『知足日記』

『知足』とは、『生かされて、生きている』・『必要な物、必要な経験は与えられている』・『すべて必要。すべて良し』と知ること

【2705】「自分という意識」を、言葉で語ることはできないし、無意味!!(^^;ゞ

2010-07-31 23:49:31 | 思索
【2704】で考えたかったことは、たとえば以下の2つです。

★言葉以前の「なまの自分」の「この意識」と何か? 

★「この意識」を「この意識」だと客体化して考えている「もう一つの意識」とは、何か?
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■このふたつについて、私は「解答」を得たいと思ったのですが、
大いなる矛盾(笑)に気付きました。(^^;ゞ

「言葉以前の次元の話」なのですから、言葉による解答は得られない(笑)と考えるべきだったのです。(^^;ゞ
。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。


★私とは何か? ――――「ここにこうしているものである」

★私の意識とは何か?―――「ここにこうしてあるものである」

というような解答しかないと思うのです。

「自分とは何か?」は、真には問えないと思うのです。(*^_^*)
。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。


■それでも、私は、そのような「存在の不思議」の意味を考えることが好きなので、
考え続けたいと思います。(^^;ゞ


「人生の不思議」を感じること自体は、非常に楽しいことですし、
考えること自体が「救い」だと思うのです。

【2704】自分が、自分と思っている自分とは何か(^。^?

2010-07-29 04:25:04 | 思索
昨日、歯医者に歯石をとってもらいに行きました。
仰向けに寝かされた楽な状態ではあったのですが、診察台で1時間近く待たされました。(^^;ゞ

何もすることがないので、「統一」をしながら、「自分」とは、何だろうかと考えました。


私たちは、ふつう「自分」というものがあると思っていますが、
なんのことを「自分」と思っているのだろうか?と考えました。

「自分は、何のことを自分と思っているのだろうか?」と考えました。


私たちのほとんどは、自分を中心にした損得を基準に、物事(自分)を考えています。(^^;ゞ


★ここまで書いて気付いたのは、「物事=自分」です。

自分に起きた物事(経験についての思い)を、「自分」と思って、判断をしているのが「自分」です。

「自分」とは、自分による、自分のイメージです。

「自分」とは、関係性の中での「自分」というイメージです。


★それでも、さらに不思議に思うのは、自分のことを「自分」と思っているのは、何なのか?ということです。

何が、「自分」のことを「自分」だと思っているのでしょうか?


「自分」というイメージは、どこのあるのでしょうか?

「この私(自分)」の脳の中にあるとは、思うのです。

でも、その「この私(自分)」と思っているのは、何なのか?

「この私(自分)」という意識なしには、何も語れません。(^^;ゞ

「自分は、この宇宙に存在する唯一の意識」とさえ言えません。


「私(自分)」という語句の意味が、不明なので、なにも言えない気がするのです。(^^;ゞ

「自分」もトートロジーなのでしょうか?

【2703】「過去」も「未来」も、「今の思い」

2010-07-27 05:15:19 | 思索
白光誌の編集長さんのお話を、私なりに解釈してみます。(^^;ゞ
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★私たちの「生きている」ということを、高速道路のトンネルの中を走っている車に例えてみると、
トンネル内のランプは、遠方からこちらに、大きくなりながらやってきて、
自分に一番近い時に「最大の大きさ」になり、そのあと、小さくなりながら遠ざかります。

「ランプ」の一つ一つは、「消えてゆく姿」(体験)です。

なぜランプが前から来て後ろに遠ざかるように感じるかというと、動いている(生きている)からです。(^^;ゞ

つまり私たちは生きて前に進んでいるから、「時間の流れ」を感じるのです。


★因果説も果因説も考え方という意味では同じです。

何が違うのかというと、意識を「過去(固定概念)」に置くのか、「未来」に置くのかの違いです。


★因果説は、「自分の固定観念」を信じて、自分の未来を規定するという考え方です。

果因説は、「自分の固定観念(固定概念)」を打ち破る自分の能力を信じて(笑)、「自分の未来」を創造するという考え方です。


★高速道路を走っている以上(生きている以上)、「時間の経過(流れ)」を感じるのは、当然のことです。

そして、その「時間」のなかで、私たちは、いろいろな体験(消えてゆく姿)をする存在として、
この世に生まれ、「生きる」のです。

それが、私たちが「生きていること」の、形式としての事実です。(*^_^*)


