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『知足日記』

『知足』とは、『生かされて、生きている』・『必要な物、必要な経験は与えられている』・『すべて必要。すべて良し』と知ること

【1243】無名こそが、常名だ

2007-12-19 05:10:37 | 読書
『心が安まる老子』(伊藤淳子著・PHP出版)を読みました。
そのなかのいくつかを、ご紹介します。(*^_^*)

『人生をどう生きるのかと考えたとき、
 こう生きるべきだとか、
 こんなふうに生きたらいいとか、
 固定観念にとらわれてしまう
 でも、みながよいという生き方が、
よいのではない。

 肩書きや名声もそうだ。
 みんなが認めるものが正しいと、
 思わないことだ。
 
 生まれる前には、
 人も 物も
 呼び名を持たない。

 ところが、生まれたとたん、
ほかのものと区別するために
 名がつけられる。

 名づけたことにより、
 それぞれは識別される。

 名づけたとたん、
 それがなんなのか、
限定されてしまう。
 ものには本来、名などないというのに。
 
 もともと、ある存在には、
名はない。

ただ、そこにあるだけだ。
名のないことが常名なのだ。

ものに名がないように、
生き方にも、
これが正しいという定義はない。

決めつけて生きない。
それが本来のありようだ。』(p12)

【1127】『唯臓論』(後藤仁敏著)

2007-09-19 21:35:13 | 読書
『唯臓論』(風人社)という本が、テレビで話題になっていると家内に聞いたので、図書館で借りました。

「唯臓論」という言葉から発想して、私が考えたことは、
「人間は肉体機能として、唯、存在する」というものでしたが、
著書の内容は、一つ一つの臓器に関して、その根源的な由来が述べられていて、
かなり専門的な本でした。

簡単に言ってしまえば、「自分の体に訊け」ということだと思うのですが、
このように事細かに洞察されると、自分の体への愛しさが増してきます。(^^;ゞ

「唯脳論」は、人間の特性を「脳」に特化していますが、
人間の臓器それぞれが示す方向性を意識しながら、生きようというのが、
「唯臓論」の趣旨だと考えられます。

『内臓の働きを大脳に支配させるのではなく、
内臓の働きに神経系の機能を従わせる生き方を思い返すことこそ、
今、私たちに必要なのではないだろうか。

本書は、「臓器に自然」を忘れてしまって、
「唯脳論」によって苦しんでいる現代人を救うために、
人間本来の生き方であった「唯臓論」的な観点で、
人間を見つめ直そうということを提唱した試みである。』(「はじめに」より)

【1089】「物惜しみ」は、他人との分かち合いを嫌う感情

2007-08-12 04:01:00 | 読書
『「物惜しみ」も人を不幸にする否定的なエネルギーです。これは、
「自分のものを他人と分かち合うのをものすごく嫌がる性格」です。
いわゆる「ケチ」に近い感情です。

「物惜しみ」の感情があれば、幸福は消えてしまいます。社会から排除されてしまいます。

皆と分かち合って生活する。それが「物惜しみ」とは反対の生き方です。
我々は、「自分のものは皆のもので、社会のためにあるものだ」という気持ちで生きていかなければいけません。
それが幸福の道になるのです。』(『仏教は心の科学』P170)

★物や人に執着すると、「物惜しみ」になってしまいますね。(^^;ゞ
 私の人生のテーマは、「把われなく生きる」なので、
できるだけ「物惜しみ」を選択しないようにしています。(^^;ゞ  

★このごろ「我即神也の印」を組んだあとに、自分に宣言している言葉は、
 『私は神のように愛深く、完全完璧であり、何事にも把われない。」です。(^^;ゞ

【1087】「怒り」があれば、幸福はない

2007-08-10 05:48:02 | 読書
『仏教は心の科学』(アルボムッレ・スマナーラ著)を読みました。
「怒り」は性格なのだそうです。(^^;ゞ

『もし怒りの性格があったら大変なことで、世の中の幸福な世界はみえず、
悪いところばかりが目に付きます。そういう人は、どう頑張っても幸福にはなれません。
自分が会う人を全部敵に回しているからです。

私たちが見るもの、聴くもの、味わうもの、嗅ぐもの、考えるもの、触れるもの、
その他なんでもかんでも、そこにちょっとでも「嫌だ」という気持ち、拒否したい気持ちが生まれるならば、
幸福にはなれません。』(p164)

★事情がゆるさなくて、「呼吸法の印」が組めない状況が続くと、
 「思い煩う波動」が多くなってくることを発見しました。(^^;ゞ

「呼吸法の印」を組みますと、私の人生はこれで良いのだという思いが降りてきて、
心がやすらかになるようです。(*^_^*)


【945】「世界平和の祈り」が、『いのち』を開く

2007-03-20 21:34:45 | 読書
私は、最近の昌美氏の著書しか読んだことがなかったので、
『いのち開く』(昭和61年刊)を読みました。

アメリカに留学されていた時のことや、五井氏の神帰の前後のこと、
娘さん達の出産や育児などの日常生活が書かれていて、興味深かったです。
付箋を貼った箇所を、書いてみます。

★ 過去に把われることと、過去を正しくみつめ、その過去の体験を未来の生かすこととは、根本的に生き方が違う。

★ なんのきびしさも、試練も、神々から与えられなかったら、一体どんな人間になってゆくであろうか。
いつも自分を磨いて、きたえあげてくださる守護霊さま方に対し、あまりにも、ご修行が多すぎると、
不平不満ばかりもらして、感謝することを忘れていた己れに対し、恥ずかしさと反省の念が起る。

 どんなにつらいこと、苦しいことも、己れの人格を立派にするための試練だったとは、なかなか気付かぬものなのだ。
つねに目先の不幸や災難のことばかり考えて、永遠の生命のことを忘れてしまっていたのだ。
ほんとうに申しわけない気持ちで一杯だ。

★ 他人のために生きられる人こそ、生きる喜びを知っている人である。

★ 「いま」こそ、唯一のとき、唯一の実在なのである。
与えられている幸、不幸、すべてそのまま、ありがたく、天に感謝するのみである。

★「世界平和の祈り」こそ世界を救う、唯一の方法である。
いや、世界を滅亡させないためには、「世界平和の祈り」しかないのである。

『古武術で、毎日がラクラク!』

2007-02-19 21:54:46 | 読書
『古武術で、毎日がラクラク』を読みました。 甲野善紀さんと荻野アンナさんの共著です。

「重さ」を感じないで、荷物や赤ちゃんを持つ方法とか、
疲れない歩き方や、形状記憶合金的な体の使い方などが書かれていて、「目からうろこ」(笑)です。

実際に使えそうなことがたくさん載っていますので、
本屋さんででも見てください。


★それともうひとつ、手を「きつねの形」にして、腕の横を使うと、
女性でも、重い物が持てるそうです。


『古武術で、毎日がラクラク!』