意味なし(*^_^*)

すべては神(守護霊)の出してくださっている「消えてゆく姿(経験)」


★ 座禅の一筋の無思考的人生よりも、住職になることによって檀家(世間・他人)に中で役に立つことができる。

自分の執われに気づくことができ、魂として成長できる。


★永代供養=道元と合祀すること

★供養とは、この世とあの世の魂のふれあいの確認です。

追善(ついぜん)法要とは、亡くなった者に対し、その者の冥福を祈って行われる法要または読経のことをいいます。
特に亡くなった者の命日に法事を営んで供養することを追善供養と称される。

「食べること」について

2013-04-15 17:19:13 | 思索
先日縁があって、数人で和食のバイキングに行きました。
「ふるまう気持ち」や「わかちあう気持ち」で食べると体に負担がかからないことを経験しました。

飲食も「思い(業)」による結果(因縁)のようです。

自分の場合は、午前中に食べることや、炭水化物、肉などを摂ると体に負担が掛かります。(=体調が悪くなります)

「食べない状態の体は調子が良い」という自覚があるので、あえて食べないようにしていているのが今の現状です。

曹洞宗永平寺への参拝

2013-04-15 15:28:20 | 思索
昨日弟とふたりで、曹洞宗永平寺に、亡き母の納骨と両親の永代供養の申し込みに行きました。

高僧さま達のとても手厚い納骨の儀に感激しました。

その道中でさまざまな体験と気づきがありました。

自分がふだん接する方たちは、それほど多くはありません。

その日駅などで多くの人々(神たち)に、寺では雲水達に出会いました。

納骨の儀の最中に「安楽の法門」という言葉が浮かびました。

儀式を終えたあと、両親の永代供養が成就したと感じました。

いえ自分の意識が天につながっていればいつでも、経験は成就しているのです。

3次元の出来事は、「消えてゆく姿」です。

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★高僧さまが儀式のあとに挨拶されてお話くださったことの一つは「座禅のすすめ」です。

最近の脳科学の学説を披露されて、

「セロトニンと脳の働きの関係 」「ノルアドレナリンとパニック障害」のことを話されました。

禅と脳
http://genyu-sokyu.com/pop/tan05_7pop.html

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★もうひとつのお話は、両親から両親へとつながる連鎖の結果、「自分のいのち」があるという事実についてです。


「自分の番」
http://www.hyogo-c.ed.jp/~jinken-bo/chiiki-jinken/chiiki17/image/3-2-2-a.pdf.pdf

この意識とは何か?

2013-04-13 14:51:25 | 思索
★「自分の経験のすべて、精進のすべては、自分の魂(意識)の計画の一部であり、善きこと」と感知できることが悟り。

すべてを受け入れることが出来るとき、自分は神なる存在(意識)。



★★「自分は食べない」という選択が、ふつうにできる意識は普遍意識。

意識とは、何か?

2013-04-12 17:39:29 | 思索
食への興味が、消えた感じがする。

それは、時間が止まるということか?

「世界」は自分の外ではなく、自分のなかにあるのだとしたら、うなずけること。


個人の人間の意識は、その人の内面世界(意識)だけで、完結している。


人間(自分)には、(カルマ)がある。

我即神也の印で、自分のカルマ(業)を切るのだから、

食というカルマが無くなるのは、当然の結果ということか?

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2月14日、国連本部総会議場で「世界平和の祈り」が行われました。

異教徒間の調和を通じて、平和の文化のための国連
http://webtv.un.org/watch/united-for-a-culture-of-peace-through-interfaith-harmony/2165451739001/