★果因説とは、「消えてゆく姿(自分の体験)」を行じつつ、
それに把らわれないで、「自分の未来を創造する」という考え方です。
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★「世界平和の祈り」や印を行じ続けていますと、実際に「過去が消える」という体験をします。
「自分の過去を思い出せなくなる」(笑)のです。(^^;ゞ

「過去って何でしたっけ?」(笑)と自然に思えるのです。

この文章を書いて、以前から自分が「健忘症」ぎみであった(笑)ことを思い出しました。(^^;ゞ

というか、「過去」はもともと「自分の思い」に過ぎなくて、それを思い出すことが、私は苦手なのです。(^^;ゞ

★「過去」も「未来」も、「自分の想念」です。

「世界平和の祈り」をして、自分の思考を停止するのですから、
「過去の思い」が消えるのは、当たり前なのでした。(^^;ゞ

★「世界平和の祈り」をしながら生きるということは、「自分の想念」を止めて生きることです。(^^;ゞ

それは、とても楽な生き方だと、このごろつくづく思います。(^^;ゞ

ドクター苫米地さんが目指しておられる「平和な世界」も、
人々が、自分の善なる能力(内なる能力)を発揮して、
お互いが、自由に楽しく生きられる世界というイメージだと思います。(^^;ゞ

自分についていうと、「実際に、やってみれば良いだけのこと」です。 (文責・知足)

【2702】私たちが宏めたいのは、「世界平和の祈り」という方法(在り様)

2010-07-26 01:46:41 | 思索
昨日の大阪支部の講話会に来られたのは、なんと(笑)白光誌の編集長さんでした。(^^;ゞ

編集後記の最後に、「白光の教え」への深い理解に満ちた情熱的な文章を書かれておられるので、
このプログでも、以前に何回か紹介したことがありますし、お会いしたいと思っていました。(^^;ゞ

編集後記の文章には下の名前が無かったので、私は勝手に、年配の男性だと思っていたのですが、
お会いしてみると35歳の女性で、20歳代の大学生に見えるほどお若い方でした。(^^;ゞ

果因説をどう体感して行じるのかという話が印象的でしたので、後日また書きます。(^^;ゞ

★座談会で、今後どのような本を出していけば良いのかという話になり、ふっと思い付いて、
『すごい夢実現CDブック』のような、ビジュアルで若い人が手に取り易い、
「統一」のCD付きの本を出してはどうかという話をしました。(^^;ゞ

もう一枚のCDとしては、副会長さんたちの座談会の様子で、
「我即神也」や「人類即神也」や「消えてゆく姿」などの言葉を使わないで、
「白光の教え」について語った内容などはどうでしょうか(^。^?

★私たちが宏めたいのは、「世界平和の祈り」という方法(在り様)であって、
五井先生や昌美氏ではないと思うのです。 五井先生や昌美氏は媒介だと思うのです。

昌美氏の法話にも、そのような内容のものがあったと思います。(^^;ゞ

【2701】いま、生きてあることは、とてつもなく稀有なこと

2010-07-25 04:21:40 | 思索
朝目覚めると同時に、この言葉が心に思い浮かびました。(^^;ゞ

そして、手元にあった和尚の本をめくりますと、次のように書かれていました。

この真理(心理)(笑)を抱いて、今日も楽しく朗らかに生きられそうです。

「真理」を知れば、思い煩わないで朗らかに、人生を楽しんで生きられると思うのです。

それは、『生と死の取り扱い説明書(一人一宇宙)』を手に入れることなのです。(^^;ゞ
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★愛する人は、全存在から愛される

存在は、ただ、あらゆる次元から

私たちに反響しているだけだ

私たちが美しい歌を歌えば

その歌は何千倍もの美しさとなって戻ってきて

私たちの上に降り注ぐ

私たちが与えるものは何でも戻ってくる

人々が惨めなのは、他でもない

彼らが他人に、惨めさや痛みを与えているからだ

           『寝る前に、贈る言葉』(OSHO講話集)

【2700】瞑想(「世界平和の祈り」・「統一」)は、体験と体感

2010-07-24 22:07:39 | 思索
★瞑想(「世界平和の祈り」・「統一」)は、体験です。

「自分の落ち着き場所は、自分」と感じる体験です。

そういう自分になるためには、一定期間の積み重ねが必要なのでした。(^^;ゞ

その時々の迷う姿(笑)は、このプログに書いてある通りです。(^^;ゞ

過ぎてみると、その時間の経過は、あっという間でした。(^^;ゞ


★大きなもの・大いなるもの(サムシンググレート)に守られているという感じがします。

瞑想(自分に戻る体験)が深くなると、「自分の思考を止めて、生きること」は、案外簡単です。

自分と思考を別けて考えることが出来るようになります。 
自分の心や感情を観察して、随観できるようになります。

「他人の思考や感情」に巻き込まれないようにする方法の要点も分ってきます。(^^;ゞ

「なんとなく聞くこと」が良いようです。

「聞かなくても良い」(笑)のです。(^^;ゞ

その人は、その人の「思い」なのですから、「一人一宇宙」なのですから。


★いろいろとお騒がせしましたが、(^^;ゞ
アリスの売り上げ(経営状態)も、生活がしていける程度(笑)に回復しました。(^^;ゞ

いろいろと改善(変化への対応)が必要であったのに、先延ばしにしていたのです。(^^;ゞ

★「変革の時期」が終わってみると、すべてのことが「消えてゆく姿」であったことが理解できます。(^^;ゞ

これから起こる何もかもも、「消えてゆく姿」なのです。(^^;ゞ

人間は、どのような体験をしてでも生きていけます。

死ぬ時が来たら、見事に死ねば良い(笑)だけです。(^^;ゞ

ほんとうに、すべては「消えてゆく姿」であって、
「世界人類が平和でありますように」と祈っていれば、自然に救われているのです。

★『すごい夢実現CDブック』の付録のCDに、
「愛という概念が無ければ、戦争は起きない」という話があって、面白いと思いました。(^^;ゞ

【2699】『ついに地球が壊れはじめた★衝撃!科学者も驚く「熱圏」の崩壊』

2010-07-23 05:50:21 | 思索
以下のような「宇宙の法則研究会」さんのメルマガが届いたのですが、今回は、
不安な気持ちや心配が起きませんでした。(^^;ゞ

『否定的な言葉を光に変容する神事』に参加したから(笑)なのででしょうか(^。^?

『災難に遭う時には、災難に遭うのがよろしく候』という言葉が、心に浮かんで、納得出来る気がするのです。
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★『ついに地球が壊れはじめた★衝撃!科学者も驚く「熱圏」の崩壊』

最近、北半球は熱波が襲い、南半球は寒波が襲い深刻な状況が生まれています。

NY襲った熱波、東京直撃か 2010.7.19 05:00
http://www.sankeibiz.jp/macro/news/100719/mcb1007190502009-n1.htm

ヨーロッパも猛暑で異常事態 1600人が死亡(07/18 17:55)
http://news.tv-asahi.co.jp/ann/news/web/html/200718027.html

猛暑のロシア ウオツカ飲んで水浴びし1200人死亡(07/18 12:32)
http://news.tv-asahi.co.jp/ann/news/web/html/200718013.html

アメリカ南西部で40度前後の猛暑 ほとんどの州で30度を超える日が続く(07/18 17:50)
http://www.fnn-news.com/news/headlines/articles/CONN00180958.html

異常な寒さが南米で猛威 死者など各地で被害
2010.07.20 Web posted at: 13:59 JST Updated - CNN


この熱波と寒波がなぜ各地を襲うのか、その理由を最近米連邦航空宇宙局(NASA)が7月15日に公表しました。
A Puzzling Collapse of Earth's Upper Atmosphere

http://science.nasa.gov/science-news/science-at-nasa/2010/15jul_thermosphere/


NASAが公表した報告書をまとめた米海軍研究所(NRL)ジョン・エマート(John
Emmert)氏は、上層大気の熱圏崩壊が起こっており、「少なくとも過去43年間で最大の熱圏収縮」だと証言しています。


★詳しくは、下記のページでご覧ください。

http://archive.mag2.com/0000101181/index.html

【2698】人間にとって、自由とは何か? その絶対的自由性について、『逆洗脳誘導CD』とは?

2010-07-22 04:30:36 | 思索
『すごい夢実現CDブック』に付いている「逆洗脳誘導CD」(お話と働きかけ)は、
西洋思想と東洋思想(主に、老子)の考え方(世界観)の比較でして、とても興味深いです。

「人間の絶対的自由性」について根本的(哲学的)に考えると、このCDのような話になるのであって、この、
人間はもともと絶対的な自由性をもった存在だという話は、「我即神也」や「人類即神也」に通じる話だと思うのです。

簡単にいいますと、自由とは、「自らに由る」ということです。

自由とは、「自分の習慣性」からの自由なのです。

自分を縛っているのは、自分から自由を奪っているのは、自分の心(自我心・小さい心)なのです。

「自分の洗脳(習慣性)を解く」という意味で、『逆洗脳誘導CD』なのです。

【2697】幸も不幸も「迷い」と知り、望む人生と宇宙を作り出す

2010-07-21 05:49:15 | 思索
苫米地さんの『生と死の取り扱い説明書』の解説には、このプログでもよく登場する、
「一人一宇宙」が使われています。(^^;ゞ

『すごい夢実現CDブック』の内容もかなり良くて、文字通り「すごい」(笑)です。

それぞれの人が、金銭から開放されて、自分の夢を実現した平和な世界を到来させるために、
この本を出版したのだという「あとがき」にも感激しました。(^^;ゞ

時間が、未来から現在に向かって流れる話や、空観、仮観、中観、止観の話、
「人間は、もともと自由であった話」(=我即神也・人類即神也)など、
とても面白いので、是非書店で見てください。

すべてについて、こんなにも分っていて、実践の方法も知っている昌美氏のような人(?)が、
他にもいて(しかも、日本にいて)、その役目を果たしているのだと思いました。(^^;ゞ

いわば、この『知足日記』の集大成のような内容の本です。(^^;ゞ

【2696】「宇宙」とは『今の自分が、思っていること』である。私たちは「なまの生存」を生きている

2010-07-20 05:27:28 | 思索
この記事のタイトルは始め、「宇宙には、今、思っている自分だけがいる」でした。
でも何か違う気がするので、以下のように変えました。(^^;ゞ
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★「宇宙」とは、『今の自分が、思っていること』である!!

★宇宙という物質界が、外界にあるのではなく、自分が宇宙そのものなのです。

物理的な現実(外界)は、自分の内面に映っている姿(体験)です。

物理的な外界は、自分(個人個人)が認識している「世界」であり、
その内容は、人それぞれです。(^^;ゞ

そのことに以下のような経緯で気付きました。(^^;ゞ
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■何か変だと思ったら、6月20日頃から、記事のタイトルの番号が間違っていました。
それで修正の作業をしたのですが、こういう時には「何んらかの意味」が隠されてことが多いです。(^^;ゞ

そして【2589】の記事をもう少し深く考えることが出来ることに気付き、以下のようになりました。
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★「未来」とは、時間が経過した後(のち)の時空(想念)であるが、
その「時間」というのも「思い」である。

「時間の流れ」ということ自体が、「考え(思い)」である。
瞑想をして、「時間の流れ」という考え方を止めると、「今」しかないことに気付く。

その「今」も言葉であるから、「今しかない」も言葉である。


言葉以前の、「この生の今のこと」を、なんと言えば良いのか(^。^?

私たちは、それに対応する言葉を持たない。

いや、言葉以前の「生(なま)の生存」が、言葉で語れないのは、当然である


★「いま、生きている」という事実、
「いま、『思い』を持って生きている」という事実を、
なんらかの言葉で表現することは出来ないのである。


誰もが、そういう「生(生存)」を生きているのである。


そのことに気付くと、人間(他人・人類)が愛しくてしかたのない気持ち(笑)になる。

「よくぞ、ここに生まれて、ここに居てくれている」という、他人への尊厳の気持ちや愛の気持ちで、
胸が一杯になる。 この気持ちが、愛(人類愛?)の原点なのかもしれない。(^^;ゞ

この人類(自分と他人)に対する敬意と愛が、「人類即神也」という概念だと思う。


★言葉を使わないで、今、私が、思っていることの何が語れるのか(^。^?


いつでも、「今」しかない。

「今、思っていること」と、「未来らしきこと」(笑)があると思えるのだが、(^^;ゞ

それらも、「今の思い」に過ぎないので、結局は「今の思い」しかないのである。


「今」と思うことも、「思い」なのである。

「今」というのも、自分の「思い」なのである。


その「今の思い」を消そうというのが、「統一」(瞑想)である。



私たちは、「自分の思いの世界」に居て、それを生きているのである。

私たちは、「自分の思い」という宇宙を、生きているのである。

私たちは、「この宇宙に存在する、自分という唯一の意識」なのである。


私たちは、「今」を「今」と思ってしまう宇宙に生きているのである。


全部は、宇宙のすべては、「自分」に映ったものとしてしか認識できないのである。


すべては、「自分の思い」なのである。

「自分の思い」からは、一歩も出れない。

すべては、「自分の思い」の中で「自分が感じている出来事」なのである。


★宇宙には、「今、思っている自分」しかいないのである。(*^_^*)

「宇宙」とは、『今の自分が、思っていること』そのものである!!

【2695】「思ったこと」が、実現しただけのこと

2010-07-19 14:00:11 | 思索
不食の私が、なぜ、吸い込まれるように、食べ放題の店に入ったのかを考えていましたら、(*^_^*)
単に、自分のイメージしていたことが、起きたのだと、『すごい夢実現CDブック』を読んでいて気付きました。(^^;ゞ

良い、悪いではなくて、望んでいたことが起きたのです。(^^;ゞ
私は、その程度の人(笑)だったのです。(^^;ゞ

そういう「消えてゆく姿」だったのです。(^^;ゞ

苫米地さんのこの本は、なかなか良いと思います。

自分の心を強くすれば、自分の本当の夢が叶えられるCD音源だという気がします。

自分の意識の高め方について、「意識の概念(抽象度)を上昇させると、より実現し易くなる」という表現があって、
なかなか的を得ている感じがします。(^^;ゞ

共感覚などを使って、阿頼耶識に働きかける方法なども駆使されていて、興味深いです。
定価1500円は安いです。(*^_^*)

【2694】「欲のない食べ方」を経験する

2010-07-19 03:36:58 | 思索
昨日は、『否定的な言葉を光に変容させる神事』(IN大阪)に参加するつもりで、
色々と段取りをしていたのですが、思いも寄らないことが起きました。(^^;ゞ
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★サイクリング車を車に乗せて持って帰ってくるのを忘れたので、仕方なく、
家にあったママチャリに空気を入れて油を差し、しばらく置いてから、出かけようとしたのですが、
なんとパンクをしていて出発できませんでした。(^^;ゞ

ママチャリだと、会場まで、炎天下を1時間以上移動しなければならないので、
考えてみると、出掛けないで良かったかもしれません。(^^;ゞ

それで仕方なく地下鉄の駅まで20分位歩いて、会場付近の天満橋駅まで行きました。(^^;ゞ

その会場というのが、40年前の私が3年間通っていた私立高校の隣の建物でして、
天満橋駅というのは、高校生の私が利用していた駅です。
そして36年前に、家内と出会ったとき(笑)に利用した駅です。(^^;ゞ

炎天下をママチャリで走るのとは違って、クーラーの効いた電車内はとても快適(笑)でした。(^^;ゞ
交通費は掛かりましたが、守護霊さんに感謝です。(^^;ゞ

天満橋駅に降りると、会場での受付までに2時間もあることに気付きました。(^^;ゞ
地下鉄に乗ったので、早く着き過ぎたのです。(^^;ゞ

あまりにも時間があるので、どうしようかと思い、(^^;ゞ
「えい!」と思って、なんの考えもなく入ったのが、興味のあったスイーツパラダイスという、
以前に紹介した食べ放題の店(天満橋駅のビルの3階)です。(^^;ゞ

ただ今回は、自分の「欲」を切り離して、ほどほどに、興味のあるものだけを食べたので、
まったく苦しくならず、そういう「欲のない食べ方(心境)」を経験でき、発見しました。(^^;ゞ

★「思い」が、食べること全体を司っているので、「欲のない食べ方(ただ、食べているだけ)」をすると、
業を受けないので、「苦しくなる」という結果(影響)が起きないのです。

『不食』の私(笑)が、食べ放題の店に入るという自由度(抽象度)が、自分でも不思議だでした。(^^;ゞ

でも、『不食』も「食べ放題」も結局は、言葉なのです。(^^;ゞ

今回の「食べ放題の経験」は、
「不食というのも、結局は、言葉(概念)なので、把らわれことはないよ」という守護霊さんからの
メッセージでもあり、同時に、日ごろ精進(笑)へのご褒美だという感じがしました。

私たちは、本当は、『とても自由な世界』を生きているのです。(^^;ゞ

でも、この「食べても、苦しくならない」という体験が、
後に、さらなる「食欲」(笑)を生むことになりまして、その後、
その「自分の欲」に、苦しめられることになります。(^^;ゞ

『不食』に把らわれていた自分が、苦しめることになります。(^^;ゞ

★私にはまだ「食の経験が必要」というのが、「消えてゆく姿」なのであって、
それは、良いとか悪いということではないのです。(^^;ゞ

私は、本当は、悟ってなどいない(笑)のでした。(^^;ゞ

「悟っていない現実」を、思い知らされたのですが、
その「悟ってなどいない(自分は凡夫だ)」という思いのが、悟りだとも思うのです。(^^;ゞ

「自分は悟っていないという開示(指摘)」は、必要な経験だったと思えます。(^^;ゞ

★会場に向かう前に、天満橋駅の上の大きな書店で、朝刊に宣伝が載っていた
『特殊音源で脳が超進化! すごい夢実現CDブック』(苫米地英人著)を買ったのも、
上のような流れの中の出来事でした。

そして、2枚目のCDにあった、「自分の自由度(抽象度)を、自分で上げる話」は、
とても分かり易くて良かったです。

人間はもともと、「完全に自由な存在」でして、自分の自由を奪っているのは、自分の習慣・常度(?)なのです。

『否定的な言葉を光に変容させる神事』の内容は、秘儀ですが、
個人的には、「自分の否定的な言葉と習慣」を外すことができて、かなりの効果を感じました。(^^;ゞ

【2693】この私は、なぜ、いま、ここに、生きているのか(^。^?

2010-07-18 05:05:18 | 思索
今日は、白光さんの『否定的な言葉を光に変容させる神事』に参加する予定です。 とても楽しみです。(^^;ゞ

どのようなことが行われるのか、まったくわからない(笑)ので、想像を膨らませているのですが、
そのことが、私に刺激的な発想を連鎖させてくれます。(^^;ゞ

たとえば先ほど、目覚めると同時に、以下のような「新鮮な発想」(笑)がやってきました。(^^;ゞ
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★この私が、いま、ここに、生きていることは、不思議だ! 奇跡だ!

何が、この私を、生かしているのか?

何が、この私を、ここに存在させているのか?

そして、それがなぜ、「いま」なのか? 今の時代の、この日本なのか?

この環境なのか? この状況なのか?


★そういう「生」の中で、自分が、様々な「消えてゆく姿(経験)」をしているということは、
どういうことなのか?

宇宙のすべては、なぜ、「消えてゆく姿(経験)」なのか?

人間には、なぜ、「食」ということがあるのか?

なぜ、「食欲」があるのか?


★私たちは、この地球で、何をしているのか?

この時代に生きている私たちの使命とは何なのか(^。^?

私たちは、私は、それぞれの「消えてゆく姿(経験)」を通じて、何を成し遂げようとしているのか(^。^?


★これらの問いの解答が「白光の教え」の中にあることは、このブログで書いてきた通りなので、
 本当は、上の問いの答えは得られています。(^^;ゞ

それでも、「問い」を発すること自体のなかに、新鮮な興奮が常にあって、(^^;ゞ
「白光の解答」を再確認したうえで、「統一」と「呼吸法の人類印」を、ますます実行しようと思えるのです。(^^;ゞ

【2692】自分の心のなかの「相対的な満足」と「真の満足」について考える

2010-07-17 02:10:36 | 思索
それで【2693】の続きなのですが、

「相対的な満足」と「真の満足」は、別のことだと思うのです。

極端に、どちらか一方だけを探求すると、凡人は行き詰まります。(^^;ゞ
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★【人間は、何に満足しようとする存在!】なのでしょうか?

衣食住の程度なのでしょうか?

そういう人(人間)は、確かに多いです。(^^;ゞ

高価な物には価値があり、それを所有している自分に満足するという「心の傾向」は、
私にもあります。(^^;ゞ

でもそれは、「真の満足」ではなくて、「相対的な満足」だと思うのです。

自分の心が、真に喜んでいる姿ではないように思えるのです。(^^;ゞ

「心の真の満足」は、瞑想(祈り・行)や哲学(言葉)などによる、「心の平安」だと思うのです。
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★哲学(言葉)によっても、「心の真の満足」を得ることが出来ると思うのです。

たとえば、『災難に遭う時には、災難に遭うのがよろしく候』という言葉です。(^^;ゞ

これは、言葉であって、言葉ではありません。 心境です。(*^_^*)

この言葉が、自分の頭の中で鳴り響くと(笑)、事実として、私の心の中に、「真の満足」が訪れます。(^^;ゞ

【2691】人間は、何に満足しようとする存在か?

2010-07-16 22:04:05 | 思索
それで考えたいのが、
【人間の一人一人は、何に満足しようとする存在なのか!?】ということです。

まず、以下のような言葉が思い浮かびました。
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【人は何に満足して生きるべきなのか? そういうモノサシはあるのか?】

ということを、このブログの集大成という意味で、ふっと思いました。
同時に、他人は、どういう状態を「満足」と思っているのだろうか?
とも思いました。(^^;ゞ

けれでも、【人は何に満足して生きるべきなのか?】と考えること自体が、
迷いであり、一人相撲であるということが、
「世界平和の祈り」(瞑想)をしてみるとわかります。(^^;ゞ

★「世界平和の祈り」(瞑想)をしてみると、自分の想念が、「消えてゆく姿」であることが理解できます。

「世界平和の祈り」は、自分の思考を止める方法なのですから、
「世界平和の祈り」をしていることが、覚醒して、無分別智であることなのです。

「災難にあう時には、災難にあうのが良い」(=無分別智)ということなのです。(^^;ゞ


★「世界平和の祈り」をすることが、「迷い」を、実際に消す方法なのです。(*^_^*)

人の人生は、「世界平和の祈り」をするだけで正解(笑)なのです。(*^_^*)


★ただただ、「世界平和の祈り」を唱えながら、無分別に、すべてを受け入れる!!・・・・それで良いのです。(*^_^*)


★「死ぬほど退屈」と思う気持ち(笑)も、「世界平和の祈り」のなかに投げ入れれば良いのです。

「退屈」なのは、思い悩んでいない証拠(笑)なのですから、幸運なことなのです。

時間があるのならば、自他のために「世界平和の祈り」をすれば良いのです。

このごろ、「統一CDの5番」(最長の「統一」)がとても、気に入っています。(^^;ゞ